モーツァルトの手紙 上 その生涯のロマン (岩波文庫 青504-1)

  • 岩波書店 (1980年8月18日発売)
3.96
  • (7)
  • (8)
  • (8)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 155
感想 : 12
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (289ページ) / ISBN・EAN: 9784003350416

みんなの感想まとめ

音楽の神童として知られるモーツァルトの手紙は、彼の人生の喜怒哀楽を鮮やかに映し出しています。幼少期から音楽に没頭し、数々の美しい曲を生み出した彼ですが、その一方で、社会性や人間関係においては不器用さを...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み

  • ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
    [注釈 1](独: Wolfgang Amadeus Mozart [ˈvɔlfɡaŋ ʔamaˈdeːʊs ˈmoːtsaʁt] ( 音声ファイル)、1756年1月27日 - 1791年12月5日)は、主に現在のオーストリアを活動拠点とした音楽家。洗礼名はヨアンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト(Joannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)。
    ハイドンやベートーヴェンと同じく古典派音楽・ウィーン古典派を代表する存在である[1][2][3]。

    「〔ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルトは一七五六年一月二十七日にザルツブルクで生れた。父親レオポルト・モーツァルトは、アウグスブルク自由市の信用ある商人の出であった。彼はすくなからず知的才能のあることを自覚したので、気の向くままに、社会上のもっと高い地位を欲して当時有名なザルツブルクの大学に入学して法律を学んだ。しかしこの職業では即座に就職することができなかったので、生活上の必要から礼拝堂付き伯爵ツーン家の家令として雇われた。けれどもその後となって、その才能を認められ、加えるに音楽上の深い知識があったので、一段と都合の良い地位が得られた。もともと彼は多くの学生の慣習に従って、音楽により生活費の一部をその以前から稼いでいたのである。一七四三年にジシスムント僧正によりザルツブルク教会の奏楽隊の楽員として許された。彼のヴァイオリン奏者としての才能と名声が上がるにつれ、同太公はまもなく彼を宮廷作曲家兼管弦楽指揮者の地位に昇進させた。そして一七六二年にはホーフ・カペルマイスター(宮廷楽長)に命ぜられた。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「これら二人の子供が驚くべき芸能を示し、さらにまもなくウォルフガンクはヴァイオリンとオルガンをさえも巧みにひけるようになったので、父親は彼らを連れて旅行することとなった。一七六二年一月、男児がちょうど六歳の時、一同は初めてミュンヘンに行き、秋にはウィーンに赴き、旅行先のいたるところで子供たちは最大の人気を呼び、かなりの報酬を得た。それでレオポルト・モーツァルトはまもなく、全家族と一緒にもっと長い旅行を試みようと決心した。その楽旅は三年以上にわたり、西ドイツの小さい都市からパリ、ロンドンへ、帰途にはオランダ、フランス、スイスを訪れた。父親はこの息子に根気よく注意深い音楽教授をすると同時に、並行して周到な教育を施した。それで少年は稀有の天賦と芸能を讃えられると同時に、その愛すべき性質と自然的な単純率直とに対して誰からも愛された。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「〔六〕ミラノ  謝肉祭  エルヒターク  お母さんとあなたに何遍も接吻を。