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Amazon.co.jp ・本 (232ページ) / ISBN・EAN: 9784003361016
みんなの感想まとめ
深い内省と自己探求を促す本書は、古代ローマの皇帝が自身の哲学を綴った手記であり、現代にも通じる普遍的な教訓を提供します。マルクス・アウレリウスは、人生の有限性や変化の重要性を説き、理性に従って生きるこ...
感想・レビュー・書評
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旧家を巡る。そこには、昔描いた絵やネックが曲がってしまったギターなどが、ダンボールに敷き詰められた書籍と一緒に眠る。日記はない。一時書かされ、一時創作活動のように書いたものは、人目に晒される気恥ずかしさから自ら処分した。
小学校低学年のそれは「すごいと思った。うれしかった。かわいそうだと思った」という、周囲の空気を肌で感じたそのままを、大まかな感情表現で大別する。神の存在を必要とせず、集団の価値観を感じながら、喜怒哀楽を身につける。
自省とは、その「うれしかった」を真のものかと追求し、真ならば、その事自体を自らのモデルとして、その言動や思索を振り返ること。
マルクス・アウレリウスは、ローマ帝国の第16代皇帝であり、「五賢帝」の最後の一人とされる。哲学者でもあり、政治的指導者でもあった彼は、特にストア派哲学の実践者として、帝国の統治、そ家族の問題や疫病・戦争といった困難を抱えながら、正しい生き方を模索した。
それがこの自省録であり、誰に読まされるものでもない、彼自身の思索、心の日記である。
ストア派哲学では「人は理性によって自然に従って生きるべきだ」という禁欲的な理想を掲げ、世界は理性(ロゴス)によって秩序づけられており、人間はその一部として生きるべきとした。名声も財産も肉体もすべて移ろうもので、執着は無意味。人は社会的動物であり、全体のために生きる義務がある。自分の判断と行動は制御せよ。
いつの時代も変わらず、良き生き方を求めるのは、その社会との照合作業であるはず。社会が道徳を放棄して差別を助長するようではならない。
昔の思い出の品、それを敷き詰めた空間にいると頭がボーっとする。誰に読ませるでもない、社会と切り離した価値の孤絶に、愉楽を感じるのかも知れない。これは、性的な恍惚感ですらある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初めての哲学書。2000年前の人が書いたとは思えないほど、現代にも当てはまることばかり。自分なりに印象に残ったことは大きく二つ、「人生は有限、今を全力で生きること」、「草木も動物も全て変化する、変化を嫌うことはない」。
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【理想とは異なる人生だったとしても】
史上稀にみる哲人皇帝だったとされる、ローマのマルクス・アウレーリウスが、自身の生き方に関する思いを、ひとり内省しながら書き留めた手記。
巻末に収録された訳者の神谷美恵子さんの解説が素晴らしくて、そこにマルクスは平和を好んだにもかかわらず、生涯の多くの時間を戦場で過ごさざるを得なかったこと、そのことに傷つきながらも哲学に救いをもとめて前進する生き生きとした姿が本書の魅力になっていることが書かれていて、はっとさせられました。
最近、人生でいうと立派な”半ば”に差しかかって、ちっとも若いころに思い描いたように人生が進んでいないことを、どう受け止めたものか……と悶々とする時間が増えつつあります。
理想とする人生を歩んで、そのような自分に満ち足りて過ごすことができれば、それは確かに幸せなことだけれど。
でも、そうじゃない人生だったとしても、それを懸命に生きる人は限りなく美しい……はず。
ていうか、そうでなきゃ、やだ!
