本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784003357019
みんなの感想まとめ
都市の建築とその背後にある人間の思考を探求する本作は、摩天楼や都市計画に対する鋭い視点を提供します。著者は、ニューヨークやバルセロナなどの都市を通じて、技術の進歩と人間の感情が交錯する様を描き出し、現...
感想・レビュー・書評
-
初版は戦間期1937年。
フランスの建築家ル・コルビュジェがニューヨークを訪れた際の紀行である。
しばらく積読であったが、ちょうどパナソニック美術館でコルビュジェの展覧会が開催されるのを機会に、訪問前の準備として読んだ。
自分にとってコルビュジェと言えば国立西洋美術館が馴染み深いが、この本は強烈で、建築家であると同時に芸術家でもあり、思想家、詩人といった顔も持ち合わせると感じた。
(ちなみに、先述の展覧会で見た彼の絵画作品の数々も素晴らしかった)
概要を述べると、まず過去数百年にわたって繁栄してきたヨーロッパが今や過去の栄光と伝統の足枷にとらわれ古代の伽藍(教会)が建てられた頃の創造精神が失われて硬直する一方、新興国アメリカは科学技術を正確に取り入れ、合理的に発展を遂げてマンハッタンを築くことに成功した。
ただし、マンハッタンは互いに関連しない個別のビルの集合体となったため、いまだ小さな家が混在し馬車時代の狭い街路が自動車の通行を難しくしている。
また、高層ビルと小さな住宅が混在しているがために、平均を取るとその高さは4階半しかなく、都市の人口の収容には十分でないため、郊外に住居が移って通勤時間が長くなり生活の質を落としている。
その解決のため、ビルが乱立する都市ではなく計画に沿って立体的に街を作り、十分な都市人口を収容して通勤時間を短縮することで、市民生活の充実を図る街づくりを提案したい。
これが、タイトルの『伽藍が白かったとき』及び、彼が訪米の印象について述べた「ニューヨークの摩天楼はあまりに小さすぎる」という言葉の意図である。
思い返せば、自分が読んできたものの多くは東西の違いはあれどヨーロッパの著作が多く、そこでは基本的に歴史や哲学・思想の系譜は重んじられる一方、近代化は問題を孕んだ事象と捉えることが多い。
一方、コルビュジェがアメリカのテクノロジーとそれを使いこなす人たちを単純に礼賛し、機械化時代を前提に提言していることは新鮮に感じられた。
面白く感じたのは、コルビュジェがこれからの都市のイメージとして描いたスケッチだ(p327,331,336)。
そこでは昔のマンハッタンの尖ったビルが屹立する光景ではなく、直方体のビルが連なっている。
現在の大都市の多くに見られる直方体のビル群は、美的感覚を犠牲にして効率性を求めた結果だと感じてきたが、コルビュジェが情熱を持って解説する、都市への居住とその結果としての生活の充実、ということを読むとなるほどという感じがする。
ちなみに本著とは関係がない自身の経験だが、
効率の為に装飾や曲線を排除した殺風景な直方体のビルは、(イスラム系国家の建物などとの比較から)資本主義の象徴と思っていた。
しかし、ある旧共産圏出身者との会話で、それは極めて共産主義的なものでもあると知らされた。
これは、「資本主義と共産主義は根本的に同じ」と理解するきっかけとなった印象深い経験であった。
話が脱線した。
歴史や思想の本ばかり読んでいると、近代化に否定的な論調に偏りがちになる。
一方建築家の言葉は、伝統主義にも、ノスタルジックにも、 (非合理的な)人間中心主義にも陥らず、未来に向かって進むしかないという現実を直視させてくれるものだった。
「私は、家は地面から上の部材はすべて、金属や木材や人工の材料を用いて鉄工場や製造工場で作られるべきである、と言いたい。ちょうど自動車が工場で流れ作業によって造られるように。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
伽藍が白かったとき (岩波文庫 (33-570-1))
(和書)2012年11月11日 09:20
2007 岩波書店 ル・コルビュジエ, 生田 勉, 樋口 清
再読してみました。前回のレビューで書いた軽快さの欠如など全く感じず非常に面白く読めました。機械と都市機能に関して建築の中に人間の詩的生活を考えるという方向性は理解できる。それもまた一つの可能性だろうとはおもう。しかし一見合理的に(機械的)見える都市建築には何かが足りないように思う。人間の傲慢さが人間自身の首を絞めているようにみえるところがある。この辺りは矛盾だろう。名作には矛盾は付きものだろうしその矛盾を明確に理解することが読書の醍醐味である。
2010年03月24日 15:38「伽藍が白かったとき-臆病人国紀行」
摩天楼・スカイスクレーパー、フォードの自動車組立工場、等に関するコルビュジエの見方など読めて、そう言う意味でなかなか貴重な作品だった。
