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Amazon.co.jp ・本 (464ページ) / ISBN・EAN: 9784003360170
みんなの感想まとめ
正義とは何かを深く考察する本書は、プラトンとソクラテスの対話を通じて、個人と国家の関係を探求しています。ソクラテスが正義の徳を追求する中で、国家のあり方や守護者の教育についての議論が展開され、正直で真...
感想・レビュー・書評
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本書の訳者、藤沢令夫さんは、ウィキペディアによると、次のような方です。
---引用開始
藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 2004年2月28日)は、日本の哲学者・西洋古典学者。専攻はギリシア哲学。京都大学名誉教授。京都国立博物館館長を歴任。1993年紫綬褒章。1998年叙勲二等授瑞宝章。2004年没時叙正四位。
---引用終了
で、本書の内容は、「BOOK」データベースによると、次のとおり。
---引用開始
ソクラテスは国家の名において処刑された。それを契機としてプラトン(前427-前347)は、師が説きつづけた正義の徳の実現には人間の魂の在り方だけではなく国家そのものを原理的に問わねばならぬと考えるに至る。この課題の追求の末に提示されるのが、本書の中心テーゼをなす哲人統治の思想に他ならなかった。プラトン対話篇中の最高峰。
---引用終了
最後に、プラトンの師弟関連で、生年没年を見ておきます。
ソクラテス(前470頃~前399)
プラトン(前427~前347)
アリストテレス(前384~前322)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
定番中の定番なので、少し違った読み方で感想を書いてみる。ソクラテスとの対話で序盤に登場するトラシュマコスのウザ絡みの意義についてだ。論破王ソクラテスの人に言わせて否定する弁論術を卑怯だと、相当な勢いで突っ込んでくる。今風に言えば成田悠輔やひろゆき相手に挑戦するみたいな感じだろう。
で、このトラシュマコスだが真正面から突っ込んで早々と本書から退場させてしまう。そのせいで議論の場が安全な空間に変質してしまい、そこからソクラテスの独壇場が始まる。
黙らされたことで「正義って、議論で勝ったほうの定義になるのか」という不信感が強まる。ソクラテスの論法はいわゆる勝ち負けを決する議論の進め方であり、必殺技は、「分からないという自覚」で黙らせる作戦。大体論破なんていうものは技術であり、矛盾をつく、反例をあげる、無知を晒すという感じで畳み込むのだが、このフルコンボが決まって相手がぐったりして見えたら負け、というだけで議論の本質ではない。
例えば、盗みが正義かという議論をするとしても、悪徳国家から盗んで貧しい人に分け与える正義の例によって例外を示して必ずしも不正とは言えないとか、技を盗むことは悪いのかとか、まあ適当な事を言って、どちらにもなる結論に対し、あなたは盗みが不正だと言い切ったから誤りだとやり込める手法が可能だ。
トラシュマコスは分かった顔で断言する。だが、断言してしまうと勝てないのだ。結果、ソクラテスが論理的に勝つのだが、本質と異なる勝敗は孤立に繋がっていく。
トラシュマコス的懐疑や怒りを受け止めずに進められるソクラテスの議論は、次第に対話ではなく独白に近づいていく。『国家』後半で展開される「イデア論」「哲人政治」などは、もはや誰もツッコミを入れない領域へ。この構造は、一見すると哲学的に高尚だが、市民との断絶を招くプロセスにもなっていく。
ソクラテスの処刑は「正義とは何か」という問いに対する一つの現実的回答だったとも言える。つまり、市民たちは論破され続けることで“トラシュマコス的感情”を内面化してしまい、「論理ではなく力で答える」選択に至った。皮肉にも、トラシュマコスの主張は最終的にアテナイの行動によって証明されてしまう。
哲学は“ウザ絡み”を受け入れるべきか。もしトラシュマコスが最後まで登場していたら、常にウザ絡みを受け入れながら、更新されていく、ソクラテスの独走が処刑に繋がらなかった可能性もあるかもしれない。マウントや論破は不要であり、思考の幅を広げるための壁打ちみたいなもの、として捉えるべきか。プラトン哲学からは、そういう事も学べる、という話。批判やウザ絡みと上手く付き合い、勝たなくても良いという構え方で。 -
西洋哲学の祖・プラトン。
哲学書を数冊読んだ後では今さらすぎるが、
後世の多くの哲学者が参照するので、必須と思い手に取った。
話は、ソクラテスとその友人たちの対話形式で、理想の国家のあり方を議論する。
