生の短さについて 他二篇 (岩波文庫 青607-1)

  • 岩波書店 (2010年3月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (300ページ) / ISBN・EAN: 9784003360712

みんなの感想まとめ

人生の短さや幸福について深く考察する本書は、ストア派の哲人セネカが約2000年前に綴った人生論を通じて、現代人にも共鳴するメッセージを伝えています。セネカは、時間を無駄に浪費することが人生を短く感じさ...

感想・レビュー・書評

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  • 以前「限りある時間の使い方」という本を読んだ。人生には限られた時間しかないということを受け入れなければならないという内容だった。約2000年前の賢人セネカはこの問題についてどう考えていたのだろうか?

    パウリーヌスという、セネカの親戚?への手紙として書かれている。

    人生は短いと思われているが、これは人生を無駄に浪費しているからで、実際は、何かを成し遂げるには十分な時間があるということだ。最も無駄なのは、他人のために苦労をすることだから、自分のために時間を使いなさいと説いている。

    やや賛同しかねるところもあるが、いかに生きるべきかという問題について、知識が得られる良い本だった。

    光文社古典新訳文庫版も読んだが、そちらの方が自分には読みやすくわかりやすかった。

  • ブクログで見かけて気になったので購入。

    セネカは古代ローマ時代の哲学者。高校世界史で学んだのが懐かしい。

    本書は「生の短さについて」「心の平静について」「幸福な生について」の3篇で構成される。それぞれリンクする部分が多く、内容の重複感は否めない。あと、多くのローマ人が引用されるけど知らない人ばかり…w

    それでも、案外楽しく読めた自分がいた。文章から感じるセネカの印象は「気の良い、物知りおじいさん」と言った感じw

    さすがに読みにくさは否めないけど、そこはむしろ古代ローマの書籍を日本語で読めることに感謝するべきかな。

    以下、各エッセイの所感。

    表題作の「生の短さについて」。

    「人生は浪費すれば短いけど、十分に活用すれば長い」というのは、本当にそのとおりだと思う。

    過去を振り返ることは、平静な精神を持ったものの特権、という過去観も面白い。

    静謐を生きていない人は、余暇が怖い。だから、酒と欲望に溺れて「時を短くする」。という説明には、どこかドキリとくるものがあった。

    宴にうつつを抜かしすぎるローマ人を憂いたり、その悪習はギリシャ人のものだと言ったり、そのヤレヤレ感になんだか愛くるしさを感じてしまったw

    次に「心の平静について」。

    人生は無から始まり、無に終わる。我々は何も所有しないし、所有されるべきではない。いま持っているものはいつ無くなっても構わない。そんな思考は、あらゆる悩みが吹き飛ぶようでとても良かった

    それでも、時たま酒に狂うのも悪くはない、と説くのは遊びがあっていいね。「正気の人間が詩作の門を叩いてもむだ」というプラトンの引用は直球過ぎて笑えた。

    孤独のみを推奨せず、社交の時間も大切であると書かれる。「孤独は群衆への嫌悪を、群衆は孤独への倦怠を癒やしてくれる。」というのはバランスが取れていて共感できる。

    人生の目標について、難しすぎずなんとか達成できるものが望ましいとあり、現実味があってよい。

    最後に「幸福な生について」。

    倦怠を遠ざけるために日々の実務に注力することが推奨される。置かれた場所で咲く的な考えは、実があってとても好き。

    (書評ブログの方も宜しくお願いします)
    https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%A1%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%88_%E7%94%9F%E3%81%AE%E7%9F%AD%E3%81%95%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6_%E3%82%BB%E3%83%8D%E3%82%AB

  • ストア派の哲人、セネカによる人生論幸福論。表題「生の短さについて」「心の平静について」「幸福な生について」の3篇からなる。
    幸福に生きるための人生ガイドのような感じかな。ただしストア哲学的な幸福を享受するには理性に基づいた、だいぶストイックな生き方をしなくてはならないことにはなるが、それでも理性に従わない生き方がいかに不幸であるかということを例を上げながら滔々と語られると「なるほど確かにそうかも」と思わせる説得力がある。さすが哲人。

