ニコマコス倫理学〈下〉 (岩波文庫 青 604-2)

制作 : 高田 三郎 
  • 岩波書店
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レビュー : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003360422

感想・レビュー・書評

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  • -510

  • いやぁ〜この歳になって読んでよかった(^^ゞ本書にもあるけど年齢とともに経験値がますからだろうな…

  • 第7巻
    抑制と無抑制,放埓と節制

    第8巻
    愛(フィリア)とその種類

    第9巻

    「人間はポリス的・社会的なもの(ポリティコン)であり、生と他と共にすることを本性としている」(137頁)

    第10巻
    快楽,幸福
    「幸福こそが究極目的なのだ」(172頁)+

    解説
    倫理学というよりも政治学と言った方がよい
    本論ではないが、プラトンのイデア論に対する反論が注目される。

  • この本は、読んでると、えッ・・・・!!なになになに???と思わず何度も聞き返してしまうような感じです。気になったところに付箋を貼っているのですが、多すぎて、付箋箇所をもう一度たどるのが億劫なくらいです。それでも今日は気になった箇所をもう一度見てたら「寛恕」という言葉を知りました。寛恕とは三省堂国語辞典によると、心が広くて思いやりがあること。また、あやまちなどをとがめずにゆるすこと。だそうです。本文中でも「・・・、寛恕に値することがらであろう。」と書かれてあります。なんかすごいな~って感じがします。

  • 「二コマコス倫理学(下)」Aristotle


    ユーダイモニアは人間万般の営みの究極目的。

    幸福は状態(ヘクシス)ではない。

    幸福とは、知性(ヌース)という最高の卓越性に即した行動。

    幸福には快楽の存在が必要であるとされるが、最も快適なのは、智慧(ソフィア)に即しての活動である。

    哲学はその純粋性と安定性の点において、驚嘆するに足る快楽を含んでいる。

    知性(ヌース)の活動はその真剣さにおいて勝り、活動それ自体以外のいかなる目的も追求せず、その固有の快楽を内蔵している。

    人間に固有なのは、知性(ヌース)に即しての生活に他ならない。

    知性(ヌース)の卓越性は肉体を離れた独立的な性格を持つ。
    倫理的な卓越性ほどには外的な給備を必要としない。

    ソロンが言う幸福な人とは、「外的なものをほどほどに給せられ、自らもって最もうるわしき事柄となすところを行い、節度ある仕方でその生涯を送ったひと」だが、実際にほどほどのものを所有しておれば、まさになすべき事をなしうる事ができる。

    幸福な人が、世人の眼には奇妙な人間として映ったとしても驚かない。

    ヌースに即した活動を行い、ヌースを大切にする人は最も善きありかたの人であると共に、最も神に愛される人。

    善とは、人間の目標とすべき最高善、究極的な善であり実現可能なもの。それは幸福に他ならない。

    ユーダイモニアの原義は「ダイモン(守護神)によってよく見守られている事。」であり日常的な意味は「好運」であったが、アリストテレスはこれを純化し、「人間の人間としての卓越性の具備を基盤とするところに基づく活動であり、その活動の為に必要ないかなる条件にも欠けていない事、そしてそれも全生涯に及ぶものであり、あらゆる意味において究極的、自足的たる幸福」とした。

    快楽(ヘドネー)は、ユーダイモニアに付帯する副産物。

  •  われわれは、しかしながら、ことがらの真を語るのみならず、また誤りの原因をも語らなくてはならない。というのは、そうすることが論議の可能性に寄与するからである。(p.78)

     究極的な性質の愛は、善きひとびと、つまり卓越性において類似したひとびとのあいだにおける愛である。けだし、かかるひとびとたちのいずれもひとしく願うところは「善きひとたるかぎりにおける相手かたにとっての善」なのであるが、相手のひとびとは彼ら自身に即しての善きひとびとなのである。(p.93)

     善きひとは自愛的でなくてはならぬ。なぜなら彼は、自愛的であることによって、もろもろのうるわしきことがらをなして自らも利益を享けるのみならず他のひとびとをも利するだろうからである。(p.176)

     何よりも好ましいのは親しい相手と生を共にするということではないであろうか。なぜかというに、愛とは自他の共同なのである。そうして、ひとの自分自身に対する関係が、やがてまたその相手に対する関係でもある。(p.189)

     快楽を欲しないひとはないといえよう。何びとも生きることを希求しているのだからである。「生きる」とは或る活動であり、各人はその最も愛するところのものに関して、その最も愛する方面の機能を働かせて(たとえば音楽的なひとは聴覚によって音律に関して、学を愛するひとは知性によってその観照の諸対象に関して等々)活動するが、快楽はしかるにこの活動を究極的に完璧たらしめ、したがってまた各人の追求しつつある「生」を完璧たらしめる。それゆえ、ひとびとが快楽を希求するのも当然であろう。快楽は各人にとっての「生きる」ということ―それは好ましきものである―を究極的に完璧たらしめるものなのだからである。(pp.210-11)

