メノン (岩波文庫)

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  • 岩波書店 (1994年10月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (140ページ) / ISBN・EAN: 9784003360163

感想・レビュー・書評

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  • 質問「徳は教えることができるか?」
    結論「徳」は「知」ではなく「神の恵み」でもたらされる「正しいおもわく」というものなので教えることはできない。
    「徳」とは何か?という探求をしたかったソクラテスに無理を言って、後に俗物の権化のように評価されるメノンとともに辿り着いた結論である。但し、解説によれば「真の徳」が「知」であることを知るソクラテス自身を除けばということである。
    ソクラテス・プラトン哲学の導入部であり、初期プラトン対話集という位置づけの短編としてなかなか面白かった。
    特に初等幾何学の問題を解決へ導く手法から、魂は不滅でわれわれはかつて学んだ事柄を想起するだけだという有名な話はとても面白い。先日、ホーキング博士の天国も来世もない、架空のものだ、という記事を読んだばかりだったのだが・・・(笑)
    教えているのではない、質問することで「想起」させているだけだ、というソクラテス。誘導尋問だろうが!(笑)
    いろいろな有名人の名を挙げ、あいつは「徳」を息子に教えているか?「否」、故に「徳」は教えられない、というある意味、個人中傷論議は笑ってしまった。(笑)
    さらに言えば冒頭での議論。「形」とは何か?「形」とは、つねに色に随伴しているものである。何だ、そりゃあ!?(笑)まあ、その後を読めば何となく言いたいことはわかりますけどね・・・。というか、昔の自分によく似た発想かも。(苦笑)
    後世にソクラテス(プラトン?)の幾何学例題がこれほど論議を呼んでいるとは初めて知りました。各種解釈を読みましたが、ひさびさに数学脳でうにうにになりました。(笑)
    ソクラテスの最後の捨て台詞?「やっぱ、徳とは何かを知らないとね!」ふむぅ。

  • 「あの人には徳がある」と言ったとき、私たちは例えば品性があるとか、勇気があるとか、正義感をもった言動をすると言うのではないでしょうか。でもただ一つの「徳」とは一体何か、ソクラテスは考えます。一切妥協せずに考えることが徹底しています。不思議なのは「徳」という言葉から私たちが色々な徳を考えることができる、徳とは何かを知っていると思っていること。本当の徳とは何かを知らないのに「徳がある」とは言えません。

    「あの人は正しいことをした」と言っても、見る人が変われば過ちになり得ます。「あの人は臆病だ」と言っても、他の人にとっては本当に勇気のある行動になることもあります。だからその言葉をわかったつもりになって良い悪いを判断してはいけないと思いました。私たちは言葉の海に生まれてくるのだと思います。だから言葉の意味を共有できるのです。「心」だって言葉です。生まれてくる前に知っていたから知っていると思うのだ、とソクラテスは言いました。『言葉は神であった』という聖書の言葉が真実ならば、私たちは神様の中で輪廻転生をしているのかも知れません。

  • 大学入って早々、図書館で古い本が解放されてた。そこで、ぼろぼろだったこの本をなんとなく持って帰りました。これ一発で、プラトンにはまりました。大学入学直後から、図書館で分厚い埃かぶった全集を狂ったように読みまくり。(経済系学部でしたが。)
    プラトンは、初期~中期までは対話方式で書かれていて、読みやすいし、本当におもしろい。哲学というより、数学の証明のようなロジックの美しさに惚れます。読んでみると意外とシンプルで簡単、是非プラトン読んでみてください!

  • ソクラテスとメノンの対話。「徳は教えられうるか」という問いから始まり、徳とは何か、をソクラテスの問答法を用いて探求する。
    会話形式なので読みやすかったし、時代背景や執筆年代、思想の解説も有難い。パイドン、パイドロス、国家を読む前に読めてよかった。

  • 最初に読んだ時は、「徳は教えることができるか」と「√2の求め方」に何の関係があるか、理解出来なかった。
    再読し、「人間本来の知恵や本性は教えられうるのか」が共通するテーマだと理解できた。が、私の関心は徳そのものであり教示の可否ではなかったので、またも徳の理解には及ばなかった。

  • プラトンの入門にちょうどいいかと思う。「徳について」という副題があるが、「探索のアポリア」のところは、教育論やメディア・リテラシーとも関わるなと思う。

    「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探索すべきかということも知らないはずだから」(pp.45-46)

    ソクラテス裁判で原告になるアニュトスもでてきて、「弁明」につながるところもある。

  • メノン:徳は人に教えることのできるものなのでしょうか?