    哲学(倫理学)の書だからとか岩波だからとかで構えてしまうかもしれないが、中身は拍子抜けするくらい難しくない。哲学的理論を実践に落とし、どのように行動すべきかについてを我々に諭してくれている。
    何より面白いのは、2000年前に書かれた本書の人生訓について身につまされるところである。なんというか、人間2000年経ってもほとんど学習しないんだなっていうことが非常によくわかる。物心ともに満たされた社会にあると、多くの人が放蕩する。そして少数の人がそれを諌める。その勢力図は2000年経っても変わらない。
    未来を変えるっていうのは、いかに難しいかっていうことを合わせて本書は知らしめてくれているように思える。理性のレベルを変革させるっていうのは、ダーウィン並の進化が必要なのではないかという気の遠くなるような思いすらする。

    まあそれはともかく、ストア派の思想は多くのビジネスリーダーにも支持されているので野心ある若者はぜひ一読しておくことをおすすめしたい。
    人生の段階によっても、読み方が変わるんじゃないかな。20代はきっと「無理だよこんな生き方つまんないもん」って感じると思う。でも40代以降は「あーそうそう。そうなんだ。残りの人生こんなふうに追っていきたいんだ」って感じる人が多いはず。

  • 光文社古典新訳文庫がよかったから岩波も借りてきた!他2篇の1つだけがそれぞれ違います。
    素晴らしいものは何回読んでもいいなぁ〜!!

    目標を持つことって大事だけど見合ってなかったり、それゆえ達成できず自分はダメだ…みたいな人をよく見かける。今も2000年前も人間って変わってないから一回みんな読んだ方がいいね〜
    どうしたらよく生きることができるかわかるし、解説にもあるように何かを学ばずには読み終えられない一冊!!

    それぞれ誰かに向けての形式なんだけど、だんだん相手と読み手である自分が同化してきて、セネカが自分に向けて語りかけてくるように感じられる!だからこそより一層学べる感じがするぞい!

    富(といっても私にとってのちっこい富笑)でお高いバッグ買おうかなと血迷ってたけど、さらに愚者極めることになるのでやめます!バッグに支配されないぞーー!!

    素晴らしいことに変わりはないのだが註釈がたくさんある上逐一ページをいったりきたりする必要があるのが大変だったので星4!!



    【以下お気に入りメモ】

    77 心の平静について
    よくない状態にいる原因:自己嫌悪!!
    なぜそうなる?→心の平衡の欠如・臆病な欲望・完全に満たされない欲望。望むだけのことを思い切って出来なかった/達成できなかったりして、全てを希望に託すこと。
    こういう人間は常に不安定で流動的だが、何事も中途半端な者の必然的な結果。
    自らの願いを達成しようとして不名誉なことや困難なことも自らに強いるが、苦労が報われなければ恥辱感に苛まれ、歪んだものを望んだことを嘆くのではなく望みが徒労に終わったことを嘆く。
    そうして挫折した目論見への後悔の念も、新たな目標に着手することは恐れて出来ず、かと言って欲望を自制したり満足することもできず、出口を見出せない心の動揺や思い通りにいかない生への躊躇で無気力になっていく。

    107:立派に死ぬ術をしろう!!すげー!!

    112:出来ないことを達成したいと望むことはよくない。ことが成就しなかったり、たとえ成就してもそれを恥じる場合、悲哀が生まれるのでそれらも良くない。

    ↑本当それすぎ〜。年始にバカ高く抽象的な目標立ててる人とか大丈夫なの?って思ってる。目標は小さく現実的に細かく具体的に立てた方が精神にいいよね。たとえば本5冊読む!それ達成したら10冊読む!とか…

    190 富は悪いのか?について
    富は賢者にあっては所有者である賢者に隷属するが、愚者にあっては所有者である愚者を支配する!賢者は富に何の権利も求めないが、愚者にとっては富が全て!富に縋り付いてしまう!!
    賢者は富の中にある時こそ貧窮に思いを致す。賢者は今あるものに喜びを見出す。

    ↑すげー!!今ちょっと物欲が減った気がする!
    物欲がない友達、賢者に近いのかもしれん!笑

  • 生の短さについて、幸福な生について、心の平静について、の三篇である。マルクス・アウレリウスの自省録と同様セネカも、快楽や欲望に溺れたり、こだわり過ぎないように説いている。人間は無から生まれて無に還っていく。従って、その間に得られたものや失ったものは全て重要なものではないとする。共感する。

    また、他人の行状を非難したり気に病むような時間の余裕はないとも言っている。セネカの時代から、人は時間の大切さを知らず、あたかも永遠に人生が続くかのように日々を無為に過ごしていたようだ。多忙の中に身を置く中で、本当に大切なものを見失い、老いてからそれを嘆いていたようだ。まさしく現代人と同じである。アウグストゥスのような人物でさえ、日々の仕事に忙殺され、余暇を求めていたようだ。

