- Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003355329
感想・レビュー・書評
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上巻、ベルナール宛のものとはうってかわっての「辛気臭さ」。
愛して止まない弟に対して、二言目には金の無心が並ぶ。司馬さんから聞いていたから極端に驚きはしなかったもののそれにしても度が過ぎるほど。芸術に身を置く者の心情を垣間見るようで、それでいて垣間見るだけにしておきたい気もする。そんな中一方で光る言葉がたくさん散りばめられている。以下日本語で読むものにぐさっと突き刺さる部分を抜粋…
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…どうしてそうなるのか、何が見つかるのか。それが予見できたらおもしろいだろう、革命とか戦争とか蝕まれた国家の崩壊とかによって、文明や現代社会の上に恐ろしい稲妻のように必ず落ちかかってくる災害以外には将来に期待できないよりも、それを予感できた方がいいかもしれない。日本の芸術を研究してみると、あきらかに賢者であり哲学者であり知者である人物に出合う。彼は歲月をどう過ごしているのだろう。地球と月との距離を研究しているのか、いやそうではない。ビスマルクの政策を研究しているのか、いやそうでもない。彼はただ一茎の草の芽を研究しているのだ。
ところが、この草の芽が彼に、あらゆる植物を、次には季節を、田園の広々とした風景を、さらには動物を、人間の顔を描けるようにさせるのだ。こうして彼はその生涯を送るのだが、すべてを描きつくすには人生はあまりにも短い。
いいかね、彼らみずからが花のように、自然の中に生きていくこんなに素朴な日本人たちがわれわれに教えるものこそ、真の宗教とも言えるものではないだろうか。
日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気にもっと幸福にならずにはいられないはずだ。われわれは因習的な世界で教育を受け仕事をしているけれども、もっと自然に帰らなければいけないのだ。
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司馬さんもこのあたりには膝を打ったに違いない。
やはりこの男、ただものではない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ゴッホが弟テオドルに宛てた手紙が収められています。
ゴッホが手紙の中で“僕たちは二人で制作しているわけだから(p241)”と書いているように、テオドルの支えがあってこそゴッホは描き続けることができたのだと感じました。
ゴーガンに対しては、“別に彼を必要とはしていないのだ(p164)”と言いつつも、“ゴーガンがやって来た時に良い印象を与えたいがため(p291)”家具などを買いたいと書いており、ゴーガンが南仏に来てほしいというゴッホの思いがひしひしと伝わってきました。 -
こういった書簡集を読んだことがないせいか、メールや電話がない時代ってこんなに頻繁に手紙を書いていたのか、とその日付を見てびっくりした。
卒業旅行でパリのオルセー美術館に行ったときに見たゴッホの絵で印象に残ったものはほとんどが晩年の作品だったようで、この巻には出てこなかった。
このころ描いていたという果樹園の作品を見てみたい。 -
大好きなゴッホの絵をより深く理解したくて手に取った本。彼の手紙は想像以上に赤裸々な表現が多く、特に弟テオへの手紙に見られる「人間ゴッホ」は学生だった私にはショックだった。清廉で繊細なイメージのあるゴッホ、この書簡集はいい意味でも悪い意味でも彼に近づく助けになる作品。
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上巻がみつからなかった(笑)
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中・下巻が弟テオへの手紙である。
このうち中巻は、パリの数通のほか、アルルに引越してからゴーギャンが引っ越してくるまでの間のやり取りであり、ゴーギャンを待ち侘びている様子がよくわかる。
基本的にはゴッホの絵は売れていないので、絵の具、画布、生活費、ゴーギャンの引越費用まで含めて全てテオの負担である。太っ腹である。
ゴッホは、自分の絵を担保にすればいいとか、パリの方が画材がずっと安いからお得だとか、一人分の生活費でゴーギャンも含めて二人生活できるからそっちの方がずっとテオのためになるとか、色々な理屈をこねてはテオから毎週のように仕送りを送ってもらい、絵の具を買ってもらっている。
読者はゴッホの書いた手紙しか読めないので、テオがどんな気持ちでこれらの手紙を受け取り、どのような返事をしていたのかはわからないが、文句も言わずに絵の具を送り、生活費を送金している様子である。
これだけだと、ダメな兄にたかられているようだが、テオが惜しまずにせっせと絵の具を送ってくれたおかげでアルル時代に多くのゴッホの代表作が次々と生み出されているのが、とにかくすごい。
ゴッホがゴーギャンが来ることを待ち望んで、家具を用意し、向日葵の絵をたくさん描いて部屋に彩りを添えているのが、その後の破局を知っているだけに辛い。
そんな金の無心5、ゴーギャン待望4、その他絵とか家族のこと1という割合になっている。
あとは、ゴッホはとにかく貧乏だからモデルを雇えず、金のかからない自画像や風景画を描いていたことがわかる。モネやドガ、シスレーなどの先行する印象派との距離感があるのも面白い。アウトサイダーであり、プロレタリア画家なのだ。しかし、絵の具をケチらずに厚塗りを続けたのは偉い。
意外なほどドラクロワを意識していること、モンティセリという先行の画家は初めて知った。 -
ゴッホ展を鑑賞したので再読。ミモザの花の黄色に燃える太陽の光を、全身で浴びながら弟に宛てて書かれた手紙が、昨日と今日の変化の結び目に虹がかかるように、ゆらりゆらり飛んでゆく。ゴッホだけにひらける大空は、弟の掌から掬い上げた現実を起点に幻想へのスペクトラムを展開する。ほとんどの手紙で「君に固い握手をおくる」が結びの言葉。あっというまに書いた人と読んだ人をつなげる。かさなり合っても、お互いに沈黙する自由、ひとりでいる自由、ある気持ちを持つ自由、お気に入りの帽子をかぶって動きまわる自由を与え合う関係は保たれる。
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中巻。1886年。ゴッホが弟のテオに宛てた手紙の抜粋。
この中巻では、ゴッホはアルルの家を若手芸術家の集うアトリエに仕立て上げようと奔走(するのは弟のテオであり、兄は夢想するだけ)する姿が映し出される。
本人の手紙であるから、一次資料としての価値があるわけだが、たとえば有名な寝室とベッドの絵の背景(150フランするベッドを、ゴッホが弟に何度も何度もねだって手に入れるくだりが、何通にもわたって手紙に書かれている)なども自ずと知ることになる。
向日葵を描き終わった後に、黄色の絵の具が無くなったから送ってほしいとテオに頼むゴッホの姿も。
しかしゴッホの、弟に対する金銭面での頼りっぷりと、浪費癖よ。知識としてはあったが、実際にこの中巻を読み続けると、冗談だろう?と言いたくなる。
ある意味では中巻は「喜劇」。では大いなる悲劇を目撃するべく、下巻へ進む。 -
名作に関する本人の感想や工夫したポイント等が読めたのはすごく収穫だった。お金の無心が思っていたよりエグくて…。次の手紙でテオがしっかり希望通りにしてあげているのを見てテオの凄さを改めて実感しました(笑)。