道徳形而上学原論 (岩波文庫 青 625-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003362518

作品紹介・あらすじ

「我が上なる星空と我が内なる道徳律」に限りなき思いを寄せたカント(1724‐1804)が、善と悪、自由意志、自律、義務、人格と人間性など倫理学の根本問題を簡潔平易に論ずる。彼の倫理学上の主著『実践理性批判』への序論をなし、カント倫理学のみならず、またカント哲学全般にたいする最も手ごろな入門書ともなっている。

感想・レビュー・書評

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  • カントというひとはもっと固いひとだと思っていて、なかなか、その主たる著作に手が出せないでいた。ところが、それは大きな勘違いで、このひとは、「知る」ということにかけて、ほんとうに情熱をもっていたひとなのだと感じた。
    彼の一番の関心は、「わかる」ということ。これはいったいどういうことなのか、そこに尽きる。なぜわかるのか、わかった状態というのは、いったいどうなっているのか。彼はひとつずつ、そして確かなものを思考する。これが、彼の批判。ほんとうにわかる、ということは、時間や空間、そのほかの条件すべてを超えて、すべての考える存在に当てはまらなければ、ほんとうにわかるということにはならない。そのように考えると、どうしたってわかるということがア・プリオリに可能でなければならない。
    この道徳というものは、そんな彼の原理のひとつの応用実践といったらいいだろうか。考えるということ自体がひとつの具体的実践の形をとる瞬間。道徳に関して、人間の意志を切り離し、ひとつの形而上学を打ち立てようとしたした点からもうかがえるが、ほんとうの道徳が、人間の意志に左右されるようでは、ほんとうの意味での道徳ではない。彼の定言的命法は、ただ条件をつけていないのではなく、どんな時でもどんな場合にでもあてはまるものを考えていたら、条件の付けようがなかったのである。条件の付けようがないものは、人間の意志ではなく、理性のひとつの形なので、ひとに強い命令と拘束を与える。なので義務の形をとる。
    思ったからと言ってそれを実行しないのは本来的に、人間の意志と、思うという行為とが別系統のものであるからである。ここで注意しなければならないのは、わかったと頭では理解しているけれど、なかなか実行できない、ということとは根本的に違うということである。理性が求めるのは、条件なしの普遍的な「わかる」であるから、わかった時点で、行動に移せないということはそもそもありえないことなのである。カントに言わせてみれば、頭ではわかっているんだけど、というのは、ほんとうにわかっているとは言えないのである。
    この本が原論たるところは、ここにある。道徳というものに対して、誰にでも・いつ・どんな場合にでも、という原則に基づくべきである。そうでなければほんとうの道徳ではない。カントが推し進めるべきだったことは、誰にでもあてはまるということはいったいどういうことなのか、そのことではないかと思う。誰にでもあてはまるはずのことが、なぜ、この「わたし」が考えているのか、なぜ、今このわたしがわかるのか。どうして考えているのが、誰でもない、この自分なのか。誰にでもあてはまるということは、存在しないということに他ならない。そういうものを原則として打ち立てるという時点で、仮言命法になってしまうのではないか。
    存在するということが、存在しないことを前提にしなければ存在しえない。たぶんカントも知っていたに違いない。だからこそ、物自体やア・プリオリという表現をせざるを得なかったのだと思う。

  • 凄い本。まあ訳わからん。ただまた読まないとならんと思う。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/706923

    近代哲学の祖と呼ばれるカントが発表した倫理学著作。
    カントの思想に触れる入門書としてもすすめられる。

  • ちょっと読みにくい

  • 比較的易しいカント、入門書に良いと思う。「善」とは何か、人に行動を命ずる「道徳」とは何か。
    道徳とは行動の基準であり、それ自体が目的、言わば「絶対に正しいもの」。
    そこに完成や経験などの「主観」の入り込む余地は無く、客観的な自己…それだけが絶対のもの。
    ここまで突き抜けたカントに惚れ惚れ。
    個人的に何が正しいかというのは社会が決めるもので、自分にとっての正義とは、あくまで正しいと「信じ続けられる」ものに過ぎません。
    生涯をかけても、到底カントには及ばない。

