自殺について 他四篇 (岩波文庫)

制作 : Arthur Schopenhauer  斎藤 信治 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 890
レビュー : 46
  • Amazon.co.jp ・本 (107ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003363218

作品紹介・あらすじ

ショウペンハウエル(1788‐1860)の主著『意志と表象としての世界』以上に愛読された『付録と補遺』の中から、自殺に関する論稿5篇を収める。人生とは「裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない」など、透徹した洞察が、易しく味わい深く書かれている。

感想・レビュー・書評

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  • あとがきを読んで気づいたが、ショーペンハウアーの中でも、晩年のものになるらしい。
    ものを考へるひとはこれまでにたくさんいた。それぞれにものを考へ、ここまで続いてきた。さうした中にあつて、彼は生きること死ぬことといふ当り前だが当り前過ぎて忘れられたことを考へやうとしてゐる。
    死といふものがただのことばであると同時に、だからこそ、逆説に死がそばにあることに気づいてしまつたひとだ。
    このわたしといふ存在は、肉体的な現象であると同時にそれを知り見つめるといふ観念的な存在である。意志は実体がないゆえに肉体として実現してゐる。それを悪とと呼ぶなら、生きてゐることは押しなべて害悪でしかないではないか。死ぬといふことは、さうした存在の消滅なのだから、ひとは進んで死なねばならぬ。
    善く生きられないなら死ぬといふことのどこが罪だといふのか。自殺を称揚してゐるのではなく、さうとしかできないことを彼はよく知つてゐる。毒杯を仰げるひとだ。
    生きることの否定に生きることがあるといふのだ。貧困や不幸といふものは、生きることの肯定ではなく、否定への足掛かりであるが故に、羨まねばならぬのだ。キリストの貧しきものは幸ひなりといふことばはかうして生きてくる。
    ひとが死に行く存在であるのは必然であるから、畢竟人生とは生命の否定の連続でしかない。産めよ増やせよといふのも、交合だと自身の意志を積極的に肯定するものであるから、新たな出生による現在の意志の否定をせよといふことになるのだ。
    人生を悲観してゐるといふよりは、むしろ、生きるも死ぬも同じことで、死がすべての終りだといふのはすべてまぼろしだといふ、生きることへの驚きである。ないものはないし、あるものはある。死ぬことに恐怖することもできなければ、苦しみやうもないといふことを知るとき、生きることがどれほど苦悩に満ちてゐるか、精彩な輝きを放つ。彼が自殺しなかつたのは、生きることと何ら変はりなかつたからだ。彼が求めてゐたのは、意志それ自体の抹消だと思ふ。意志の抹消を知ることなど決してできない。故にどこまでもその彼岸に焦がれてゐたのだと思ふ。
    彼はニーチェのそれとは異なり、生きてゐる限り彼岸さえもこの此岸の延長でしかないことを知つてしまつたからこそ、発狂などできなかつたのだ。

  • 本書はショウペンハウアーの最後の著作『パレルガ・ウント・パラリポーメナ』の中から自殺にまつわる断章を纏めたものである。主著であり哲学的マニフェスト『意思と表象としての世界』がある一方で、『パレルガ・ウント・パラリポーメナ』は直訳すると「補遺と附録」となり、先述の浩瀚な主著に対して文字通りの意味を担っている。概ね、哲学小論集の体裁を採用した『意思と表象としての世界』の取り扱い説明書であるとも言えよう。

    様々な概念が乱れ飛び紆余曲折を極める主著に対して、本書にまとめられた内容はそれ自体一貫性があり、決して読みにくい類の文章ではない。しかし時折、不意に、出し抜かれるかのように、一見して明快であるはずの論旨に置いてきぼりを喰らうことがある。そしてその躓きの場所にこそ、ショーペンハウアーの透徹したペシミズムが残響しているのだ。

    人生の虚無について、たっぷりと皮肉を利かせながら淡々と語り上げる彼の文体からは、随所から厭世的な諦念の嘆息が聞こえてくる。生の無意味、死の無意味、不幸と幸福の無意味、思索と苦悩の無意味…本書の論旨を天蓋の様に覆うこのペシミズムにも、しかし、読者我々はやがて慣れてゆく。ショーペンハウアー哲学の悲壮な理解を、読書という実践の中で僕らは徐々に獲得してゆく。それは、凍える腕で自らを抱きながら冷たい河に身を浸すような、厳しく冴えた経験である。

    しかしこの河は、突然その流れを加速する。凍てつく激流として読書を刹那翻弄したかと思うと、再びもとの緩やかな淀みを取り戻す。この現象が意味する処はつまりショーペンハウアーの内部で、通常的で素朴な思想と透徹した閃きによる特殊なそれとが混沌と同居していることを意味している。

    ショーペンハウアーという人間は、西洋の伝統的な哲学から仏教を中心とする東洋思想まで実に様々な思索を要する美しい多面体である。素朴で直観的な文学的著述から俄かに顔を出す様々な面の多様と独創に、その華麗なダイナミズムのあまりの奔放さに、我々はしばしば困惑する。

