永遠平和のために (岩波文庫 青 625-9)

  • 岩波書店
3.46
  • (41)
  • (70)
  • (170)
  • (12)
  • (2)
本棚登録 : 1357
感想 : 101
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (145ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003362594

作品紹介・あらすじ

世界の恒久的平和はいかにしてもたらされるべきか。カント(1724‐1804)は、常備軍の全廃、諸国家の民主化、国際連合の創設などの具体的提起を行ない、さらに人類の最高善=永遠平和の実現が決して空論にとどまらぬ根拠を明らかにして、人間ひとりひとりに平和への努力を厳粛に義務づける。あらためて熟読されるべき平和論の古典。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 18世紀末、フランス革命を経た国際社会を背景に、「永遠平和の実現」についてのイマヌエル・カントが真面目に考察した国際平和理論と実践方法。以下、概略。
    【予備条項】
    1、将来の戦争の種がひそむ平和条約は単なる休戦
    2、独立している国家は互いに侵すことはできない
    3、常備軍は廃止。但し、防衛手段としてはOK
    4、戦争遂行を気安くさせるので戦争国債は禁止
    5、他国への不干渉
    6、戦争時の卑劣な戦略は和平時の信頼性を損なわせる
    【確定条項】
    1、各国の政治体制は共和制がベスト
    2、統一世界国家より諸国家の連合スタイルにすべき
    3、世界市民法は各国市民が友好である権利を保障
    【第1補説】
    自然の摂理によって人間社会は次第に成熟すると、結局、利己的人間を抑制するとともに商業を発達させようとするので平和が望ましくなる。人間は永遠平和を道徳的義務とするはず。
    【第2補説】
    国家は哲学者のこうした意見を妨げてはならない。
    【付録】
    政治家はこうした道徳を手段に使うべきでなく、道徳の実現を目指すべき。政治は自ら取り決めた原則は、民衆に担保するため公表しなければならない。

    21世紀初頭、2度の世界大戦、冷戦を経て、ここに書かれていることはシンプルな内容だけに不完全ながらも実現されているもの(国)も多い。そして、テロの時代。カントがある意味想定し、また想定を超えた国際社会と状況になっているが、当時も今も空想理論として斥けるのは容易いけれど、カントが実践論として真面目に考えた内容は時代を超えて不断な再構築の努力を惜しむべきではないだろう。
    ちなみに、とある旅館の看板に付いていたという本書名はカントがやはりお茶目に名付けたのでしょうか、それとも真面目な義憤なんでしょうかねぇ?あれれ?っていう観点があるのは仕方がない。(笑)

  • 目次でみる、章立てや「平和」を維持するための要件、端々にある一文など、響くことばは複数ありますし、そこを拾いながら読むだけでも、ロシアがウクライナへの侵攻を続ける今、考えさせられることが多いように感じます。

    第1章の第5条項「いなかる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない」などは、まさに今日の事件が「誤った選択」によるものであることを明快に示しているように思います。

    とはいえ、一つひとつの文章が難解で、大変に読みづらいという印象を受けました。自分の読解力がないから、といえばそれまでなのですが、「で、結局何が言いたいの?」となるところが多く、最終的には「解説」のぶぶんをざっと読み、なんとなくわかったようなわからないような、というところです。
    立憲君主制の国家が多かった十八世紀末に書かれた論文だということも理由なのでしょうが、「共和制」という体制がいかに理想的か、という部分についても多くのページが割かれており、単純に「どのようにして「平和」を実現し、継続させるか」という具体的な姿が(特に現代の世界において)イメージしづらい、というのも個人的には読みづらさを感じた理由だと思います。

  • 1795年の本です。カントのこの考え方が、国際連合の元になったと言われています。


    難しい命題ではありますが、薄い本で手に取りやすく、よくまとまっていて読みやすいです。


    人が一緒に平和に生活するというのは自然ではなく、自然状態=戦争であり、だからこそ平和とは創設しなければならない
    という考えが元であり、甘い理想論ではありません。

    争いが起きる方が当たり前であり、「だから平和など意味がない」とするのではなく
    「永遠平和」を実現するために漸次努力し近づけていくものという思考は、
    闇雲に平和を叫ぶ現実的ではない平和主義者の思考よりも共感できました。