本の厚みに恐れつつ読み始めたが、思いのほか読みやすかった。
上巻の印象を一言で言うと、エリート主義と優生思想。
偽善を断罪するなど、道徳的なところも勿論ある。
しかし一方で、目を疑うほど危険な記述も見られる。
生まれつきの病気持ちは生きるに値しない人間、母親が20〜40歳の間に生まれたのではない子供は正当ではないので社会に押し付けるな、兄弟姉妹は結婚してもいい、
など、これ大丈夫?と思うようなことも書いてある。
古い映画などでよくある、「原作を尊重して差別的な表現も残してあります」的な注意書きはこのような古典には不要なのだろうか。
この内容を若い時に読むのはどうかと思うし、もし信じ込んでしまったら、ろくな大人にならないだろう。
とりあえず下巻へ。
主な要点を挙げる。
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・すぐれた国家の要件は、「四徳」と呼ばれる〈知恵〉〈勇気〉〈節制〉〈正義〉と、〈敬虔〉である。(p315)
・国家の教育と養育の規範は、音楽・文芸と体育である(p270)
・人間の魂には〈理知的部分〉と〈欲望的部分〉があり、前者が後者を監督指導する(p363 etc)
・さらにそこへ、怒り、勝気、覇気などの「気概の部分」を加えた魂の機能の三区分が、国家の階層における三つの区分に対応する(p488)
・美や真実を知っているのは〈知識〉である一方、それによって形づくられたものにただ愛着を寄せるのは〈思わく〉でしかない(p460-461)
・〈思わく〉とはドクサと同義である。この〈思わく・ドクサ〉と〈知識〉の区別・対比は、プラトン哲学において重要な役割を果たす(p509)
・ソクラテスは、正義をはじめ、人間の生き方に関わる道徳上の事柄を「技術」としてとらえる(p478)
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2500年前のお話。生真面目に正しく生きていくよりも、少しぐらい不正を行なってもずる賢く、上手く立ちまわって生きていくほうが得をすることが多いんじゃない?正しく生きるなんて損ばかりして良いことなんてないよ。さあ、こんな会話を聞いたら哲人王ソクラテスは黙っていません。そんなことがあるものか!正しく生きている人間が、不正をはたらくような卑劣な人間よりも不幸になるわけがない!真面目で正直で、正しく生きている人間は誰よりも絶対に幸せだってことを僕が証明しよう。ここから正義とはなにかについての長い長い対話が始まるのです。
プラトンとソクラテスは哲学界のビックネームですから難しいと思う人もいるかも知れませんが、とっても読みやすいんです。難しい哲学用語なんて使われていません。対話も楽しいです。正義とはなにかだけではなく、どうすればそういう人が育つのか、私たちはそのためになにをするべきなのかなど議論は尽きません。上巻を一言でまとめるなら、一人ひとりが正しい人間であるなら正義の国が出来ますよということです。自分の人生に責任を持ちなさいと言ってます。 -
「正義とは何か、悪とは何か」を導き出すために、ソクラテスがその友人や弟子たちと対話していく話の、上巻。
これまで読んだ『ソクラテスの弁明・クリトン』と『パイドン』ではソクラテスの死の間際というタイミングであったのに対し、この国家は弁明・裁判から遡った時間軸になる。
そのためソクラテスの質問への回答や話しぶりではまだ悟りきったような部分がなく、それが故により親近感を湧きやすい。「死の直前」ならではの緊張感がないので落ち着いて読める印象がある。
「正義とは何か」、つまり「正しさとは何か」というのはテーマとして非常に難しい。人によって回答が違って当然と私には思われる。だからとてもこれと断言回答できない。
ソクラテスは、「正しい人間があるとすれば、正しい国家というものが分かれば、それを敷衍できる」といった論理で答えを探っていく。
では正しい国家とは何か。何がもっとも「良い」国家なのか。
理想の国家を定義するために、国家のサイズ、国家を構成する人々の仕事や役割、他国との関係性、婚姻や性交渉や出産育児、触れるべきOR触れてはならない音楽や娯楽の類などなど、微に入り細に入り最も理想的な国というものを定義していく。
この過程できっと紀元前当時の様々な生活様式、習慣、思想などの情報が現代まで残されてきたのだろう。貴重な情報源だ。
この理想の国家というのが、ソクラテスも上巻の終わり間際でいうように、実現可能とは言っていない。実現可能であるかどうかへの回答は難しすぎて、最大限実現に向かうにはどうしたらよいかという回答とさせてほしいし、それで十分なのではないか、という話をする。
事実、この理想の国家は、ヒトラーが真面目に捉えてしまって影響を受けたと思われるような、かなり非現実的な像が描かれる。