     幸福な生活とは、かえって、卓越性に即しての生活であると考えられる。かかる生活は真剣であり、遊びではない。真剣なことがらは滑稽な遊びめいたことがらよりもよりよきものなのであるし、また、魂のよりよき部分とか、よりよき人間とか、いずれにしてもよりよきものの活動なのであるとわれわれは考える。よりよきものの活動は、それだけですでに、よりよき活動であり、より幸福な活動なのである。また、肉体的な快楽ならば、任意のひとが、たとえそれが奴隷であっても、最もよきひとと同様にこれを享受しうる。だが、何びとといえども幸福に与る可能性を奴隷にまで及ぼしはしないのである。われわれの生活にもやはり与らせるのでないかぎり―。(p.222)

  • 中庸が大事と説く。中国の儒教と同じ発想じゃないか。
    そこにいきつくのだな。

  • 出口治明著『ビジネスに効く最強の「読書」』で紹介

    人類史上最大の知識人アリストテレスが、幸福について深く論考を重ねた一冊。

  • オフィス樋口Booksの記事と重複しています。記事のアドレスは次の通りです。
    http://books-officehiguchi.com/archives/4062787.html

    上巻では善・幸福・徳について、下巻では抑制と無抑制・快楽・愛について議論されている。これまで、大学の一般教養の講義で二コマコス倫理学の話題が上がっていたが、講義で二コマコスというのが人の名前であること、アリストテレスの息子であるということを初めて知った。この本は文庫本であるが、専門的な知識が要求される。専門的な知識については、私の今後の課題としたい。研究メモについてはオフィス樋口総合研究所で配信したい。

  • プラトンとは異なり、あくまで経験的な事実から逸脱しないように議論を進めるアリストテレス。一見、現実的で納得のいく議論を展開しているが、善悪の判断の源泉はどこに求められるか?については一応アプリオリなものとして、不問に付している(ように見える)。

    下巻のテーマは快楽と愛。

    第七巻
    正しい認識を有する人間は無抑制に陥らない、とするソクラテスの説を継承した上で、抑制・無抑制、節制・放埒の違いを記述する。

    放埒:選択的に肉体的快楽を追求すること
    無抑制:欲望に負けて快楽を追求すること
    抑制:欲情はあるが意識的に抑えること。
    節制:欲情がないゆえに快楽を追求しないこと。

    財貨・利得・勝利・名誉といった快楽は善であり、これらを追求すること自体は悪徳ではない、という冷静な主張がアリストテレスらしい。これらの善の追求が非難されるのは、追求の程度が常軌を逸するほど超過するときであると。

    またアリストテレスは、単に知識があるという状態だけではなく、実践する人が「知慮ある人」であるということを本書で繰り返している。

    第八巻
    愛は国内を結ぶ紐帯の役割を果たす。立法者たちが希求する「協和」とは、国民のあいだにおける愛・国政的な愛のこと。

    愛は三種類ある。すなわち、有用ゆえの愛、快適ゆえの愛、善ゆえの愛。前二者は自分のための善であり、移ろいやすい。相手の人となりゆえに愛し、相手のための善を相手のために願う愛が真の愛である。

    国政には三種類ある。すなわち、君主制、貴族制、ティモクラティア(制限民主制)。それぞれの逸脱した形態として、僭主制、寡頭制、民主制がある。

    アリストテレスは、国政についても愛と関連付けて論述する。君主の民衆に対する愛は、父の子に対する愛、すなわち優越者の愛。貴族の被治者に対する愛は、夫の妻に対する愛。ティモクラティアの愛は、兄弟の愛。僭主制には愛がない。民主制は民衆の共同性に基づいているから、ティモクラティアよりも多い愛がある。

    均等でない者の間においては、劣等者が優越者に対してより多くの愛・尊敬を示すことで均等となる。したがって、子は父に、民衆は君主に、他方よりも多く愛さなければならない。

    第九巻
    人は自愛的であるべき。ただし、ここで言う「自愛的」とは、自分のために財貨や名誉や肉体的快楽を過剰に追求することではなく、他の人よりも多く徳を身に付けようと努力し、自己のロゴス的な欲求を満足させようとすること。善い人が自愛的であれば、他の人をも利することができる。

    人間は社会的動物であり、他者と生を共にすることを本性としている。徳を発揮するには善を実践する相手が必要。相手の存在を知覚することが可能であることは、相手と生を共にする=談論や思考を共にすることによる。

    究極の幸福とは、認識を有する人の観照的な活動である。これは智慧を求める営みよりも優越する。政治や軍事の営みは立派ではあるが、「それ自体のゆえに望ましい活動」ではない。

    本書の最後は『政治学』の導入になっているとのこと。岩波文庫で読みたいので復刊してほしい(できれば新訳で)。

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