エピクロス 教説と手紙 (岩波文庫 青606-1)

  • 岩波書店 (1959年4月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784003360613

みんなの感想まとめ

静かな「快」と「自己充足」を重視する生き方を提唱するこの作品は、エピクロスの哲学を通じて、現代における価値観を問い直す機会を提供します。派手な成功や他者からの承認を求めず、心の平穏を追求する姿勢は、読...

感想・レビュー・書評

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  • ずっと無意識に無意味にメンヘラ哲学者ばかり触れてたから、精神への危うさを感じ、全体的にに前向きでパワフルなギリシア哲学の中から適当に選んで読んでみました。

    エピクロスは、快楽という、刺激的なことをテーマに教説と手紙を説いていました。過激さなどの想像とは裏腹に、ゆるやかでシンプルで平穏な考えを持っていました。

    欲望も贅沢をして快楽を得ることは悪いことではないです。しかし、基本シンプルに友情を大切に健康に平穏に目立たず生きることが「快」だと説明していました。でも極端を嫌います。欲を捨てシンプルを極めすぎれば苦しみます。たまに、スパイスでちょっと贅沢をしたり楽しむことより良くなるでしょう。

    【メモ】
    ストア派
    →禁欲主義
    エピクロス派
    →快楽主義

    人間の欲望
    →無益なもの
    →自然なもの

    無益な欲望
    →富名声権力といった世俗的な欲望のこと
    →完全に人を満足させてくれることはない
    →まるで海水を飲むようにどれだけ満たされてもまだ足りないまだ足りないと渇きを与えるような飽くなき欲望

    自然な欲望
    →人間にとって無益ではない欲望
    →必須なもの/必須ではないものと分類できる

    自然ではあるが「必須ではない欲望」
    →豪華な食事、豪邸、異性との官能的な欲望。いわゆる贅沢。
    →それ自体は悪いものではない
    →これよりももっと人間にとって自然で必須な欲望があるのでそちらに目を向けるべき

    自然で「必須な欲望」
    →衣食住、友人、健康
    →自分の身の丈にあった衣類、食事。自分のライフスタイルにあった住居で一緒にいて楽な友達。痛みもだるさもない健康的な身体。こういったものが人間が真にこだわるべき。
    →つまり、人間を快の状態に導く欲望。

    快の定義
    →我々の意味する快というのは、道楽者の「快」でもなければ、静的な享楽のうちに存ずる「快」でもない。
    →「肉体において苦しみのないこと」:体が健康であること
    →「霊魂において乱されないこと」:心が穏やかであること

    アポニア
    →肉体的な苦しみがない状態
    アタラクシア
    →精神的な苦しみがない状態

    アポニアとアタラクシアがあることで、
    人間に精神的な快楽をもたらす理想的な状態

    快と付き合うための注意点
    →快は第一の生まれながらの善である
    →しかしどんな快でもかまわずに選ぶべきではない
    →なぜならその快がその快自体の何倍もの患いを我々にもたらす可能性があるからだ
    →これと同様にどんな苦しみも避けるべきとは限らない
    →我々はそれらを図り比べ利益と損失を考えることによって全ての悩みと苦しみを判別しなければならないのである

    実践するため
    「思慮」「自己充足」が大事

    思慮
    →思慮とは、最大の善である
    →思慮深く、美しく、正しく生きること
    →それなしに人は快く生きることができない
    →また快く生きるということのない人は思慮深く、美しく、正しく生きることができない

    自己充足
    →足るを知る
    →自分の中で、これで十分満足だと分相応のところで線を引き、それ以上のことを求めないこと
    →自己充足は我々は大きな善と考えている
    →つまり贅沢をもっとも必要としない人間こそがもっとも快く贅沢を楽しむのだ
    →パンも水も最上の快が、その人に与えられるのである。質素な食事に慣れておくと、人間は健康になれる。生活する上でやるべき仕事にもためらわずに向かうことができる
    →そして、たまにする贅沢な食事も心から楽しむことができる
    →自己充足が我々に与えてくれる最大の果実。それは「自由」なのだ