例えば「子供は生まれたらすぐに親から取り上げて、誰の子供であるかは絶対に知られてはならない。全子供が全大人の子供であり、特定の親子関係を持つべきではない」という実現が厳しい内容や、
「ギリシア人は内戦などによって敵を捕らえても奴隷にしてはならないが、ギリシア人以外では構わない」という差別に関わるもの、
「気持ちを明るくしたり奮い立たせる音階は使ってよいが、不協和音を用いた、悲哀や不安を表現するような音階は使ってはならず、そのような音楽を聴いてもいけない」という表現の自由や娯楽を制限するもの、
「優生な遺伝子を持つ子供は積極的に生み育て、優遇するべきで、そうでない遺伝子の子供は可能な限り少なくなるように仕向け、また当人たちにはそれを悟られてはいけない」という優生学の思想などである。
彼らは論理的に真面目に思考検討しているものの、今では物議を醸す露骨な男女差別的な発言も多い。
正義は立場によって変わる。国家の良し悪しも、その地理的特性や時代特性によって大きく変わるだろう。
本書から学べるのは、決して具体的なノウハウではない。
その論理的な思考法を一アイデアとして受け取ること。
当時の慣習や思想などの情報を得ること。
そして真摯に、目的となる困難な答えに向かって思考し、対話し続ける姿勢などである。
この姿勢こそ、一番心に刻んでいきたいものである。
本書の終わりでは哲人政治が遂に登場する。
最終的にどのような結末を迎えるのか、下巻を楽しみに次へ進もう。 -
1979年
○ポリテイア=国家のあり方
本来「国家」という意味ではなく、学者は「ポリテイア」と呼んでいる(納富氏)
○上巻は10巻中5巻まで
主な内容
・正義の定義
・国家の守護者の素質、教育、諸条件
プラトンが40~50代に執筆
『ソクラテスの弁明』より難しい漢字もなく、比較的読みやすい
初心者も読める
会話中心で面白い
2巻からほぼソクラテスが独壇場、ほぼ一方的な会話だ
2巻
物語を用いて教育は合点がいった
こういう風にならないように、虚構で良いことも悪いことも知ることができる
3巻
金や銀の子供が生まれたなら尊重し昇進させるとあった
才能の格差は昔からある
格差はどうしても生じてしまうと思う
その差がつきすぎているのが現代の問題
4巻
富を得ると怠ける
やはり昔からあったのか
5章
女性と子供の共有
優秀な人を増やすためとは言え、現代では考えられない事柄
4、5巻は面白くなかった
上巻で疲れたので下巻は割愛
洞窟の話や解説は下巻にある -
言わずとしれた大古典。難解と聞いていたものの、全体が理解困難なわけではなく、読んだ価値はあった。ソクラテスへの追従形式と言っても過言ではない記述形式と、時に繰り出されるトンデモ理論には失笑を禁じ得ない。犬に誓って。
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ひとまず上巻読了。
読書日記は下巻の方で。 -
手近に読みたい小説がなかったから、小説として読み始めた。
「いくら不正をしたからって、不正を貫けばそれは正義で、けっきょく結果的に自分が得するのなら、それで万事OKじゃない!?」
しょっぱなから、ソクラテスに対して、現代日本でいまもっとも愚かな有名人(花見が大好きな)がいかにも言いそうなセリフをのたまう人物が登場する。とても古代ギリシャごととは思えない。
あと本書を読んでいてとても興味深いのは、当時の社会状況が垣間見れること。例えば、もうこの頃から貨幣は使われていて、それを貯め込もうとするやつがいたんだなとか。
資本主義とは無縁なこの時代にだよ!? -
ソクラテス先生の僕が考えた最強の国家の巻。
プラトン哲学の集大成の呼び声も高い本書。
正義とは何か?という導入部から始まっており、
理想の国についての議論に移っていくという流れだが、
扱うテーマは職務や結婚、戦争など多岐に渡っており、
男性も女性も分け隔てなく向いている職務に着き、
幸福を皆で共有し、それを実現するために支配者は
真理を追究する哲学者であるべきと結論を出している。
個人的に印象に残ったのは以下の二点。
一つ目は、神々の不道徳な逸話を問題視している点。
ギリシア神話の神々のやることがひどいというのは、
「図解雑学ギリシア神話」の感想に書いたが、
神々を人々の道徳の規範とすべきという点において、
プラトンも問題視していたということが分かる。
彼らの後継者であるローマ帝国の支配者が、
絶対的に正しいキリスト教の神を選択したのは、
当然の成り行きだったのかも知れない。
二つ目は、早くも男女平等を説いている点。
この時代英雄と言えば戦争で活躍した者だったが、
その権利を女性にも平等に与えようとしており、
女性が戦争の訓練をすることを滑稽だとしつつも、
スパルタの訓練法も最初は馬鹿にされていたが、
今では誰も笑わなくなったと言う論に舌を巻く。
ただ、ギリシア人のみで結束することを説き、