しかしなんだか文体が重く感じた。「建築へ」と比べると軽快で明快な作品ではなかった。この辺りは好みによる。 -
原書名:Quand les cathedrales etaient blanches
第1部 環境(事物の偉大さ;精神の頽廃;真実の性質)
第2部 U・S・A(世界の都市;私はアメリカ人です;フランス‐アメリカ;精神の探索と表白;共同のプランと仕事の必要)
著者:ル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887-1965、スイス、建築家)
訳者:生田勉(1912-1980、小樽市、建築家)、樋口清(1918-2018、熊本、建築家) -
1935年に初めてアメリカを訪れた建築家ル・コルビュジエによる紀行文。彼はフランク・ロイド・ライトと並んで日本で最も好まれる建築家のひとりであろう。それは彼の持つ都市に対する美意識が日本人のものと似ていることに起因するのかもしれない。
すなわち、マンハッタンの機械的な道路配置―アヴェニューとストリート―である。コルビュジエはこれを「アメリカ式」と呼び、賛美した。この「アメリカ式」は実は歴史は古く、古代ギリシャ、エジプト、ローマに採用されていた。平安京もそのひとつである。(もっとも、彼が日本を訪れたのは本著のずっとあとであり、日本の建築についての記述は全くない)平安京はもちろん中国の長安を手本に設計されたものである。このアメリカ式道路を動脈に、最上階まで垂直なガラス壁で構成された高層建築と木々のあふれる公園、スポーツ施設を備えた都市の実現を訴えた。
彼の理想の都市概要は、説明文と簡素なイラストで紹介されている。P326のイラストもそのひとつである。これをみて私はおや、と目をとめた。なぜならそれはアメリカ郊外によくある一般家屋の絵に見えたからである。騒々しい大通りから少し離れたところに立つ一軒家。プールとバスケットコートをもつ芝生の庭。門扉の前の生活道路を抜けると、大通りに出る。大通りから高速に乗ると勤務地までは僅かで行ける。これをもっと大規模にしたのが彼のいう理想の都市である。高層住宅にあまたの家族が入居し、本来なら彼らの一戸建てが占領していたはずの土地にスポーツ施設が建てられる。生活道路は大通りへ、大通りは勤務地へ。ちまちました建物を積み木のように高く積み、空いた土地に公共の施設を建てよ、と彼は言う。はたしてそれは本当に人間にとって理想の都市だろうか?
彼の唱える都市計画の究極の形はP307に図示されている。横の広がりが失ったものを高さで補い、人々は高層建築の中で住まい、働く。上下の移動はすべてエレベーターによる。建物は土地の12パーセントを覆い、残りは公園やスポーツ施設になる。都市の境では、高層建築のすぐ傍に農場や田園を見る―。さて、彼がアメリカに旅行して80年以上が過ぎた。彼の理想の都市はどこかに実現しただろうか?答えは否―non―である。
コルビュジエはフォードの自動車工場にある種の美しさをみる。それは機械的作業のもたらす効率が生み出す余力だ。ベルトコンベア式が作り出す、効率のよい生産性だ。そこにはよくある効率至上主義と拝金主義が人間性を損なっているという通り一遍の非難はない。コルビュジエは生産性が生み出す余力を余暇に使えばいい、と提案する(近年の政治家が推奨するサマータイムもこれに近い)。
だがしかし、はたしてそうだろうか?思うに人間はもっと動物的であり、地面の近くに住まうことを好む。生産性を求める一方、機械的に働くことを否む。都市に倦む人は田舎へと散っていく。田舎に住む人は仕事と効率を求めて都市に集まるが、それは高層建築に住まうことを求めてではない。今でも人は都市を潤いのない砂漠に見立てることを止めない。
コルビュジエの理想を妨げているのは、人間が本質的に持つ動物性なのではあるまいか。そしてそれは恐らくどれほど文明が進んでも消え去ることはないだろう。ひとつ気になったのは、コルビュジエは土地の利用を優先するあまり、空の存在を忘れているのではないか、ということだ。彼は摩天楼は尖塔型でなく、垂直に立てるべきだと推奨するが、それでも人は尖塔型を好む。なぜなら、摩天楼が尖塔型をとる以上、頭上にはより広い空があるからである。
ひとは悲しいかな動物から進化した。神がつくりたもうた神の似姿ではないのだ。ひとは地面と空を好む。恐らくひとがひとである限り続くのだ。ごたごたともつれ合う道路に細々とした建物が林立する。そこにいきなりそそりたつ高層建築。おお、コンクリートジャングルとはよくいったものだ。そこでひとは動物性を取り戻しているのかもしれない。 -
1030夜
-
伽藍のように眩しい白抜きの題字がにくい。ル・コルビュジェの提案する都市の姿はいまだ実現されないし、膨大な消費に押しつぶされる人々をそう上手く救えるかは疑問だ。しかし彼が都市を嫌悪しながらも好いているのも伝わってきて、ズバズバと彼の言葉で頭の中の摩天楼がビュイーンと伸びたり息をして面白かった。アメリカ見聞記。
生田勉の作品
本棚登録 :
感想 :
