方法序説 (岩波文庫 青 613-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003361313

作品紹介・あらすじ

すべての人が真理を見いだすための方法を求めて、思索を重ねたデカルト(1596‐1650)。「われ思う、ゆえにわれあり」は、その彼がいっさいの外的権威を否定して到達した、思想の独立宣言である。近代精神の確立を告げ、今日の学問の基本的な準拠枠をなす新しい哲学の根本原理と方法が、ここに示される。

感想・レビュー・書評

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  • 三部、四部まではまだ良いけど
    それ以降はちょっとよくわからない。
    再読予定。

  • 真理の探究と、日々の生活と。

    デカルトの『方法序説』って、こんなに薄いんだあ、これくらいなら私にも読めるかも。
    そんな気持ちから、あるとき書店で、気軽に他の本と合わせ買いした本書。
    いや……確かに薄いけど……、めっっちゃ、固い。
    フランス語らしい構文で綴られる、抽象的な議論と自然学の考察の断片。
    当時の主流な学問から距離を置き、自らの思想を打ち立てようとする試み。
    もうちょっと、それ以前の学説に関する本を読んでから、手にとれば良かったと後悔しつつ、やっぱり薄さに助けられ(笑)、何とか読了。

    個人的に面白かったのは、
    「わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れない」
    と宣言したデカルトが、その真理の探究の道のさなかで
    「工事の期間中、居心地よく住める家をほかに都合しておかなければならない。」
    として自分に定めていた道徳を語った第三部。
    ・極端からはもっとも遠い、いちばん穏健な意見に従って自分を導いていく
    ・自分の行動において、できるかぎり確固として果断である
    ・世界の秩序よりも自分の欲望を変える
    などなど。

    日常生活の中でも、結論が出ていないのに、時間的には何かしらの対処を迫られる問題って、たくさんありますよね。
    苦手だけど全く無縁でいるわけにもいかない人との付き合いとか、持ち家か賃貸かとか、ちっちゃなことだと、キャッシュレス決済まだやってないけど導入しようかなあ、とか。
    自分にとって納得のいく折り合いをつけたいけれど、まだ見つからない、でも現実的には何かしら対処していかなければならない、という時。
    そうか、これからは、この道徳に頼らせてもらおう。

    この本の主題からは脇道にそれた感想になりましたが、デカルトが掲げた近代精神の確立についても、引き続き少しずつ学んでいこうと思います。

  • 林修先生がメディア等で紹介されてたので、試しに読んでみた。
    ページ数も少なくて、数日で読めるかと思いきや敢え無く撃沈。
    有名な「我思う故に我あり」は何となく理解はしたが、それ以外のくだり(特に神を絡めた文章)は、繰り返し読んでも頭に入らなかった。

  • 人類史上最大の知性(の一人)、ルネ・デカルトが自分の論文集の序文として一般向けに書いた本。
    「我思う、ゆえに我あり」の一節はあまりにも有名。
    読み心地は哲学書というより、科学者のエッセイといった感じ。

    広範な学問を修め尽くしたデカルトは、「学問の基礎(哲学)なんて、いろんな人がいろんなことを言ってて、全然確固たる基盤がないじゃないか。土台があやふやなままだと科学も真理に迫れやしない」と考えた。
    それで、とりあえず根拠のあやふやものはすべて疑ってみた。
    ただ、世の中のものすべてが疑わしいと考えたわけではなく、あくまで真理に迫る手段として疑ってみた。(「方法的」懐疑)

    その結果、あらゆる思考の出発点として「物事を考えている私は確かに存在している、ひとまずそれを真理と認めましょう」という結論に至った。(「我思う、ゆえに我あり」=「コギト・エルゴ・スム」)

    それから、数学はとにかく正しい、直感的に考えて「2+2」の解は4以外にありえないし、三角形の内角の和が180度なのはたやすく証明できる。そういうものだけを真理と認めよう。(「明晰かつ判明」)

    ちなみに、中学や高校の数学で習う関数のグラフの書き方とか、微分・積分の理論とか、変数はx・y・zで表し、定数はa・b・cで表すっていうルールとか、「2乗・3乗」の2や3は右上に書くっていう記法とかを考えたのがデカルト(豆知識)。

    「コギト」の真理は一応見出したけど、デカルトはそこから推論を一つ一つ丁寧に重ねていくわけではない。そこはスピノザと違う。
    本書の中でデカルトは、神の存在証明をちょちょいとやってのけているけど、その出発点となる「実体」の定義や、「完全者が存在する」「人間は完全ではない」という前提もほんとにそれでいいの?と思ってしまう。
    「いろんな哲学者がいろんなことを言うから哲学は根拠があやふやだ」っていうなら、神の存在なんて一番最初に斥けられるのが筋じゃないのか。

    「コギト」以降のデカルトの論の展開の仕方はむしろ若干乱暴な感じがする。
    事実、デカルトが主張していた天文学や人体に関する数々の学説は、後世の科学者たちによって誤りであったことが指摘されていたりする。
    (世界は目に見えない謎の物質で満たされていて、潮の干満は月がエーテルを押したり引いたりすることによるという、いわゆる「エーテル論」をニュートンの万有引力が完全否定しさったことは有名。ただ、よく言われる「ニュートンの万有引力によってデカルトの物心二元論は崩れ去った」という言説には微妙に納得いかない。機械論的説明が否定されただけで物心二元論が否定されたわけじゃない……よね?)