    隠れて生きよ
    →全生涯の祝福を得るために、知恵が手に入れるものどものうち、友情の所有こそが分けても最大のものである。

  • 「隠れて、生きよ」
    「自己充足は、あらゆる富のうちの最大のものである」

    エピクロスが教えてくれるのは、いわば「低空飛行」な生き方。派手な成功とか、他者からの承認とかはいらない。苦痛がなく、心が乱されない「アタラクシア」の状態にあること。その静かな「快」こそが大事である、と。

    原子論のあたりは難しすぎて思考回路がショートしたので飛ばした。すまん。

    再読します。。。

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    著書は多かったが消失し残ったのは下記だけ
    へロドトス (弟子)宛の手紙
    ペトクレス宛の手紙
    メノイケウス宛の手紙→重要
    主要教説(友情ほど価値があるものはない)
    断片

    《エピクロス》
    BC341~270年サモス島生まれ
    父は読み書きの教師
    18才アテナイに上京、その頃アレクサンドロス大王の死でギリシャ全土で反乱
    その反乱に駆り出される
    自由を奪われ亡命生活
    BC307頃、弟子と共にアテナイへ移り共同生活で哲学に没頭
    弟子の家族や奴隷たちにも参加する機会を与えていた

    《メノイケウス宛の手紙》
    ・人間の快楽こそが善、人生の目的
    快の定義は、肉体において苦しみがないことと、霊魂において乱されないこと
    つまり暴飲暴食や酒池肉林ではなく、健康で体調が良くて、心が穏やかであるとイメージ

    ・キーワード 思慮と自己充足
    思慮
    運や偶然でうまくいくこともあるし、考え抜いても失敗することもある
    結果はどうあれ、どちらが正しく美しい生き方かと言えばよく考えぬいた方である
    自己充足
    足るを知るという考え方

    《感想》
    現代人より人間に特化したことばかり考え、人間の真髄を捉えていたことに感銘を受けた
    好きなだけ勉学し、本を読み、それを仲間と語り共有する日常はある意味羨ましい

  • 欲望の分類は共感。

  • ディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者伝」の抜粋を中心に断片なども合わせ、エピクロスの現存する著作を集めた本。何の説明も解説もなく著作の訳から始まるので、なかなか硬派。
    「ピュトクレス宛の手紙」では自然現象についていろいろ書いてあって、地震は風が起こすもの、みたいなとんでもなことも書いてあるけど、露の生じ方など意外と正しいことも書いてあってびっくりする。原子という考え方を導入していることもそうだけど…。
    「ヘレニズム哲学」で主要な教えを予習していたけど、弟子との親しい交流の様子が垣間見える断片集が面白かった。自分の死を恐れないのがエピクロスの教えだが、友人の死も「悲嘆によってではなく、追想によって、共感を寄せようではないか」というのが良いなと思った。

  • エピキュリアンの語源となった、エピクロスの思想を手紙と教説を提示している書。
     エピキュリアンは酒池肉林を愛する快楽主義者といわれるが、エピクロスの思想自体は、飢餓などの最低限の不快を克服することを快として、神の意志が人間の行く末を決定することを否定し、人が自らよって立つことを目的としていた。
     古代ギリシャの哲学は、森羅万象を読み解くことを目的としている。そのためいわゆる人間の生き方を解いた哲学だけでなく、原子の動きから様々な自然現象までを解説している。我々の知っている物理法則とは異なる(間違った)法則を解説されるのはちょっと辛いが、そこを経てこそ前述の思想が深く理解できる。
     倫理/生き方の考え方は、菜根譚の中庸に通じるところがあると思う。

