友情について (岩波文庫)

著者 :
制作 : Cicero  中務 哲郎 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 170
レビュー : 21
  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003361139

作品紹介・あらすじ

『老年について』の姉妹篇として書かれた対話篇。古代ローマの政治家で賢者の誉れ高いラエリウスが、無二の親友であった小スキーピオーを喪った動揺さめやらぬ中で、二人の女婿を前にして、友情について語る。友情論の古典の新訳。

感想・レビュー・書評

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  • 友情の結びつきはとても緊密であり、二人の間に生まれるものであるということ、不特定多数を結びつけるものではないということ。そして何より友情は、実益を得る為の目的‐手段連関の一部分には決して貶め得ない、それ自体として価値のあるものであること。友情を功利主義に隷属させようとする即物的な(無)思想は、二千年前から批判されており、それが今なお必要な批判であるという事実に、人間の変わらぬ卑しさを思う。ところで、或る相手に友情を抱くべきか否か(友情を抱くに値する「徳」を備えているか否か)を、その人と友情関係に入る前に判断せよ、という意見には首肯しかねる。人間的な情動というものは、もっと非合理的な如何ともし難い何かであるはずだから。

    "・・・、好意への返礼以上に、思いやりと奉仕の応酬以上に、喜ばしいものがあろうか。"


    本筋からは外れるが、本書の最後のほうに面白い記述がある。

    "何しろそいつ[狡猾で陰険な追従者]は、逆らうと見せて追従するようなことさえよくやるし、言い争うふりをしつつおだてるし、最後には、降参だと手を上げ負けを認めても、それは、こうして愚弄されている者の方が賢くてよく分っていると思わせるための手だ、という具合で、見抜くのが容易ではないからだ。こんな風に愚弄されるほど恥ずかしいことがあろうか。"

    これを読むと、私には「テレビと視聴者との共犯関係」則ち「くだらないテレビと、テレビをくだらないと蔑む視聴者との間の、相互依存関係」が想起された。

    「くだらないくだらない」と日々テレビ番組に呆れながら、なおテレビを見続ける者たちがいる。恐らく、テレビを観て「くだらない」と蔑みながら、さも自分が高見に立ってるように錯覚して優越感を満たしたいだけなのだろう。

    然しテレビを観ている連中なんて、大概は冷笑しながら観ている。制作者も、多くの視聴者がテレビを馬鹿にしながら観ていることは知っている。制作者は、そういう連中に向けて(意識的にか無意識的にかは知らず)道化を演じて、視聴者に優越感を抱かせるような番組を作っている。テレビは、それを「くだらない」と嘲笑う連中の優越感に奉仕する為に存在する。

    視聴者は、その道化を高見から嘲笑っているつもりでいながら(超越)、まさにその道化たちの思惑通りに踊らされている(内在)。

    視聴者が心底「くだらない」と思っているテレビというのは、まさにそういう連中の視線によって支えられている。こうして、「くだらない番組」は再生産され続ける。

  • 友情とは、依存ではなく自立から生まれる。

    友情は実益から成るのではなく、本性から惹かれ合うことで成る。

    友情が実益を追うのではなく、実益が友情を追う。

  • 4-00-336113-x 131+13p 2004・4・16 1刷

  • 友情と徳に深い関係があるらしい!
    徳を高めることで、深い友情を築ける。
    徳を高めるために、友情を築く。

    友人が亡くなっても友情は不滅。

    という理解です。

    自分に徳がないのに、自分を磨かず、徳のある人との友情ばかり求めようとするといった内容が耳に痛かった。

  • 友情や愛、徳、知

  • 秀れた人々の中にしか友情はありえない、と思う。(p.22)

    友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ。。それは、真の友人を見つめる者は、いわば自分の似姿を見つめることなるからだ。(p.27)

    さて、わしは友情について機会あるごとに考えてきたが、いつも考察すべき最大の問題だと思われていたのはこのことだ。友情というものは弱さと欠如の故に必要とされるものであるのか、即ち、奉仕したりされたりすることによって、各人が自分のちからではできないことを他人にしてもらい、代わりにこちらからも返す、というようなものなのか、それとも、それも友情の持ち前ではあるにしても、友情にはまた別の原因、もっと蒼古として美わしく、もっと人間の本性そのものに由来する原因があるのだろうか、という問題だ。(p.30)

    友人によって得られる実益より、むしろ友人の愛そのものが嬉しいのだから。友人から出るものも、思いやりをもって出てきて初めて喜びとなる。(p.48)

    忠告を与えかつ与えられること、一方は率直に、しかし苛烈にならぬよう行い、他方は嫌がらず我慢して受けること、これが真の友情の本分であるっように、友情には阿諛、おべっか、追従以上の害毒はない、と考えるべきである。(p.74)

    スキーピオーは突如奪い去られてしまったけれども、わしにとっては今も生きているし、ずっと生き続けるであろう。なぜなら、わしの愛したのは彼の徳であって、それは消滅していないし、いつでもそれに接しておれたわしの目の前にたち現れるばかりでなく、後の世の人々にも、ひときわ鮮やかに記憶されていくであろうから。彼の思い出と雄姿を手本にしなければ、と思わないような者は、決して大志大望の業に取り組むことはあるまい。
    幸運により、あるいは生まれながらにわしが授かっているもの全ての中でも、スキーピオーとの友情に比べうるものは一つもない。国政に関する意見の一致も、家庭生活における相談事も、喜びに満ちた安らぎのひと時も、この友情あればこそであった。気づいた限りでは、どんな小さいことでも、わしは決して彼の感情を害したことはないし、彼から嫌なことを聞いた覚えもない。家も同じなら、生き方も同じで共通、軍役のみならず、旅行の時も田舎で暮らす時も一緒だった。
    常に何かを知り学ぼうとする熱意については、何を語る必要があろうか。われわれは暇さえあれば衆目を離れて、研究に時を忘れたものであった。それらのことの記憶や思い出が、もし彼と共に滅びてしまっのなら、切っても切れない無二の親友を失くした悲しみは、いかにしても耐えられぬところであろう。しかし、それらのことは消滅していないし、むしろ、わしが追想し思い出すのが供養となって、ますます大きくなるのである。また仮りに、それらのことがすっかり奪われてしまったとしても、わしの齢そのものが大きな慰めとなってくれる。もうこの歳になれば、その悲しみの中にもっと永く浸っていることも叶わぬのだからな。すべて時の間のものは、大きくとも耐えられるはずなのだ。
    以上がわしが友情について語りたかったことである。それなくしては友情もありえぬ徳というものを尊び、徳以外には友情に勝るものはないとまで考えよ、と君たちには勧めておく。(p.82-83)

  • ラエリウスが、無二の親友であった小スキーピオを喪った動揺さめやらぬ中で、二人の女婿ファンニウスとスカエウォラを前にして友情を語る。

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  • 「秀れた人々の中にしか友情はありえない」。まずは自分が善い人間になり、それから自分に似た人間を求める。一人で人格を高めるには限界があるから、人格の面で競い合えるような、かつ実益ではなく愛を与え合えるような友人関係を、と解釈。概ね同感。

  • 友情はその人の弱さと欠如のゆえに必要とされるものなのか、それとも人間の本性をのものに由来する原因があるのかという問いや、友とのどういう付き合い方が望ましいか、徳と友情の関係についてなど。

    友人関係においてはギブアンドテイクが必要だという人も居ますが、私はそれについてはずっと疑問だったのでキケロに共感するところはありました。

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