異民族は奴隷要員としているのは残念。
下巻ではどんな議論がなされるのか楽しみ。 -
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プラトンの本に対する書評などおこがましいので、書評ではなく純粋な読書感想を思いつくままに述べたいと思います。本書は1000年後も読み継がれている名著だと思います。
*日本語訳が読みやすいです。難しく、かつ微妙なニュアンスの表現をうまく日本語にされていて、本当に読みやすかったです。また巻末の解説が極めて有用でした。あの解説がなかったら理解度はかなり低くなっていたと思います。
*本書は「国家」という題名ですが、まず正義とは何かという命題からはいります。そしてそれを深掘りする過程において、理想の国家像を描き始めるということですが、テーマはかなり広く感じられます。ただ読み終わって改めて思い返すと、すべてが関連していたのだなということがうっすらわかってくるという感じでしょうか。本書は全編通じて対話形式になっていて、私自身ソクラテスの言っていることがよくわからないな、と思う個所があると、ちょうど対話の相手が「よくわかりませんが」と受け答えをしてくれて、ソクラテスが具体的な事例で説明してくれる(例:動物に当てはめたり具体的な職業で説明したり)というケースが何度もありました。
*上巻の最後では美を事例に、美の実在(イデア)と美をまとっているものの違いを理解できるかどうかが哲学者(愛知者)とそうでないものの違いである、と指摘されていますが、美に限らずあらゆる場面において本質は何かを理解できる力がいかに重要であるか、改めて痛感しました。
*最近読み始めた禅の思想とはまっこうから対立している面もあります。たとえば本書では「同一のものが同時に静止しまた動いているということはありえない」と述べられていますが、禅の思想では「ありうる」となります(「禅と日本文化」鈴木大拙、などを参照のこと)。ただしそもそも対立していると感じること自体がプラトン的であり、禅の思想では対立していないとみなされるのかもしれません。いずれにせよ、どちらが正しいということではなく、比較するのはおもしろいと思います。 -
国家に必要なリーダーとリーダーが保持すべき魂とその詳細について対話形式で解説した著作
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あまりに有名なので義務感から上巻だけ頑張って読んだが、知的刺激も新規性もなく極めて退屈であった。知識のない中高生が考える姿勢を学ぶために読む本としてはおすすめだが、現代を生きる成人が改めて読む必要は感じられなかった。もちろん歴史的背景から学問的価値の高さは述べるまでもないが、書籍としての価値は教養書として名を連ねるほどのものではないかと。
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哲学史を3冊読んで、さぁ、一次資料(翻訳だけど)と思って、まずは何からか、プラトンの国家か、と。
分厚い、、、。岩波文庫、、、。めんどくさそう、、、。とずっと敬遠してきたのがアホらしくなるくらい読みやすい。
岩波文庫の上巻は、もとの1〜5巻を収めているが、1日1巻ずつ、5日で読めた。500ページくらいなのに。
現在でこれを読むのは少し注意が必要かもしれない。素朴の極みだけど共産主義的であるし、ファシズム的に誤読できる部分もあるので、そこの立ち位置を自覚してないと高校生頃の自分が読んでたら思わず勘違いしそうだ。
そう、高校のころ、友達が「饗宴」とかを読んでた。僕も図書館で、「ソクラテスの弁明」を少しだけ立ち読みした。
哲学はその頃から興味はあったけども、どの本を読んでもそこには前提としている感覚があって、それを共有できてないことには一行ずつに中身と理解が乖離していく。
なんでこんなもん読めるんだ、「存在」とか「感覚」とかをその都度に定義せずにどうして厳密に使えるんだ、と腹立たしくもあった。それは割と今もそう思ってる。お前の言っている「感覚」や「意識」は、なんのことなのかまず説明しろ、と思う。
「ツァラトゥストラ」や、「死に至る病」など、冒頭だけ読んだ哲学書はいくつかある。でも、最後まで読むことは少ない。
大学生になって、カミュの「シーシュポスの神話」に衝撃を受けた。不条理!そう!不条理!と喝采したものだけども、それも最後まで読んでない。そろそろちゃんと読みたいと思ってる。あんな薄い本。
その頃、「アンチオイディプス」とかが文庫になって、かっこつけて読むのがまわりで流行ったけど、そこにもいけなかった。
ブコウスキーのほうがかっこよかった。
話は逸れたが、そういう紆余曲折を経て35歳、プラトンに戻ってきたのだ。高校生の頃の「弁明」から20年経った。この一歩に20年かかった。