僕はあまり忙しいので気が違いそうです。そこでこれ以上はもう書けません。〔モーツァルトは各種の演奏会と作曲に追われていた。ミラノ滞在の主な収穫として、次のシーズンに歌劇を上演する契約をした。台詞をとどけてもらうばかりになったので、楽な気持ちでイタリア中を旅行することができた。その歌劇は『ポントの王ミトリダーテ』であった〕」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「〔一六〕我が愛する姉上様  ローマ(一七七〇年七月七日)  あなたの作曲が本当に愛らしいのに全く驚きました。一言にしていえば、この歌曲は美しいです。こういう曲を時々作って下さい。ハイドンの別の六曲のメヌエットを、すぐ送って下さい。(あなたの召使いおよび弟として敬愛の意を表します)(フランス語)  騎士・モーツァルト〔彼はローマ法王から金拍車の勲章を贈られたので、騎士を名乗った〕」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「〔一七〕ボローニャ(一七七〇年七月二十一日)  母上様の命名日のお祝いを申し上げ、数百年も健やかに生きられることを毎日神様にお祈り致します。私が帰る時には数個のロレットの鐘と、ロウソクと、帽子と、絽の布とを持っていってお祈り申し上げることしかできません。ではさようなら、母上様。お手に千遍の接吻を送り、死ぬまであなたの離れない息子です。〔一八〕(僕が神様にお祈りすることは、あなたが健康で、百歳まで生き、千歳になるまで死なないことです。将来もっと僕を理解し、どうか僕の批判者となって下さい。時間がないので、いろいろなことが書けません。僕のペンも、ペンを走らせる手もなんらの価値もないものです。僕がこれからミラノで作曲しようとする歌劇の題はまだ決まっていません)(イタリア語)ローマの僕の宿屋の女将がイタリア語で書いた『千夜一夜』をくれました。読んでまったく面白い本です。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「〔二九〕愛する姉上様  前便の後、久しく経たのは歌劇に追われていたからです。今は多少時間があるので、義務を果たすのに都合が良いのです。僕の歌劇はおかげ様で人気がよく、劇場は毎晩満員なので、大驚異をひき起こし、ミラノの住民がいまだかつてこんな入りのよい歌劇を一度もみたことがないと多くの人は言っています。パパも僕もまったく元気です。復活祭にはすべての事をママとあなたにお話しする機会が得られると思います。さよなら!  ところで写譜係が昨日来て、目下、僕の歌劇をリスボン宮廷のために写譜しているところだと言っていました。さよなら、僕のお嬢さん姉さん。  いつもかわらぬあなたの弟」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「加えるに父はこの宮廷に仕えること三十六年になりますが、現在の大司教が老齢の人たちを眺めることを欲せず、またなんら気にもとめられず、もっぱら文学を愛好しておられることをよく承知しています。こちらの教会音楽はイタリアのものと非常に相違していて、キリエ、グローリア、クレド、ソナタ・アル・エピストーラ、奉献曲すなわちモテット、サンクトゥスおよびアグヌス・デイを含むミサ曲、それから荘厳ミサ曲さえも太公自身が司祭される時には、四十五分間以上にわたってはならないのです。この種の作曲をするためには特殊な修学が必要とされています。軍隊用ドラム、シンバルその他あらゆる楽器をもって編成されたミサ曲のごときは想像することもできません!  お懐かしい尊師とは何と遠く隔たっていることでしょう。お話申し上げたいことがたくさんあるのですけれども。私はすべての好楽家を敬います。私は自身に対する御高評をあえてお待ち致します。私がこの世で最も愛し畏敬する方と、こんなに遠く離れていることを返す返すも残念に思います。尊敬する神父の常に賤しき信実なる下僕として署名致します。  ウォルフガンゴ・アマデオ・モーツァルト」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著


