法律 下 (岩波文庫 青602-1)

  • 岩波書店 (1993年4月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (568ページ) / ISBN・EAN: 9784003360217

みんなの感想まとめ

「善く生きるためには?」というテーマが根底に流れる本書は、実務的な視点から現実的な法律や制度について大胆な提案を行っています。対話の舞台は地中海のクレテ島で、登場人物たちは国家の理想を論じながら、具体...

感想・レビュー・書評

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  • 上下巻まとめての感想。「国家」と同様に理想とする政治体系について、ダイアローグ形式で説かれていくのだが、ダイアローグがまだるっこしいのも前作同様。
    メギロスに至ってはほぼ空気で、ラケダイモンの政体をほんの一部(しかも、ときどきあまり好意的ではないやり方で)言及させるためのキャラになってしまっていて、もうダイアローグでなくてよいのでは、と思ったのも前作同様。

    哲人政治による理想国家を目指すのではなく、現実の世界で可能な最善の国家をどのように想定するか、という命題。よく言われるように、哲人国家は、「国家」を執筆した後に色々と苦い経験をしすぎて諦めたのであろう。
    「国家」は善と悪を考察するにあたり、善が行われる国家とはどういうものか、という仮想の国家の輪郭から善の性質を考察していたが、今回は、仮想の国家を作り上げていくのは似ているが、哲人王ではなく一般の人間が統治する前提で、どのような法律を整えていけばその国家は最善となりうるか、という運びになっている。とはいえ、最高議会と呼べる”夜明け前の会議”の構成人員に要求される特性は十分に浮世離れしたものなのだが。なので、全体としての読後感も自分はあまり変わらなかった。
    結局、哲人王による徳の政治はあきらめられても、国家が、その中に生きる人間が善を体現するための存在である、ということは捨てられなかったのか。途中、神を理神論的に、ないしは利益をもたらす取引対象としてみる見方に必死になって反駁しようとするあたりは、理想国家を仮想する、という枠組みを超えてプラトンのこうあってほしい、という信念(というか切なる願い)を感じずにはいられない。
    国家は人間の風習や習慣についてまでいちいち決めごとをしないもので、そのあたりは書かれざる掟に任せるべきと言いつつ、かなり細かいところにまで口を挟まずにいられない性分が垣間見えて、どうしてもプラトンは人間は善く生きるべき、生きてほしい、という考えを捨てきれなかったのか、と思わされた。

    ただ、最も印象深かったのは第7巻803E~804Cにある、以下のような発言。
    「正しい生き方とは何でしょうか。ひとは一種の遊びを楽しみながら、つまり、犠牲を捧げたり歌ったり踊ったりしながら、生涯を過ごすべきではないでしょうか」
    「人間というものは、多くは操り人形であって、ほんのわずか真実に預かるにすぎないのですから」
    「どうか驚かないで、メギロス、私に同情してください。私がいま言ったようなことを言ったのは、私が神に向かい合い、(自分がいま言ったような存在であることを)身にしみて感じたればこそなのですから」
    このプラトンらしからぬ、刹那的とすら言える発言はどうだろう。この後、ダイアローグの中で仮想国家の法律を長々と述べていく過程ではこのような発言は鳴りを潜めるのだが、なぜ中盤でこのような言葉が一度だけふっと出てきたのか。一時の気の迷いか、それとも、遍歴を重ねる中で、一種あきらめの様な心境に至ったものが思わず出てきたのか。
    いずれであったにしても、「国家」では一途に善を信じていたプラトンよりも、このような発言を途中に入れてしまうプラトンのほうが、迷いながらも思索し続ける生身の人間の姿を映し出していると感じられた。

    (追記)
    "国家" における理想の政治体制との違いで目についたのは、"国家" では哲人によるある種トップダウン的な政治が良しとされるのに対し、"法律" では曲がりなりにも集団統治を目標としている。そのためか、後者では、市民一人一人が法律の担い手であるとする意識が強く出ている。
    法の違反を犯した者は勿論、それを看過した者もまた罪に問われ、場合によっては名誉をも剥奪される事が法律に明記される。本書に書かれているわけではないが、神や理想の哲人ならぬ身で社会を維持するには、誰かにより掛かるのではなく、自らが社会を作る一部としての自覚を持たなければならない、と言うことか。
    これは市民社会と民主主義社会の萌芽と言えるアイディアと思えるが、民主制を最悪の一歩手前の制度と断じたプラトンにして、このような結論に至らしめたのは、遍歴を重ねて現実的になったが故なのか。それとも理想の君主がこの世に存在しない以上、論理的にやむを得ないと考えたか。
    いずれにせよ、民主主義とはそもそも自らが責任を背負うものであると言う考えは既にこの時代に有ったかも知れないのに、責任は放棄するが社会の果実は欲しいと言わんばかりの言動が跋扈する現代は、あまり変わらないのだなと思わされる。

  • 読むのつらかった。
    実務的に書いてることから、
    『国家』との違いが強調されがちだけれども、
    「善く生きるためには?」というモチーフが
    初期から中期をつらぬいて最晩年の『法律』まで届いていることがわかり納得。

    ここの実務的なものは、
    初期『プロタゴラス』において、
    プロタゴラスが語っていた徳の教授可能性の神話とどこまで重なるものかなと思ってみるところなり。

  • 下巻は教育・祭儀・傷害や詐欺の刑罰・商取引・相続などなど細かな法律の話が中心。そのすべてが「この国の国民が善き人間となり、人間たるにふさわしい徳をもつようになること」を目指しており、国民はそんな国のために私有財産もあまり持たず、徳のある性格と思想を持ち、「善良」な生活を送ることが求められている。哲人の独裁政治を諦めたのかと思ったら、どうも哲学者の人々の共和制で自分が定めた法律を守り続けることをイメージしているらしいからまだ哲人政治自体は諦めてないのかもしれない。
    神の存在証明があるということで楽しみにしていたんだけど、なんか想像していたのと違った。はじめは神を信じない若者に対する説教のような感じで、世界構築の理論も最初から神の存在が前提にされていてあまり証明という感じではなかったように思う。
    全体的に「国家」のほうが生き生きしていて面白かったなあ。内容の食い違いやただ法律の羅列になっているところがある点から、まだ執筆・推敲中の原稿だろうという推測がなされていると解説に書かれていたが、それを差し引いてもやはり「国家」に溢れているプラトン自身のわくわく感はない。シラクサの政治介入の失敗やアカデメイアの経営が、より現実的な方向の法律の調整に紙幅を割くようにしたのかもしれない。仕方のないことだけどちょっとかなしい。

  • 対話の舞台は地中海クレテ島.ゼウスの社への参詣の道すがら,「アテナイからの客人」ら三人が国制と法律について論じる.最善の国家についての理念を提示した『国家』に対し,本書では「現実にあるべき国家」の具体的な法律・制度全般について自由で大胆な提案を行う.プラトン(前四二七―三四七)最晩年の著作で最大の長篇.(出版社紹介)

  • 1260円購入2011-01-25

  • 国家に続く長編。
    国家の漠然とした理想を具体的な理想に書き換えた一冊。

  • 神の証明について、など。

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著者プロフィール

山口大学教授
1961年 大阪府生まれ
1991年 京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学
2010年 山口大学講師、助教授を経て現職

主な著訳書
『イリソスのほとり──藤澤令夫先生献呈論文集』(共著、世界思想社)
マーク・L・マックフェラン『ソクラテスの宗教』(共訳、法政大学出版局)
アルビノス他『プラトン哲学入門』(共訳、京都大学学術出版会)

「2018年 『パイドロス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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