  • 原子論について、顕微鏡もない時代にかなり差し迫った考察をしているのがすごい。

    倫理学については、功利主義にかなり近く、JSミルは間違いなくエピクロスの影響を受けているだろう。

    エピクロスは、身体の健康と心境の平静(=アタラクシア)を生の目的とすることを説いている。
    快楽主義者で放蕩生活を良しとしているかのような誤った言説が跋扈しているので、原典にあたることの重要性を身にしみて感じた。

  • 肉体に苦しみがなく、霊魂において平静である。それで十分充たされている。快とは道楽者の快でも、性的な享楽にある快でもない。われにパンと水さえあれば、神と幸福を競うことができる。われわれが快楽を必要とするのは、ほかでもない、現に快楽がないために苦痛を感じている場合なのであって、苦痛がない時、我々はもう快楽を必要としない。

    人間の死は単なる原子の離散であり、苦痛も離散する。死の苦痛はない。死を恐れる必要はない。死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い。

  • ルクレティウスの本に感動して、デモクリトスまで遡って、エピクロスへ。
    エピクロス、素晴らしい。

    ルクレティウスの本が「大摘要」に基づいたとされており、「ヘロドトス宛の手紙」は、その要約というか、「小摘要」と呼ばれてたものである。
    簡潔にまとまってて良い。でも、ルクレティウスで「大摘要」に触れてから読むのが良いかもしれない。
    まぁ、ルクレティウスから入ったので、内容的にはおおよそ知っているものである。

    感動したのは、「ピュトクレス宛の手紙」。

    自然研究の目的とは?心境の平静と、確固たる自信のため。

    その方法とは?人間の感覚を信じ、同時に、人間に観察可能なことと観察不可能なものがいずれであるかを研究し、全てを単一に説明できるなどと思わず、いくつかの可能性からひとつを選ぶのではなく、いくつかの考えが見出される、ということを認めるということ。

    この方法がヤバい。
    これが懐疑主義にも繋がってしまうのだが、プラトンやアリストテレスへのアンチテーゼとしてこれほどのものがあるだろうか。

    ただ一つの真実を解き明かそうということが目的であったプラトンやアリストテレスに対し、心の平静を目的としたことによって、この境地がうまれる

    古事記と日本書紀の編集方法の差なんかを思い出す

    心の平静、アタラクシアをこそ目指す。そのために世界を原子論でとき、死後の不安などをなくす。
    四苦から逃れることを目指した仏教とも共有できる部分がありそうである。

    いやぁ、驚いた。
    エピクロス!素晴らしい!!


    2018.12.25.
    松岡正剛の「遊」にエピクロスが言及されてることを、これまた「千夜千冊」のエピクロスの夜で発見して、久々に読み直す。
    驚いた。当時の僕を驚かせたいくつかの考えや、エピクロスを読みながら既視感に陥っていたいくつかの言葉にはここで出会っていたのだ。
    2018年、哲学史を読んで琴線に触れ、たまたま中野のブックファーストで出会ったルクレティウスに導かれたエピクロスが、ここに円環してたものだったとは。

  • 2300年前のギリシャの哲学者エピクロスによる説教。

    自然論から始まり、科学がこれほど発展していない当時の世界で、原子や宇宙の構造をこれほど深く思考していたのかと考えると、鼻血が出るほど興奮した。

    そして、快楽主義者と揶揄されるエピクロスだが、実際には全く違う価値観だということが分かった。彼云く、人間の苦しみには際限がなく、快には限度があると。お腹がすいておらず、乾いておらず、寒くない。この三つがあれば人間は最大まで快楽に浸れる。逆にお金がありすぎて色々なものに煩わされるほうが人は苦しみ続けることになる。質素な生活にも幸福を感じて、苦しみから逃れよと説く。

