国家論 (岩波文庫)

著者 :
制作 : Baruch de Spinoza  畠中 尚志 
  • 岩波書店
3.52
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本棚登録 : 124
レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003361566

作品紹介・あらすじ

人が生まれながらに持つ自然権の調整を通じてその成員に安全と平和を保障する機構が国家である。だが、人々が無気力である故に平和であり、隷属のみを事とする国家は国家ではない。最晩年のスピノザ(1632‐77)はこう説いて、各人が「他人の権利の下にある」と同時に「自己の権利の下にある」ことがいかにして可能かを追求した。

感想・レビュー・書評

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  • 1677年、オランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザの最晩年の著作であるとのこと。本書は冒頭の書簡によれば、自然権、最高権力の権利、最高権力の管轄範囲に属する諸政務、国家が志すべき最終最高の目的を論じる各章があって、その後、君主国家、貴族国家、民主国家の各組織の方法論について論じていく予定とあるが、民主国家を論じる序盤にその死をもって断筆している。
    スピノザによれば、人間は自然状態では何でも自分のしたいようにできる「自然権」という権利=力を持っているとする。しかし、皆が理性を離れ感情にて自らの利益を追求すれば他者との激しい闘争状態に入らざるを得ない。このように「人間は本性上敵である」のだから、自然権のひたすらな追求を止め、共同して生活する道を選ぶ共同の権利とするべきで、こうした権利を他者へ委託(=国家権力)した上で、その最高権力が法を制定し、権利と義務を定め、正義を実現することとし、人々を導くこのような国家権力に対し、国民は絶対服従することをもとめている。そして、こうした自然状態から国家状態への移行により、人間は安全と平和でいられるのだとし、仮に理性に反する国家の命令に従わなければならないことがあっても、国家状態でもたらされる利益の方が大きいのだから、国家の権利に従う方が理性に適うのだとする。ただ、その国家がもたらす平和とは戦争状態の欠如ではなく精神の力から生じる徳であり、国家権利への服従は、国家の共同決定に従ってなさなければならないことを実行しようとする恒常的意志であるべきで、国民の無気力の結果としての平和は国家ではなく広野にすぎず、最高の国家とは理性と真の精神生活とによって規定される人間生活を意味するのだという。
    この後、スピノザの考察は君主国家や貴族国家の具体的制度設計に入っていき、現代人であるわれわれにはそれがあまりにも具体的内容であるが故に少々ついていけなくなるのだが(笑)、当時の様々な国家の成り立ちや国家体制の考察から導き出されたスピノザなりの国家制度設計であると思うと興味深くもある。
    例えば、君主国家においては実は顧問官に支えられた内密の貴族国家であるとか、王の子孫は反逆の芽となるので王位継承者以外の子孫は結婚や子を認めるなとか、軍隊は国民のみから構成し王の権威を奪わないように司令官任期は1年とすべきとか、顧問官団の選任の仕方やその比率などが述べられ、また貴族国家においては、中程度の国家なら100人の最善者を選ぶなら5000人の貴族が必要だとか、民衆への諮問や監視がない分において君主国家より絶対国家であるとか、裏切らない程度に設定している司令官の任期とか、私利私欲に陥らせない元老院・護法官・執政官の数(議員数が多いほど賄賂で多数派工作させにくいなど)と権利の取り決めが述べられるなど、スピノザが洞察する人間心理を踏まえ、人間の権力への欲望を努めて抑えこもうとする制度設計が窺われて、効率や効果よりも権力欲や民衆の反乱、軍隊の反乱の抑制にいかに心を砕いていたのかわかり面白い。(1年で任期が終わり再任されない軍司令官など役にたつのだろうか?(笑))解説を読むと、当時親しく交流していたというオランダの指導者が、反対派とそれに従った民衆が起こした動乱により殺されたというスピノザにとって衝撃的な事件に大きく規定されたということで、そう思えば、人間の自然権と理性を論じる反面、国家による支配の妥当性と権力を分散させるような制度を考察している背景もわかるような気がする。本書の概説といい、なかなかよい解説ですね。
    民主国家の考え方や女性蔑視の考えなど、他にも現代人にはえっ!?と思えるような個所は散見されるが、権力への人間の欲を見越した国家制度構築への強い意志が伝わってくるほどに、現代からは一見単純に思えるその制度も、当時のしがらみを考えれば、より現実的な構想の選択であったのかもしれない。

  •  
    ── スピノザ/畠中 尚志・訳《国家論 197608‥ 岩波文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003361563
     
    …… 私は人間の諸行動を笑わず、嘆かず、呪詛もせず、ただ理解する
    ことにひたすら努めた。
     
    ── スピノザ/佐藤 一郎・訳《エチカ Ethica 1677 20180528 みすず書房》抄
    (D111K320#0141)
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4622087103
     
    (20181003)
     

  • 国家のあるべき姿を論じているわけだが、読んでいたら徳川幕府がなぜ弱体化して行ったかが納得出来た。
    しかし一方で、時代のせいであろう、酷い男尊女卑なのはゲンナリした。

  • 2016.1.15 読了

  • 女の才能は、その女が美の観点で優れているときにのみ評価されるらしいです…

  • スピノザを引用した越境概念と関係があるかと思っていたが、どこが関連するのかがわからない。

  • 聖書の逸話が史実として扱われ、論証の根拠になってるのは、キリスト教の素地のない日本人としてはやっぱりびっくりもするし、君主国家、貴族国家についての論証には、現在から見るとはずいぶんだな、とも思うけれど、そりゃ確かにそうかもしれないな、と思う点も多々あり。それはそれで驚くべきことなのかもしれない。
    現在の世界の国家の成り立ちを考えると、われわれはスピノザが考えたのよりずっと高所に本当にたどり着いたのだろうか、という気もする。
    君主国家、貴族国家と論を進め、民主国家の論証を始めた所で著者の死によって断絶する国家論。やっぱり最後の民主国家論が読みたかった。

