ニコマコス倫理学〈下〉 (岩波文庫 青 604-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003360422

感想・レビュー・書評

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  • ひいひい言いながら上巻を読み切ったのが昨年の9月。
    読み終わった勢いで、下巻もはりきって書店に取り寄せをお願いしたところまでは、良かったものの。
    えー、こほん、上巻で力尽きて、しばらくそのままになっておりました……。
    とはいえ、もはや上巻読了から1年以上が経過しそうになり、このままいくとほんとに読まないで終わってしまうかも、それはせっかく上巻を読んだのにあまりにももったいないんじゃないか?!と思うにいたり。
    よっしゃと自分に気合を入れて、下巻の読書開始〜。

    当たり前かもしれないんですけど、解説とあとがきって、下巻に収録されているんですね。
    『ニコマコス倫理学』の「倫理学」は「政治学」に意味が近い、とか、特に初学者にはわかりにくい点が説明されているので、これ、本文を読み始める前に、読みたかったな〜。
    でも、上巻を買うときに、下巻も一緒に買う勇気がもてなかったんですよね(笑)、だから仕方ないか。
    まあ、そもそも本文には相変わらず歯が立たないから、解説読んでから読み始めても、あまり変わらなかったかもしれないんですけど(とほほ)。

    とはいえ、さすがにずっと読んできて少し慣れてきたからか、下巻は「価値の決定」とか「幸福とは何か」とか、特に個人的に面白いと感じるポイントが収録されているからか、いくぶん上巻に比べて能動的に読書が楽しめました。
    中でもおもしろかったのが、「外的なものをほどほどに給せられ、自らもって最もうるわしきことがらとなすところを行ない、節度ある仕方でその生涯を送ったひと」を幸福な人だとし、続けて「実際、ほどほどのものを所有しておれば、まさになすべきところをなしうるのである。」とたたみかけ、「アナクサゴラスもまた、幸福なひととは富者や覇者であるとは考えなかったように思われる。」としているところ。

    今の社会で生きていると、「ほどほどが一番」「足るを知る」というような価値観もないではないけど、どちらかと言えば「富者」や「覇者」が無条件に幸福であるという暗黙の前提があった上で、「いかに富者や覇者になるか」というようなメッセージを受け取る機会が多い気がします。
    だから、長く読み継がれてきた本の中に、「ほどほど」「節度ある」という言葉が登場することがむしろ新鮮に感じられて、同時に、地球温暖化や環境破壊の危機にある今の社会において、これからますますポジティブに捉えられていく幸福論なんじゃないかと思いました。

    下巻も相変わらず難しかったので、とても胸をはって「読みきった」とは言えないけれど。
    でも、これからは、後世の哲学者の言葉を通して、またアリストテレスの思想に触れることができるし、現代を生きる研究者による解説書から読み解く楽しみもあると思うと、わくわくしています。
    最後のページをめくった瞬間に、また新しい読書がはじまるーーそれもまた本を読む楽しみ、ですよね。

  • 下巻は抑制と無抑制、愛、快楽、そしてまとめがあります。そして本書の最後(第10巻)では観照的生活こそが最高の人生である、というような内容が中心になるのですが、正直苦笑いをしてしまいました。やはり根っからの哲学者だと。不遜な言い方ですが最終章にきて、アリストテレスがとても身近な存在に感じました。彼自身の好みのようなものがついに滲みだしてきたという感じでしょうか。本書全体を通じて、人間の生き方についての深い洞察と卓見を学ぶことができ、とても満足しています。また解説もきわめて有益でしたのでそちらもあわせて読むことをお勧めいたします(できれば上巻を読む前に下巻の解説を読んだ方がよい)

  • ニコマコス倫理学

    100分で名著から入って、読み始めました。
    現代人が読んで勉強になってしまうことは本当に凄いことだなと思います。

    テーマは人間にとっての人生の目標は何なのかということ。
    答えは「幸福」。解説文にwell beingという英語訳があり、そちらの方がしっくりきます。

    それとは別に「快楽」についても述べられていました。
    日頃「幸せ」と言う言葉を使うときは快楽を指しているような気がしていて、自分自身もそれに流されてしまうことが少なからずあるなと思います。
    アリストテレスは、幸福を手に入れるにはベースとなるレベルの快楽が必要、と述べていますがこれは当時の基準なのであって、現代人は相当抑制的でないといけないんだと思います。

    昔とは比べ物にならない快楽が溢れる時代に、幸福の追求を見失わないでいることを大切にしていきたい。
    そのために、自分の行動が中庸だったかどうかたまに振り返ったりしたいなと思いました。
    人生を考えるための補助線が増えました。

  • この本は、読んでると、えッ・・・・!!なになになに???と思わず何度も聞き返してしまうような感じです。気になったところに付箋を貼っているのですが、多すぎて、付箋箇所をもう一度たどるのが億劫なくらいです。それでも今日は気になった箇所をもう一度見てたら「寛恕」という言葉を知りました。寛恕とは三省堂国語辞典によると、心が広くて思いやりがあること。また、あやまちなどをとがめずにゆるすこと。だそうです。本文中でも「・・・、寛恕に値することがらであろう。」と書かれてあります。なんかすごいな~って感じがします。