そこで衝撃的な読みやすさに出会って肩透かしをくらいつつ、次にいくつもりだったアリストテレスの「形而上学」を立ち読みして、またちょっと挫折の気配を感じつつ。
プラトンがイエス・キリストより400年近く歳上ということに驚く。
「国家」の中には、「これは時代が既にキリストを待ってるじゃないか」と思うようなところがいくつもあった。
素朴な演繹法で続けられる対話は、正直、読むのが辛い(飽きる)ところもあるけども、「対話」という型へのこの信頼はどこからきてるのだろうか。ほとんど独演になるんだから、対話じゃなくて良いのではないか、と思うけども、ソクラテスが対話の人だったので、哲学するのと対話するというのがそのままプラトンではひとつのものだったのだろう。
さぁ、(下)に突入します。 -
【政治学の参考文献】
古代ギリシャの哲学者・プラトン(前427~前347)の代表作。
理想国家について論及した世界最古の政治学の書と呼ばれるもので、後の西洋哲学に絶大な影響を与えたらしい。
真の政治は哲学(学問)に裏付けられていなければならず、政治的権力と哲学的精神とが一体化され、多くの人々の素質がこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止しない限り、国々にとって人類にとって不幸の止む時はないという。 -
哲学的名著の一つということで義務感から読んだが、読む価値を見出す力が自分にはなかった。
現代からしたら真新しい知識があまりないという点は百歩譲って良いのだが、高く評価されているように思われるソクラテス式問答法についても、批判的思考によって事実を論理的に細かく積み上げていくのかと思いきや、当時のソクラテスの信念を極論によって暴力的に納得させているように思えるし、その結果誤った結論に辿り着いていることも数多くあると思う。何よりもソクラテスの言葉に対して批判的に答えようとする論者が出てこないのが、読み物としてもきつい。洗脳されてるような気分になり、抗おうとしても話は進んでいくので疲れてしまう。
トラシュマコスがイライラする気持ちがとてもよくわかり、トラシュマコス負けるな、という気持ちになっていた。
唯一、社会契約論的な考え方がこの時代にすでにあったのだということを知れたのが良かった。 -
ソクラテスの口を借りてプラトンが正義、正しさとは何かを追求していく。一巻の弁論から圧倒的!正義とは徳であり知識であり、不正とは悪徳であり無知である、こうした当たり前と思える事だけれども見方を変えると反対にも思えることを、淡々と説き伏せていく姿は実に面白いし頭いいんだなーって思う。
細部ではなくもっと大きな単位で正義を考察すれば、細部と共通の事柄が見えるはずだという考え方は面白い。国家→個人の流れ。5巻最後のいわゆるイデアの思想、ほうほうなるほど。「あるもの」と「あらぬもの」に分けられる時、前者には知識が、後者には無知が対応する。けれどもここで思わく(ドクサ)という概念が入ってくる。例えば、美しい絵や音楽の作品自体を愛することは美を愛することではない。美という「あるもの」を認識せずにそれを有する対象のみを愛することを思わくと言う。これは「あるもの」と「あらぬもの」の中間に置かれる。二元論の間にグラデーションをつけて定量的に分けるイメージ。つまりは抽象的な概念というか本質的実質を理解することが知識となるということか。 -
なぜ今まで読まなかったんだろう。
タイミングなのか。
とても分かりやすく書いてある。とはいえ、対話についていくことができるということで、それを「知った」とは言えないだろうけども。
この訳は現代的に思える(苦労しない日本語)けども、1979年が初版なんて、驚いた。
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ゼミのテクストで軽く一読.正義論,国家論,哲人王,洞窟の比喩は知ってはいたが読み通したのは初めてだった.確かにプラトンの良いところと悪いところが出ているが批判的に読む訓練がしやすい本だと思う.哲学書に慣れていない人が読む場合は,現代ではなく当時の概念で考えて読まないと誤読するので注意が必要だと思う.
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個人の話から国家、そして下巻の宇宙にまで広がるスケールの大きさたるや。
壮大なものではありましたが、その国家がしっかりと個々の人間と対応していて、ある種の比喩になっているのが面白いです。
下巻まで通読することをお勧めしたいです。
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著者プロフィール
プラトンの作品
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