ゴルギアス (岩波文庫 青 601-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003360125

作品紹介・あらすじ

ソクラテスと3人の人物との対話は、弁論術が立身栄達の術とされている現実や若い人の実利主義的道徳意識などを次々と明るみに出す。プラトン(前427‐347)は本篇によって、個人の道徳と同時に政治の問題を追求し、アテナイの現実の政治に痛烈な批判を投げかけた。後に『国家』において発展させられた哲人政治の思想の第一歩である。

感想・レビュー・書評

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  • 最強の敵、カルリクレス登場!(笑)というコピーがぴったりの対話篇。というか『ゴルギアス』という書名で本当にいいのか!(笑)
    著名な弁論術家ゴルギアスのもとに「弁論術」とは何かという議論をふっかけにいったソクラテス。法廷や政治の場において人々を説得する技術だというゴルギアスに対し、説得する以上、全ての事柄が「正」だと知っているのか、それを教えることが可能で実践している者がいるのかと矛盾を追及し、早々に戦意喪失に追い込む。
    第2ラウンドは代わりに登場したゴルギアスの弟子ポロス。ソクラテスは「弁論術」は技術ではなく、料理と同様に経験であり、その本質は「善」ではなく「快」で民衆への迎合だと喝破する。対するポロスは「弁論術」を使えば人は欲しいままに権力を行使することも可能だと反論し、さらに不正を行っても栄達できた者は幸せだとするのに対し、ソクラテスは人に不正を行うよりも不正を受ける方が幸せだといってポロスを驚かせる。そして、不正を行えば「醜」=「悪」だという論理を、例によってソクラテス自身が設定した条件文による択一という詭弁調!で導いたソクラテスは、そのような方法論である「弁論術」も政治や法廷では「正」という真の目的のためには役に立たず、不正を行った償いの刑を受けるために用いろと迫り、ポロスをさらに驚かせる。
    そしてメインイベントの第3ラウンドで最も白熱した議論が展開される。このカルリクレスの態度は、これまでソクラテスの詭弁気味な言い負かし勝利に抑圧され続けてきた「プラトン」読者にとって、喝采ものといってよい。(笑)いわく、ソクラテスよ、もっと大人になれ!ゴルギアスが遠慮していることに気がつかないのか!法律によって抑制されているが、自然状態となれば不正だろうが弱肉強食は当然だろ!哲学なんていうものは大人が行うものではない、これ以上、馬鹿話を続けていると、法廷に引きずりだされ死刑になることだってあり得るぞ!、と。
    だが、ここからのソクラテスの言説は光っている。先の弁論術は知識ではなく迎合であり、国民を正義や徳を導かないとの観点から、かつてアテナイの偉大な政治家とされた人々も、最後は自分が指導した国民により排斥されたことから、「政治家」としては無能であり、自分ソクラテスこそが真の政治を行っているとする。そして、仮の宿である身体から離れた魂がよき審判を得て救われるには、正しい行いや不正も裁かれ済みの状態になっている必要があるとし、仮に自分が死刑になっても魂は救われるとした格調高い道徳観・死生観を展開するのである。迂闊にも感動しました。(笑)
    後のソクラテスの末路を暗示するとともに、ソクラテスに仮託したプラトン自身の政治へのかかわり方への決意表明としてとても面白かった。
    もう一度、『ソクラテスの弁明』を読み返したくなりました。
    それにしても「犬に誓って」って一体何に誓っているんだ?(笑)

  • この本は、ソクラテスと3人の人物との対話形式で書かれており、「口が上手い人が本当に賢い人なのか!」という問題や、政治の本題を取り上げているものです。
    私には、読みにくい本でしたが、2000年以上前に書かれた本を読んでいる思うと、不思議な気がしました。
    ぜひぜひ読んでみてください。

  • ソフィスト(ゴルギアス&ポロス)とアテネの政治家(カルリクレス)とソクラテスの対話を通じ、「善」を目的とした生き方であってこその人生であり、「善」を押し進めることによってこその政治であるとのプラトンの理想を伝えた対話編。

  • ソクラテスが弁論家、その弟子、政治家と議論し次々に論破していく。三人は矛盾をつかれたり、論旨をすり替えようとしたり、揚げ足をとったり、逃げようとしたり、感情的に非難したりするが、ソクラテスの首尾一貫した論理には黙らざるをえない。哲学書ではあるが議論の正しいやり方としても読める。哲学的には公共善とは何か、政治とは何か、いかに生きるべきかなど現代にも当てはまるテーマだと思う。カルリクレスの説はニーチェが支持したらしい。

  • プラトンの初期対話篇。

    弁論家(ゴルギアス、ポロス)や現実政治家(カルリクレス)に代表される価値観と、哲学者(ソクラテス)に代表される価値観と、二つを対比して後者の方こそ真に目指されるべき生き方であることを論証していく。前者は、カネ・権力・快楽以外の価値を認めずそれら計量可能な「快」をより多く獲得することが――「真=善=美」に適っているか否かとは無関係に――幸福であるとする即物的な(無)価値観。後者は、カネ・権力・快楽を超えたものとして「真=善=美」という特定の価値を認めてそれを求めることが幸福であるとする形而上的な価値観。