    「彼は顔を苦しそうに歪めているのです。第一のは眼鏡をかけています。私はオルガンに向かっている彼の側に立って、何か彼から学び取ろうと思って見守りました。彼は一つ一つの音符ごとに鍵盤から全然手を離してひくのです。彼がフォルテと思うことは六声部にひくことですが、大部分五度か八度にひいています。右手を使う必要が全くない時は、右手を全然なしで、左手だけの演奏をよくやります。要するに彼は自分の思う通りのことができ、オルガンの完全な支配者だと考えています。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「ウィーラント氏と知り合いになりました。しかし私が彼を知っているほど、彼は私のことを知りません。私のことはまだ何も聞いていないのです。実際にあってみると、想像した彼とは全く違っていました。彼の物の言い方はむしろ不自然で、子供じみた声をしています。潤んだような目をしていて、学者ぶって無骨にしたかと思うと、時には腹立たしくなるくらい丁寧にします。しかし彼がマンハイムでこんな態度に出ることも無理からぬ事とは思います。ここではワイマールやその他のところと違って、天から降ってでも来たように見詰められているからです。人々は彼の面前では儀式張って、誰も物も言わずに、みんなできるだけ静粛にして、一言も聞き漏らすまいとしているようです。一同があまりながい間期待していたのが不幸です。なぜなら彼は話す時に何かつかえるようで、従ってひどくゆっくりと話して、六語も言うと一休みします。そうでなければ、彼が優れた点のある人であることは周知の通りです。彼の顔立ちは全く不格好で、天然痘の痕があって、長い鼻をしています。丈の高さはパパよりちょっと高いくらいです。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「 次の日曜日にも、火曜日、水曜日にもまた音楽をしました。ウェーバー嬢は全部で十三回歌い、ピアノを二度ひきました。彼女の演奏もなかなか悪くはないのです。私が一番驚いたことは彼女の読譜が達者なことです。彼女は私の難しい奏鳴曲を読んでひくのですが、ただ緩やかです。しかし一つの音符も間違いません。むしろ私は、自分の奏鳴曲がフォークラーにひかれるより、彼女にひかれる方が好きです。私は十二回演奏して、一度は希望により、ルーテル教会のオルガンをひきました。私は公妃に四つの交響曲を贈って、銀貨でたった七ルイを頂きました。気の毒なウェーバー嬢はわずか五ルイを貰いました。こんなこととは思いませんでした!  大したことを期待してはいなかったが、どんなことがあっても各々にすくなくも八ルイは貰えるものと思っていました。チェッ!  しかし四十二フローリンを儲けたのだから、損はしなかったのです。それに正しい立派なキリスト信者とカトリック教徒と懇意になったのが何よりの喜びです。彼等をずっと以前に知らなかったことを大いに後悔しています。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「私は彼等と旅行することも、一時間も一緒に遊ぶこともできないし何を話してよいかも判りません。早く言って、私は彼等を大して信用していないのです。信仰を持たない友人は、ながい間の友人にすることはできません。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「私は彼等と旅行することも、一時間も一緒に遊ぶこともできないし何を話してよいかも判りません。早く言って、私は彼等を大して信用していないのです。信仰を持たない友人は、ながい間の友人にすることはできません。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「どうぞ、すぐお返事を下さい。私が歌劇を書きたいのだということを忘れないで下さい。歌劇を書いている人は皆美しいのです。私は詠唱を聴いたり見たりすると、心痛のあまり泣き出しそうになります。しかしドイツのではなく、イタリアの──喜歌劇でなく、正歌劇を!  これで思っていることを皆書きました。お母さんは私の計画に満足されています。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「貴族というものは恋愛とか性質から結婚することは許されずに、興味とか、その他いろいろな理由から結婚するのです。貴族の奥方は一旦義務を果たし、財産の相続人を生み出してさえしまえば、もはや全く愛されなくとも仕方ないのです。ところが私達貧乏人は、自分が愛し、愛される妻を選ぶ特権があるばかりでなく、そうしたって誰も文句を言う人がないのです。