形而上学〈下〉 (岩波文庫 青 604-4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (458ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003360446

作品紹介・あらすじ

「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」という一文から始まる本書を読む者は、師プラトンの説に対するアリストテレスの激烈な批判に目を見張らされるだろう。ここには、「真理も友もともに敬愛すべきであるが、友より以上に真理を尊重するのが、敬虔な態度である」といういかにも哲学者らしい彼自身の言葉の実践があるのである。

感想・レビュー・書評

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  • [α,Α,Β,Γ,Ε,Ζ(1,3,8),Λ(6,7,9,10)]

    古代ギリシアの哲学者、プラトンの弟子にして、「万学の祖」とも称さる、アリストテレス(前384-322)による形而上学の古典。ここで展開されている存在論が、中世キリスト教世界に於ける支配的な思考枠組みたるスコラ哲学の基礎となる。

    □ 自己関係性

    或る哲学者が「人間/世界は○○である」と論述する当の哲学体系の内部に於いて、「人間のうちの一人である/世界の一部である当の哲学者が「人間/世界は○○である」と語ること」の可能性が自己正当化されていなければ、哲学体系として全く土台を欠いた不完全なものである。哲学者が哲学体系を語る(超越)という機制を、当の哲学体系が予め保証している(内在)ような、自己充足的な、その意味で自己関係的な体系でなければ、哲学体系として自己の正当性を主張することができない。

    例えば、「「純粋理性批判」の内容は是か非か」という問いが、「純粋理性批判」に則って吟味されたとき、それが理性の弁証論に於ける"純粋理性の二律背反(antinomie)"とならないことを、当の「純粋理性批判」は保証しているか/保証し得るか、そうした保証を予め自己の内に含んでいるか。もし保証し得ていないとするならば、哲学体系「純粋理性批判」は自己否定的であることになる。「純粋理性批判」自体が「純粋理性批判」の正当性を自ら否定していることになる。



    アリストテレスが展開する形而上学・存在論も、そうした観点から検証されねばならない。

    そもそもアリストテレスにとって形而上学=「第一哲学」とは、あらゆる存在者に共通であるところの「存在する」ということの第一原理=第一原因を究明する学のこととされる。アリストテレスによれば、プラトンの唱えたようにイデアが個物から分離して別の世界に存しているのではない。世界のあらゆる事物は、質料(基体)と形相(本質)の結合体(個物)であり、始動因と 個物それ自体に内在する形相因・目的因と によって可能態としての自己の内なる形相が生成・転化して、そのつど不完全ながらの現実態をとりながらも、自己に内在している形相=本質=目的の十全なる実現へと向かっていく。その運動の第一原因にしてその最終目的は、形相が完全に現実化した純粋に形相のみであるところの実体、自らはもはや如何なる質料[可能性]ももたず如何なる意味でも可能態ではないがゆえに不動の実体、自らは動くことなく他の全てを運動させる「不動の動者」=「神」=「最高善」である。

    そしてこの「神」の思惟は、「自体的な思惟」「思惟の思惟」とされ、思惟者と思惟対象とが全く同一な「純粋思惟」を為すとされる。またこの「神」は、「世界に内在する秩序そのものの原理」であると同時に「世界を超越して秩序化する原理」でもあるとされる。こうした「神」(の思惟)の在りようは自己関係的であると云える。こうしたアリストテレスの思想は、後世のヘーゲル哲学(『精神現象学』『エンチクロペディー』など)にも影響を与えていると訳者は云う。ではアリストテレスは、自己の形而上学を展開できることを、当の形而上学の内部に於いて論証できているか。ちょうどここで述べられた「神」のように、自己の思惟[当該形而上学]を対象にした思惟を展開したか、その思惟行為それ自体が自己の思惟の内に含まれるような形で。少なくとも、本書の中にはそうした観点で論じられている個所は、残念ながら無い。哲学体系に自己充足性を要求する意識が無かったのだろう。



    出隆の訳者解説ならびに訳者注は、本文の理解にとって大変助けになる充実したものだ。

  • 世界の原理とそのありようをどのような形で理解すればよいか、アリストテレスがプラトン含めた過去の説とその課題も紹介した上で自説を展開。うち下巻は「神学論(第十二巻)」が主要課題。これに加え「天体の運行」「数」「イデア」などの諸概念に関する、アリストテレスの存在論(目的論に基づく存在論)との関係性などの関しての解説。

  • 全部は読み切れん

    全体を概観するのに役立つ11巻と12巻とを読み終える。
    他の巻も時間をかければ読めそうだが、時間をかけただけの実りが、自分にとってあるかというと、微妙に思えてきた。

