- Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003362532
作品紹介・あらすじ
イギリスの哲学者ヒュームの示唆をうけて、先験的観念論をうちたてた『純粋理性批判』は、『実践理性批判』『判断力批判』とならぶ、カント(一七二四‐一八〇四)三大批判書の一つで、これら「批判哲学」の基礎に相当する、著者の理論の代表的労作である。
感想・レビュー・書評
-
なんとか上巻を読み終えたが、カント哲学の解説書から得たもの以上の事を自らこの書物の中から引き摺り出せる程に理解はできなかった。
もっと時間をかけて深く深く読み込まないと何も得られないのだろう詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人間は、時間、空間、数、大きさ、といったような概念を
みずから持っていて、それにあてはまるものを認識している。
つまり、物それ自体をありのままに見たり認識したりしているわけではない。
だから、人間の認識を可能にしている理性・悟性・感性にはおのずと限界がある。
著者は、人間には世界にあるいっさいのものを認識する能力はない、と言う。
人間の認識能力を超えているものを見るということはありえないと。
だからといって、彼は神秘的な事柄など存在しえないとしたわけでもない。
彼は神の存在や神秘的な事柄があるということを充分に示唆もした。
ただ、それは人間の知性では把握できないだろうと。
そんな感じで受け取りましたが、さて。(・ω・) -
視点の転換を提唱するコペルニクス的転回は有名ですね
対象(客観的世界)のあるがままの姿をひとが認識するのではなく、ある枠組みにしたがって対象を構成することで認識する
つまり私たちは対象物を枠組みのなかでしかとらえることしか出来ず、私たちは世界を構成することでしか世界を認識できないってことです
物自体ではなくあくまで現象の認識なんだって考えると理性の限界ってやはりあるんだろうか 理論の限界って認めざるを得ないとすればそれは思考の放棄なんじゃないか -
一読目の理解として。
・いかなり対象であっても、その「考える」うえでは、何らかの具体の対象物が必要であり、その対象物は、経験および経験から得られるイメージに助けを借りずには描けないので、「経験」の範囲内においてしかヒトは考えることはできない。
・一方で、「経験」なしに考えることができるのは、「形式」についてだけである。が、この「形式」も、そこから推論をするにも、現実(実在物)を借りねばならない。
・結果的には「経験」なしには、「論理の構築すらできない」であろう。
という理解でした。
顕教・密教の違いなど、経験の重要性を意識する今日このごろ、なんとなくカントのいわんとすることは分かりました。
とはいえ、まだ上巻なので、これから中・下と読み進めます。 -
大学の哲学の授業で読んだけれど、きっと1人だと挫折していた。この本から派生する先生の話が好きだった。
-
純粋理性批判 上 岩波文庫 青 625-3
(和書)2011年08月05日 16:02
1961 岩波書店 カント, Immanuel Kant, 篠田 英雄
柄谷行人さんの本を読んでいたら「視霊者の夢」と「純粋理性批判」について面白いことが書いてあったので、2回目の再読をしてみました。
あまりカントさんの本を難しく捉えては駄目だなって感じました。読んでいる内に、吟味として役に立てることができるように読んでいこうと思います。
次は中巻です。 -
生きるための古典
-
『啓蒙とは何か』でカントは、人が未成年の状態から抜け出すには自らの理性を行使しなければならないという趣旨のことを言っていたけれど、その『理性』についてが理解できなかったら一生私は未成年のままでしょうか( ;∀;)ア・プリオリに存在するものと経験的に存在するものについて/時間について/論理学についてと悟性概念についてその原則と行使について。何かいながらも、とりあえず大量に付箋貼りながら読んで、要約書いて(それでも結構長くなった)、なんとか趣旨がわかったようには思う。あと中巻下巻があるから、道のりは長いなー。
-
暇過ぎたら読んでみればいいんじゃねぇのとか思う程度だった。
所詮は机上の話で、唯の文字情報に固定された”一つの世界”の話。
ああ、でも”学問”として学ぶには良い本か。 -
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
書斎の本棚から百冊(佐藤優選)5
宗教・哲学についての知識で、人間の本質を探究する
…カント的世界観が、現在も圧倒的多数の人々の常識を形成しているので、…目を通しておく意味がある