  • 哲学は何のために勉強するんだろう?僕は今を生きていくうえで哲学を知っているのと知らないのとでは人生の豊かさが変わってくるんじゃないかと思う。

    哲学を学ぶにあたって何からやってよいかわからなかったんだが、PHP The Business 21(4月号)という雑誌に哲学特集をやっていて、まずそれから始めようと読み始めたのが、この本ニコマコス倫理学。

    率直な感想としては全く理解できなかった。哲学はなんでこんな難しく書かれているんだろうなと思う。哲学をもっと庶民が気軽に読めるくらいのレベルまで落とせばもっと人生が豊かになるんじゃないかな。

    この本では善とは何かという問いかけから始まり、アリストテレスの考える最高善とはすなわち政治の目的であると。知性的なアレテーが経験、そして倫理的なアレテーが習慣づけである。アレテーには2種類あり、よくわからないがこれらが大事であると。

    特に上巻では中庸をしきりに重要視している。中庸とは少なすぎず、多すぎず、その中間を一番重要な価値としている。加藤嘉一さんも中庸は非常に重要な考え方とテレビでも言っているが、僕はこの中庸という考え方が受け入れられないし実行できない。なぜか、僕は中庸と中途半端を学生時代から意味を取り違えており、いまだに中庸という考え方が受け入れられない。

    下巻では愛(フィリア)や快楽について述べられている。愛とは相互応酬的な行為である、「また若者は恋愛に陥りやすい、恋愛は多くは情念的であり快楽を動機とする」というこの言葉にぐさっときたね。さらに「いま愛しているかと思えばただちにまた愛さなくなるのであって、しばしば同一日の上に変化が生ずることがある」というところに我ながら恥ずかしくなるほど当を得ているなと感心だ。

    基本的な人格、中庸や節制などこの本ではさかんに取り上げられていた。まずこの2つの価値観だけでも実践していきたいと思う。

    次の哲学書はヘーゲルの「歴史哲学講義」を読みます。

  • 下巻では悪徳の抑制、快楽、愛といったテーマについて論じられるが、上巻以上にアリストテレスの個性が鮮明に表れている。ギリシャの陽光のように明るく健康的な合理精神に貫かれており、剛毅で貴族的な香りが漂う道徳だ。奴隷制の有無という社会構造の違いもあるが、ニーチェが畜群道徳と罵倒したキリスト教の原罪を背負った陰気な内面性とは極めて対照的である。例えば快楽一般を否定するのではなく、善い活動に伴う快楽は好ましく、悪しき活動に伴う快楽が悪徳とされる。愛については有用性や快楽を求める愛よりも「人となり」そのものへの愛に高い価値がおかれはするが、愛に値するのはあくまで善き「人となり」である。ある意味で極めてエリート主義的であり、神の前の平等を前提としたキリスト教の隣人愛とは全く異質な愛と言える。

    訳文については決して読み易いとは言えないが、そんなに出来が悪いとも思えない。ただ一点だけ違和感が残るのは美を意味するκαλοs(カロス)に「うるわしい」という訳語を当てていることだ。この語のいかにも柔和で女性的な響きがアリストテレスの剛毅で男性的な思想に全く似つかわしくない。ロスの英訳ではnoble(高貴な、気高い)が当てられており、ニュアンスとしては遥かにこの方がしっくりくる。おそらくギリシャ的世界観では美醜と善悪の観念が不可分なのであろう。これは日本的な価値観と共通すると言えなくもないし、外面的な美と内面的な美を兼ねた言葉として「うるわしい」という訳語を当てたものと推察するが、辞書的な意味の対応関係を優先してニュアンスを大きく損ねた訳語選択の典型と言えよう。どうしても美の意味に拘るなら素直に「美しい」(西洋古典叢書シリーズの朴訳他)のほうがまだましである。全編に頻出する重要なキーワードだけに悔やまれる。

  • 上巻に引き続き…

    下巻では抑制や無抑制、愛や快楽、最後に総括に関する論考が収録されている。

    特に、3種類の愛(フィリア)
    「善ゆえの愛」
    「快楽ゆえの愛」
    「有用ゆえの愛」
    に対する指摘は、そのまま鵜呑みにできずとも、自己と他者のあいだに広がる空間性を平易な言葉で表現できる知性に関心させられた。少し忸怩たる思いを抱いてしまう自分もいた。まだ、私には早かったのか?

    善とはそれ自身で望まれ、欠如がないもの…

    「人間は本性的にポリス的動物である」と提唱したのはアリストテレスであり、理想的な国制と私的利益を追及する国制の対比、前者から後者へ転落する筋書きも言及されていた。参政権は男性に限られていたり、現代とは違えど民主主義を掲げていた当時のアテナイが身近だったからこそ、詳細に描けた分類なのかもしれない。

    巻末の解説では、アリストテレスに関する倫理学
    (実際に倫理に関する書物とは言えないのかもしれないが)には、大倫理学とエウデモス倫理学、そして本書があり、相互に重層する内容も含まれているようである。古典の研究は共時的にも通時的にも、計り知れない深淵があると体感。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/706518

  • 開始: 2022/6/6
    終了: 2022/6/14

    感想
    多角的な知識・視点から様々な議論が展開されている。現代で通用する議論と当時のポリス市民を念頭に置いた議論があるので注意して読む必要がある。

  • 感想は上巻に

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著者プロフィール

なし

「1997年 『天について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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