伽藍が白かったとき (岩波文庫 青 570-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003357019

作品紹介・あらすじ

1935年、初のアメリカ旅行で、摩天楼に「美しい破局」を見たル・コルビュジエ(1887‐1965)。機械文明とTime is money!の国で彼は西欧を省みる-中世伽藍が新しかった時、人々の気迫と手仕事がなした偉業を。第2次大戦前に出た本書は、新しい文明と都市計画を模索し、建築という時代表現に自然と人間を呼び返す。生誕120年、新鮮な旅人の、甦る名著。

感想・レビュー・書評

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  • 伽藍が白かったとき (岩波文庫 (33-570-1))
    (和書)2012年11月11日 09:20
    2007 岩波書店 ル・コルビュジエ, 生田 勉, 樋口 清


    再読してみました。前回のレビューで書いた軽快さの欠如など全く感じず非常に面白く読めました。機械と都市機能に関して建築の中に人間の詩的生活を考えるという方向性は理解できる。それもまた一つの可能性だろうとはおもう。しかし一見合理的に(機械的)見える都市建築には何かが足りないように思う。人間の傲慢さが人間自身の首を絞めているようにみえるところがある。この辺りは矛盾だろう。名作には矛盾は付きものだろうしその矛盾を明確に理解することが読書の醍醐味である。

    2010年03月24日 15:38「伽藍が白かったとき-臆病人国紀行」
    摩天楼・スカイスクレーパー、フォードの自動車組立工場、等に関するコルビュジエの見方など読めて、そう言う意味でなかなか貴重な作品だった。
    しかしなんだか文体が重く感じた。「建築へ」と比べると軽快で明快な作品ではなかった。この辺りは好みによる。

  • 原書名:Quand les cathedrales etaient blanches

    第1部 環境(事物の偉大さ;精神の頽廃;真実の性質)
    第2部 U・S・A(世界の都市;私はアメリカ人です;フランス‐アメリカ;精神の探索と表白;共同のプランと仕事の必要)

    著者:ル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887-1965、スイス、建築家)
    訳者:生田勉(1912-1980、小樽市、建築家)、樋口清(1918-2018、熊本、建築家)

  • [ 内容 ]
    1935年、初のアメリカ旅行で、摩天楼に「美しい破局」を見たル・コルビュジエ(1887‐1965)。
    機械文明とTime is money!の国で彼は西欧を省みる―中世伽藍が新しかった時、人々の気迫と手仕事がなした偉業を。
    第2次大戦前に出た本書は、新しい文明と都市計画を模索し、建築という時代表現に自然と人間を呼び返す。
    生誕120年、新鮮な旅人の、甦る名著。