個人的に特に好きだったのは、制約を受ける人生を炎に例えた次の一節。
「小さな灯りならば、これに消されてしまうであろうが、炎々と燃える火は、持ち込まれたものをたちまち自分のものに同化して焼きつくし、投げ入れられたものによって一層高く躍りあがる」
赤々と燃える炎のかけらを、自分のうちにも宿らせてもらった気持ちで読み終えた一冊でした。 -
きっかけは漫画の『ミステリと言う勿れ』だった。
仕事で行き詰まり、気持ちの持って行き方がわからなくなった時にふと思い出した。
心に響く言葉はマーカーを引き、付箋を貼り、何回も何回も読んだ。
完璧ではないから、未だ気持ちの浮き沈みがあるけれど、都度救われている。
この本だけは手放せない。 -
10年前から手元に置いて読み返している作品です。元の文章なのか翻訳の仕業かは分かりませんが、いちいち言葉尻が激しくて面白いです。笑
言ってることは正しいけど、ツッコミどころが多いところも好印象です。例えば、
「驚かぬこと、臆さぬこと。決してあわてたり、しりごみしたり、とまどったり、落胆したり、せぬこと。またおこったり、猜疑の心をおこしたりせぬこと。」というフレーズがあります。
単純に気をつけることが多すぎるし、そんな一気に書かずに分けて書いたら?とか思います。笑
一気に書きすぎて、早口言葉みたいになっていたので、めっちゃ笑いました。
とはいえ、普通に刺さるフレーズもたくさんあります。特に「公益を目的とするのでないかぎり、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。」は、すべての人に知ってもらいたいほど良い言葉。
他にも人生を変えてくれるような有益な言葉が多くあります。
ちなみに「克己の精神と確固たる目的を持つこと」は語呂が良くて好きです。ラップみたい。
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注釈を踏まえながら、行きつ戻りつ読み進めると、表現は変われども、しかし根底に流れる変わらない思想が見えてくる。
さながら、マルクス帝の周りで、次々に生じる政治的な問題などに直面した際に、それでも自己の在り方を見失わないために綴られたように思われる。それはまさしく自省録であり、時間に追われながら、忙しく生きる現代の自分たちにとっても、金言であると言えるのではないか。 -
読了したけど内容を忘れてしまった。
再読したら再度感想は記す。
で、覚えている範囲で書くと哲人皇帝による書で自分に向けて記されているとの事。居酒屋にあるオヤジの小言みたいな文章の切り方ではあるが国を動かしていた人だけあって含蓄が深いように感じる。文明レベルはもちろん現代とは異なるがベースの考え方というか叡智はそんなに変わらないという印象。 -
今まで読んだなかでもっと美しい本。
文学的高みを極めた本は何冊か読んだことがあるけど、これほど愛おしく、無駄ばかりで人間味のある本ははじめて。
恐らく栗本薫さんのグイン・サーガのアキレウス帝のモデルがマルクス・アウレーリウスだと思われる。
哲学者の皇帝として仁政で知られるが、到着時代がローマの威光に陰りがではじめた時で、意に反して戦争に明け暮れた皇帝だった。
この本は遠征先で自分宛に綴ったいわば日記のようなもの。その言葉は飾り気なくソリッドで美しい。そして度々皇帝の心のうちの弱さを包み隠さず吐露している。
各巻で文体が変わるが、最終巻は比較的キチンとまとまった文章で、正直この巻だけは面白みがなかった。もしかすると、後年の写本や編纂の手が一番加えられたのかもしれない。
無人島に流されるなら、本書とモンテクリスト伯、そしてディフェンスを持っていく。 -
第16代ローマ皇帝であり、ストア派の哲学者であるマルクス・アウレーリウスが自身のために書いた文章をまとめたもの。
怠け者な私にとっては、さすがにストイックすぎるわ〜と思う部分もあったけど、読んでいるとなぜか心が落ち着く感覚があって、ゆっくりじっくり読んだ。
特に印象に残ったのは、人が持っているものは「現在」のみで、持っていないものは失うことはできないということ。
長く生きたとしても、短い生涯だったとしても、亡くなる時に失うものは誰でも「現在のみ」なのだということ。