    ソクラテス:その前に、そもそも徳とは何かを考えてみよう。

    メノン:はい、わかりました!で、結局のところ、徳は教えられうるのでしょうか?

    ソクラテス:(唖然)

    ・プラトンの遊び心が感じられる小品。それはともかくとして、ソクラテスは、結局メノンの天然ぶりに押されてしまい、徳とは何かを定義することなく、徳は教えられうるかについて検討する羽目になる。

    ・仮に徳が知識だとしたら、徳は教えられうるものであるし、徳の教師だっているはずだ。しかし、実際には徳の教師など存在しない。したがって、徳は教えられうるものでもなければ知識でもない。徳は、教えられることのできるものではないが、他方、生まれつき備わっているものでもない。

    ・それでは、いったい徳はどのようにして身につけることができるのか。ここでソクラテスは、唐突に「徳は神の恵みによって備えることができる」と結論づけて、一方的に対話を打ち切って立ち去っていく。

    ・まるでキツネにつままれたような読後感を味わったのだが、訳者解説がその後味の悪さを和らげるのに一役買っている。本書は、主題が多岐にわたる他のソクラテスの対話篇と比べて、主題(=徳について)が終始一貫しているため、論旨を追いかけやすいのではないかと思う。

  • 「徳は教えられるか」を主に話しているが、一番面白かったのは、想起説。

    ソクラテス:ぼくは徳とはそもそもなんであるかということを、君と一緒に考察し、探究するつもりだ。
    メノン:なにであるかわかっていないとしたら、どうやってそれを探究するおつもりですか?もし、探り当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのでしょうか?もともとあなたはそれを知らないはずなのに。
    ソクラテス:つまり、「人間は、自分の知っているものも知らないものもこれを探究することはできない。というのは、まず、知っているものを探究するのはありえないだろう。なぜなら、知っているのだ。ゆえに、その人には探究の必要がまったくない。また、知らないものを探究するということもありえないだろう。なぜなら、その場合は何を探究すべきか、ということも知らないはずだから」ということかね?
    メノン:よくできていると思いませんか?よくないか指摘できますか?
    ソクラテス:できる。というのは、僕は神々の事柄について知恵を持った男や女の人たち(たとえば、ピンタゴラス)から次のことを聞いた。すなわち、「人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたりする――これがふつう『死』と呼ばれている――ときにはふたたび生まれてきたりするけれど、滅びてしまうことはけっしてない」。
     このように、魂はいっさいのありとあらゆるものを見てきている魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてない。よって、徳というものが何であるのか、それがそうであるということは、わかるはずだ。ある一つのことを想い起したこと――このことを人間は「学ぶ」と呼んでいる――その想起がきっかけになり、他のすべてのものを発見することもありえる。つまり、探究するとか学ぶということは想起することにほかならない。

    イデア論の根はこれかなーと思います。

    たとえば、「生きる意味とはなにか」と探す。
    でも、なぜ生きる意味があると思うのか?
    それは、全くわからないものなのに。仮にわかったとしても、なぜそれが真であると思うのか?
    ソクラテスは、ここで「魂」を出してくる(ここで面白いのが、ソクラテスはすべてのことを疑ったのに、「魂」の存在を疑わなかったこと)。

    「人間の魂は不死であり、生々流転する。魂はありとあらゆるものを見てきている。したがって、魂がすでに学んでしまっていないようなものは無い。」

    人間の魂。では、一番初めの人間には、誰の魂が入ったのか?
    その魂は、どこで、ありとあらゆるものを見たのか?どこからきたのか?
    疑問。魂なんていうものを信じていいのか!

