純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

著者 :
制作 : Immanuel Kant  篠田 英雄 
  • 岩波書店
3.43
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本棚登録 : 555
レビュー : 23
  • Amazon.co.jp ・本 (371ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003362532

作品紹介・あらすじ

イギリスの哲学者ヒュームの示唆をうけて、先験的観念論をうちたてた『純粋理性批判』は、『実践理性批判』『判断力批判』とならぶ、カント(一七二四‐一八〇四)三大批判書の一つで、これら「批判哲学」の基礎に相当する、著者の理論の代表的労作である。

感想・レビュー・書評

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  • 人間は、時間、空間、数、大きさ、といったような概念を
    みずから持っていて、それにあてはまるものを認識している。
    つまり、物それ自体をありのままに見たり認識したりしているわけではない。
    だから、人間の認識を可能にしている理性・悟性・感性にはおのずと限界がある。

    著者は、人間には世界にあるいっさいのものを認識する能力はない、と言う。
    人間の認識能力を超えているものを見るということはありえないと。
    だからといって、彼は神秘的な事柄など存在しえないとしたわけでもない。
    彼は神の存在や神秘的な事柄があるということを充分に示唆もした。
    ただ、それは人間の知性では把握できないだろうと。

    そんな感じで受け取りましたが、さて。(・ω・)

  • 視点の転換を提唱するコペルニクス的転回は有名ですね

    対象(客観的世界)のあるがままの姿をひとが認識するのではなく、ある枠組みにしたがって対象を構成することで認識する

    つまり私たちは対象物を枠組みのなかでしかとらえることしか出来ず、私たちは世界を構成することでしか世界を認識できないってことです
    物自体ではなくあくまで現象の認識なんだって考えると理性の限界ってやはりあるんだろうか 理論の限界って認めざるを得ないとすればそれは思考の放棄なんじゃないか

  • 『啓蒙とは何か』でカントは、人が未成年の状態から抜け出すには自らの理性を行使しなければならないという趣旨のことを言っていたけれど、その『理性』についてが理解できなかったら一生私は未成年のままでしょうか( ;∀;)ア・プリオリに存在するものと経験的に存在するものについて/時間について/論理学についてと悟性概念についてその原則と行使について。何かいながらも、とりあえず大量に付箋貼りながら読んで、要約書いて(それでも結構長くなった)、なんとか趣旨がわかったようには思う。あと中巻下巻があるから、道のりは長いなー。

  • 暇過ぎたら読んでみればいいんじゃねぇのとか思う程度だった。
    所詮は机上の話で、唯の文字情報に固定された”一つの世界”の話。
    ああ、でも”学問”として学ぶには良い本か。

  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方』
    書斎の本棚から百冊(佐藤優選)5
    宗教・哲学についての知識で、人間の本質を探究する
    …カント的世界観が、現在も圧倒的多数の人々の常識を形成しているので、…目を通しておく意味がある

  • 西洋の思考機械。。。
    最後まで読むのはいつの日か。

  • もう一度読みたい。

  • 中島敦を見習え to 翻訳者 Part 2

    形而上学批判。
    そんなもんわかるかーボケー!という逆ギレを嫌みったらしく書いたらこうなる。

  • 内容(「BOOK」データベースより)

    イギリスの哲学者ヒュームの示唆をうけて、先験的観念論をうちたてた『純粋理性批判』は、『実践理性批判』『判断力批判』とならぶ、カント(一七二四‐一八〇四)三大批判書の一つで、これら「批判哲学」の基礎に相当する、著者の理論の代表的労作である。
    目次
    緒言
    Ⅰ 先験的原理論
     第一部門 先験的感性論
      空間について
      時間について
     第二部門 先験的論理学
      緒言 先験的論理学の構想
      第一部 先験的分析論
       第一篇 概念の分析論
       第二篇 原則の分析論(判断力の先験的理説)