私はこれまで、長く生きればその分、過去の思い出や周りの人との関係など多くのものを失い、若くして亡くなることはこれから先に起こるであろう全てを失うことだと考えていて、結局どちらにせよ死が怖いと感じていた。
けれど、宇宙や地球、自然から見れば人の一生など一瞬であり、死後はあっという間に忘れられる存在なのだと言う。我が子を亡くすことに対しても、穀物の穂を刈り入れることと同じように自然のことなのだから、それさえも自然のこととして受け入れるべきだと。
このような趣旨のことが、何度も出てくる。彼は何度もそう自分自身に言い聞かせていた?彼もまた、死への恐怖や我が子を失うことへの恐怖と戦っていた?と思うと、すごく共感してしまう。
さらに、その一瞬である人生の短い時間を無駄に使うな、善き人間であれ、と彼は言う。
『あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。』
この言葉は結構ガツンときた。私は1万年も生きるかのように行動してるな…と。今まで本当に膨大な無駄な時間を過ごしてきたし、特に社会のためになるようなこともしていない。年々洞察力や注意力、思考力も無くなっていくのが自然なのだから、短い人生の中でも社会のためになるようなことができる期間は限られているのだということが、怠け者の私には本当に響く。若いうちはこの言葉の意味を理解できないかもしれないけど、折を見て娘に話して聞かせたい。
☆恥ずかしながら、翻訳者の神谷美恵子さんのことを知らなかったのだけど、実は本文の前に、『母親としての多忙な生活のほんのわずかな余暇をさいての仕事なので、意にみたぬことのみ多い。』と書いてあったことが、この本で1番の衝撃だった。検索したら『天才』と書かれていたが、昭和初期に、子育てしながら仕事もして、さらにこんな素晴らしい翻訳までするなんて、便利な家電やサービスを使いながらもヒーヒー言ってる私からしたら神様のよう! -
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2014.6記。
古代ローマの皇帝の随筆。ひとつひとつの項目が短いせいか、パラパラ見るばかりでいつまでも読了できない、ので、もうアップする。
ストア派(らしい)を基礎とする「自然、美、神々、善」みたいな教養・哲学は正直ぴんと来ない。
それよりも、今の米国大統領をはるかに上回る「絶対的権力者」であったろうローマ皇帝も、平たく言うと「むかついたら終わり」と心に念じながら、部下の横暴への怒りをこらえ、正しいこととは何かを振り返り、日々自分に言い聞かせている、そのことに心動かされる。
例えば、戦車競技(今で言えばプロ野球かJリーグ?)のひいきのチームを持たない、と決意するところとか、人間臭いが同時に本当の不偏不党とはここまでのことか、とふと胸を突かれる(昭和天皇もひいきの力士の名前を決して明かさなかったとか・・・)。
自己啓発マネジメント本的な読み方からは本来最も遠い所にあるべき本、が、まあこんな感想も広い心でお許しいただこう・・・ -
この本は、生きる・心の糧になる本です。
マルクスさん、ほんとうにありがとう
見ているのは、常に自分の内側や状態の観察
・内省
・自分自身
・自分の影響の輪の中
・時代を超える不変の考え方が学べる
・公開するつもりはない
だからこそ、内容がリアル
◯日記をつけよう
自分の状態を観察する日記を
良い状態で過ごすために内側の観察を -
約2000年の時を経て受け継がれる哲人皇帝マルクスアウレリウス(121-180)の心の内省録。
ローマ五賢帝のラスト、平和で安定期の最後の時代、外敵との争い、疫病の流行などの社会的不安、多くの肉親の死など個人的な出来事に対し、ノートを使い、内省を繰り返すことで、強く自己を勇気づけ、前に進もうとしている姿が想像されます。時代を超えて心打つ古典の最高峰。
ストア派らしく、
①万物は流転することを理解し、それに逆らわず
②自然に従い生きることで、
③アパテイア(不動心)の境地に至ること
を内省で説いていると思います。
現在与えられているものに不満を抱いたり、人間関係などの外界の刺激に対し、刹那に感情的になり後悔を抱いたり、未来に対し漠然のした不安を抱いたりしている人々にオススメしたい一冊です。①〜③に関連する箇所を以下に拾い上げました。
①万物は流転する
4-35 全てはかりそめに過ぎない。おぼえる者もおぼえられる者も。