    軍があるということは、他国を戦争の脅威に晒しているということになります。ならば軍がなければ良いのかというと、自衛手段がなくては攻め込まれる隙を他国に与えることになり、戦争を呼び込んでしまいます。
    国を維持するというのは理想論だけでは当然運営できず、コストを考えての商業的な運営意識も必要になってきます。

    平和条約は実は休戦にすぎないというのはなるほどなと思わされました。
    「将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、けっして平和条約とみなされてはならない。」。
    平和とは、永遠平和のためにはどうしたら良いのか。自分なりに考えて求めていきたいと改めて思います。

  • 三批判書で有名なドイツ哲学者イマヌエルカントの平和論。「目的の国を目指しましょう」というような啓蒙的内容を想定していたが、むしろ政治哲学的な内容であった。本文では、永遠平和のために求められる条項が解説とともに挙げられ、補説・付録で永遠平和の実現可能性や道徳と政治の関係性について語られている。割と難解で、自分も1周目では完全な理解は得られず、読了後ざっと読み返してようやく理解出来た。読解に労力を要するので、今回は「本書を読まなくても内容を把握できるように」というテーマでレビューを書くことにする。本書を読むにしても、本レビューを参照してから本書に取りかかることによって理解の助けになると思われる。

    まず、本文について。

    第一章では、予備条項と題して6つの禁止条項が挙げられている。具体的には、常備軍の廃止、他国への暴力的干渉の禁止、卑劣な敵対行為の禁止、などといった内容であり、戦争に発展し得る要素を排除するという、いわば"消極的な"施策となっている。一方、第二章ではより"積極的な"平和への施策として、国法、国際法、世界市民法のそれぞれの観点で3つの確定条項が挙げられている。

    第一章は決してMECEではなく、むしろ思いつきで語っているような印象を持つ。著者の観察において戦争の要因となったと考えられる、もしくは今後なり得ると想定されるものを挙げ、それを禁止したというプロセスであると考えられる。それに比べ第二章の方が個人的に興味深かったため、以下に少し深掘る。

    カントはまず自然状態として、ホッブズが想定したような戦争状態を想定する。この敵対行為によってたえず脅かされている状態から平和状態を創設するためには、民族が国家として集結し、立法状態を築く必要がある。この立法状態として、社会の成員が自由かつ平等であるために最も理想的なものが共和的体制であり、これにより国民の一般意志が国家の意思として統合されることができる。君主制による専制的統治においては、戦争によって直接的負担を受けにくい君主が戦争の意思決定をするため戦争の決断が容易にとられるのに対し、共和制では戦争の回避を望む国民の意思が反映されるため、戦争に発展しにくいとされる。

    続いて、国家間の関係について考察される。共和制の下に統一された国家は国民の一般意志が国家の意思として反映されているため、国家を一つの個として考えることができる。したがって、国家同士の関係についても前述の通り戦争状態から平和状態への移行として立法が求められる。しかし、国家形成の場合と異なり国家間の関係においてはさらに大きい国家への併合、すなわち諸民族合一国家の形成はいずれの国家も望まないし、また同時に、望ましくもない。なぜなら、法は統治範囲が拡がると共に重みを失い、無政府状態に陥ってしまうためである。このとき、立法状態を構築するための消極的代替物として、国家間の連合形成が提案される。

    これだけではまだ議論は完全ではない。国家内では国法による統治がなされ、国家間では国際法による一定の安定が期待されるが、国家内の個人が他国家の個人と国家を通さずに接触する場面が考えられ、この状態にもなんらかの法による秩序形成が求められる。この場面としては具体的に、現代的な観光による他国への訪問だけでなく、近海に近づく船を略奪する、漂着した船員を奴隷にする、といった状況が想定されている。これらの場面に置いて、外国人というそれだけの理由で敵意をもって扱われるべきではない、というのがカントが考案する世界市民法である。地球の表面は球面であり、地表は有限であることから、人間は並存し互いに忍耐しなければならず、地上のある部分について他人よりも多くの権利を所有するということはないと考えられる。この事実から、他国に存する者に交際を申し出るという訪問の権利が保障されるべきであるとされる。この世界市民法の理念が国法や国際法に書かれていない法典を補足することができ、この条件の下でのみ永遠平和にむけて前進することができると述べられている。

    以上が本文である。続く補説は、世間に対する反駁のような内容となっている。すなわち、第一補説では「永遠平和は空想にすぎないのではないか」という反応に対する反駁が述べられ、第二補説では哲学者への弾圧に対する反駁が述べられている。第二補説は哲学者の意見は有益であるといった内容で、第一補説がメインとなっている。以下概要。