というわけは、私達が貴族でもなく、家柄がよいわけでもなく、金持ちでもなく、その反対に、身分が卑しくて貧しいからです。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「あなたは『知識は力なり』と言われたが、本当です。また、あなたは面倒を見てお疲れになったでしょうが、ウェーバー嬢は親切に対して、報いるいるだけのものはあるのですから、その甲斐はあります。この前にお知らせした私の新作の詠唱を、彼女が歌うところを本当にお聴かせしたいと思います。──彼女の歌っているのが聞えるようです。なぜならこの曲は特に彼女へ誂え向きにできているものと思えるからです。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「〔六七〕パリ(一七七八年三月二十四日)  昨日(二十三日、日曜日)九日半の旅行を神様のおかげで無事に終って、午後四時半に当地へ着きました。とてもここまでたどり着けないかしらと思いました。私は生まれてからこんな退屈をしたことはありませんでした。マンハイムとそこの大勢の親切な友人たちと別れて、十日間、その友人がいないばかりか、付き合ったり話したりする人間一人、生き物一匹いずに旅行したのですから、御想像できましょう。だが今は目的地に着いたのですから、これからは神様におすがりして万事うまく行くと思います。今日は辻馬車を雇って、グリムとウェントリンクを探しに行きます。明日の朝は選帝侯領の大臣フォン・ジッキンゲン氏を訪問する予定です(大の芸術鑑賞家で、音楽の熱烈な愛好者です。この人宛ての二通の書面をフォン・ゲミンゲンとカンナビッヒから貰っています)。ローディの宿屋である晩に作曲した四重奏曲を、マンハイムを立つ前に写譜させました。同時に五重奏曲とフィッシャー変奏曲をもフォン・ゲミンゲンのために写譜させました。彼はこの譜面の表紙に極めて丁重な文句を記して、私が彼に与えた楽しい想い出を書き留めました。さらに親友フォン・ジッキンゲン宛ての手紙を私によこして、『手紙であなたに言うよりも、あなたが手紙よりも大きい推薦に値すると信じます』と書き添えてありました。写譜料を払うために、彼は私に三十ルイを送金してきて、さらに彼の友情を誓い、その返報として私の友情をも要求しました。私と知り合いの人に、枢密官、内蔵頭、宮廷楽員、その他高位高官達は私が去るのを本当に惜しんでくれました。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「しかし礼儀とか感謝の点では、私は彼にあまり好意が持てません。ウェーバー家は貧しくて、地位も低いが(私はそのために半分ほども尽していないが)ずっと遥かに感謝的であります。カンナビッヒの奥様と娘は私にお礼の言葉一つも言ったことがありません。親切な感情をあらわすために、たとえ些細な物でもわずかな記念品を贈ろうという気持ちさえ持ったことがありません。しかしそんな物もなく、感謝の言葉さえもないが、私はその娘を教授するのに多くの時間を費やし、ずいぶんと骨を折りました。彼女は今では誰の前でも立派に演奏できます。わずか十四歳の素人の娘としては全く上手です。その点、私に感謝しなければなりません。マンハイムの人達は皆そのことを知っています。今では器用でリズムがよく運指法もできていて、以前にはできなかった顫音さえ上手にやります。今から三カ月も経てば、私のありがたさが判るでしょう。その頃には彼女がまた駄目になり、下手になりゃせんかと案ぜられます。彼女は終始そばに教師がいて、彼女のことをよく見てもらわないと、駄目になるのです。まだあまりに子供っぽくて、上っ調子ですから、堅実に、一人でも注意深く練習するということはできないのです。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「いついつにやって来いと指定されるので、そこで私が演奏すると、彼等は(『おお!  これは神わざ、これは見事、これは驚異!』)(フランス語)と言うが、それであばよ!  はじめの内は私もずいぶんお金を使って出かけました。しかし訪問先が、留守だと何の役にも立ちません。あなたはここにおいでにならぬのだから、これがどんな迷惑だか信じられません。それにパリはひどく変わりました。十五年前のパリ人は礼儀がよかったが、今は違います。今の作法は野蛮に近く、彼等はいやらしいくらいに自分勝手です。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    時々思う。