7-18変化を恐れるものがあるか。しかし、変化なくして何が生じえようぞ。宇宙の自然にとってこれより愛すべく親しみ深いものがあろうか。君自身だって、気がある変化を経なかったならば、熱い湯にひとつはいれるだろうか。もし食物が変化を経なかったならば、自分を養うことができるだろうか。
②自然に従い生きよ
4-41君は一つの死体をかついでいる小さな魂にすぎない。
5-1明け方に起きにくいときは次のことを念頭に用意しておくが良い。「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ」
6-6最もよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。
7-7人に助けてもらうことを恥るな。
7-71笑止千万なことに、人間は自分の悪は避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし、他人の悪は避ける。ところがそれは不可能なのだ。
③アパテイアの境地
4-49これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。
5-6第三の人は自分のしたことをいわば意識していない。彼は葡萄の房をつけた葡萄の樹に似ている。葡萄の樹はひとたび自分の実を結んでしまえばそれ以上なんら求むるところはない。
7-69完全な人格の特徴は、毎日をあたかもそれが自分の最後の日のごとく過ごし、動揺もなく麻痺もなく偽善もないことにある。
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“今をよく生きよ”と言う事だと思う。
マルクスアウレリウスは本来は哲学者を志向していたのに、実際には在任中ほとんど戦地で過ごした。戦地での夜に自分を戒めることを綴ったのだろうか。
ローマで見た銅像は馬に跨り、勇ましい姿だった。 -
くるぶし(読書猿)さんの「この自伝がすごい/よく生きるためのリベラルアーツ書10冊」より。紹介が面白かったので読んでみた。
本書の内容は神谷氏の解説にある次の文章がすべてかなと思う。
p316 これを通してみれば、マルクス・アウレーリウスはエピクテートスのあまりにも忠実な弟子であって、そこには思想的になんの新しい発展もない。そしてストア哲学の思想というものが現代のわれわれにとっていかなる魅力を持つかと考えてみると、そこには自ずからある限度がある。その説くところの物理学も論理学ももはや我々にとってほとんど意味がない。ただその倫理のみがその厳格なる導義観をもって今日もなお崇高な美しさと権威とを保っている。しかしこれもまたある限界を持っている。この教えは不幸や誘惑にたいする抵抗力を養うにはよい。我々の義務を果たさせる力とはなろう。しかしこれは我々のうちに新しい生命を湧き上がらせるていのものではない。「われらの生活内容を豊富にし、われらの生活肯定力を充実しまたは旺盛にするものではない。」そういう力の泉となるには、全人格の重心のありかを根底からくつがえし、おきかえるような契機を与えるものが必要である。それはスト哲学にはない。
しかしこのストア思想も、一度マルクスの魂に乗り移ると、なんという魅力と生命とを帯びることであろう。それは彼がこの思想を身をもって生きたからである。生かしたからである。マルクスは書斎人になりたくてたまらなかった。純粋の哲学者として生きるのをあきらめるのが彼にとっていかに苦痛であり、戦いであったかは『自省録』の随所にうかがわれる。しかし彼の場合には、彼が肯定として生々しい現実との対決に火花を散らす身であったからこそその思想の力と躍動が生まれたのかもしれない。『自省録』は決してお上品など疎く組んで固められたものではなく、時には烈しい怒りや罵りの言葉も深い絶望や自己嫌悪の呻きもある。あくまで人間らしい心情と弱点を備えた人間が、その感じ易さ、傷つき易さのゆえになお一層切実にたえず新たに「不動心」に救いを求めて前進していく、その姿の赤裸々な、生き生きとした記録がこの『自省録』なのである。
この本の中の物理学や論理学は思想内容的に古くて本当に役に立たない。まあ2世紀に書かれたものなのでそれは仕方ないとしても、倫理学の思想もストイックを通り越して自己欺瞞にすら思える。
なので全文を読む必要はまったくない。
