神学・政治論 下巻―聖書の批判と言論の自由 (岩波文庫)

著者 :
制作 : Benedictus de Spinoza  畠中 尚志 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 60
レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003361528

感想・レビュー・書評

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  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方』
    書斎の本棚から百冊(佐藤優選)15
    宗教・哲学についての知識で、人間の本質を探究する
    神学と哲学を分離した画期的な書。

  • 資料ID:C0033860
    配架場所:本館2F文庫書架

    加賀谷先生からいただいた書評は上巻をご覧下さい!

  • 国家論的なものを求めて購入した本だったが、半分以上は神学的考察である。しかも、私たちになじみ深い新約の福音書あたりではなく、旧約聖書をもっぱら分析している。
    スピノザは旧約聖書に書かれてある言葉をそのままうのみにするべきではなく、それがあくまでも人間によって書かれたものだという点を強調し、旧来の神学を批判している。ここまで革命的な本を勇気を持って生前に刊行したスピノザだったが、やはりさんざん教会等から攻撃され、発禁処分になったようだ。
    「国家」を論じた部分は最後の方に出てくる。
    「国家がなくなればいかなる善も存立し得ず、一切は危険に瀕し、人々の最も恐れる激情と無法が横行し出す」(下巻P256)
    スピノザは確かにホッブズの影響を受けていたと思われ、国民が権力者に「権利を委譲する」という社会契約説をとっている。
    しかし思うに、社会契約説というのは近世以降の西洋が生んだ幻想であり、未開社会の部族は「共同体」は持つが「国家」の体を成していない。にもかかわらず、彼らは決して互いに殺し合うわけではないのだ。つまり日常生活をともにする共同体内部においては、最高権力者に「権限を委譲」するまでもないし、もちろん「契約」などという関係があるわけがない。
    日本においても、社会契約だの権利だのという考えが明治維新前にあるはずはなかった。要するにそれらは、近代西洋に特有のボキャブラリーであったに過ぎない。
    契約だの委譲だのがなくても、肥大した共同体には「暴力としての権力」が出現し、他国との出逢いによって「国家」になっていくのではないかと思う。

    それはさておき、最後の章では、思想・言論の自由と呼ぶべき「国民の権利」が主張されており、それを弾圧するような法律は無意味で有害だとスピノザは言い切っている。
    この辺り、中国や北朝鮮のエライ人に読ませてみたいが・・・まあ、意味はないな。

  • (以下、P275本文より抜粋。原文は旧仮名遣い)敢えて言う、国家の目的は人間を理性的存在者から動物或は自働機械にすることではなく、むしろ反対に、人間の精神と身体が確実にその機能を果たし、彼ら自身が自由に理性を使用し、そして彼らが憎しみや怒りや詭計を以て争うことなく、又相互に悪意を抱き合うことのないようにすることである。故に国家の目的は畢竟自由に存するのである。

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プロフィール

1632年11月24日オランダ、アムステルダムのユダヤ人居住区で商人の家に生まれる。両親の家系はイベリア半島でキリスト教へ改宗したユダヤ人(マラーノと呼ばれる)で、オランダに移住し、ユダヤ教の信仰生活を回復していた。ヘブライ語名バルッフ(Baruch)、ポルトガル語名ベント(Bento)、のちにラテン語名ベネディクトゥス(Benedictus)を用いた。ユダヤ教会内で早くから俊才として注目されたとも伝えられるが、1656年7月27日、23歳のときに破門を受ける。友人・弟子のサークルとつながりを保ちながら、ライデン近郊ラインスブルフ、ハーグ近郊フォールブルフを経て、ハーグに移る。1677年2月21日ハーグで歿す。同年、「エチカ」を含む『遺稿集』が刊行される。他の著作は「デカルトの哲学原理」、「神学・政治論」、「知性改善論」(未完)、「政治論」(未完)、「神、人間とそのさいわいについての短論文」、往復書簡集ほか。

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