    さて、多くの哲学者は普遍的なものを探してきた。いまだに見つかっていない。
    でも、なぜ、「普遍的なものが存在する」と思うのか?
    わからないものなのに。もしその「普遍的なもの」が見つかったとして、どのようにそれが真だとわかるのか?理論?科学?
    なぜ、それが理論的・科学的にわかるのか?

    魂が知っているから、それを見つけたら思い出すんだ。
    って考えると、なるほどなー。

    (まっちー)

  • 徳については善きものを望んで獲得する能力があるのがすごいと思い、メノンが金や銀を手に入れることも国家において名誉や官職を得ることがありメノンが獲得するのが世界一のトップだと思いました。善きものの獲得はできないことと比べると徳であると言えない。自分が一所懸命に獲得すれば徳であると言えると思いました。

  • 大学時代、課題図書だった為に読んだが、かなり面白く、好きになった本。

    徳を積むとは何か。
    徳とは何か。
    人生とは。

    答が出ないところを延々と回るやりとり。
    哲学の本。

  • 徳を題材とした、ソクラテスとメノンの対話短編。「徳の性質」にこだわるメノンに対して、ソクラテスは「徳とは何か」に論題を見事に誘導し、対話者を操るかのようにして結論へと導く。解説文の言う通り、圧巻の「珠玉の短編」。

    「徳とは何か」を対話を通して得ようとしたソクラテスだったが、解説にもある様に、仮定の上での徳の本質までしか、本書では言及されていない。解説ではこれを後のソクラテスの論と対比して、イデアの論拠が『メノン』の段階ではなかったと指摘する。

    それ以外にも、初期対話篇と対比して、ソクラテスの「何であるか」への執着の度合いや、メノンの人間性をクレアルコスと『アナバシス』のクセノポンとの関係から考察するなど、解説だけでもかなり読みごたえのある見事な出来栄えになっている。

    そんな具合で、とても頼もしい解説に任せて特に言うことはないのだけれど、解説のように歴史的背景を思考の範疇に入れずとも、ギリシャ哲学史に特別詳しくない僕のような人でも、この珠玉短篇は爽快・圧巻の物語として楽しめると思う。その物語から現代に連れ戻されるかのようにして読む解説も、また。

  • やっぱりソクラテスは面白い。
    ソクラテスの妻は悪妻だったというが、あんな理屈っぽい、しかも毎回正論を言う人が夫だとストレス溜まって悪妻にもなるだろうな。本人に自覚のないところがさらに苛立たしいだろうな。
    悪妻を持つと哲学者になるのではなく、哲学者を持つと悪妻になるなのでは?

    徳については、ソクラテスの弁論の神がかりてきな流れにただただ敬服。

  • 「たしかにそのとおりです、ソクラテス」

    徳は教えられうるか? 徳とはなにか?ということについて考えてはいないから、良い議論ではないのだが……
    徳は生まれ持っての性質というのが結論であったか?

    「人は自分の知らないものをどうして探求できるのか」-想起によって。

    想起説 「自分で自分の中に知識をふたたび把握し直すということは、想起するということにほかならないのではないだろうか?」
    (世界にもともとあった真理を習得しただけで、思い出した、というのはね……)