    私達は普段「自分の人生」「自分の時間」を生きているのだろうか?それとも、誰かの人生、誰かの時間を生きているのだろうか?もし自分の人生を生きていないなら、それは不幸なことだとセネカは説く。仕事に縛られ、忙殺された人生ではなく、自分の精神を、心から為したいことに向けよと言う。自分という船の舵取りをせよということだろう。こちらも、大いに共感できる。

    人生は短い。にもかかわらず、現代人は様々なものに縛られてばかりである。過度に情報化された社会の中で「かくあらねばならない」という妄想にとりつかれている。私はその縛りから解放されて、自分の心を知り、それに従った人生を送りたい。そう思った。

  • 読む前は、人生を1日に例えると、睡眠7時間、食事1時間、仕事10時間 
    残り6時間が人生という感覚だったが、本書を読んで、その6時間さえも自分だけの時間か?という問いが投げかけられていた。「誰かの為に時間を簡単にあげてしまう。」「怠惰な多忙」「無益な研究」時間の落とし穴を避けて通った自分の1日の人生の時間は、休日でも1時間あるか、無いかだと感じた。
    また時間を過去、現在、未来に分類した時、「現在は過ぎ去るのに短く」「遠い未来に煩わされる」などの警句から、過去を振り返る重要性を再確認しました。
    「人生一度きり」貴重な自分だけの時間を大切に過ごしていきます。

  • 善く生きれば人生は短くないと説く短い本。
    セネカと言えば、ローマ帝政の初期の哲学者で、イエス・キ1とほぼ同時代を生きた人です。そのセネカが書いたのがこの本で、人生は短いと嘆く多くの人達に対して、「われわれは、短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大な事をも完成できるほど豊富に与えられている」と説いています。

    これは、2000年前のローマの時代の言葉ですが、現代でも十分に通用します。仕事と遊びが繰り返す毎日を送り、いつの間にか季節が巡り、年を取った自分が一体何をしてきたのだろうと思うことがあります。こんな疑問が湧くこと自体が、時間を浪費している証拠なのかもしれません。今からでも遅くないので、セネカの言葉に従って、充実した毎日を送りたいものです。

    ちなみにセネカは、皇帝ネロに自殺を命じられます。
    自分自身の運命を予期していたからこそ、自分の大事な時間を善く生きたいと願っていたのかもしれません。

  • ストア派哲学者による名著
    文体が硬く、少々読みづらいが、「時間」「幸福」「徳」「快楽」など
    人類普遍のテーマについて取り扱っている

    セネカの考え方は少々ストイックで高次元なので
    堕落した(セネカから見れば)現代の価値観には所々馴染まない
    断定口調の道徳の授業を聞いている気分になった

    それでも、この本を繰り返し読むことで、
    より高次な生にしていければ、と思う

    にしても、哲学者が病むのはよく分かる
    人生や幸福とは究極的に答えがない問いだから、考えるのは大変な労苦を伴う

    ●生の短さについて
    セネカは時間を浪費する人を手厳しく批判する
    それは、怠惰な人だけでなく、忙しい人も対象に入っている
    生に向き合う閑暇の時間を取れていないのは、死んでいるも同然と。

    ということは、私は大部分の時間死んでいた?と省みざるを得ない

    ●幸福な生について
    セネカは徳を最高善と据え、それらを目標にすべきと説く。
    そして、快楽は徳とは正反対の位置にあり、快楽に支配されてはならない。

    これは富にも応用される考え方であり、富に支配される人生は送ってはならない
    富に支配されるのではなく、富を利用し、最高善に近づくべきである

  • 全体的に冗長な文章に思えたが、この本を理解するには私の想像力が乏しいのかもしれない。

    理由はわからないが私は高校生の頃から"時間は有限である"という概念に囚われて続けており、これまで何かと忙しない人生を送ってきた。
    そうして過ごした時間の中には当然浪費も含まれていたであろう。

    ここ数年で自分自身と向き合う時間が増えたことで、時間を浪費するとはどういうことなのか、体感的に理解できるようになった気がしている。
    モラトリアム期間である学生時代にこのことに気づけたのは幸甚の至りである。

    人生100年時代とはいえ、明日どうなるかはわからない。
    見えない未来を恐れて忙しく生きる必要は無いけれど、忙しく生きるのであれば自分の心に正直になることは心に留めておきたい。

