歴史哲学講義 (上) (岩波文庫 青 629-9)

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  • Amazon.co.jp ・本 (363ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003362990

感想・レビュー・書評

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  • マルクスの『ドイツイデオロギー』を読んで面白かったので、そこで批判されていると思しき本を早速手にとってみた。

    まだひとつの著作の上半分しか読んでいないが、おおざっぱな印象としてヘーゲルの思想はすごく「キラキラ」してると思った。「世界精神」とか「理性」とか、マルクスの地道で土臭い感じに比べて、圧倒的に宗教的な天上界の匂いを漂わせている。

    ヘーゲルによると、歴史は「東」から「西」へ日が昇り、「西」の終わり、つまり西欧で歴史はその最終ステージに達するという、ほぼ直線的な進歩史観を鮮やかな地理的イメージによって示している。そうするとやっぱり、ヘーゲルの時代にはまだまとまった国をなしていなかった新大陸こそが、歴史の最終ステージの更に後日談ということになるのだろうか。

    人が法律を守るのは、法律を守ることによって自由になるためだという。なぜなら、法律とはみんなが決めたことだから、法律を守る人がその共同体の成員として成熟していれば、みんなが決めたことを守るのは自ずと自らの自由な暮らしを守ることになるから。

    ぼくは、この辺にヘーゲルの突っ込みどころがあるような気がした。つまり、ヒトラーのような悪い独裁者が現れて悪法をどんどん作ったら、その法律もみんなで決めたことだから、それに従うのは自由な暮らしを守るためになるのか、など。もっともこのような細かい話はきっと『法の哲学』なんかでも委細に説明しているのだろう。

    ヘーゲルによれば、理性はものごとの本質としてあまねく事物に内在していて、特殊なことから普遍的なことへ人々が関心を移していくなら、自ずと人々はその理性の下へ自動的に統合されていき、おのおのが好き勝手に振舞ってもその矩をこえない、論語のような話になるという。

    やっぱりなにかとてもキラキラしていて、世界宗教、フリーメーソンのような雰囲気がある。どこかにも書いてあったが、マルクスという批判者と一緒に読むとちょうどいいのかもしれない。

  • ・本書の対象:哲学的な世界史
     歴史の見方には三種類存在する。事実そのままの歴史、反省を加えた歴史、哲学的な歴史の三つである。本書の考察の対象は「哲学的な歴史」である。哲学的な歴史とは、「思考によって歴史をとらえること(P22)」にほかならない。その際に一つ、信ずるべき思考がある。それは、「世界史のうちに理性が存在すること、知と自覚的意志の世界は、偶然の手にゆだねられるのではなく、明晰な理念の光のうちに展開すること(P25)」である。では、理性とはいったいなんなのであろうか。理性が世界と関係づけて捉えられる限りで、この問いは「世界の究極目的は何か」という問いにつながる。この問いを考察するためには二つの考察が必要である。①究極目的の内容を定義づけること、もう一つは、その実現の様を明らかにすること(②手段、③その形態)である。
    まず①について考察する。そもそも世界史の主役は精神であり、精神のもっとも具体的なあらわれが世界史である。精神の本質は「自由」である。したがって、「世界の歴史とは、精神が本来の自己をしだいに正確に知っていく過程を叙述するものだ(P38)」とすることができる。世界史とは、自由の意識が前進していく過程である。以上より、世界の究極目的は「精神の自由についての意識と精神の自由の実現(P40)」と表すことができる。次に二点目、すなわち実現の様についてである。まずは②手段をみていく。自由そのものは内面的な概念であるが、それを実現する手段は、「歴史の中で直接目の前に現れてくる外面的な現象(P43)」である。歴史の中で現れてくる外面的現象は、世界史的個人による情熱の活動の結果である。しかし、世界史個人の利害は必ずしも一般理念(究極目的)とは一致しない。それは特殊なものに過ぎない。だが、特殊なものがたがいに対立することで、そこから背後にある一般理念が現れてくるのである。世界精神の体現する正義は、すべての特殊な正義の上を行くものなのである。続いて、③実現の形態について考察する。ヘーゲルによれば、それは国家である。個人の主観的意志は、共同体の中で共同体精神を形成する。国家は、「共同体精神が人々の現実の生活や信条の中に生き生きと存在し、維持されるようにする(P73)」のである。共同体精神は、国家の法律のうちに表現されることとなる。ヘーゲルの歴史哲学で重要なのは、世界史においては、「国家を形成した民族しか問題とならない(P72)」ということだろう。なぜなら、「国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間の持つすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしか与えられないから(P73)」である。