    前者の立場からカルリクレスは、「法は弱者のルサンチマンの実体化である」「力こそが正義である」「欲望を恣に充足することが自然である」「哲学は現実的な"快"を追求する上で無用である」「政治家は市民に迎合して彼らの"快"に奉仕せよ」と論じる。

    後者の立場からソクラテスは、「人に不正を行うことは、人から不正を受けること以上に、悪だ」「"善"こそが正義である」「幸福を求める者は節制せよ」「哲学によって"真=善=美"を求めることが幸福につながる」「政治家は市民の魂に"快"を与えるのではなく知性に基づいてそれを"善"に導くべく努めるべきである」と論じる。

    カルリクレス的な即物的(無)価値観は、絶対的な価値基準が崩壊したニヒリズム状況下から頽落することで容易に陥り得る(無)思想状態であり――現に当時のアテナイは戦争と政変により社会的にも精神的にも頽廃状態にあった――、まさに現代の支配的な時代状況にも合致するものではないか。カルリクレスの身も蓋も無い功利的な理屈の変奏を、現代の到る所に於いて耳にすることが出来る。これは、いつの時代にも存在し得る精神の頽落形態である。即物的な(無)価値観から形而上的な価値観へと飛翔する為に、ソクラテスの時代は"冥界の裁き"を持ち出す必要があった。我々は、各自の時代に於いて、各自の実存を賭けて、こうした即物主義への頽落を常に否定し続けねばならないと思う。

    現代に於いてなお読まれるべきプラトン対話編の傑作。

  • プラトンで選ぶなら、私はこれ。
    カリクレス好きです。ソクラテスより好きです。
    というかソフィストっていいよね。

  • 饗宴を買いに行ったのになかったので、こっちを買う。結果的にはその順序で良かったか。これが最後というのもあまりよくなかっただろう。

    対話篇としては、国家を先に読んでると、最後の方はダレてくるが、それでも、抜群に面白い。270ページを1日半で読み終えた。
    哲学なんて子供のやるもんだ、大人は嗜む程度でいい、というようなことを、プラトン が書いているんだと思うとやはり驚く。
    現実でそう言われたことがあってそれへの反論でもあるのかもしれないが、そのときに、もしかしたら本当にそうなのでは、と逡巡したということもあり得るだろう。

    ソクラテスの弁明やクリトンを細かく吟味しなおす様子は、当時のソフィスト、弁論家からの反応への回答という部分があったのだろうし、そこから、国家へと続くような思想の萌芽をみせているのは、やはりソフィストや弁論術と戦うなかで、こいつらではなく、哲学こそが政治をすべき、統治すべきだ、でないと、また次のソクラテスが殺されるだけだ、という考えをプラトンが持ったのだろうと想像される。
    ソクラテスの小乗から、プラトンの大乗へ、と言えるかもしれない。もちろん、ソクラテスも、自分だけ、と考えたわけではないが、あくまで、常に、対話の相手と自分、というなかで善を追求し、死後の自分をよくすることを考えていたのに対し、哲人統治によって国家を善のもとにおこうと考えたプラトンなのだろう。
    また、死後に救われることを期待して善に励む、というのは、やはりそれは、より大きな快(死後の快)を目指して小さな快(現世の快)を我慢する、ということでは?ということへの疑問(を僕は感じるのだが)を少なくともプラトンはもったのではないか、と思う。

    プラトンやソクラテスの語る言葉のなかに、どうしても後にキリストを待望する時代の精神を感じてしまうし、そこから、国家ではなく教会というシステムを築き上げる精神への相似なんかを、そのへんの事情はよくわからんのに感じてみたりする。
    ちょっと勉強してみたいけども、どうするかなぁ、、、。

    次こそ饗宴。

  • 7, 8年ぶりに読み返した。カッリクレースはツボ。何度も腹を抱えた。もう、価値観の問題。彼を説得するには真理をもってしては不可能で、ソークラテースこそ、その使命を果たすためにゴルギアースから弁論術を学べばよかったんじゃないかな。キケローの言う「学識ある弁論家」となって。彼が本当にアテーナイ人の教育を志したのであればね。ところが彼にはプラトーンという弟子があった。そのために、時代を越えて、海を越えて、彼は私に教育を施した。今読み返して、本篇に限らずだが、プラトーンの対話篇が私の人格に与えた影響の大きさを知った。

  • 図書館

    途中まで!

    これ小説に分類したけどちがうかな
    教養カテゴリのがいいかしら

  • まさに名作!

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著者プロフィール

山口大学教授
1961年 大阪府生まれ
1991年 京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学
2010年 山口大学講師、助教授を経て現職

主な著訳書
『イリソスのほとり──藤澤令夫先生献呈論文集』(共著、世界思想社)
マーク・L・マックフェラン『ソクラテスの宗教』(共訳、法政大学出版局)
アルビノス他『プラトン哲学入門』(共訳、京都大学学術出版会)

「2018年 『パイドロス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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