ゴッホの手紙 下 テオドル宛 (岩波文庫 青 553-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003355336

感想・レビュー・書評

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  • なんとかして当初の目標であった「アムステルダム訪問前に読了」を達成。それなりの満足感はあるも同時に端折った感も否めず。願わくば腰を落ち着けてじっくりと読みたかった。

    彼の最終章を読みながらテオの妻の登場がほぼないことにふと気づく。司馬さんの「街道をゆく オランダ紀行」においてはその彼女の功績を褒め称えていた故に、一体それはどこからきたのだろうと読了後にそちらに立ち戻って拾い読んでみると、なるほど納得、彼女のその後の功績はフィンセントの知るところではなく、兄の死後数ヶ月で後を追う弟テオとの結婚生活が二年間に満たなかったという記述からもこの書簡集には出てくるはずがない。ただその非常に短い期間の中にフィンセントがテオと「ジョ」ことその妻ジョハンナに対して何度も何度も繰り返す祝福、幸福祈願の言葉の数々が、後の彼女の「この書簡を後世に伝え、この彼らの情熱を未来で昇華させるのだ」という信念の源となったことを考えると、愛情という種は蒔けるときに常に蒔いておきさえすればきっと育つものなのだという希望的観測を与えてくれる。それはフィンセントの作品が後に高額で取引され、投機の対象にまで成長したとかいったようなことを喜ぶ意味ではなく、その愛情が司馬遼太郎にまで伝播し、「彼が祖国に残した功績は画家としての側面のみではなく、文学者としての側面というものも大きいのだ」とまで言わしめていることを喜んで言っているのである。

    再読もしたいし、その他の関連書にも手をつけてみたい。

    ま、でも今のところは空港から彼の美術館までの順路を頭に入れることに集中するとするか。

    感謝。

  • (1998.03.19読了)(拝借)
    商品の説明 amazon
    ゴッホの手紙 我々が画家としてのみぞ知る人ゴッホ。牧師になろうとして深く挫折した彼の一面から、現存する彼の絵画に託した想いを知る事ができます。

    ☆関連図書(既読)
    「ゴッホの手紙(上) ベルナール宛」ゴッホ著・硲伊之助訳、岩波文庫、1955.01.05
    「ゴッホの手紙(中)」ゴッホ著・硲伊之助訳、岩波文庫、1961.05.05

  • 最終巻。知らなければ、耳を斬り落としたことも、銃で逝ったことも、読み取れはしないだろう字面で便りは終始する。
    彼は哲学を著す者ではないし、37という歳月は人間を悟るには、来し方より往く先の方が未だ長い処に在ると言えよう。加えて下巻での彼は、精神衰弱から何事にもつけ強い気持ちをもつことが出来ないでいるから、並ぶ言葉もどれくらい本当として用いられたかについては疑う必要がある。
    その上で、「遅い長い仕事だけが唯一の道」と云うのはやはり本当だと思うのだ。それは「人生を往く」のと同義だ。
    一連の便りを読んだ者なら、絵画に通じて居ようが居まいが、往年の彼は驚くほど精力的に仕事を為し続けていたのを知っているだろう、けれどそれも絵画史上では「寡作」と評される。世に認められた作品、乃ち金品との交換に適った作品でなければ仕事にカウントされないという訳だ。ではその間の彼は? 死んで居たのか?生きて居たのか?——これこそは彼の生涯、首根っこを鷲掴みながら常に離れなかった伴走者、宿痾と思われる。
    画人として精彩を欠いた彼の描く物は、文であれ色彩の強烈は放たなかった、一個人としての生からも、とうとう引き離されてしまった。公として立てないことが、個として立つことすら阻んだ。公私それぞれに当てられる物差しは随分異なった目盛りして、彼にあっては決して合致することなかったのだ。
    「遅い長い仕事」を「生」と同義とはしない伴は、とうとう彼の息の根も奪った。

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