    「永遠平和は空想にすぎない」という文言に対してカントは、人間の義務や理性、道徳に着目する議論ではなく、自然の摂理が永遠平和に向かっているという議論をする。具体的には、自然は人間が地球上のあらゆる地域で生活できるように配慮し、それだけでなく戦争を用いてあらゆる地域に分散して生活するように仕向けた。そして、同じく戦争を用いて、人間が法的関係に立ち入り国家を形成するように強制し、また、民族間に言語と宗教の違いを設けることにより、諸民族一国家ではなく国家間で生き生きとした競争による力の均衡と平和の確保に導いた。さらに、戦争とは両立し得ない商業精神の導入により、個人の利己心を通じて諸民族を結合し、民族の安全を保証した。これらの観察により、永遠平和は空想的ではなく現実的なものとして確実性を確認することができ、それに向けた努力の意義を感じることができるのである。

    最後に、付録について。付録では、道徳と政治の関係性について述べられている。多くの政治家は、道徳を実践から乖離し浮き世離れした理論的な概念に過ぎないと批判するが、カントによると、両者の間に矛盾や対立は存在し得ないとされる。なぜなら、カントの考える理想的な政治は、国家の繁栄や幸福といった目的を設定した後にその達成に向けて前進するものではなく、定言命法を基礎として純粋実践理性の実現と正義を積み重ねることにより自然と目的の達成に導かれるものであり、これは道徳の実践に他ならないためである。

    ここで、定言命法については明確に定義されているが、そこから積み重ねるべき正義とはなにであろうか。カントは、政治が道徳と一致しているかの基準として、「格率が公表性と一致しないものはすべて不正である」と規定する。これはつまり、公表できない格率、および公表することによって意図の実現が失敗する格率は、その格率が人間のアプリオリに理性にもつ規準に反していることを意味し、すなわち純粋理性に反することが明らかになるためである。


    以上が本書の要約である。本書の価値としては、人間の利己性を前提としてなお永遠平和の実現可能性を指摘しており、さらにそれに向けて求められる体制を予備条項、および確定条項という形で建設的に議論した点である。1795年出版であるため、現代から振り返ると具体性に欠ける記述や世界大戦を通して反証された記述も少なくない。それでもなお、困難と考えられる永遠平和の実現について現代人に一筋の光を与えてくれる作品である。

  • 定言命法、カント的道徳、倫理観、永遠なる(一時的でない)世界平和の達成という理路を示した本。積んどいたのですが、ようやく読みました。日本の鎖国を高く評価する有名な部分も。道徳と政治の一致について、他国に対する経緯と当時の列強ヨーロッパの振る舞いへの懐疑は興味深い。むしろ後からのヘーゲルのほうが、ヨーロッパやキリスト教への信頼はナイーブに過ぎるように今の眼からは思える。ただ、カントの永遠平和の根拠が自然(神?)の摂理というのは、これも今から思うとナイーブに過ぎるか、、、、もちと考えます。

  • カント曰く「公法の先験的公式」から、公表性と一致しない政治的格率はすべて不正なのだそうですよ、安倍さん。

  • 仕事も生活も、平和があってこそのもの。

    どんな国も、他の国の政治や体制に武力で干渉してはならない。
    平和とは、全ての敵意が終わった状態を指す。

    永遠平和をもたらすための6項目の予備条項
    1.戦争原因の排除‐平和条約を含む戦争の原因をはらむものはすべて排除する。
    2.国家を物件にすることこの禁止‐独立している国を他国の所有としてはならない。
    3.常備軍の廃止‐限りない力での競争で他国を絶えず脅威にされさせてはならない。
    4.軍事国債の禁止‐対外的な紛争を理由に国籍を発行してはならない。
    5.内政干渉の禁止‐他国の体制や統治に暴力で干渉しない。
    6.卑劣な敵対行為の禁止‐暗殺者や毒殺者を利用すること、
    降伏条件を破棄すること、戦争相手国で暴動を扇動することなど。