  • 「難しい」ということは評価に介入すべき事項ではないと思うわけで、
    文句なく★5つです。
    感性(=経験)で見ることが、実在の純粋認識でないということは、
    暗黙知の領域で、感覚として既知だったので、
    確認作業に近かったかな。
    けれど、暗黙知の言語化は再現性を生むし、
    なにより高次レベルへのステップとなる。
    しかも悟性とか現象とかの概念も理解できたし。
    やはりやはり、暗黙知の理論化は必要と思うわけです。

    「理性は自然から学ばなければならない、理性はそれ自体ではそれについて何も知りえないようなことを、自分自身が自然のなかへ入れたところのものに従って、これを自然に求めなければならない」

    「コペルニクス的転回」

    「認識の対象域は経験」

    「我々が認識し得るのは、物自体としての対象ではなくて、感性的直感の対象としての物。換言すれば、現象としての物だけである。」

    「およそ理性の可能的な思弁的認識は、すべて経験の対象のみに限られる」

    「道徳的前提は、思弁的理性に屈服せざるをえない」

    「思弁的理性が、超経験的認識を得るためのために使用せざるをえない原則は、実は可能的経験の対象にしか適用されない。」

    「経験が教える一切の性質を除き去っても、諸君に除去しきれない性質がある」

    「概念の分析は我々に多くの認識を与える。しかしそれは我々の概念を拡張するものではなくて、ただこれを分解しているだけ。」

    「対象から触発される仕方によって受け取る能力を感性、対象は感性を介して我々に与えられる、また感性のみが我々に直観を給する。ところが悟性によって考えられる、そして悟性から概念が生まれる」

    「現象を徹底的に究明しようと、結局対象自体の認識とははなはだしく異なる」

    「直観が経験的なものであれば、そこから普遍妥当的な命題が生じる筈はない」

    「概念のない直観は盲目。それだから対象の概念を感性化する(即ち対象の概念に直観された対象を与える)のも、また対象の直観を悟性化する(対象の直観をそれぞれの概念のもとに排斥する)のも、等しく必要なこと」

    「対象を思惟することと、対象を認識することは同じではない。即ち認識には二つの要素が必要。第一は概念(カテゴリー)であり、これによって一般に対象が思惟される、また第二は直観であり、これにより対象が与えられる」

    「理性の先験的使用はまったく客観的妥当性を有するものではない」

    「そこでもし我々がかかる制限的条件を放棄するとしたら、我々は今まで制限されていた概念を拡大することになる。そうするとカテゴリーは本来の純粋な意識を取り戻して、感性の一切の条件にかかわりなく、あるがままの物一般に妥当することになる」

    「我々の判断そのものは矛盾を含まないにしても、判断における概念の結合が対象と合致しないことが或る。内的矛盾をまったく含んでいないにもかかわらず、その判断は誤りである。」

    「私は与えられた概念の外に出て、この概念において考えられているところのものとはまったく別のものを、この概念に関係させて考察する」


    「判断自体からは、この判断が真実であることも誤診であることも看取されない」

    「直観から概念に至るのでなく、概念から直観にいたる」

    「感覚の欠無に対応するものは否定即ち零である」

    「感性的直観において、実在するものが全然欠けているということ自体は近くされ得ない」

    「経験的認識、換言すれば知覚によって客観を規定するような認識」

    「現象がどんなに変易しようとも実体は常住普遍であり、自然における実体の量は増しも減りもしない」

    「何かあるものが生起するというのは、或る可能的経験に属する知覚による」

    「カテゴリーは思考形態」

    「悟性が或る種の問題について、それが自分の解決し得る範囲内にあるかどうかを判別できないとすると、悟性は自分の要求と所有とを解決できないわけであって、もし自分の領域の限界をしょっちゅう踏み越える誤見と虚妄との中へ迷い込むならば、しばしば恥ずべき叱正を
    こうむる覚悟が必要である」

    「カテゴリーを現象と見なし得ない対象に適用しようとするならば、感性的直観とは異なる別の直観を根底に置かねばならない。それを積極的な意味での仮想的存在にする」

    「我々は感性だけが唯一の直観の方法であるとは言うことが出来ない」

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