    ・世界史概論
     世界史は上述した通り、精神の自由についての意識 と精神の自由の実現の過程であった。それは大きく三つの段階に分けられる。①精神が自然の在り方に埋没した状態、②そこを抜け出して自由を意識した状態、③いまだ特殊な状態にある自由から純粋に普遍的な自由へと上昇し、精神の本質が自己意識および自己感情として捉えられた状態である。このように三段階の枠組みを設定したうえで、世界史を概観すると、その始まりはアジアであった。自己意識という内面の意識が初めて生まれた。しかしながら、東洋は過去から現在に至るまで、一人が自由であることを認識するにすぎなかった。次の段階が、ギリシャとローマの世界である。そこでは特定の人々が自由だと認識していた。最後に、ヨーロッパにおいて世界史は終わるのである。つまり、ゲルマン世界は万人が自由であることを認識したのである。以上東洋、ギリシャ・ローマ、ゲルマン世界は、政体だと専制政治、民主制および貴族政、君主制に対応する。
     本書では、第一部では東洋世界を中国、インド、ペルシャという国家ごとに区分し、地理的条件、宗教的条件に着目し、歴史の発展(つまり、自由の意識の獲得の過程)を論じていく。第二部ではギリシャ世界を、第三部でローマ世界を論じる。第四部ではゲルマン世界を考察する。ヘーゲルはゲルマン世界の歴史を「国家と教会の関係性」に着目して論じる。すると、三つの時期に区分することができるという。①キリスト教の世界(国家が一体となっている)の段階、②教会と国家が対立する段階→封建制度の確立、③キリスト教の真の原理が宗教改革によって明らかになり、国家が理性によって構築されていく段階である。ここに、世界史の完結をヘーゲルは見る。

  • ヘーゲルはこの書で西欧近代が達成した精神文化(=人間の自由の全き発展)のルーツとその発展過程を描いている。しかしその捕らえ方はいかにも西欧文化偏重で、中国やインド等にも可也のボリュームを割いているが、彼の言う『世界精神』の発展にはそれらの文明は全く寄与しておらず、ましてやアフリカ、中南米等の歴史はヘーゲルに言わせると世界史の舞台からは全く外れている。彼の著述はいささか手前勝手な論理展開であるとの観は否めない。しかしながらその歴史を見る視野は壮大であり、ペルシャからギリシャ、ローマ、中世キリスト教、宗教改革を経て、ゲルマン社会に花咲いた近代文明を描く雄大な物語は圧巻であった。彼の言う『世界精神』とは『神』を意味していると思うが、そういった意味では『人類が営々として築いて来た、又築きつつある文明とは何か?』『文明発展をささえるエネルギーは何か?』『その行く末は?』を考えさせてくれる刺激的な内容であった。

  • ヘーゲルが行った歴史という観点から哲学的考察を行う講義を行った講義録。難解難解な精神現象学に比べると丁寧な口調と訳でとても読みやすいし、話も追っかけやすい。世界史とってなかったぼくもうなづきながら読んだ。

    ヘーゲル的には歴史を通じて人間は理性による思考を得て、主体的に神の存在との折り合いをつけていく。歴史は人間の思考の進歩を通じて進歩していく。神の下に従属する人間ではなく、神の下においても主体的にあくまで自由に個人として成熟して生きていく。その自由が社会的に結実したのが国家である。国家の俗とキリスト教の聖の矛盾の葛藤も、長い間の弁証法的な主体的な思考で乗り越えることができる。ここに理想的な君主制国家のもとでの平等な人間社会が生じてくる。主体性をテーマに思考し、本を書いた身としては、このへんの葛藤とプロセスはとてもよく理解できる。

    ささっと読むとヘーゲルのアジア、アフリカ、新世界の露骨な蔑視とヨーロッパとキリスト教びいきの強さに「なんじゃそりゃ」と思ってしまうけれど、上のような観点、、弁証法的に神と人間との矛盾の葛藤が進歩していくのが歴史と考えるのならば、このような葛藤がなく、調和し(つまりは歴史的に停止し)たインドや中国の社会は、なるほどヘーゲル的には「歴史がない」と言ってもおかしくはないだろう。アナロジーとしては、漢方医学がある。漢方はほとんど変わらない。その変化のなさは、いわば「歴史の止まった状態である」。弁証法的にどんどん変革していく西洋医学との違いはそこにある。彼の立場に立って読んでいくとこの本はとても面白い。

    この主体性はすべての人間にそなわっています。各人はそれぞれに神との和解をなしとげなければならないのです。 下巻314ページ

    そして、主体性が確立され、理性を持った人間の神の下での平等な社会をヘーゲルは歴史の最終型と考える。

    歴史の最終段階 352ページ 

    もちろん、マルクス出現前の話である。マルクスはさらに先に行った(が、頓挫した)。歴史の一方向的進化と予言的な考えはマルクスにも通じるものがあるかもしれない。

    とはいえ、ヘーゲルの君主制国家やキリスト教、神への絶対的な信頼は、むしろ弁証法的には甘いものだと後世のぼくらの目からは思える。戦争に火薬が持ち込まれた時、彼は軽々しくこう口にする。