  • 「理性は善意の宝石箱やぁ~」、とカントは言う。だが、親切は、ただの親切で、道徳的価値はないし、親切にしたいという欲求を満たしているだけだ、と。道徳的価値があるのは、「~すべし」という格律(マキシム)によって万人に普遍に共有される善意である。じゃあ、万人に価値があると善意はなにか? 人を奴隷のよう扱わないで、手段としてではなく目的としてみることである。あるいは、人間に無限の可能性をみて信じることだ。ただ、その話は、理性的存在者にだけ当てはまる。どこぞの白熱教室にいる人も理性的存在者ではないかもしれない皮肉。

  • 我々はどのようなルールに従うべきか。
    個人の選り好みやその時々の状況(カントの表現では「傾向」)を完全に排除し普遍性を追求しつつ、カントはこの問いに対する答えを導く方法を示した。

    本書に書かれている順番を少し入れ替えてカントの推論を整理すると次のようになると思う。

    人間の意志は自由である
    ⇒「自由な意志」にも従うべき法則(格律=マイルール)がある
    ⇒その法則の立法者は自分自身である
    ⇒その法則は普遍的な法則でなければならない

    カントによれば、自由とは「存在者を外的に規定するような原因にかかわりなく作用」(p140)することができるということだという。すなわち「或る状態をみずから始める能力のこと」(p140 訳註二 ※『純粋理性批判』からの引用)

    人間以外の動物はただ自然法則にのみ従って生きているが、人間は自然法則に縛られることなく思考したり行動したりすることができる。
    かといって、「自由な意志」は完全なアナーキー状態ではない。まったき自分勝手が許されるか。否、「自由な意志」は「自分自身」という法則に従うのである。そしてその法則は自分に都合のよいものではなく、普遍的なものでなくてはならない。

    以上のことが有名な
    「君は、〔君が行為に際して従うべき〕君の格律が普遍的法則となることを、当の格律によって〔その格律と〕同時に欲しうるような格律に従ってのみ行為せよ」
    という格言に表現されている。

    自分が従うべきルールを自分で作るという、一見して循環論を孕んでいそうなこの問題を、カントは一人の人間は「悟性界」と「感性界」という二つの世界に属するものであるとして解決した。
    すなわち、立法者としての自分(=悟性界に属する自分)と義務に従おうとする自分(=感性界の自分)の二つの人格が一人の人間の中に共存しているという。

    また、カントは、自由である人間は、手段としてではなく一人一人が「目的」として扱われなければならないと論ずる(個々人の人格の尊重)。

    「およそいかなる理性的存在者も、目的自体として存在する(略)すなわちあれこれの意思が任意に使用できるような単なる手段としてではなく、(略)いついかなる場合にも同時に目的と見なされねばならない」(p101)言い換えると「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない」(p103)
    (ちなみに、ここから自殺否認論が帰結する。)(p104)

    カントの道徳論は理路整然としていて理解しやすい。「傾向」というノイズを排除し純粋に論理的妥当性、普遍性を追求しようとする態度は、自然科学にも通じるものがあるように思う。

  • カント自身によるカント道徳論の入門であると言ってもよい。論述は短く、理路は明確である。カントの理性への全き信頼に基づいた理想的道徳論は、今日においても一つの有効な教えとなりうるし、一つのドイツ観念論の結実としてしばしば参照されるのである。
    充実した注が、他の文献への導入ともなり親切である。

  • 義務論

  •  どうも息の長い論理展開はまだまだ苦手で、部分的な議論は理解できても全体を通した主張を論証まで正確に追っていくことまではできなかった。それでも、カントの議論が否定派がいうような理性的な生き方をする強い個人意外の存在をすべて否定するものではないということは理解できた。
     もちろん、カントの理想は自由な意思を持った理性的存在者による目的の国の実現であることは否めないであろうし、説明できないことを説明してしまうというアクロバティックな論理を駆使しているという問題もないとはいえない。しかし、傾向性と理性によって認識された最高原理が矛盾せずに両立するとき、いかなる批判が可能なのか。
     批判する側が容易にその論理に組み込まれてしまうというのは非常に恐ろしいことである。カントの理論は、他の理論を評価するさいの尺度として用いたほうがよほど建設的な気がしてしまう。
     結局良くわかっていないので、再読するつもり。

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