    大衆と芸術は相反するのか。

    モーツァルトの手紙には、いかにして大衆にウケるかを考えていたとある。

    後世の人が芸術音楽と持ち上げた。

    芸術音楽というカテゴリにいる人達は、商業音楽と一線を引き続けるのか。

    日本はその枠組に未だ囚われ、シームレスの動きもまだまだぎこちない。

    大好きなママ!何もかも楽しいことばかりで、ぼくはもうすっかり有頂天です。だって、この旅はとても面白いからです。馬車の中はとても暖かいからです。御者は愛想のいい人で、道がちょっとでもいいと、とても速く走らせるからです『モーツァルトの手紙』

    「歌劇に向く、よい台本を探すことは現在なかなか困難です。古い物が一番よいのですが、近代的な様式に書かれていません。新しいものは全く役に立ちません。なぜと言うのに、フランスが唯一のものとして誇っていたその詩が、日を追って悪くなっているからです。また彼等は音楽を理解しないのですから、せめて詩だけでもここではよくなければならないのです。今のところ、私が作曲するとすれば、用いられるような詠唱風の歌劇が二つあります。一つは二幕物で、一つは三幕物です。二幕物は『アレクサンドルとロクサーン』ですが、この台本の作者はまだ田舎にいます。三幕物はメタスタジオの『デモフォンテ』です。これは翻訳物であって、合唱と舞踏が織り込まれ、特にフランスの舞台向きになっています。しかし私はまだこれを見物していません。シュレッターの協奏曲やヒュルマンテルの奏鳴曲をザルツブルクで御覧になっているかどうか、お知らせ下さい。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「歌劇のことはすでにお知らせしました。はっきりしていることは──大歌劇を作曲せねばならぬことで、さもなければ、何も作曲せぬことです。小さい歌劇しかかけないなら、わずかな収入しかありません。何事も一定の金額になっていますからね。もしも鈍感なフランス人を喜ばせることができないなら、いっそのこと、何もせぬことです。そうすれば、何も作曲せず、収入もほとんどなくなり、私の名声も落ちてしまいます。その反対に、大歌劇を書くなら、報酬もよくなり、自分の好きな特殊な畠で働きながら、だんだんに認められるようになります。大作品を書く方が認められる機会も多いからです。歌劇の作曲を依頼されるなら、その問題についてなんらおそれるところがありません。悪魔が言葉などというものを案出したのであって、どの作曲家も言葉には困らされてることを私はよく承知しています。そうかといって、その困難な言葉を征服できる点で、私はどの作曲家にも劣らないつもりです。自分が将来作る歌劇のことを時々考えてみると、体の中に火のような衝動を覚え、もっと完全にドイツ人を知り、評価し、畏敬することをフランス人に教えてやりたいという熱烈な欲望にかられて、頭の上から足の先までが身震いします。なぜフランス人には大歌劇の作曲が信頼されないのでしょう?  なぜいつも他国人に書かれるのでしょう?  私にとって、歌劇で一番不愉快なものは声楽家です。さあ、用意はできた。喧嘩はできるだけ避けたい。しかし挑まれれば、自分を護ることを知っている。決闘がなくて済むものなら、そうしたい。侏儒と相撲をとることなら平気だからね。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「〔七八〕マンハイム(一七七八年十一月十二日)  この六日に無事当地へ着いて、大勢の友人を相当に驚かせました。わが愛するマンハイムに再び来たことは、神の祝福なり!  あなたがここに来られたとしても、同じことを言われるに相違ありません。カンナビッヒの奥さんのところに泊まっています。ここの家族や私の親友にしたって全部同じことですが、奥さんはもう一度私に会えたので、すっかり喜んでいます。奥さんは私の留守中にあった全部の出来事や変わったことを話しているので、二人の話はまだつきません。みんなから引っ張りだこなので、着いて以来、まだ一度しか家で食事をしていません。一言でいえば、私がマンハイムを愛すると同様に、マンハイムも私を愛しています。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「私は生まれつき字が下手です。字の稽古をしたことがないのですもの。だが、生まれてこの方、今日のように下手な時もありません。今日は何をする気もしません──胸の中では涙であまりにも一杯です。すぐにお手紙を書いて、私を慰めて下さい。ポステ・レスタンテに宛てて下されば、自分で手紙を取りに出ます。私はウェーバー家に泊まっています。だが、友人のベッケ宛に私の手紙を封入して下さるほうがよろしい。ずっとよろしいと思います。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著


    「〔この手紙は他のものと違い、性急に走り書きしてあって、きわめて激しい気持ちの動揺をあらわしている。モーツァルトは旅行を続けながらも、ミュンヘンで愛するウェーバー嬢に再会することを何よりの楽しみとして期待していた。しかるにそのアロイジアの気持ちが彼に向けられていないことに気付いた。ニッセンは記している。『モーツァルトは母親の喪中なので、フランス流儀に従って、赤い上着に黒色のボタンをつけて、姿をあらわした。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「私の意見では、未婚の男子は人生の半分をしか楽しんでいません。これが私の考えであり、この考えは今後とも変わりません。充分に考慮し、反省した結果、永久にこの考えは変わりません。ところで現在、私の愛の対象となるものは誰でしょうか。どうか、びっくりしないで下さい。たしかに、ウェーバー家の一人ではないか?  そうです、ウェーバー家の一人です──ヨーゼファでもなく、ゾフィーでもなく、三番目の娘のコンスタンツェです。私はどこの家庭に行っても、こんなに複雑な性質の娘に遭ったことがありません。長女は怠け者で、下品で、横着で──狐のように狡猾で、ずるいのです。ランゲ夫人〔モーツァルトが以前に恋したアロイジア〕は嘘つきで、節操がなく、男たらしです。一番末のはまだ本当の子供で、はっきりした性格ができていません──お人好しで、たわいもない娘に過ぎません。神様、彼女を誘惑より守りたまえ!  ところが三番目の、すなわち私の愛する善良なコンスタンツェは、家庭の殉教者で、全くその意味では一番心根が優しく、一番聡明で、要するに一番よい娘です。彼女が家中の心配をしているのに、皆の者の目には何も正しいことをしているようには見えないのです。ああ!  愛する父上様、この家庭の中で私が目撃したことを全部書こうと思えば、手紙に書いて差し上げることもできます。」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