    どこぞの宗教みたいな哲学だが、これも2300年前の人物が考えていたと思うと大興奮である。快楽主義者と誤解されてきたエピクロスの言葉。

    「性交が人の利益となることはなく、もしそれが害を加えなかったならばそれだけで満足すべきである」

    実際これは真理な気がしてしまう。

  • 「エピクロスの生涯と教説」これが興味深かった。2300年前の人々が子供じみた嫉妬に、囚われていた事を想像させる。いや、現代と変わらないか。
    人類の成長程度を、感じることの出来る書。
    短くて手頃。

  • 残っているエピクロスの著作の寄せ集め。

    快を人生の目的の第一に考え、
    原子論を中心とした形而上学を展開している。

    プラトンのアカデメイア学派、アリストテレスの逍遥学派、
    ゼノンのストア派と並ぶ四大学派のひとつだったらしい。

    自然学・形而上学は現代人から見れば昔の人の考えていたこととして、
    上から目線で眺めてしまうが、古代なのに鋭い見方をしていたことに驚く。

    快楽主義として誤解されてしまったらしいが、
    「思慮深く美しく正しく生きることなしに快く生きられない」
    と言う言説は我々が想像する快楽主義とは真逆の考えであり、
    そして死は原子への分解であり、原子は感覚を持たないとしており、
    死後の世界云々という話を展開しないのにも驚く。
    快楽主義ではなく現実主義・個人主義ではないか。
    解説を見る限り他派と激しく攻撃し合っていたらしく、
    その悪評が原因でそうなってしまったのかも知れない。
    エピクロス主義は早すぎた思想だったのだろう。

  • プラトンの創設したアカデメイアでも学んだエピクロス。

    エピクロスはそこから独自の哲学を展開し、
    プラトンやアリストテレスとは異なる思想を打ち出している。

    非常に多作であったと言われるエピクロスの著作は今やほとんど失われており、現存するほぼ全著書がこの本には収録されている。

    翻って、
    同じアカデメイアで学んだアリストテレスの著作は、何故に現在もこれほどまでに現存しているのか?

    当時はエピクロスもアリストテレス同様、時の人であったような印象を受けるが、
    同じぐらい著名であったとするならば、なぜ残った著書の量に差が生じたのか?

    しかもエピクロスは300を超える著作を巻物で書いたにも関わらず。


    その最大の理由は、
    学校をつくったからだろう。

    アリストテレスは、
    リュケイオンという学校を創設し、アリストテレス哲学が体系的に組織の中で残る素地をつくった。

    きちんとした組織を作りまた世界中からそれを学びに人がやってくるので、その学びも後世に残りやすかったのだろう。

    中身の違い以上に、
    保存される環境にあったかどうかが残るか消滅するかの最大の鍵であったように思える。


    エピクロスの哲学の内容的には、
    プラトンの「哲学する生き方」に、
    さらに「自己充足」として、個人にフォーカスがあたり、社会情勢に関わらず、自身の内に充足を得られるような生き方を哲学することに重きが向けられる。

    それはマケドニアによって、ギリシャポリスが崩壊し、ついにソクラテスの時代から衰えていったギリシャが事実上の崩壊をまざまざと見ることで、生まれてきた哲学なのだろう。


    エピクロスの哲学が、
    エピクロスの哲学として生まれた理由が、
    エピクロスの生きた時代背景を知るとよくわかる。

  • エピクロスの現存するテキストをすべて集めた本.
    最初にあるのは彼の哲学を要約した三つの手紙.
    最初の二つは自然学と天界・気象界に関する手紙で,われわれがもつ現代の自然観とあまりにかけ離れているし,誤った仮定からはどんなに緻密な思考をしようとも,正しい演繹は得られないので,哲学史をやっている人以外にはあまり意味のあるものではない.
    三番目の手紙は倫理に関するもので,これは現代人にとっても十分読む価値がある.死の恐怖から逃れ平静な心を保つ方法が語られる.わずか10ページ.これを大きな字でやさしい言葉で書けば,現代にも通じる生き方指南本が一冊出来上がる.