  • ■書名

    書名:永遠平和のために
    著者:カント

    ■感想

    TOPPOINTで読了。

  • 読み切ったけど、全然安心がなかった。
    平和が来るまでは、悪い人たちが消えるまで待たなきゃいけないみたいなことが書いてあって、ずーーーんとなった。
    p101「世界は、悪い人間の数が減っても、そのことで決して滅びたりはしないであろう。道徳的な悪は、その本性と不可分な特性をもつが、その特性とは、悪はみずからの意図において(とりわけ同じ心をもつ他人との関係において)、自分自身と矛盾し、自己破壊を生じ、かくして善の(道徳的)原理に、たとえそれが遅々とした歩みでも、ついには場所を明ける、という特性なのである。」
    唯一救いだったのは平和は絵空事なんかじゃないと言われている点かな。

    読書メモ>>>>
    1-1
    p13「平和とは一切の敵意が終わることで、永遠のという形容詞を平和につけるのは、かえって疑念を起こさせる語の重複とも言える。」

    1-6
    p24 純粋理性の許容法則について
    法則の種類 命令、禁止、許容?

    法則 客観的実践的に必然であることを根拠に含む

    許容 ある行為が実践的に偶然であることを含む
    許容法則 だれもそれへと強制できない行為を強制することを含む
    →「法則の対象がこの二重の関係において同じ意味内容をもつとすれば、矛盾することになろう」

    『永遠平和について』における許容法則  命令、禁止は将来の権利に対しての法則
    許容は現状に対しての法則、不法性が発見されたならば直ちに終止する必要

    自然法学者(特に民法)に対して注意を払ってほしい許容法則
    禁止法則のうちの例外として扱われる、という区別しかされていない。許容法則は「場合場合に手探りすることによって、たんに偶然的に法則に付け加えられるにすぎない」。
    「許容は、禁止法則のうちに、それを制限する条件…として一緒に組みこまれる」のが本来の姿。

    ヴィンディッシュグレーツ伯の出した問題「いかなるニ義的解釈も許さない契約方式は、いかにして構想されることができるか」が解決されないまま終わったのは残念。
    一貫した立法、普遍的な法則を手にするためには解決しなければいけない問題だから。

    2-1 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。

    共和制の民衆制の違い
    国家の形態の種類
    権力の所有者
    1人(君主)、数人(貴族)、全員(民衆)
    統治方式
    共和制(執行権を立法権から分離)、専制(自ら立法したものを執行)

    民衆制 基本的に専制(立法者と執行者が同じであることができる)、多数が少数を無視して(時には反してまで)決議できる、p36「全員が主人であろうとする」
    p36「一般意志が自己自身と矛盾することであり、自由と矛盾することである。」→?自分が少数である時に、一般意志と自分が矛盾することを言ってる?
    「理性推理において、大前提の普遍が、同時に小前提において特殊をその普遍のうちに包摂することではないのに、この二つを同じと見るように不合理である」

    「代表制でないすべての統治形態は、元来奇形」
    p37「この唯一完全な法的体制の達成は、すでに貴族制の方が君主制の場合より困難であるが、民衆制となると、暴力革命による以外は不可能である。」
    →???法の最高の従僕である君主制が一番望ましい形ってことかしら?
    「統治方式には、それが法の概念にかなっている場合は、代表制度が属していて、共和的統治方式はこうした代表制度においてのみ可能であり、この制度を欠くと、それは…専制的で暴力的なものとなるのである。」

    ⭐︎自分なりまとめ
    統治方式は共和制が望ましく、執行権と立法権を分離するために、それは必然的に代表制の形を取る。
    立法は「私が同意することができた外的法則のみに」したがう、「相互に同じ仕方で束縛されることのできる法に、自分も同時にしたがわなければ、だれであれ他人をそうした法の下に束縛することができない」平等の関係の中で行われる。
    でも、立法は結局どこで、誰が行う???

    第一補説 永遠平和の保証について
    保証は自然が行なう。
    1.p71「自然は、法が最後に主権を持つことを、あらがう余地なく意志している」
    その根拠
    p69「ところが自然は、尊敬すべきではあるが実践にむかっては無力な、普遍的で理性に基づく意志に対し、しかもまさ
    にかの利己的な傾向を用いて、助力を与えるのである。」
    p71「そこでこうした傾向を用いる自然の機構が、理性によって手段として利用されることができるのであって、この手段を通じて、理性自身の目的である法的な指図にも活動の余地が与えられ、それとともにまた、国家自身の力が及ぶ範囲
    で対内的および対外的な平和が促進され、保障されるのである。 」
    自然状態の人間の利己的な傾向は拮抗する相手の傾向を阻止し合う。
    それを理性が利用すれば、法的指図をする余地がその間に生まれる。
    そのために平和が保障される。

