メノン (岩波文庫 青 601-6)

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  • Amazon.co.jp ・本 (140ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003360163

作品紹介・あらすじ

「徳は教えられうるか」というメノンの問いは、ソクラテスによって、その前に把握されるべき「徳とはそもそも何であるか」という問いに置きかえられ、「徳」の定義への試みがはじまる。「哲人政治家の教育」という、主著『国家』の中心テーゼであり、プラトンが生涯をかけて追求した実践的課題につながる重要な短篇。

感想・レビュー・書評

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  • 質問「徳は教えることができるか?」
    結論「徳」は「知」ではなく「神の恵み」でもたらされる「正しいおもわく」というものなので教えることはできない。
    「徳」とは何か?という探求をしたかったソクラテスに無理を言って、後に俗物の権化のように評価されるメノンとともに辿り着いた結論である。但し、解説によれば「真の徳」が「知」であることを知るソクラテス自身を除けばということである。
    ソクラテス・プラトン哲学の導入部であり、初期プラトン対話集という位置づけの短編としてなかなか面白かった。
    特に初等幾何学の問題を解決へ導く手法から、魂は不滅でわれわれはかつて学んだ事柄を想起するだけだという有名な話はとても面白い。先日、ホーキング博士の天国も来世もない、架空のものだ、という記事を読んだばかりだったのだが・・・(笑)
    教えているのではない、質問することで「想起」させているだけだ、というソクラテス。誘導尋問だろうが!(笑)
    いろいろな有名人の名を挙げ、あいつは「徳」を息子に教えているか?「否」、故に「徳」は教えられない、というある意味、個人中傷論議は笑ってしまった。(笑)
    さらに言えば冒頭での議論。「形」とは何か?「形」とは、つねに色に随伴しているものである。何だ、そりゃあ!?(笑)まあ、その後を読めば何となく言いたいことはわかりますけどね・・・。というか、昔の自分によく似た発想かも。(苦笑)
    後世にソクラテス(プラトン?)の幾何学例題がこれほど論議を呼んでいるとは初めて知りました。各種解釈を読みましたが、ひさびさに数学脳でうにうにになりました。(笑)
    ソクラテスの最後の捨て台詞?「やっぱ、徳とは何かを知らないとね!」ふむぅ。

  • 大学入って早々、図書館で古い本が解放されてた。そこで、ぼろぼろだったこの本をなんとなく持って帰りました。これ一発で、プラトンにはまりました。大学入学直後から、図書館で分厚い埃かぶった全集を狂ったように読みまくり。(経済系学部でしたが。)
    プラトンは、初期~中期までは対話方式で書かれていて、読みやすいし、本当におもしろい。哲学というより、数学の証明のようなロジックの美しさに惚れます。読んでみると意外とシンプルで簡単、是非プラトン読んでみてください!

  • プラトンの入門にちょうどいいかと思う。「徳について」という副題があるが、「探索のアポリア」のところは、教育論やメディア・リテラシーとも関わるなと思う。

    「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探索すべきかということも知らないはずだから」(pp.45-46)

    ソクラテス裁判で原告になるアニュトスもでてきて、「弁明」につながるところもある。

  • メノン:徳は人に教えることのできるものなのでしょうか?

    ソクラテス:その前に、そもそも徳とは何かを考えてみよう。

    メノン:はい、わかりました!で、結局のところ、徳は教えられうるのでしょうか?

    ソクラテス:(唖然)

    ・プラトンの遊び心が感じられる小品。それはともかくとして、ソクラテスは、結局メノンの天然ぶりに押されてしまい、徳とは何かを定義することなく、徳は教えられうるかについて検討する羽目になる。

    ・仮に徳が知識だとしたら、徳は教えられうるものであるし、徳の教師だっているはずだ。しかし、実際には徳の教師など存在しない。したがって、徳は教えられうるものでもなければ知識でもない。徳は、教えられることのできるものではないが、他方、生まれつき備わっているものでもない。

    ・それでは、いったい徳はどのようにして身につけることができるのか。ここでソクラテスは、唐突に「徳は神の恵みによって備えることができる」と結論づけて、一方的に対話を打ち切って立ち去っていく。

    ・まるでキツネにつままれたような読後感を味わったのだが、訳者解説がその後味の悪さを和らげるのに一役買っている。本書は、主題が多岐にわたる他のソクラテスの対話篇と比べて、主題(=徳について)が終始一貫しているため、論旨を追いかけやすいのではないかと思う。

  • 「徳は教えられるか」を主に話しているが、一番面白かったのは、想起説。

    ソクラテス:ぼくは徳とはそもそもなんであるかということを、君と一緒に考察し、探究するつもりだ。
    メノン:なにであるかわかっていないとしたら、どうやってそれを探究するおつもりですか?もし、探り当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのでしょうか?もともとあなたはそれを知らないはずなのに。
    ソクラテス:つまり、「人間は、自分の知っているものも知らないものもこれを探究することはできない。というのは、まず、知っているものを探究するのはありえないだろう。なぜなら、知っているのだ。ゆえに、その人には探究の必要がまったくない。また、知らないものを探究するということもありえないだろう。なぜなら、その場合は何を探究すべきか、ということも知らないはずだから」ということかね?
    メノン:よくできていると思いませんか?よくないか指摘できますか?
    ソクラテス:できる。というのは、僕は神々の事柄について知恵を持った男や女の人たち(たとえば、ピンタゴラス)から次のことを聞いた。すなわち、「人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたりする――これがふつう『死』と呼ばれている――ときにはふたたび生まれてきたりするけれど、滅びてしまうことはけっしてない」。
     このように、魂はいっさいのありとあらゆるものを見てきている魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてない。よって、徳というものが何であるのか、それがそうであるということは、わかるはずだ。ある一つのことを想い起したこと――このことを人間は「学ぶ」と呼んでいる――その想起がきっかけになり、他のすべてのものを発見することもありえる。つまり、探究するとか学ぶということは想起することにほかならない。