    火薬によってはじめて、個人の感情をまじえない高度の勇気が生じた。飛び道具の使用は、ここの人物をねらうものではなく、抽象的な敵にむかって一般的に狙いをつけるものだからです。 下巻294ページ

    その火薬が長じて、核兵器のような悪夢や、イラクにアメリカが攻め入った時のデジタル・トイ的非人間性につながったことを考えると、「おいおい、ヘーゲルさん、あまりにも考えが甘くございませんか」と突っ込みを入れたくもなる。もちろん、茶々も入れたくなる。精神現象学を書いた時、ヘーゲルはまだ30代だったのだから(肖像画からどうしても老人のイメージあるけど)。

    もちろん、この甘さは、彼がヨーロッパを悲惨と疑惑の地に押しやった第一次世界大戦やナチスドイツの非道や、レヴィ=ストロース的「未開社会」の見方や、構造主義、ポストモダンの相対的世界観を知らなかったから、、、という言い訳は成り立つかもしれない。それにしても、彼みたいにジャイガンティックな知性ですら、東洋思想の価値を看破できず、ユーロセントリックで夜郎自大な思想に陥ってしまうことを考えると、頭で考える観念と演繹の限界を感じざるをえない。いわんや、ぼくらみたいな凡人をや。

    神と俗、神と自己との葛藤に苦しんだヨーロッパで哲学が発達し、他の国ではそうでなかった理由が今ではよく分かる。アメリカは、この葛藤をスルーして、金銭におぼれながらもクリスチャンでいる矛盾をちゃらにした。だから、トクヴィルはアメリカには哲学がないと言ったのだ。もちろん、日本は言うまでもない。日本が葛藤なしにアメリカから民主主義を「もらって」しまったことの功罪は、、、、

  • 歴史は進歩する。

    歴史は精神によってつくられ、
    精神は自由を求めて発展する。

    歴史は東から西へと発展する。
    中国➡︎インド➡︎ペルシャへと。

    この著書は、それまでの
    「事実そのままの歴史」と「反省をふまえた歴史」とは一線を画する歴史の捉え方である。

    弁証法を打ち出したヘーゲルならではの歴史観がそこには見えてくる。

  • ヘーゲル的歴史観というのがよく表れていてとっつきやすいのかもしれないが、中国とインドの文化への批判、さらにはアフリカへの理解、あるいは無理解は酷いものがある(もちろんそう扱う理屈は長い序論に詳しい)。そこは疲れる。下巻の訳者による解説は先に読んでおくと良いかもしれない。
    風呂の中で長々と読んだ。

  • 「世界史は、自由の意識を内容とする原理の段階的発展として示されます」という、悪名高きヘーゲルの歴史哲学が具体的に展開されている講義。世界史を精神の発展として把握しようとする哲学的歴史を構想するヘーゲルにあっては、実証的に歴史を把握することは問題にならない。重要なのは、自由の原理が歴史においていかに実現しているかである。ヘーゲル的用語によって見えにくくなっているが、「序論」を読むと、ヘーゲルの建てた問題は昔からの神義論の問題にもつながるものだということがわかる。ヘーゲルの主張に賛同するかどうかはともかく、世界史に何の意味があるのかという問題設定自体には見習うべきだろう。様々な意味で、本書は問題の書であり続けている。

  • 序論は歴史の方法、その後は東洋:中国、インド、ペルシアの記述である。

    内容を読んで思った感想は、思ったより理論的に書かれていること。ヘーゲル・マルクスはアジアをどのように記述しているのかと思っていたが、かなり研究しているようであること。中国にも一定の技術の程度を認めていること、インドはかなり評価していないと思ったこと、ペルシアは欧州に近いせいか、親近感を持っている表記であったこと。などなど。クローチェはヘーゲル学徒であったが、彼にもつうづるものがある。
    しかし最初から最後まで、「欧州史観」であり、歴史を発展とみなしていると思える。彼は歴史に「理性」や「自由」を見出そうとしているようだが、それはやはり一面的である。

    よってかなり古い、と言わざるを得ない。しかし知らないことも知れたので、一読の価値はある。

  • 面白かった!

    世界精神の発展を歴史の中で著述していく。
    哲学史の中のヘーゲルの位置付けなんかももっと知りたいなと。

    歴史の中の神の存在を見い出す、ヘーゲルの弁神論。

  • ヘーゲルの与太話だよね。前半は、まさにまだ序の口だけど、この一方的な見方が結構魅力的でもある。ファシズムの前提となったアーリア人優位主義は、昔からドイツ人のごく普通の意識だった事が分かる。しかし、中華思想はべつに中国の特許ではない、どこにでもある考え方なので、驚くには当たらない。振り返って日本人の偏った自意識もなかなかのものだと気づかされる。

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