    魂の不死

    ソクラテスによる形の定義……つねに色に随伴しているところのもの

    色の定義を持ち出したら循環するだけよな。

    少年奴隷とソクラテスの対話

    実念論においては想起説を認めよう。

    「メノン、どうやらアニュトスは怒ってしまったようだ」

    実際に道を通ったことがなく、ちゃんとした知識を持っていなくても、正しい道へ行けた場合。p106

    徳(アレテー)……卓越性、能力、すぐれていること

    「徳は教えられうるか?」
    これは、メリトクラシーの中での至上命題となるのは必至であった。

  • 知識と思わくのところちょっと理解あやしいので再読します

  • ソクラテスの弁明の後に読んだ。藤沢先生の翻訳はかなり読みやすく、現代の本と比べても違和感なく読み進めることができた。
    内容は言わずもがなである。

  • 徳とは、正しいことしようという思惑である。
    みたいなことを言っていて、成る程とおもった。

  • 登場人物→ソクラテス、メノン、メノンの召使い、アニュトス(富裕層の市民)。
    著者→プラトン

    問答法
    ただ単に間違っていない答を与えるだけでなく、質問者が知っていると前もって認めるような事柄を使って答えるのが問答法。

    「徳について」
    「徳というものは教えうるものではない」P104

  • 「徳は教えられることができるか」という実務的な問いに、「そもそも徳とは何であるか」という本質から問い直し、最後は「徳は教えられるものではない、だが、そもそも徳とは何であるか深く探求しなければ分からない」と締めくくる。
    「何であるか」の探求が、喩えや仮設では辿り着けないことをよく示した対話篇である。
    加えて、想起説について丁寧に語られており、数学の思考が想起という現象を通じて普遍的であると思わせる例が示されているところが魅力的である。

    若いころ読んだものの再読。1994年初版で、岩波文庫版のプラトン翻訳では最も新しい。初めて手に取った時、それまで読んだプラトンに比べ、活字、漢字、送り仮名が格段に(今風で)「読める!」と感じた記憶が強く残っている。

  • シビレさせたのは誰?

  • "メノン「あなたという人は、顔かたちその他、どこから見てもまったく、海にいるあの平べったいシビレエイにそっくりのような気がしますね。なぜなら、あのシビレエイも、近づいて触れる者を誰でもしびれさせるのですが、あなたが私に対してしたことも、何かそれと同じようなことのように思われるからです」"


    彼は何事かを知っていると思い込んでいるものに対してユーモアや皮肉を織り混ぜながら問いを投げ掛け、遂には行き詰まらせてしまう。

    人の魂には「それ」は既に内在している。
    必要なのは学ぶことではなく、想い出すことだ。
    彼は教師ではなく、ともに探し求める者なのだ。

    「それから、ぼくのことだが」

    「もしそのシビレエイが、自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせるというものなら、いかにもぼくはシビレエイに似ているだろう」

    読書メモ
    001 徳は教えられうるか
    002 徳とは何か
    003 徳の本質的特性とは
    004 徳が何かは実は僕にも分からない
    005 「学ぶ」とは想起すること
    006 従者を使った証明
    007 この子はそれを知っていると思い込んでいたのだ
    008 質問するだけで教えはしないのだが
    009 ものを知らない彼の中にも正しい思わくは内在している
    010 彼は生涯以外の他の時において既にそれを持っていた
    011 魂は既に学んでいる
    012 魂とは不死のもの
    013 想い出していないならそれを探求し想起するよう努めよ
    014 「徳は教えられうるか」、再び
    015 「徳というものが魂に関わる色々なもののなかでもとくにどのような性格を持ったものであるならば、それは教えられうるものだということになりもしくは教えられえないものだということになるか」
    016 徳は知識の性格を有するか
    017 徳は善であるか
    018 善きものは有益なものであるか
    019 【仮説】魂の性質が有害であるか有益であるかは知性が伴うか否かによる
    020 【仮説】徳が有益なものである以上それは知でなければならない
    021 【仮説】知であるならば徳は教えられうる
    022 靴職人になりたければ靴職人の元へ行け
    023 徳の教師の不在
    024 徳は教えられうるものではない
    025 優れた人物たちは有益な人物であるべき
    026 有益な人間たらしめている条件は我々を正しく導くこと
    027 正しく導くことに「知」は必要か
    028 正しい思わくは想起によって縛りつけられ知識となり永続的なものとなる
    029 正しい思わくと知識が正しい方向へ導く
    030 正しい思わくも知識も生まれつき備わるものではない
    031 徳は教えられうるものではない以上知識でない
    032 徳は神の恵みによって備わるものである

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著者プロフィール

山口大学教授
1961年 大阪府生まれ
1991年 京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学
2010年 山口大学講師、助教授を経て現職

主な著訳書
『イリソスのほとり──藤澤令夫先生献呈論文集』(共著、世界思想社)
マーク・L・マックフェラン『ソクラテスの宗教』(共訳、法政大学出版局)
アルビノス他『プラトン哲学入門』(共訳、京都大学学術出版会)

「2018年 『パイドロス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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