    彼は驚くべき賢明である。及ばないのは大抵読者の方だ。置いて行かれた時は、じっくり来た道を吟味して、目を凝らし、耳を澄ますことだ。こぼしたものをきちんと拾えば、また必ず歩き出せる。

    生きること、死ぬこと。この二律を、まさに今を生きる現存在たる我々が思惟することに、なんの意味があろうか。況や自殺をや、である。

  • 主著『意志と表象としての世界』の 謂わば附録といった処の小論集:最終作 "Parerga und Paralipomena" (1851年) の一部を訳出したもの。

    ド素人の私には 主著よりずっと身近な題材を採ってあり 故に解釈も 自分なりのものを伴って容易に進めること叶った。哲学を何かとても小難しい 学問中の学問と空想している生活人にも それはきっと同じだろうと想う。
    また タイトルから誤解は生じがちかと想うが これは自殺を支持肯定して在りながら そして防止を試みている訳でもないのに 読む者に実行を思い止まらせるような書である。一見して悲観論ばかりは並べられてあっても 其処は綺麗事の一切ない真理が展開する世界故 無数の光線呼び込み 実は燦然と眩いのだ。真実美の世界である。其処に立つのを感じた時 人は努々自ら離れようなどとは想わないものである。

  • 成程。しかし最終的に彼が自殺を否定する理由とする、そのキリスト教的な「非常に高い倫理的立場」に到達しないどころか解しもしない無神論者や異教徒は自殺してもいいという事になるのか。では彼は普遍的に自殺を否定するのではなくて、キリスト教者であるならば自殺してはならないと言っているのと同じだ。因みに僕は自殺に肯定的だが。

  • こんなに短いのにこんなに難しいなんて思わなかったが、おもしろかった

  • 普段ほぼ小説しか読まない自分が、表題のインパクトから興味を持ち、思わず手に取ってしまいました。

    せっかく買ったので読み始めたものの、哲学とか全くかじったことないからよく分からないし、文体が古くて見慣れない表現が多く、内容を理解できている自信が全然ありません。

    なので、以下はINTの低い人間の戯言的なメモです……

    ----

    本書は、まず死の定義から始まって、次いで人間の活動で得られる歓喜と苦痛についてと、人が自殺というアクションをとる仕組み。そして自殺は悪なのか? という疑問について記されている……のかな?

    根拠のない先入観から宗教寄りの見解が多いのかと思っていましたが、全く機械的に題材を解釈・分析している内容という印象。むしろ、後半の自殺論ではいくつかの宗教を痛烈に批判しているように思います。

    以下は読み終えて何となく覚えている(印象に残っている)点。

    ・動物と違って人間は死を知覚し、それに対する恐怖と絶えず直面している。
    ・人同士の(生きようとする)意思が対立し、片方あるいは両方に苦痛をもたらすことがある。
    ・また、全てが満たされることにより生じる「退屈」も、人間にとっては苦痛である。
    ・死の恐怖と抵抗は相当なものであるが、不幸の感覚(苦痛)の昂揚が人間を自殺にまで追いやることがある。また、死への抵抗は肉体的苦痛と精神的苦痛との対立でもある。
    ・自殺に反対できる倫理的根拠があるとすれば、自殺は倫理的最高目標到達への反抗とみなされるからである。

    解釈の正誤は置いておくとして、概ね「なるほど」「そうだよなぁ」という内容でした。が、父母からそれぞれ意思と知性を受け継ぐ、という点だけ疑問符が浮かびました。それは何かの比喩か、少なくとも今の時代はそうとは言えないかな、と。

    また、意思と知性について、意思は絶対的なもので知性は二次的なものとされています。しかし個人的には、知性の増強が(生きようとする)意思を強化することもあるのでは(必ずしも知性は意思の二次的存在ではないのでは)? と思っています。

    例えば、退屈という名の苦痛が死への抵抗を越えることがあるとすれば、知性を高めることで知識欲の増強につながり、退屈さが緩和(=苦痛が緩和)され、結果として(生きようとする)意思の強化につながるのでは、と。とはいえ退屈で自殺するケースなんてそうはないでしょうから、あまりに稚拙なカウンター意見ですが(恥)……

    ともあれ、自分にとっては難しい本でしたが、いろんなことを考えるきっかけになりました。おかげで退屈さが解消されて(笑)、良い時間を過ごすことができた気がしています。

  • あたかも船が底荷を必要とするように、ある程度の負荷があることで、それを幸福や快楽へ転じようするのが人間だ。

    負荷が必要であるのが人間なのだ。

    とすれば、
    人生の幸福は、喜怒哀楽の喜と楽だけでなく積極的な怒と哀、
    喜怒哀楽すべての総量が人生の幸福の尺度だ。

  • 1997.4.9 読了

  • 死と生に関する深い洞察と思索。面白い。

  • 個体の意思も、幸不幸も、生死すらも、つまるところ問題ではない。けれど感情が納得しない。それではここにいる私は何なんだ。

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