啓蒙とは何か 他四篇 (岩波文庫 青625-2)

著者 :
制作 : 篠田 英雄 
  • 岩波書店
3.62
  • (12)
  • (17)
  • (35)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 268
レビュー : 15
  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003362525

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 難解。


    事を成すに必要なるは、勇気。
    事を為さぬのは、思考力の欠如よりも、勇気の欠如。

    自身の悟性を使用する勇気こそが重要。

  • “啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜けでることである。〔……〕未成年とは、他人の指導がなければ、自分自身の悟性を使用し得ない状態である” p7

    冒頭から至極明快である。

    “ところがここに奇妙なことがある、それは――後見人たち〔※いまだ啓蒙されていない者たちを監督する立場にある者の比喩〕の手で最初この軛に繋がれたところの民衆が、およそ、啓蒙される見込みのない若干の後見人たちにそそのかされると、こんどは自分達のほうから後見人に迫って、いつまでもこの軛に繋いでおかせる、ということである” p9

    あるある。自由からの逃走。

    “自分の理性を公的に使用することは、いつでも自由でなければならない、これに反して自分の理性を私的に利用することは、時として著しく制限されてよい、そうしたからとて啓蒙の進歩はかくべつ妨げられるものではない” p10

    当たり前だが、カントは「ナチス以前」の時代の人であることに留意したい。「理論と実践」で語られる抵抗権の否定論もあわせて。

    “自然が、人間に与えられている一切の自然的素質を発展せしめるに用いるところの手段は、社会においてこれらの素質のあいだに生じる敵対関係にほかならない、しかしこの敵対関係が、ひっきょうは社会の合法的秩序を設定する原因となるのである” p29

    利己的だからこそ、人間は社会秩序を形成しようとするという理屈。とても納得できる。

    “そこで自然が我々に課した仕事は、人類がこの理念に次第に接近していくということである” p35

    公的正義は一人の権力者によって一度に実現することはできない。未完のプロジェクト。

    “第一は、人間に重くのしかかる数多くの害悪があるからといって、その責任を摂理に帰してはならない、ということである。また第二に、人間は自分の犯した過ちを犯す性癖のようなものが、原罪によって子孫に遺伝されている〔……〕と考えるのは誤解であって〔……〕” p79

    さすがカント。人間の限界を、人間が勝手に線引きするのはやめよう。

    “しかし利口ぶった人が、理論とその価値とを、(ただ頭脳を訓練する目的だけの)学課としては認めるが、しかしいざ実践ということになると、様子ががらりと変ってくるとか、〔……〕要するに、理論ではいかにも尤もらしく聞こえることでも、実践にはまったく当てはまらないなどと主張するにいたっては、とうてい我慢できるものでない” p114

    “理由と反対理由とのややこしい縺れから脱出して損得の差引き勘定を誤らないためには、頭がよくなければならない。これに反して、何がこの場合に義務であるか、を自問するならば、彼はこれに対する自答にいささかも惑うことなく、自分は何を為さねばならないか、ということを立ちどころに確認できるのである” pp135-136

    訳者後記の次の言葉に大変励まされる。

    “経験において未熟な青年が、自分で自由に考えることは、行き過ぎの危険を伴い易い、むしろ「亀の甲より年の功」で、長年の経験によって得られた老練こそ、安全な行路を約束する指針である、という反論がおきるかも知れない、しかしそれは思い違いである。行き過ぎは、行動の不足にまさる、前者は人の能力を開発するが、後者はそれを萎縮させるからである。それにまた自分で考えることを学び取った人達なら、やがて自分の行き過ぎにも、みずから気づくに相違ない” p193

  • 2016.4.19 読了

  • 啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出ることである、ところでこの状態は、人間がみずから招いたものであるから、彼自身にその責めがある。と書いてある。つまり、自分で考えて、行動しろということを一貫性を持って語っている。これは今読めてよかった。若いうちに読めてよかったと思っている。私はもうすでに成人であり、自分でものを考えられる。私は一人の人間として恥ずかしくない行動をし、社会で生きていきたい。そして社会で実践していきたい。そんな風に思わせる本であった。

  • 啓蒙(Aufkla¨rung)とは、「精神を覆っている、従ってこれを暗くしている愚かさや誤りを除く」ことである。

    カントによれば、啓蒙とは人間が自分の未成年状態から抜け出すことであるという。
    未成年とは他人の指導がなければ、自分自身の悟性を使用しえない状態である。

    啓蒙を成就するのに必要なものは、自分の理性をあらゆる点で公的に使用する自由に他ならない。

    理性を公的に使用する聖職者について言及し、主に宗教における未成年状態を脱却することを重要な論点として述べている。


    啓蒙とはつまり「自分で考える」ということです。

  • 難しいから全部読んでいない。
    啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出ることであり、この状態は人間が自ら招いたものだとカントはいう。また、彼は啓蒙を成就するのに必要なのは自由であると述べており具体的には自分の理性をあらゆる点で公的に使用する自由であるらしい。

    また、宗教による未成年状態はもっとも恥ずべきだと述べており、僕も激しく同意する。
    宗教の固定化した信条に対する批判。

  • 見つからんので。

  • 船を漕ぎつつ流し読み。ぽかーん。
    また読もうっと。

  • カントによる4編。『啓蒙とは何か』はあまりにも有名。
    ホッブズに対する反論が興味深い。自然状態の定義がまったく違い、カントは人間(人類)の成長に期待を持っている。ただ、それが達成されるのはいつになることやら。自分は人類が滅亡するまでに達成されるとは到底思えない。

  • 最初の2行が印象的だった。人間は生まれながらにして、悟性を持っているってことか。それにもかかわらず、悟性があることに気づかない振りをする。

全15件中 1 - 10件を表示

カントの作品

啓蒙とは何か 他四篇 (岩波文庫 青625-2)を本棚に登録しているひと

ツイートする