    ↓ただ好きな言葉
    p71「(実際、道徳性からよい国家体制が期待されるのではなく、むしろ逆に、よい国家体制から初めて国民のよい道徳的形成が期待されるのである。)」

    2
    世界が一つの国にして平和になることを人は望むが、それは絵空事
    それが実現すると、統治範囲が広がることで法の力が弱まり、無政府状態になる
    自然は民族の混合を防ぐために、言語と宗教のちがいを用いる。
    国家が分離していることは戦争の口実にもなるが、文化の向上=理性の向上=諸原理の広範囲での一致=平和への同意に近づくことにもつながる。

    3
    商業精神が最終的にあらゆる民族を支配する。
    国家権力の下で最も信頼できる力は金力である。
    これを守るために国家は平和を促進するように迫られ、調停により戦争を防止するように強いられる。
    →結局、財産を守るために人間は戦争を避けるようになるのが現実的な落とし所ってこと?

    付録1 永遠平和という見地からみたどうとくと政治の不一致について
    p86「(1) 以上は理性の許容法則である。すなわち、たとえ公法がなお不法をともなう状態にあっても、すべてが完全な変革にいたるほどおのずから成熟してはいないか、あるいは平和な手段によって成熟に近づくようにしむけられない間は、そうした状態を持続させる、といった法則である。なぜなら、たとえわずかの合法性しかもたないにしても、とにかく法的である体制は、法的体制がまったくないよりはましであって、急ぎすぎた改革は後者の(無政府状態の)運命に見舞われるかもしれないからである。 ーーそれゆえ、国政の知恵は、現在あるがままの事態について、公法の理想に適合した諸改革を義務とするであろう。だが革命が自然によっておのずから生ずるときは、国政の知恵はそれをいっそうきびしく弾圧するための口実とはしないで、自由の諸原理に基づく法的体制が持続する唯一の体制であり、そうした体制を根本的な改革によって実現せよ、という自然の呼びかけとして利用するであろう。」
    p100
    権力を争う悪い者たちはお互いで潰し合うから、道徳を重んじる者たちの場所はその内、確保される。

    付録2公法の先験的概念による政治と道徳の一致について
    政治のある格率が道徳的に正しいかはそれを公にすることができるかで判断できる。
    ただし、決定的な主権を持つ者(国家)は自分の格率を隠し立てする必要がないので、例外。
    国際法と政治の確率が一致する条件は法的状態が存在することである。
    p114「たんに戦争の除去を意図するだけの国家の連合状態が、国家の自由と合致できる唯一の法的状態である」
    →国際法の下に国家が服する状態なら、政治と個人の関係と同等になるから、公にすることができるかで格率の道徳性を判断できるってことかな?
    p117「「(その目的をのがさないために)公表性を必要とするすべての格率は、法と政治の双方に合致する。」

    解説
    平和条約が休戦協定に過ぎないこと。
    平和構造が「理性の空想」と考えられていたこと。
    本書はこの2つに対するカントの反論。
    反論に必要なことは以下2つ。
    平和を空想論と呼ぶ根拠を明らかにし、それが間違っていることを証明すること。
    平和が実現可能である根拠を示し、それが正しいことを証明すること。
    第一章の予備条項は人類が殲滅戦に突入するのを防止する条項。
    第二章の確定条項は平和を実現するための具体的な条項。
    p137「国際法は「平和の法」に徹すべきなのである。」
    第一補説は平和が実現可能であることの証明。(自然が平和を保証する)
    第二補説は国家が哲学者に戦争や平和の問題を自由に議論させ、参考にすべきとの提言。
    付録は政治は道徳と合致すべきで、政治の方が道徳に合わせるべきというカントの政治哲学。
    というラインナップ。
    読み切ったけど、全然安心がなかった。
    平和が来るまでは、悪い人たちが殺し合って消えるまで待たなきゃいけないみたいで、ずーーーんとなった。
    唯一救いだったのは「平和は絵空事なんかじゃない」と言われている点かな。

    読書メモ>>>>
    1-1
    p13「平和とは一切の敵意が終わることで、永遠のという形容詞を平和につけるのは、かえって疑念を起こさせる語の重複とも言える。」

    1-6
    p24 純粋理性の許容法則について
    法則の種類 命令、禁止、許容?