    「昨日、皇女エリザベートは(命名日に当たるので)皇帝から、九万フローリンと宝石付きの金時計の贈り物を受けられました。と同時に、皇女はオーストリアの大公妃となられたので、殿下の称号を与えられることとなりました。皇帝はまた激しい熱病につかれました。もうながくはないことかと案じられますが、本当にそんなことのないようにと思います。……」

    —『モーツァルトの手紙』モーツァルト著

  • 今月の初め、日本古来の芸能、歌舞伎の役者が、
    傷害事件を起こし、世間を騒がしている。
    連日の報道では、衝撃的な事件の内容もさることながら、
    この俳優の日頃の奇行も話題となっている。

    子供の頃より、格式ある家に生まれ、
    将来進むべき道が定まっていた彼は、
    幼い頃より、芸に関する事は徹底的に叩き込まれたかもしれないが、
    普通の子供が、遊びの場など
    自分と同じ位の年齢の人間が集まる場所に出向き、
    家族以外の他者と接する事で、推さないなりに自らの体と心で感じ、
    自然と身に着けていく社会性や世間一般の常識、
    他者との付き合い方といったものは、
    学ぶ事が出来なかったのかもしれない。

    そのような事を考えつつ、世に多くの美しい曲を送り出しながらも、
    若くして逝った天才音楽家モーツアルトの手紙を集めた本著を読んだ。

    モーツアルトは、幼くして宮中に出向き、
    権威ある人々の前で演奏し、神童ともてはやされた。
    その成功体験は、幼い彼の心を震わせ、
    今後の自分の人生を決定してしまうに十分なものであっただろう。

    その後、彼は演奏旅行に度々出かけ、
    旅先より家族に沢山手紙を書いて送った。

    その手紙を読むと、モーツアルトは、いかに音楽を愛し、
    そして音楽に愛されていたかわかる。

    しかし、そのことは、
    どれだけ幸せな事で、どれだけ不幸な事であったか。
    彼は音楽以外の事は何も学ばない人間になってしまった。

    これらの手紙は、モーツアルトの、
    音楽以外の事は全く鈍く、
    音楽家としての誇りが高すぎるが故に世渡り下手、
    人を見る目が無く、金銭感覚がない人物像が浮き彫りにされている。
    父親が息子を厳しく戒めながらも、はらはらしながら
    見守っている様子も痛いくらいに伝わってくる。

    下巻の悲劇が予想されるような内容である。

  •  
    ── 柴田 治三郎・訳《モーツァルトの手紙 その生涯のロマン(上)19800816 岩波書店》p87
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003350413
      
    …… 金持は友情というものを、まったく知りません! 特に生まれた
    時からの金持は(ヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルト)。
     Mozart, Wolfgang Amadeus 17560127 Austria 17911205 35 /
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=Mozart%2C
     
     Shibata, Jisaburou 19090217 青森   19980727 89 /
     Shibata, Renzaaburou 19170326 岡山 東京 19780630 61 /柴田 錬三郎
     
    ── 岩波文庫編集部・編《ことばの花束 名句365 19841217 岩波文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003500059
     
    (20250428)

  • 2022/2/9

    『アマデウス』の流れでパラパラ読んだ。
    父に対して従順な姿勢を示しながらも、時に「ぼくの大好きなお友だち!(仏語)」と呼んでおどけて見せる。有名な母の死に際して父に宛てた手紙は読んでいて涙を誘われるが、姉宛の手紙では逆さ文字を使ってふざけてたり、ベーズレ書簡に至っては卑猥な単語とダジャレの連発w
    静と動の緩急が激しい書簡全体はモーツァルトの音楽そのものだなーと。

    あとモーツァルトの信仰心の強さには驚いた。手紙の中でヴォルテールを嫌って罵倒していたり、母の死を神の仕業だと繰り返し繰り返し語っていたり。
    まぁサリエリ(その他、彼の才能にひれ伏した人達)にとっては彼自身が神なんだけど。

  • 下巻に譲る

  • 新書文庫

  • 意外にすんなり読めた。

    人間らしいといえば人間らしい気がする。
    音楽で頭が埋もれていてその他のことにはあまり
    関心がないような感じの一部は共感できると思う。
    面白かった。
    下巻も読みたい。

  • モーツァルトの真実の顔がわかる

  • 後で書きます。

    卒論で参考に

    全2巻 所有

  • 504-1 柴田治三郎訳 下巻欠

全10件中 1 - 10件を表示

この本が好きな人におすすめの本

柴田治三郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×