  • 父が病床で残したメモにエピクロスの言葉が書いてあった。
    人生の目的は心の平安である、と。
    どんぴしゃりでは書いてなかったけど、「正しい人は、最も平静な心境にある、これに反し、不正な人は極度の動揺に満ちている」とか、「われわれは、人生の真実の目的(肉体において苦しみがなく、心境において平静なこと)と、…」といったことが散見される。
    肉体においてはおそらく大変な苦しみを抱えてたのであろう時に、せめて心境の部分にフォーカスしてたのかなぁ。しんどかったね、お父さん。

  • 快楽主義と言われた哲学を提示したエピクロスのテクスト集。彼の原子論をまとめたヘロドトス宛の手紙や現在の科学をするうえでの方法的思想があるように思えるし、断想的な教えは現在の生活においても通じるものがある。

    この思想がガッサンディなどの経験論者にも影響を与えており、近代の西欧思想の一つの枢軸となってもいる。

  • 「飢えないこと、乾かないこと、寒くないこと、これが肉体の要求である。これらを所有したいと望んで所有するに至れば、その人は、幸福にかけてはゼウスとさえ競いうるであろう。」「質素にも限度がある。その限度を無視する人は、過度のぜいたくのために誤つ人と同じような目にあう。」物があるなら愉しめばよい。無ければ無いでも幸福だ。世間に煩わされず心の平穏を目指すという意味では荘子や仏陀に近いが、こちらはやや世俗的で大乗的。本来の意味でのエピキュリアンで有りたいものです。
    紀元前に思索一つでたどり着いた原子論もすごい。

  • この手の本(ちょっと小難しそう)は読みきれるか心配だったが、とても読みやすかった。注釈を順番通りに丁寧に読むとより理解しやすい。

    肉体に苦しみがないこと、心境の平静こそが真の快であり、生きる目的とした哲学を展開。国事を避け、自ら庭園学校を築き、仲間と隠れて生きた。

    エピクロスの残した言葉のなかに「人の賞賛を勝ちうるよりも、私は誰にも理解されずとも、自然の研究に携わり、すべての人類に役立つことを語ろう」といった趣旨の言葉を残している。

    飢えないこと、渇かないこと、寒くないこと。肉体の欲求が満たされているに満足して(そのうえで無駄な欲望を抱くのではなく)プラスアファ何をするかという前向きなニュアンスを感じた。

    エピクロスの前向きに一歩引く姿勢は、大いに取り入れたい。

  • 若い頃読んだ本の振り返りシリーズ。
     ただし、本当に読んだのではない。読む前に、快楽主義という後世の人が付けた分類のイメージに邪魔されて、読むに至っていなかった。快楽を求めるというのは、いかにも堕落的で、これが興味があると自分で思うことも憚った。若い自分は視野が狭く暗かったなあ。
     快楽と言っているのは、自分のポリシーやそれを純粋に突き詰めて生活することである。ストア派では、道徳や人の役に立つと言った客観的な価値を拠り所にして、自分の目標を設定して実施するが、エピクロスでは、自分の感覚や信念に忠実であるところから出発する。若い頃は、ストアの目標を設定しろ、あるいは目標に邁進しろというのが嫌いで、なんとなくエピクロスに惹かれていた。目標なんてわからないし、変わるものだ。
     この見方からすると、エピクロスは現代の寵児となりうる。ティール型の組織管理はどうだ。アジャイル型のプロジェクトマネジメントはどうだ。他人と折り合いをつける必要があったときに、エピクロスは「隠れて生きよ」というが、ティールやアジャイルはフラットなコミュニケーションをせよという。とはいえ、考えの異なる人間とコミュニケーションするのはストレスである。上手に隠れるほうが長生きできるかもしれない。10代の頃から思ってきたこと、近頃思っていること、そしてギリシャの古典が、少しだけだが繋がって見えるようになった。

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