    法則 客観的実践的に必然であることを根拠に含む

    許容 ある行為が実践的に偶然であることを含む
    許容法則 だれもそれへと強制できない行為を強制することを含む
    →「法則の対象がこの二重の関係において同じ意味内容をもつとすれば、矛盾することになろう」

    『永遠平和について』における許容法則  命令、禁止は将来の権利に対しての法則
    許容は現状に対しての法則、不法性が発見されたならば直ちに終止する必要

    自然法学者(特に民法)に対して注意を払ってほしい許容法則
    禁止法則のうちの例外として扱われる、という区別しかされていない。許容法則は「場合場合に手探りすることによって、たんに偶然的に法則に付け加えられるにすぎない」。
    「許容は、禁止法則のうちに、それを制限する条件…として一緒に組みこまれる」のが本来の姿。

    ヴィンディッシュグレーツ伯の出した問題「いかなるニ義的解釈も許さない契約方式は、いかにして構想されることができるか」が解決されないまま終わったのは残念。
    一貫した立法、普遍的な法則を手にするためには解決しなければいけない問題だから。

    2-1 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。

    共和制の民衆制の違い
    国家の形態の種類
    権力の所有者
    1人(君主)、数人(貴族)、全員(民衆)
    統治方式
    共和制(執行権を立法権から分離)、専制(自ら立法したものを執行)

    民衆制 基本的に専制(立法者と執行者が同じであることができる)、多数が少数を無視して(時には反してまで)決議できる、p36「全員が主人であろうとする」
    p36「一般意志が自己自身と矛盾することであり、自由と矛盾することである。」→?自分が少数である時に、一般意志と自分が矛盾することを言ってる?
    「理性推理において、大前提の普遍が、同時に小前提において特殊をその普遍のうちに包摂することではないのに、この二つを同じと見るように不合理である」

    「代表制でないすべての統治形態は、元来奇形」
    p37「この唯一完全な法的体制の達成は、すでに貴族制の方が君主制の場合より困難であるが、民衆制となると、暴力革命による以外は不可能である。」
    →???法の最高の従僕である君主制が一番望ましい形ってことかしら?
    「統治方式には、それが法の概念にかなっている場合は、代表制度が属していて、共和的統治方式はこうした代表制度においてのみ可能であり、この制度を欠くと、それは…専制的で暴力的なものとなるのである。」

    ⭐︎自分なりまとめ
    統治方式は共和制が望ましく、執行権と立法権を分離するために、それは必然的に代表制の形を取る。
    立法は「私が同意することができた外的法則のみに」したがう、「相互に同じ仕方で束縛されることのできる法に、自分も同時にしたがわなければ、だれであれ他人をそうした法の下に束縛することができない」平等の関係の中で行われる。
    でも、立法は結局どこで、誰が行う???

    第一補説 永遠平和の保証について
    保証は自然が行なう。
    1.p71「自然は、法が最後に主権を持つことを、あらがう余地なく意志している」
    その根拠
    p69「ところが自然は、尊敬すべきではあるが実践にむかっては無力な、普遍的で理性に基づく意志に対し、しかもまさ
    にかの利己的な傾向を用いて、助力を与えるのである。」
    p71「そこでこうした傾向を用いる自然の機構が、理性によって手段として利用されることができるのであって、この手段を通じて、理性自身の目的である法的な指図にも活動の余地が与えられ、それとともにまた、国家自身の力が及ぶ範囲
    で対内的および対外的な平和が促進され、保障されるのである。 」
    自然状態の人間の利己的な傾向は拮抗する相手の傾向を阻止し合う。
    それを理性が利用すれば、法的指図をする余地がその間に生まれる。
    そのために平和が保障される。

    ↓ただ好きな言葉
    p71「(実際、道徳性からよい国家体制が期待されるのではなく、むしろ逆に、よい国家体制から初めて国民のよい道徳的形成が期待されるのである。)」

    2
    世界が一つの国にして平和になることを人は望むが、それは絵空事
    それが実現すると、統治範囲が広がることで法の力が弱まり、無政府状態になる
    自然は民族の混合を防ぐために、言語と宗教のちがいを用いる。
    国家が分離していることは戦争の口実にもなるが、文化の向上=理性の向上=諸原理の広範囲での一致=平和への同意に近づくことにもつながる。

    3
    商業精神が最終的にあらゆる民族を支配する。
    国家権力の下で最も信頼できる力は金力である。
    これを守るために国家は平和を促進するように迫られ、調停により戦争を防止するように強いられる。
    →結局、財産を守るために人間は戦争を避けるようになるのが現実的な落とし所ってこと?