ただこの『自省録』を読むと、哲人皇帝でさえ毎日が自分の醜い部分との戦いであり、そして同じ戒めを何度も自分に言い聞かせなければならなかったことがわかる。(ほんとに同じことを何回も書いてて、認知症かと心配になるくらい。)
必死に生きたマルクスの考えや記録に触れることで元気をもらう。
そういう読み方がオススメ。 -
ーもし社会が損なわれたなら、社会を損なう者に対して腹を立てるべきではない。「彼はなにを見あやまったのだろう」と問うべきである。
ー生きることが可能なところにおいては善く生きることも可能である。
ー最もよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。
ーしかし私は、自分に起ったことを悪いことと考えさえしなければ、まだなんら損害を受けていないのだ。そう考えない自由は私にあるのだ。 -
「ただ自分の成すべき事、善く生きることに集中しよう」と思う。自分のコントロール外のことには、泰然自若と構え、気高く自分を保とう!他人の理不尽な怒りなどには振り回されないように。それは私の管轄外だ~!笑
P55 第4巻-17
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。
P134 第7巻-59
自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう。
P69 第4巻-48
これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。
P158 第8巻-47
君がなにか外的な理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。
P237 第12巻-22
すべては主観に過ぎないと思え。その主観は君の力でどうにでもなるものだ。したがって君の意のままに主観を除去するが良い。するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、見よ、凪と、まったき静けさと、波もなき入江。 -
この書物のいくつかの言葉が、私の人生の教訓となりました。二千年近く前の、遥か遠くの地の、思考も習慣も違うローマ皇帝から、そのようなものを授かるというのは、非常に感慨深いことです。
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世界史で名前が長くて覚えにくいランキング堂々の1のローマ皇帝による哲学思想呟き雑記。
全体を通じて、理性こそ人間を人間たらしめるという考えが強調されており、現代の人間観とは異なっているように感じた。マルクスの主張には、自分の身体や精神の欲にただ身を任せるのは、「動物的」であるというものがある。これは、欲も理性もまるっきり含めて受け入れた現代の人間観とは大きく異なる。そのため、数千年前の常識はいまの非常識であり、改めて新鮮な考え方を受け取ったようにも感じ、目から鱗が落ちる思いであった。「自分は動物なのかもしれない...!」と恒例の反省タイムもとった。
⚠️この本はあくまでも雑記であり、思想の解説書ではないことに注意されたい。マルクスの思想はストア派哲学が源流にあるため、本を読む際にはそれらへの理解も多少は必要になる。
そのため、あとがきでマルクスの思想やバックボーンにあるストア派哲学について概要を掴んだのちに、原文に触れると一番効率良く理解が進むと思う。 -
五賢帝の1人マルクスアウレリウスが夜な夜な書き綴った自分を省み、戒める為のノート、自省録。
伴侶が死んだ、子供が死んだ、仲間が死んだ、明日は自分かもしれない。
仲が良かった家臣が裏切った、忠実な家臣のふりをしているがもう宮廷に自分の味方はいないかもしれない。
能力を買われて皇帝に選ばれた、だけど本当は哲学を専攻する学者になりたかった。戦いの日々で机に座る暇はもう自分の人生には残されていない。
人生の中で多くの恐怖や不安に苛まれてきたアウレリウスがそれでもストア哲学と不動心に救いを求め、自分を律し邁進していく姿が文章から想起されて胸が熱くなった。
この本が好きな人におすすめの本
マルクス・アウレーリウスの作品
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