神学・政治論 上巻―聖書の批判と言論の自由 (岩波文庫)

著者 :
制作 : Benedictus de Spinoza  畠中 尚志 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 64
レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003361511

感想・レビュー・書評

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  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方』
    書斎の本棚から百冊(佐藤優選)15
    宗教・哲学についての知識で、人間の本質を探究する
    神学と哲学を分離した画期的な書。

  • 資料ID:C0033859
    配架場所:本館2F文庫書架

    加賀谷先生から書評いただきました!

    スピノザの読書体験とは、他の書物とはまったく次元の異なる、比類ない体験です。だから、その書について語ろうとする時、冷静さを保つことは、ほとんど至難のことです。
    でもだからといって、もしあなたがこの書に興味を持つなら、それを読むことに何のためらいも持つ必要はありません。
    同じく比類のない哲学者ドゥルーズは、その著「スピノザ-実践の哲学」(平凡社)でスピノザについて次のように述べています。
    「作家でも、詩人でも、音楽家でも、映画作家でも、画家でも、たまたまスピノザを読んだ者さえも、それも本職の哲学者以上に、スピノジスト(スピノザ主義者)になっていることがありうる」
    なぜならば
    「スピノザは、彼以外には誰一人そんな真似ができるとは思われないような、興味深いある特別の利点をもっている」
    それは何か
    「スピノザは、きわめて精巧で体系的な、学識の深さをうかがわせる並外れた概念装置をそなえた哲学者であると同時に、それでいて、哲学を知らない者でも、あるいは全く教養をもたない者でも、これ以上ないほど直接的に、予備知識なしに出会うことができ、そこから突然の啓示、「閃光」を受けることのできる希な存在であるからだ。ひとは、あたかもスピノジストとなっている自分を見いだしでもするように、いつしかスピノザのただなかに来ているのであり、その体系のなか、構成のなかに吸いこまれ、引きいれられている」
    それはニーチェの次の言葉にも示されている
    「私はびっくりした。魂を奪われてしまった(・・・)私はほとんどスピノザを知らなかった。私がたった今スピノザを必要としていると感じたとすれば、それは本能のなせる業だ」
    それは時としてそのひとの人生さえも変えてしまう(マラマッド「修理屋」から)
    「急にまるでつむじ風にでも吹かれたようになって、そのまま読み続けてしまったのです。さっきも申しましたように、私には全部理解できたわけではありません。でもあんな思想にぶつかったら、誰だって魔女のほうきに乗っかったような気になります。あれを読んでからの私は、もうそれまでの私と同じ人間ではありませんでした」
    百聞は一見にしかず。もしよければ、まずスピノザのページを開いてみてください。

  • (凡例より抜粋。原文は旧仮名遣い)本書はスピノザがその生涯を通じ自ら進んで世に問うた唯一の書であり、彼に対する生前並びに死後数十年間の毀誉褒貶は一に係って本書に起因する。彼が生前ついに「エチカ」を出版することが出来なかったのも本書が世に捲き起こした囂々たる論難に妨げられてであった。

  • スピノザを読んだのは本書が初めてであったが、この著作は近代聖書学の先駆け
    であると聞いていたので、とても興味深く読めた。何よりも心に
    残ったのは、聖書観の部分である。当時の教会に対する批判から、その神学に対する
    批判へと向い、それが聖書観の議論に至る。聖書は難解な哲学や思想を伝えるもので
    はなく、ただ神に服従することだけを説く、というこの主張は、あるキリスト教の流
    れの中にある。それはすなわち、コルプス・クリスティアーヌム(キリスト教世界)
    を前提とした教会体制に対して真っ向から反対した「自由教会」の精神である。
    教会が(聖俗関らず)支配的権威と結びつく時、それは知的階級と結びつくこととも
    相まって、難解な哲学的信仰理解(ヘレニズム化)となってきた。それに対する反動
    として、イエスに範を取った、権力に対する
    「革命的従属」の主張が表れる。直接的な接触の有無は分からないが、国定宗教に対
    する反発として、スピノザの聖書理解はアナバプティズムと軌を一にしているように
    思われる。

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著者プロフィール

1632年11月24日オランダ、アムステルダムのユダヤ人居住区で商人の家に生まれる。両親の家系はイベリア半島でキリスト教へ改宗したユダヤ人(マラーノと呼ばれる)で、オランダに移住し、ユダヤ教の信仰生活を回復していた。ヘブライ語名バルッフ(Baruch)、ポルトガル語名ベント(Bento)、のちにラテン語名ベネディクトゥス(Benedictus)を用いた。ユダヤ教会内で早くから俊才として注目されたとも伝えられるが、1656年7月27日、23歳のときに破門を受ける。友人・弟子のサークルとつながりを保ちながら、ライデン近郊ラインスブルフ、ハーグ近郊フォールブルフを経て、ハーグに移る。1677年2月21日ハーグで歿す。同年、「エチカ」を含む『遺稿集』が刊行される。他の著作は「デカルトの哲学原理」、「神学・政治論」、「知性改善論」(未完)、「政治論」(未完)、「神、人間とそのさいわいについての短論文」、往復書簡集ほか。

「2018年 『スピノザ エチカ抄 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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