    アリストテレス、広過ぎる。
    しかし、アリストテレスが目的ではないのだ。

    惜しいが次へ行くべきであろう。

    もっと読みやすい訳を待つ。
    字も小さいし、厳しいわこれ

  • 第9巻から第14巻までを収めている。第9巻は可能態と現実態の話、第10巻は一と多、普遍・類、単位・尺度など。第11巻は実体・実在とこれに関係する自然学・数学・神学など。第12巻(Λ巻)がまとめである。ヘラクレイトスが主張した「万物流転」によって、実体という概念が必要になったこと、ソクラテスは主に善悪の観点から普遍的説明をもとめたが、ソクラテス自身は普遍を個物と切り離さなかったこと、プラトンのイデア論によって普遍(実体)が個物と切り離されたことなどが指摘されている。「永遠不動の理性」すなわち神が自らを思惟する「思惟の思惟」であることも、このΛ巻にでてくる。第13巻、14巻はまた数の実在やイデア論が検証されている。基本的に『形而上学』は講義の草稿であり、もともとは『自然学の後』の書物である。この書物にすっきりした体系があると思うと大まちがいである(一応「難問の巻」B巻に答えている巻もあるので体系が皆無ではない)。概要はΑ巻やΛ巻をみれば分かる。また、哲学用語辞典のΔ巻が面白い。その他はヘラクレイトスやアナクサゴラスやプロタゴラスやプラトンなどの批判と問題提起であって、同時期に書かれたものでもないため、プラトンの説に反対したり、反対しきっていなかったりと、あやふやな点も多い。とはいえ、いろいろとしつこく疑問を発する哲学的態度には啓発される所も多い。アリストテレスは難しいけど、『形而上学』ほど分かりづらいことを考えていた人ではなく、『霊魂論』などを読むともっと明快な所がある。『形而上学』からアリストテレスに入るのはやめた方がいいだろう。中世に「普遍論争」(存在するのは個物か普遍か)という大論争が起こるが『形而上学』の曖昧さが種をまいているような気がする。こんな書物をまともに解釈しようとすれば、そりゃ論争になるんである。

  • 無知な一般人が読むものではなかった…1割も理解できた気がしない…。が、時間も土地も遠く遠く隔たった人々の、科学もない時代の人々の思考実験と討論に触れる、という体験として面白かった。
    これを読破するとそれ以降、多少難しい本に当たっても「形而上学に比べれば何言ってるか分かる」ので読書が捗るようになった…気がする。
    超個人的な感想としては、世間に言う「星占い」に関して、何故人間の生活と星の位置に関係があるとされるのかがずっと不思議だったので、理屈が理解できて感動した。
    信じる気にはならないが。

  • 存在としての存在に対する学問。
    まさか一ヶ月近くも読了に時間を要するとは思わなかったが、不動の動者、可能態、現実態など、重要概念を断片的にでも把握できたので良しとする。

  • オフィス樋口Booksの記事と重複しています。記事のアドレスは次の通りです。
    http://books-officehiguchi.com/archives/4095786.html

    アリストテレス『形而上学』(上)の最初の一文は、「すべての人間は、うまれつき、知ることを欲する。」で始まる。
    トリビアの泉を見ていた人でこの一文を思い出した人はいるかもしれない。

    文庫本の訳書であるが、専門用語が多く出ているので初学者には難しいと感じるかもしれない。繰り返し読むか、関連するアリストテレスの本を読んで知識の幅を広げたい。

  • ぼくらの頭脳の鍛え方
    書斎の本棚から百冊(立花隆選)53
    哲学
    誰でもこれくらいは手に取るべき。

  • 再読。
     プラトンとかアリストテレスは、高校の頃に適当にざっと読み流して済ませてしまったのだが、近現代の哲学書もある程度読んできた現在、あらためてこれら「基本図書」を読み返してみると、どうだろう。ことに哲学書に関しては、読むことに終わりはなく、すべてを何度でも読み返し、考え直していくのが正しいやり方だ。
     
     紀元前4世紀頃に(散逸した形で)著されたこの本は、西欧哲学の起源を示す基本中の基本図書というべきものだ。近世以降のヨーロッパの思考は、アリストテレスの諸著作、特にこの本を読み解くことからスタートしたのだと言ってかまわない。いま読み返してみて、そのことを改めて痛感する。「西洋哲学」なるものの特徴的なものはこの本にすでに十全に現れている。
     ただし、こんにちの我々から見て拍子抜けするような部分もある。たとえば、「火」を元素と考えたり、「運動」の原因をさかのぼっていけば「最初に動かした者」が存在するはずだと推論したり。私たちの科学的常識や常道の論理からはちょっと離れた部分が古代哲学にはあるのだが、これは言語体系も文化も時代もまったく違うのだから、そういうところもあろう、としか言えまい。
     しかし私はやはりウィトゲンシュタインやウォーフの言うように、哲学・思想なるものは当該文化内部の言語体系に依拠しており、それに沿って概念の説明を懸命にやっているだけのように思えてならない。時代の言語体系の内側で、概念を明確化・ないし再生産すること。アリストテレスがやっているのもそういったことのように見える。
     この本でアリストテレスは智恵の使命として「ものごとの第一の原因や原理を探究すること」をうたった。
     しかしその「原因」とは何か? 哲学者の思惑とはまったく別の方向から自然科学が新たな原理を発見していくとき、哲学の意味として何が残りうるだろうか?

  • 「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」という一文から始まる本書を読む者は、師プラトンの説に対するアリストテレスの激烈な批判に目を見張らされるだろう。ここには、「真理も友もともに敬愛すべきであるが、友より以上に真理を尊重するのが、敬虔な態度である」といういかにも哲学者らしい彼自身の言葉の実践があるのである。

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著者プロフィール

なし

「1997年 『天について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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