    イデア論の根はこれかなーと思います。

    たとえば、「生きる意味とはなにか」と探す。
    でも、なぜ生きる意味があると思うのか?
    それは、全くわからないものなのに。仮にわかったとしても、なぜそれが真であると思うのか?
    ソクラテスは、ここで「魂」を出してくる(ここで面白いのが、ソクラテスはすべてのことを疑ったのに、「魂」の存在を疑わなかったこと)。

    「人間の魂は不死であり、生々流転する。魂はありとあらゆるものを見てきている。したがって、魂がすでに学んでしまっていないようなものは無い。」

    人間の魂。では、一番初めの人間には、誰の魂が入ったのか?
    その魂は、どこで、ありとあらゆるものを見たのか?どこからきたのか?
    疑問。魂なんていうものを信じていいのか!

    さて、多くの哲学者は普遍的なものを探してきた。いまだに見つかっていない。
    でも、なぜ、「普遍的なものが存在する」と思うのか?
    わからないものなのに。もしその「普遍的なもの」が見つかったとして、どのようにそれが真だとわかるのか?理論?科学?
    なぜ、それが理論的・科学的にわかるのか?

    魂が知っているから、それを見つけたら思い出すんだ。
    って考えると、なるほどなー。

    (まっちー)

  • ここ半年に読んだ本の中で、
    最も知的に好奇した。
    結局のところ、徳がなんなのか、
    またどのように身につくのかという結論には至らないものの。
    たとえば、勇気や経験、度量が優れた性質となるのは、
    そこに「良い行いにおける」という形容詞がつくことを前提としており。
    では、その【良い】モ何によって担保されるかも定かでなく。
    他方。動機が徳であれば、その行為も善となるとの説も不適切で。
    結局は、本人もよくわからないながらに「思わく」を持ち、神からの霊感を吹き込まれた偉大な事柄としか言いようがないか。

  • 徳については善きものを望んで獲得する能力があるのがすごいと思い、メノンが金や銀を手に入れることも国家において名誉や官職を得ることがありメノンが獲得するのが世界一のトップだと思いました。善きものの獲得はできないことと比べると徳であると言えない。自分が一所懸命に獲得すれば徳であると言えると思いました。

  • 大学時代、課題図書だった為に読んだが、かなり面白く、好きになった本。

    徳を積むとは何か。
    徳とは何か。
    人生とは。

    答が出ないところを延々と回るやりとり。
    哲学の本。

  • 徳を題材とした、ソクラテスとメノンの対話短編。「徳の性質」にこだわるメノンに対して、ソクラテスは「徳とは何か」に論題を見事に誘導し、対話者を操るかのようにして結論へと導く。解説文の言う通り、圧巻の「珠玉の短編」。

    「徳とは何か」を対話を通して得ようとしたソクラテスだったが、解説にもある様に、仮定の上での徳の本質までしか、本書では言及されていない。解説ではこれを後のソクラテスの論と対比して、イデアの論拠が『メノン』の段階ではなかったと指摘する。

    それ以外にも、初期対話篇と対比して、ソクラテスの「何であるか」への執着の度合いや、メノンの人間性をクレアルコスと『アナバシス』のクセノポンとの関係から考察するなど、解説だけでもかなり読みごたえのある見事な出来栄えになっている。

    そんな具合で、とても頼もしい解説に任せて特に言うことはないのだけれど、解説のように歴史的背景を思考の範疇に入れずとも、ギリシャ哲学史に特別詳しくない僕のような人でも、この珠玉短篇は爽快・圧巻の物語として楽しめると思う。その物語から現代に連れ戻されるかのようにして読む解説も、また。

  • やっぱりソクラテスは面白い。
    ソクラテスの妻は悪妻だったというが、あんな理屈っぽい、しかも毎回正論を言う人が夫だとストレス溜まって悪妻にもなるだろうな。本人に自覚のないところがさらに苛立たしいだろうな。
    悪妻を持つと哲学者になるのではなく、哲学者を持つと悪妻になるなのでは?

    徳については、ソクラテスの弁論の神がかりてきな流れにただただ敬服。

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著者プロフィール

山口大学教授
1961年 大阪府生まれ
1991年 京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学
2010年 山口大学講師、助教授を経て現職

主な著訳書
『イリソスのほとり──藤澤令夫先生献呈論文集』(共著、世界思想社)
マーク・L・マックフェラン『ソクラテスの宗教』(共訳、法政大学出版局)
アルビノス他『プラトン哲学入門』(共訳、京都大学学術出版会)

「2018年 『パイドロス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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