    ✏ひとはだれしも、未来への希望と、現在への嫌悪につき動かされながら、自分の人生を生き急ぐのだ。 しかし、すべての時間を自分のためだけに使う人、毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。というのも、[未来の]ひとときが、彼にどんな新しい楽しみを与えうるというのか。彼は、すべてを知りつくし、すべてを十分に味わっているのだ。

    ✏ところが、先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは、未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。

    ✏生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。あなたは、運命の手の中にあるものを計画し、自分の手の中にあるものを取り逃がしてしまう。

  • 「生の短さについて」と「心の平静について」の2本立てで構成。

    ・人間は多くの時間を浪費する
    ・人間の生は、全体を立派に活用すれば十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている
    ・生は浪費すれば短く、活用すれば長い
    ・偉人の特性は、自分の時間が寸刻たりともかすめとられるのを許さないこと。どれほど短かろうと、自由になる時間を自分のためにのみ使うからこそ、彼らの生は誰よりも長い。
    ・彼らは寸刻たりとも他人の支配に委ねられる時間はなかった。時を誰よりも惜しむ時の番人として、自分の時間と交換してもよいと思う価値のあるものは、彼らには何も見出せなかった。
    ・自分の生の多くの時間を人に奪い取られる者が生を不足とするのは理の当然
    ・何かに忙殺される人間には何事も立派に遂行できないという事実
    ・誰もが現在あるものに倦怠感を覚えて生を先へ先へと急がせ、未来への憧れにあくせくするのである。
    ・だが時間を残らず自分の用のためにだけ使い、一日一日を、あたかも最後の日でもあるかのように管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐ることもない。
    ・未来のことは、時の運に決めさせればよい
    ・これ見よがしの見栄を排除し、装飾性ではなく実用性をもって物の価値を測ることに慣れよう。
    ・自然は我々人間に、災難の緩和剤として「慣れ」を見つけ出してくれ、耐えがたいほど過酷な艱難もすぐに馴染みになるように導いてくれる。

    【幸福な生について】
    ・まず自分の求めるものが何かを措定する。次に周囲をよく見渡し、どの道をたどれば目的地に最も早く到着できるかを見て取る。
    ・どこを目指して進んでいくのか、どの道を辿るのかも決めなくてはならない。
    ・人生の旅は、最もよく踏みならされ、最も従来の激しい道こそ、最も人を欺く道である。
    ・だから何よりも肝要とすべきは、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないこと。
    ・群衆が殺到し、押し合いへし合いするとき、折り重なる人の山が出来る
    ・幸福な人とは、理性の恩恵によって欲望を覚えず、恐れを抱かない人。
    ・幸福な人とは、現在あるもので満ち足りている人、今ある自らの所有物を愛してる人。

  • 1年生の終わりに読んだことを思い出し、過去の自分に向けてレビューを書いてみた。(本書の主張との整合性は確認していない。)
    授業にバイトにサークルにと忙しく過ごしていたものの、どこか虚しく何も楽しくない時に全てを止める勇気をくれた一冊。

    -------
    文字通り、忙しさに殺されてはならない。
    それは流された環境において、自分以外のものとのしがらみに囚われ、身に降りかかる物事を受動的にこなすだけの日常に時間を奪われていることを示すからである。

    生殺与奪の権を日常に握らせるな。
    日常から時間という名の生を奪還せよ。

    ”思考”を重ね自分のために生きれば、日々はドラスティックに変貌し、そこに日常など存在し得ない。
    大元の思考を大切にするためには、常に余裕をもつことが大事である。
    自分と向き合う時間を何よりも大切にしろ。

    余裕を身に纏え。
    --------

  • SNSで見かけて気になったので読んでみた。
    本書には『生の短さについて』『心の平静について』『幸福な生について』の三篇が収録されている。
    このような哲学書を読むのは初めてだったが、思ったよりも読みやすくて驚いた。
    時間はかかったものの、最後まで読みきることができた。
    全てを理解できたとは言えないが、ストイックな自己啓発書のような読み心地で、サッパリした文章を読むのが楽しかった。
    しかし著者と自分の間に時間が空いているため、現代の自己啓発書のようなプレッシャーは感じなかった。
    いい意味で、好きなところを選んでいくことができる。

    言い回しがかっこよく、痺れた箇所がいくつもあった。
    訳者による『解説』は内容を理解する助けとなったので、ぜひ読んでほしい。

    三篇とも献呈相手への呼びかけで始まり、会話をしているかのような文章で進んでいく。
    その形式で読んでいくと、だんだんセネカと自分との会話になっていき、最終的には自分と自分との会話のような感覚になっていった。
    こうした形式だったからこそ、初心者の私でも読み進められたのかもしれない。