    [ 目次 ]
    第1部 環境(事物の偉大さ;精神の頽廃;真実の性質)
    第2部 U・S・A(世界の都市;私はアメリカ人です;フランス‐アメリカ;精神の探索と表白;共同のプランと仕事の必要)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 1935年に初めてアメリカを訪れた建築家ル・コルビュジエによる紀行文。彼はフランク・ロイド・ライトと並んで日本で最も好まれる建築家のひとりであろう。それは彼の持つ都市に対する美意識が日本人のものと似ていることに起因するのかもしれない。
     すなわち、マンハッタンの機械的な道路配置―アヴェニューとストリート―である。コルビュジエはこれを「アメリカ式」と呼び、賛美した。この「アメリカ式」は実は歴史は古く、古代ギリシャ、エジプト、ローマに採用されていた。平安京もそのひとつである。(もっとも、彼が日本を訪れたのは本著のずっとあとであり、日本の建築についての記述は全くない)平安京はもちろん中国の長安を手本に設計されたものである。このアメリカ式道路を動脈に、最上階まで垂直なガラス壁で構成された高層建築と木々のあふれる公園、スポーツ施設を備えた都市の実現を訴えた。
     彼の理想の都市概要は、説明文と簡素なイラストで紹介されている。P326のイラストもそのひとつである。これをみて私はおや、と目をとめた。なぜならそれはアメリカ郊外によくある一般家屋の絵に見えたからである。騒々しい大通りから少し離れたところに立つ一軒家。プールとバスケットコートをもつ芝生の庭。門扉の前の生活道路を抜けると、大通りに出る。大通りから高速に乗ると勤務地までは僅かで行ける。これをもっと大規模にしたのが彼のいう理想の都市である。高層住宅にあまたの家族が入居し、本来なら彼らの一戸建てが占領していたはずの土地にスポーツ施設が建てられる。生活道路は大通りへ、大通りは勤務地へ。ちまちました建物を積み木のように高く積み、空いた土地に公共の施設を建てよ、と彼は言う。はたしてそれは本当に人間にとって理想の都市だろうか?
     彼の唱える都市計画の究極の形はP307に図示されている。横の広がりが失ったものを高さで補い、人々は高層建築の中で住まい、働く。上下の移動はすべてエレベーターによる。建物は土地の12パーセントを覆い、残りは公園やスポーツ施設になる。都市の境では、高層建築のすぐ傍に農場や田園を見る―。さて、彼がアメリカに旅行して80年以上が過ぎた。彼の理想の都市はどこかに実現しただろうか?答えは否―non―である。
     コルビュジエはフォードの自動車工場にある種の美しさをみる。それは機械的作業のもたらす効率が生み出す余力だ。ベルトコンベア式が作り出す、効率のよい生産性だ。そこにはよくある効率至上主義と拝金主義が人間性を損なっているという通り一遍の非難はない。コルビュジエは生産性が生み出す余力を余暇に使えばいい、と提案する(近年の政治家が推奨するサマータイムもこれに近い)。
     だがしかし、はたしてそうだろうか?思うに人間はもっと動物的であり、地面の近くに住まうことを好む。生産性を求める一方、機械的に働くことを否む。都市に倦む人は田舎へと散っていく。田舎に住む人は仕事と効率を求めて都市に集まるが、それは高層建築に住まうことを求めてではない。今でも人は都市を潤いのない砂漠に見立てることを止めない。
     コルビュジエの理想を妨げているのは、人間が本質的に持つ動物性なのではあるまいか。そしてそれは恐らくどれほど文明が進んでも消え去ることはないだろう。ひとつ気になったのは、コルビュジエは土地の利用を優先するあまり、空の存在を忘れているのではないか、ということだ。彼は摩天楼は尖塔型でなく、垂直に立てるべきだと推奨するが、それでも人は尖塔型を好む。なぜなら、摩天楼が尖塔型をとる以上、頭上にはより広い空があるからである。
     ひとは悲しいかな動物から進化した。神がつくりたもうた神の似姿ではないのだ。ひとは地面と空を好む。恐らくひとがひとである限り続くのだ。ごたごたともつれ合う道路に細々とした建物が林立する。そこにいきなりそそりたつ高層建築。おお、コンクリートジャングルとはよくいったものだ。そこでひとは動物性を取り戻しているのかもしれない。

  • 1030夜

  • P.??
    私は思った、こうした新聞の見出しこそ素晴らしい希望の賛歌である、と。
    毎日がその収穫をもたらす。
    それらを見もしなければ知りもしないでいる事は、なんと不幸であり、毎朝、新しい時代の約束を見だせないでいることは、なんと見る目を持たないことか。

    偉大さは意図にあり、規模の大きさにあるのではない。
    伽藍が白かったとき、世界全体が、一つの文明の行動と、未来と調和ある創造とに対する大きな信念によって高揚されていた。

  • 伽藍のように眩しい白抜きの題字がにくい。ル・コルビュジェの提案する都市の姿はいまだ実現されないし、膨大な消費に押しつぶされる人々をそう上手く救えるかは疑問だ。しかし彼が都市を嫌悪しながらも好いているのも伝わってきて、ズバズバと彼の言葉で頭の中の摩天楼がビュイーンと伸びたり息をして面白かった。アメリカ見聞記。

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著者プロフィール

1887年生まれ。20世紀を代表する建築家。モダニズム建築の規範として、「近代建築の五原則」「モデュロール」など数々の概念を提唱。1965年没。

「2016年 『輝ける都市』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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