  • およそ人間というものは、野蛮人たると文明人たるとを問わず、いたるところで相互に結合し、何らかの国家状態を形成する。ゆえに国家の諸原因とその自然的な諸基礎とは、理性の教説の中に求められるべきではなくて、かえって人間共通の本性あるいは状態から導き出されるべきである。p16

    私は自然権(自然法)を、万物を生起させる自然の諸法則あるいは諸規則そのものと解する。p19

    最高権力の権利は自然権そのものにほかならないことから、二つの国家相互の関係は自然状態における二人の人間相互の関係と同様であるということが帰結される。ただ違うのは、国家は他からの圧迫に対して自己を守りうるが、自然状態における人間はこれができないということだけである。なぜなら、人間は毎日眠らなければならず、しばしば病気や精神の悩みに襲われ、ついには老衰し、なおそのほか、国家なら煩われずにすむような種種のめんどうなことを負担しているからである。p44-45

    戦争の権利は各国家に属するが平和に関する権利は一国家にではなくて少なくとも二国家に属するということである。p46

    平和とは戦争の欠如ではなくて、精神の力から生ずる徳である。p59

    最善の国家は人間が和合して生活することのできる国家であると言う場合、私は単に、血液循環その他すべての動物に共通な諸機能によってのみ規定される人間生活を意味しているのではなく、特に理性と真の精神力と真の精神生活とによって規定される人間生活を意味しているのである。p60

    本性はすべての人々において同一である。すべての人々は支配する時は傲慢になり、恐れを持たぬ時に恐ろしい。p110

    【君主制】
    王の力がもっぱら民衆自身の力によって決定され、
    民衆自身の守護によって保持されるようにさえなれば、民衆は王のもとにおいて十分の自由を保持しうる、と。そしてこれのそ私が君主国家の諸基礎を建てるのに際して従ってきた唯一の規則である。p116

    思うに平和と自由とを維持する目的で国民に課せられる税金ならたとえ多くとも耐えられ、平和の利益という点から甘受される。p144

    (マキャベリによると)国家には、人間の身体と同様に、「時々清めなければならなぬ何ものかが毎日溜まる」のである。ゆえにしばしば何らかの手当をして、国家を、その建設の土台となった根本原理へ返らしめることが必要であると彼は言う。もし手当がしかるべき時期内に行われなかったなら、禍いは増大して、ついにそれは国家もろともにでなくては除去されえなくなるであろう。こうした手当は、彼が続けて言うには、偶然的になされることもできるが、また計画的に、すなわち法律の知恵あるいは卓越した有能者の知恵によってなされることもできる。p175

    害悪を避けるために人はしばしば贅沢禁止の法律を制定しようと試みた。しかしそれはむだだった。なぜなら、それを破っても他人に損害をかけないような法令はすべて真剣に受け取られないからである。そうした法令は人間の欲望と情欲とを抑制するどころか、かえってこれを刺激する。なぜなら、「我々は常に禁じられたものに志し、否まれたものを欲する」からである。p180

    もし何らかの国家が永続しうるとすれば、それは必然的に次のような国家、すなわちそのひとたび正しく定められた諸法律が侵されることなく維持される国家でなければならない。実に法こそ国家の生命だからである。ゆえに法が維持されれば国家も必然的に維持される。ところが法は理性と人間の共通の感情とによって支持される場合にのみ破られえない。そうではなくて、もし理性の助けによってのみ支えられるなら、それはきっと無力で、容易に破られる。p184

    〈解説より〉実に各人の自然権は共同の権利としてのみはじめて現実的権利となりうるのである。p207

  • (以下、凡例より抜粋)神に酔える孤高の哲人スピノザは、同時にまた卓越した国家学者でもあった。彼の国家理論は、ここに邦訳した彼の最晩年の著作『国家論』の中に端的に示される。

  • スピノザがその最晩年に著した国家論。その政体の区分の仕方などには、とりたてて他の思想家との差異は見いだせないが、『エチカ』で完成された彼の哲学体系から演繹される自然権論、自由論は、スピノザ哲学の文脈から切り離されてもなお一考の価値があろう。

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著者プロフィール

1632年11月24日オランダ、アムステルダムのユダヤ人居住区で商人の家に生まれる。両親の家系はイベリア半島でキリスト教へ改宗したユダヤ人(マラーノと呼ばれる)で、オランダに移住し、ユダヤ教の信仰生活を回復していた。ヘブライ語名バルッフ(Baruch)、ポルトガル語名ベント(Bento)、のちにラテン語名ベネディクトゥス(Benedictus)を用いた。ユダヤ教会内で早くから俊才として注目されたとも伝えられるが、1656年7月27日、23歳のときに破門を受ける。友人・弟子のサークルとつながりを保ちながら、ライデン近郊ラインスブルフ、ハーグ近郊フォールブルフを経て、ハーグに移る。1677年2月21日ハーグで歿す。同年、「エチカ」を含む『遺稿集』が刊行される。他の著作は「デカルトの哲学原理」、「神学・政治論」、「知性改善論」(未完)、「政治論」(未完)、「神、人間とそのさいわいについての短論文」、往復書簡集ほか。

「2018年 『スピノザ エチカ抄 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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