    タイムマシンで現代に飛んできたことがあるのでは?と思うくらい、現代の私たちと共通する部分があり、「今と何も変わらないなぁ」と感じることが多々あった。
    人間が抱える普遍的な悩みや葛藤について考える良い機会になった。
    そして、「今の自分の苦しみは、自分が特別劣っているせいではなく、人間ならば誰でも抱くものなのだ」と思えた。
    同じようなことを抱えていた人が過去にもいたのだという事実は、時に私たちを励ましてくれる。

    以下に、特に印象に残った箇所を引用する。

    .

    人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている。しかし、生が浪費と不注意によっていたずらに流れ、いかなる善きことにも費やされないとき、畢竟、われわれは必然性に強いられ、過ぎ行くと悟らなかった生がすでに過ぎ去ってしまったことに否応なく気づかされる。われわれの享(う)ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する、それが真相なのだ。
    (P12『生の短さについて』)

    君たちの生は、たとえそれが千年以上続くとしても、必ずやきわめてわずかな期間に短縮されるに違いない。君たちのそうした悪習がどの世紀をもことごとく食らい尽くしてしまうからである。実際、生のこの期間は、自然のままに放置すれば足早に過ぎ去り、理性を用いれば長くすることのできるものであるが、君たちから逃げ去るのは必然である。なぜなら、君たちはそれをつかまえようとも、引きとめようともせず、「時」という、万物の中で最も足早に過ぎ去るものの歩みを遅らせようともせずに、あたかも余分にあるもの、再び手に入れることのできるものであるかのように、いたずらに過ぎ行くのを許しているからである。
    (P24『生の短さについて』)

    時間を残らず自分の用のためにだけ使い、一日一日を、あたかもそれが最後の日ででもあるかのようにして管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。
    (P28『生の短さについて』)

    人は、これを、次にはあれを、と考えをめぐらせ、遠い将来のことにまで思いを馳せる。ところが、この先延ばしこそ生の最大の浪費なのである。先延ばしは、先々のことを約束することで、次の日が来るごとに、その一日を奪い去り、今という時を奪い去る。生きることにとっての最大の障害は、明日という時に依存し、今日という時を無にする期待である。君は運命の手中にあるものをあれこれ計画し、自分の手中にあるものを喪失している。君はどこを見つめているのか。どこを目指そうというのであろう。来るべき未来のものは不確実さの中にある。ただちに生きよ。
    (P32『生の短さについて』)

    .

    セレーヌス、健康に問題があるのではなく、健康に慣れていないことに問題があるのだ。これを喩えて言えば、静かな海にも立つ漣(さざなみ)、特に、嵐が過ぎて静まった海のそれのようなものである。だから、必要なのは、ある場合には自分の前に立ちふさがったり、ある場合には自分に怒ったり、ある場合には自分に対してつらく当たったりするといった、われわれがすでに卒業したかつてのあの厳し過ぎるほどの方法ではなく、最後にやって来る方法、つまり、自分を信頼すること、そして、ある者は正しい道に程近い道をさまよっているとはいえ、四方至る所で交錯している多くの者たちのたどる誤った道に決して惑わされることなく、自分が正道を行っていると信じることである。
    (P75『心の平静について』)

    さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。われわれの身体の場合でも、ある種の苦痛を感じながら、なおかつ喜びを覚えるものがある。
    (P80『心の平静について』)

    運命が優勢となり、行動の機会を断ち切ったからといって、即座に武器を投げ捨て、あたかも運命が追跡できない場所があるかのごとく、潜伏場所を求めて背走するようなことはすべきではない。義務的な仕事に精力を注ぐのを控えめにして、なすべき仕事を選択したあと、国家に役立てる何かを見つけ出すべきなのである。
    〈略〉
    たとえ他の人たちが最前線を占め、たまたま君が第三線の一員として配置されたとしても、君はその第三線から叫び声で、激励の言葉で、率先垂範で、勇敢さで戦うべきだ。両手を斬り落とされても、なおも踏みとどまり、叫び声で加勢しようとする者は、戦闘の中で味方に寄与できる自分の役割を見出したことになる。君も何かそのようなことをすべきなのである。
    (P86〜87『心の平静について』)