    それはさておき、デカルトが自分に課した「3つの格率(自分ルール)」が面白い。俺ルールにも採用したい。

    ・第一格率:疑ってばかりではなく、とりあえず自国の法律と慣習には従っとけ。
    ・第二格率:自分がこれと決めた意見は、たとえ途中で疑わしくなっても最後まで投げ出すな。何が正しいか判断できないときは「より正しいっぽい」意見にしとけ。
    ・第三格率:「私の力」が及ぶ範囲はどうせ「私の思考」に限られているので、世界を変えようとするよりは自分が変われ。

  • 哲学史上の有名人ゆえ、デカルトは様々な能書きとともに語られがちだが、そういうものは抜きにして、彼自身の言葉に一度そのまま向き合ってみたかった。

    哲学書ではあるが、「まず文章の意味がわからない」という類の難解さは少ない。書かれているのは、「僕はこんなふうに物事を考えてきた」という独白である。
    そこから浮かび上がってくるデカルトの姿は、哲学史などで紋切り型に語られる際の印象とは、だいぶ違う。やれ「近代哲学の基礎を作った人物」だとか、「デカルト的二元論は乗り越えられねばならない」だとか、そんな世評はどうでもいい。
    僕自身が『方法序説』を通じて出会ったデカルトは、「考える」ということに対してただひたすら愚直な、正しさの判断において外的な権威の一切を拒み、己の理性のみを頼みとし、正しさというものの根底にどこまでも迫ろうとした、一人の人間であった。

    ああ、これが哲学者なんだな、と思わされた。


    以下は抜粋。

    ・わたしは、自分の行為をはっきりと見、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽を区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた。(p.18)


    ・一人で闇のなかを歩く人間のように、きわめてゆっくり進み、あらゆることに周到な注意を払おう。そうやってほんのわずかしか進めなくても、せめて気をつけて転ぶことのないように、とわたしは心に決めた。(p.27)


    ・真らしさは、あらゆる種類のことがらにおいてたいした苦労もなく見つけることができるが、真理は、ある限られたことがらで少しずつ発見されるだけであり、ほかのことがらが話題になると、知らないと率直に打ち明けねばならないものなのだ。(p.94)

    (※「真理」と「真らしさ」の対比は、本書中に何度も出てくる。人間は、「真らしさ」をすぐに信じてしまう。デカルト自身、「真らしさ」への引力に抗おうと必死だったのだろうな……と想像した)

  • 「我思う、故に我あり」、神の存在、二元論などなど、読んだことはなくてもデカルトの哲学の概要は有名です。そんな哲学テーマをデカルトの生の言葉で読むと、理解が深まるとともにデカルトの人となりが分かって面白いです。

    彼なりの学問に取り組む際の原則、地動説への弾圧を踏まえた学説公開への慎重さ、人体に対する並々ならぬ興味なとがひしひしと伝わってきます。

    不完全な人間が生得観念を持つことから、完全性イコール神の存在を証明し、それをもとに理性にとって明証的なことを真であるとする流れは、今読むと少々無理があると感じてしまいます。

  • デカルトといえば本書。

    私は先に『情念論』を読んでしまった。

    「我思う故に我あり」

    その真理に辿り着く過程はもちろんだが、デカルトのあらゆる学問に対する姿勢について目の当たりにできる。

    この序説について、自分が(デカルトが)どのような道を辿ってきたかを示され、一枚の絵に描くように自身の生涯を再現しようとされている。

    本書は全六部構成で、第一部は「学問に関する様々な考察」、第二部は「デカルトが探究した方法の主たる規則」、第三部は「二部の方法から引き出した道徳上の規則のいくつか」、第四部は「神の存在と人間の魂の存在を証明する論拠」、第五部は「デカルトが探究した自然学の諸問題の秩序、とくに心臓の運動や医学に属する他のいくつかの難問の解明と、われわれの魂と動物の魂との差異」、第六部は「デカルトが自然の探究においてさらに先に進むために何が必要だと考えるか、またどんな理由でデカルトが本書を執筆するに至ったか」が書かれている。

    『情念論』で書かれている“動物精気”についても第五部で触れられている。

    ちなみに「我思う故に我あり」は第四部で語られている。

    ページ数は少ないが、訳を理解し読み進めていくことにエネルギーを必要とされる。

    本書を通して、私もデカルトの言うように“良い精神を持っているだけでは充分ではなく、大切なのはそれをよく用いること”を意識して生きていきたいと思わされた。

  • 今まで読んだ本の中で一番難しく、ほとんどなんのことだかわかりませんでした^^;
    ただ、そんな中にもちょっとくらいは「俺もそう思ってた」と共感できるところがあるのが不思議です。
    まだこの本を理解するには勉強不足ですね。

  • 思考の過程が論理的に順序立てて書かれているので突飛なこともなくわかりやすい。〈ワレ惟ウ〜〉のフレーズはあまりにも有名だが、それに至るまでの考えも比較的明瞭に知れるし、心身二元論についても、あ〜これが!という感じで、とにかく概要だけ習っていたのを改めて確認するといった感じだった。

  •  真理の探求のための基本則として、
     
     ①明証的に真といえるものだけを真と受け入れること
     ②問題は小部分に分割して検討すること
     ③単純なものから順番に思考を進めて複雑な認識へと至ること
     ④全てにおいて一つの見落としもないことを確認すること。

    この4つを掲げた上で、もっともらしく見える異なった主張が論争される哲学において、確かに堅固であるといえる第一原理として「我思う、故に我在り」を唱える。

     感覚も、推論も、思考さえも、自分の精神のなかの観念すべてを偽であると仮定しようとするところが、本当に画期的だったのではないかと思う。

     しかし、
    ・わたしたちがきわめて明晰かつ判明に捉えることはすべて真である
    ・わたしの存在よりも完全な存在の観念については、それを無から得るのは明らかに不可能
    など、「そうかな?」と思う論証もけっこうあって、しばらく考え込んでしまった。

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