    付録1 永遠平和という見地からみたどうとくと政治の不一致について
    p86「(1) 以上は理性の許容法則である。すなわち、たとえ公法がなお不法をともなう状態にあっても、すべてが完全な変革にいたるほどおのずから成熟してはいないか、あるいは平和な手段によって成熟に近づくようにしむけられない間は、そうした状態を持続させる、といった法則である。なぜなら、たとえわずかの合法性しかもたないにしても、とにかく法的である体制は、法的体制がまったくないよりはましであって、急ぎすぎた改革は後者の(無政府状態の)運命に見舞われるかもしれないからである。 ーーそれゆえ、国政の知恵は、現在あるがままの事態について、公法の理想に適合した諸改革を義務とするであろう。だが革命が自然によっておのずから生ずるときは、国政の知恵はそれをいっそうきびしく弾圧するための口実とはしないで、自由の諸原理に基づく法的体制が持続する唯一の体制であり、そうした体制を根本的な改革によって実現せよ、という自然の呼びかけとして利用するであろう。」
    p100
    権力を争う悪い者たちはお互いで潰し合うから、道徳を重んじる者たちの場所はその内、確保される。

    付録2公法の先験的概念による政治と道徳の一致について
    政治のある格率が道徳的に正しいかはそれを公にすることができるかで判断できる。
    ただし、決定的な主権を持つ者(国家)は自分の格率を隠し立てする必要がないので、例外。
    国際法と政治の確率が一致する条件は法的状態が存在することである。
    p114「たんに戦争の除去を意図するだけの国家の連合状態が、国家の自由と合致できる唯一の法的状態である」
    →国際法の下に国家が服する状態なら、政治と個人の関係と同等になるから、公にすることができるかで格率の道徳性を判断できるってことかな?
    p117「「(その目的をのがさないために)公表性を必要とするすべての格率は、法と政治の双方に合致する。」

    解説
    平和条約が休戦協定に過ぎないこと。
    平和構造が「理性の空想」と考えられていたこと。
    本書はこの2つに対するカントの反論。
    反論に必要なことは以下2つ。
    平和を空想論と呼ぶ根拠を明らかにし、それが間違っていることを証明すること。
    平和が実現可能である根拠を示し、それが正しいことを証明すること。
    第一章の予備条項は人類が殲滅戦に突入するのを防止する条項。
    第二章の確定条項は平和を実現するための具体的な条項。
    p137「国際法は「平和の法」に徹すべきなのである。」
    第一補説は平和が実現可能であることの証明。(自然が平和を保証する)
    第二補説は国家が哲学者に戦争や平和の問題を自由に議論させ、参考にすべきとの提言。
    付録は政治は道徳と合致すべきで、政治の方が道徳に合わせるべきというカントの政治哲学。
    というラインナップ。

  • カントの晩年の代表作である「永遠平和のために」、やっと読むことができました。本書は訳注や解説を含めても150ページ程度なのであっさり読めるかと期待していましたが甘かったです。一行一行噛み砕きながら読み進めたものの、カント特有の婉曲的な表現なども多数散りばめられていて苦戦しました。そして本論よりも付録を読み解くことにさらに苦戦し、これは全体の3割くらいしか理解できていないのでは?と怖れを抱いていましたが、最後の訳者による解説によって理解度が一気に8割くらいに上がった気がします。おかげさまで腹落ちしてきた感じがするのですが、少し時間を空けてまた最初から一読しようと思っています。単なる理想像としての永遠平和ではなく、リアリズムの視点からも永遠平和がなしうることを説いた本として、とても興味深く読みました。
    以下、備忘録としてカントの述べている永遠平和のための条項です。

    <国家間の永遠平和のための予備条項>
    第1条項:将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。
    第2条項:独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できることがあってはならない。
    第3条項:常備軍は、時とともに全廃されなければならない。
    第4条項:国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。
    第5条項:いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力を持って干渉してはならない。
    第6条項:いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。

    <国家間の永遠平和のための確定条項>
    第1確定条項:各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。
    第2確定条項:国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。
    第3確定条項:世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。

全101件中 1 - 10件を表示

I.カントの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三島由紀夫
ジョージ・オーウ...
遠藤 周作
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×