    生はことごとく隷属なのである。それゆえ、みずからの置かれた境遇に慣れ、できるかぎりそれを嘆くのはやめて、自分のまわりにあるどんな小さな長所をも見逃さずに捉えるよう努めねばならない。公平な心が慰めを見出せないほど過酷な運命などないのである。往々にして、わずかな敷地も、巧みに区分けすれば、さまざまな用途の道が開け、狭い空間も配置次第で居住できるものとなる。困難に対処するには理性をもってするがよい。過酷なものも緩和され、険隘(けんあい)なものも開かれ、過重なものも巧みに担えば苦しみも減る。さらに、さまざまな欲望には、遠くのものではなく身近にあるものを求めさせ、捌け口を与えてやるようにしなければならない。われわれの欲望は完全に閉じ込められることには耐えられないからである。実現不可能なもの、実現可能であっても困難なものは断念し、身近にあり、われわれの期待に望みをもたせてくれるものを追い求めるようにしよう。ただし、すべてのものは、外見は種々の様相を見せはするものの、内実は等しく虚しいものであり、由ないものであることを知っておかねばならない。
    (P104『心の平静について』)

    さらに、不安を生ぜしめる小さからざる要因となる例のものがある。多くの者たちの生がそうであるように、何とか世間体を繕おうとあくせくし、誰に対しても自分のありのままの姿を素直に見せようとはせずに、虚構の生、見せかけの生を送る場合がそれである。実際、絶えず自分のことを気にするのは苦痛以外の何ものでもなく、ふだんの自分と違った姿を見つけられるのではないかという恐れが常につきまとう。人に見られるたびに自分が評価されていると思うかぎり、われわれが心配から解き放たれることはない。なぜなら、嫌でも裸の自分をさらけ出さざるをえない事態が多々生じるからであり、また、たとえ自分を繕おうとするそれほどの熱意が功を奏するとしても、常に仮面をつけて生きる者の生は楽しくもなく、心穏やかなものでもないからである。それに反し、率直で飾らず、いささか自分の性格を覆い隠さない純朴さには、どれほど大きな喜びがあることだろう。もっとも、一つ残らずすべてを万人に開けっぴろげにしたりすれば、その純朴な生にも蔑視の危険が忍び寄る。何であれ、近しくなったものに対しては蔑みの念を抱く者がいるからである。だが、徳には、目を近づけて眺められても、安っぽく見られる危険はないし、また、絶えざる見せかけのために苦しめられるよりは、純朴さで蔑まれるほうがまだしもましなのである。ただし、これには節度を用いるようにしよう。純朴に生きるか、おざなりに生きるかでは、雲泥の差がある。
    (P124〜125『心の平静について』)

    .

    何よりも肝要とすべきは、羊同然に、前を行く群れに付き従い、自分の行くべき方向ではなく、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないことである。さらに、多数の者が同意して受け入れたものこそ最善のものと考えて、事をなすに世評に頼ること、また、〈われわれには〉善きもの〈として通用している〉先例が数多くあるが、理性を判断基準にするのではなく、人と同じであることを旨として生きることほど、大きな害悪の渦中にわれわれを巻き込むものはないのである。
    (P134『幸福な生について』)

  • 自分の自由を拘束しているのは
    いついかなる時も自分自身であるのかもしれない。

  • 生の短さについて
    生が短いのではなく、浪費によってわれわれが生を短くする。
    他人の誰かのために自らを費消している。
    自分の財産は必死で守ろうとするが時間の消費は簡単に他人に与えてしまう。
    諸々の事柄に関心を奪われて散漫になった精神は、何事も心の深くには受け入れられない。
    忙殺されている人にいくら時間を与えても、穴の空いたコップに水を入れるのと同じようにすぐになくなってしまう。
    後に残すことや、後世の人が自分のことについて語ることのために消耗すべきで無い。
    財産は多いほど失うことの痛みを伴い、それは持っていないことよりも辛く感じてしまう。多すぎず少なすぎないことが最良。
    書物を飾りとして見せびらかすために置いているのは恥ずべきこと。あくまで実用的に使うためのもので、多ければ良いということはない。
    その他にも見せびらかすための服や食べ物は必要ない。実用的なものを選ぶ。
    他人に起こることはすべて自分にも起こりうる。何か予定外のことが起こることは想定しておくべき。なにも災厄が無い人はいない。
    孤独は群衆への嫌悪を癒し、群衆は孤独への倦怠を癒してくれる。両者のバランスを取ることが大事。
    過度の快楽は害があって益がないが、徳は積めば積むほど良い。快楽に主導権を握らせてはいけない。
    自分に降りかかる災難に動揺はしない。思いがけず起こることも大度をもって受け止める。
    他人の粗探しをする前に、自分の悪徳を省みる。誹謗中傷する暇はない。

  • 「死ぬ術は生涯かけて学びとらなければならない」などの名言目白押し。カネや面子に囚われず、徳のために生きましょうという内容なのだが、最後の方で「そやかて自分めちゃ金持ちですやん」という突っ込みに、文字通り必死で虚勢を張るさまに失笑した。オチ付き。

    こういう古い本は当時の風俗を知る上でも興味深い。ハゲはやっぱり恰好悪かったんだなとか、女の年齢詐称も既にあったんだなとか、本の蒐集家も居たんだとか、訴訟が結構多かったんだなとか、ほとんど現代の話にしても違和感が無い。引っ掛かるのは奴隷と男色くらい。

  • 古代ローマ時代の哲学者セネカ。
    訳者あとがきで、セネカがどれほど数奇な人生を歩んだかを知った。
    小さな頃から虚弱で病気がちで、病気のために命を落としそうになることもあれば、病弱を理由に死刑を免れることもあった。
    雄弁で博識がゆえに嫉妬されて抹殺されそうになったり、その知性を買われて要職に抜擢されることもあった。
    時の権力者たちの気の向くままにいとも簡単に人が暗殺された時代。
    周りのものは権力者の思惑に翻弄され、“悲劇的疎外状況の中で孤立し、唯一内なる自我へ眼差しを向けることで自由を得た“そんな過酷な日々の中で、人間とは、生きるとは、死とは何かといった根源的な問いに対する考えを深めていったセネカ。

    セネカが突然突きつけられた死を前にとった平常な態度は、この本を通して主張していることを体現していて、だからこそものすごい説得力を持って今日まで読み継がれてきたのだろう。

    読み始めて思わず線を引きたくなる文にたくさん出くわす。ただけっこう難解な表現も多く、いまいち意味を読み取れない箇所もあった。
    でも訳者あとがきでは、キケローに比べてセネカの文体はだいぶシンプルだと書かれていらから驚いた。いずれまた読み直そう。


    以下、心に残った言葉。(たくさんありすぎて、かなり抜粋)

    生きる術は生涯をかけて学び取らねばならないもの。死ぬ術は生涯をかけて学び取らねばならないものである。

    ただちに生きよ。

    英知(哲学)のために時間を使う人だけが
    閑暇の人であり、(真に)生きている人なのである。

    その資質を吟味して友を選ぶ場合も、できるかぎり汚れに毒されていない人を選べるよう最善の努力を傾けることになる。健康なものが病めるものと交わる、それが病の始まりなのだ。

    彼らは皆、(死という)ほんの刹那の時間を犠牲にして、永遠の存在となる道を見出し、死ぬことによって不死に到達したのである。

    最高善とは精神の調和である。

    悪しきものに直面するときも、善きものを享受するときも、常に不動であること、人の道に背かぬ範囲内で神を具現化すること。

  • ・表題作のみ読了。星3.7くらい。
    ・何かに忙殺され、誰かのために時間を浪費して、死の間際に足りなかったと嘆くことのなんと愚かな。的なことを書いていた。
    ・名誉や仕事、はたまた刹那的で退廃的な喜びに湯水の如く時間を使いながら、自分のために時間を使っていないという話は、私を含めた現代人の多くに当てはまると感じた。
    ・ただ、自分が本当にしたい、価値があると思えることって意外と見当たらない。究めたい学問があるわけではなく、命を捧げたい社会課題があるわけでもない私は、時間を浪費する以外無いのだろうかとほんの少しだけ憂鬱な気持ちになった。
    ・配偶者と過ごす時間、のんびりと好きな本を読む時間、昔からの友人とぶらぶらする時間、好きなスポーツを観に行っている時間、旅行の時間くらいは「自分の時間」感があるなと。それらを膨らませることが、濁流のように流れていってしまう時間を堰き止める唯一の手段なのかなと考えていた。
    ・「生は、使い方を知れば、長い。」これは定期的に思い出していきたい。

    読書中メモ
    ・「すべての人間の中で唯一、英知(哲学)のために時間を使う人だけが閑暇の人であり、(真に)生きている人なのである。」は、読んでいる時点では無茶だろと思ってしまっていた。でもこれ手紙か。

  • 紀元前後に生きたローマ帝国の政治家、哲学者、詩人の
    ルキウス・アンナエウス・セネカの随筆と書簡

    生の短さについて:随筆
    心の平静について:書簡
    幸福な生について:随筆

    引用箇所【】

    「生の短さについて」を読んで

    【われわれにはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。
    人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大な事を完遂できるよう潤沢に与えられている。
    しかし、生が浪費と不注意によっていたずらに流れ、いかなる善きことにも費やされないとき、~略~われわれ自身が生を短くする。】

    自分の人生で、為すべきこと、したいことを行うために、無駄な時間を過ごさないようにしよう!と強く思った。
    この本を読んでから、きびきび動けるようになった。


    「心の平静について」を読んで
    【もっとも、一人きりでいること、群衆の中に入って行くこと、この二つが交互に繰り返されなければならない。~略~
    両者はお互いを癒す薬となるであろう。】

    心が穏やかでいられるよう
    1人の時間も、他者との時間もどちらもその時間を
    大切に過ごそうと、思った。


    幸福な生についてを読んで
    引用【】

    【また、過度の快楽は害あって益が無い。それにひきかえ、徳は何か過度なものを危惧する必要はない。徳そのものに節度があるからである。真の幸福は徳に存する。】

    自分の体験から、本当にそうだな、感じた。

    私にとって、徳とは
    ◆他者を尊重して、他者に優しい行動をすること
    ◆悪を自制すること
    ◆小さくていいので、社会の役に立つ行動をすること

    最近、友達の役に立ちたいと思い
    色々行動したことがあって
    でも、あまり口出し過ぎてもよくないと思い
    本人の希望をよく聴いて
    適度な気遣いが出来るようになった、と感じた。

    昔は、おせっかいと言われたりしたので。

    最近、毎日少しのいいことをするようにしている。
    ※たとえば、小銭を募金するとか、道ばたのごみを拾うとか本当に些細な事です。
    そのおかげで、日々、気持ちよく過ごせている。

    【私には、日々、自分の過ちを責め、自分の欠点から何かを取り除くことが出来れば、それで十分なのである。】

    腹が立つ時もあるが
    その場では抑えて、後でノートに書いて
    「なぜ怒りを感じたのか?」
    分析が出来るようになった。

    怒るとか、意地悪な感情が自然に湧いた時は
    「ああ、今怒っているな、意地悪だな。」
    と自覚できるようになった。
    後から、やっぱり意地悪な自分になりたくないな
    と思うようになった。

    【たとえ善き精神を得ようと日夜骨折ってみても、短い生は、茫洋の嘆のうちに瞬く間に過ぎ去ってしまう。
    それゆえ、どこを目指して進んでいくのかも
    また、どの道をたどるのかも決めなければならないのである。】

    自分がどんな自分になりたいか
    この人生でどんな事がしたいか
    言葉にして
    そのためにどんな行動が必要なのか計画して
    実際に行動していく!

    【「もつな」という意味ではなく、もつにしても「失う不安を抱くな」
    という意味なのである。哲学者はそうしたものを追い出すのではなく、
    去っていくときがあろうと心穏やかに見送るのだ。】

    喪失について、不安感を持っていたが、この心境でいたい。

  • 私の人生のバイブル。
    「人生は短いのではなく、本人がそれと知らずに浪費しているだけ。金銭のように自分の時間を確固として守り、より良い生き方のために使うべき。」
    まさに言うは易し、行うは難し。でも実践しなければ浪費する一方。やるしかない!

  • 正直かなりの部分でわからない所があったけど、いいフレーズ結構あるからオススメです

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著者プロフィール

ルキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca)。紀元前4年頃(紀元前1年
とも)~紀元65年。古代ローマのストア派の哲学者。父親の大セネカ(マルクス・アンナ
エウス・セネカ)と区別するため、小セネカ(Seneca minor)とも呼ばれる。ローマ帝国の
属州ヒスパニア・バエティカ属州の州都コルドバで生まれ、カリグラ帝時代に財務官とし
て活躍する。一度はコルシカ島に追放されるも、クラウディウス帝時代に復帰を果たし、
のちの皇帝ネロの幼少期の教育係および在位期の政治的補佐を務める。やがて制御を失っ
て自殺を命じられることとなるネロとの関係、また、カリグラ帝の恐怖の治世といった経
験を通じて、数々の悲劇や著作を記した。本書はそのなかでも「死」との向き合い方について説いた8つの作品がもとになっている。

「2020年 『2000年前からローマの哲人は知っていた 死ぬときに後悔しない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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