自殺について 他四篇 (岩波文庫 青 632-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003363218

作品紹介・あらすじ

ショウペンハウエル(1788‐1860)の主著『意志と表象としての世界』以上に愛読された『付録と補遺』の中から、自殺に関する論稿5篇を収める。人生とは「裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない」など、透徹した洞察が、易しく味わい深く書かれている。

感想・レビュー・書評

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  • あとがきを読んで気づいたが、ショーペンハウアーの中でも、晩年のものになるらしい。
    ものを考へるひとはこれまでにたくさんいた。それぞれにものを考へ、ここまで続いてきた。さうした中にあつて、彼は生きること死ぬことといふ当り前だが当り前過ぎて忘れられたことを考へやうとしてゐる。
    死といふものがただのことばであると同時に、だからこそ、逆説に死がそばにあることに気づいてしまつたひとだ。
    このわたしといふ存在は、肉体的な現象であると同時にそれを知り見つめるといふ観念的な存在である。意志は実体がないゆえに肉体として実現してゐる。それを悪とと呼ぶなら、生きてゐることは押しなべて害悪でしかないではないか。死ぬといふことは、さうした存在の消滅なのだから、ひとは進んで死なねばならぬ。
    善く生きられないなら死ぬといふことのどこが罪だといふのか。自殺を称揚してゐるのではなく、さうとしかできないことを彼はよく知つてゐる。毒杯を仰げるひとだ。
    生きることの否定に生きることがあるといふのだ。貧困や不幸といふものは、生きることの肯定ではなく、否定への足掛かりであるが故に、羨まねばならぬのだ。キリストの貧しきものは幸ひなりといふことばはかうして生きてくる。
    ひとが死に行く存在であるのは必然であるから、畢竟人生とは生命の否定の連続でしかない。産めよ増やせよといふのも、交合だと自身の意志を積極的に肯定するものであるから、新たな出生による現在の意志の否定をせよといふことになるのだ。
    人生を悲観してゐるといふよりは、むしろ、生きるも死ぬも同じことで、死がすべての終りだといふのはすべてまぼろしだといふ、生きることへの驚きである。ないものはないし、あるものはある。死ぬことに恐怖することもできなければ、苦しみやうもないといふことを知るとき、生きることがどれほど苦悩に満ちてゐるか、精彩な輝きを放つ。彼が自殺しなかつたのは、生きることと何ら変はりなかつたからだ。彼が求めてゐたのは、意志それ自体の抹消だと思ふ。意志の抹消を知ることなど決してできない。故にどこまでもその彼岸に焦がれてゐたのだと思ふ。
    彼はニーチェのそれとは異なり、生きてゐる限り彼岸さえもこの此岸の延長でしかないことを知つてしまつたからこそ、発狂などできなかつたのだ。

  •  ショーペンハウアーの哲学はしばしば厭世主義(ペシミスム)と評される。「ショーペンハウアーは自分の著作の中でペシミスムという言葉を使ったことはない」と西尾幹二は解説しているが、そのことは彼の哲学がペシミスムであることと何ら矛盾しない。事実「意志の否定」を説いた彼の哲学が否定に満ちていることは読めば一目瞭然であり、ニーチェがそのアンチテーゼとして「意志の肯定」を説いたことからも、ショーペンハウアー哲学が厭世主義的であることは歴史的といってもいい事実である。
     恐らくはそのためであろう。『自殺について』というタイトルから、これはショーペンハウアーが自殺を肯定している本に違いない、と誤解している読者が多いようである。それどころかショーペンハウアー=自殺論者と考えている向きもあるようである。だがそれは全く違う。
     本書においてはもちろんのこと主著『意志と表象としての世界』においても、ショーペンハウアーが自殺を肯定したことはただの一度もない。「意志の否定」を説いた哲学者が自殺を肯定しないのはかえって不自然に思われるかも知れないが、驚くことは一つもない。なぜならショーペンハウアーにとって自殺とは「意志の否定」ではなく「意志の強烈な肯定」にほかならないからだ。
     本書においてショーペンハウアーが糾弾しているのはむしろ、自殺を罪悪とみなすキリスト教的ドグマである。そもそも『自殺について』というタイトルとは裏腹に、本書において自殺に関する議論はほとんどない。「死」や「現存在の虚無性」や「世界の苦悩」といった言葉が並んでいるが、それは自殺とは直接関係がない。せめて『死について』というタイトルにでもしていれば、まだ誤解は防げたのではないかと思うのだが。

  • 本書はショウペンハウアーの最後の著作『パレルガ・ウント・パラリポーメナ』の中から自殺にまつわる断章を纏めたものである。主著であり哲学的マニフェスト『意思と表象としての世界』がある一方で、『パレルガ・ウント・パラリポーメナ』は直訳すると「補遺と附録」となり、先述の浩瀚な主著に対して文字通りの意味を担っている。概ね、哲学小論集の体裁を採用した『意思と表象としての世界』の取り扱い説明書であるとも言えよう。

    様々な概念が乱れ飛び紆余曲折を極める主著に対して、本書にまとめられた内容はそれ自体一貫性があり、決して読みにくい類の文章ではない。しかし時折、不意に、出し抜かれるかのように、一見して明快であるはずの論旨に置いてきぼりを喰らうことがある。そしてその躓きの場所にこそ、ショーペンハウアーの透徹したペシミズムが残響しているのだ。

    人生の虚無について、たっぷりと皮肉を利かせながら淡々と語り上げる彼の文体からは、随所から厭世的な諦念の嘆息が聞こえてくる。生の無意味、死の無意味、不幸と幸福の無意味、思索と苦悩の無意味…本書の論旨を天蓋の様に覆うこのペシミズムにも、しかし、読者我々はやがて慣れてゆく。ショーペンハウアー哲学の悲壮な理解を、読書という実践の中で僕らは徐々に獲得してゆく。それは、凍える腕で自らを抱きながら冷たい河に身を浸すような、厳しく冴えた経験である。

    しかしこの河は、突然その流れを加速する。凍てつく激流として読書を刹那翻弄したかと思うと、再びもとの緩やかな淀みを取り戻す。この現象が意味する処はつまりショーペンハウアーの内部で、通常的で素朴な思想と透徹した閃きによる特殊なそれとが混沌と同居していることを意味している。

    ショーペンハウアーという人間は、西洋の伝統的な哲学から仏教を中心とする東洋思想まで実に様々な思索を要する美しい多面体である。素朴で直観的な文学的著述から俄かに顔を出す様々な面の多様と独創に、その華麗なダイナミズムのあまりの奔放さに、我々はしばしば困惑する。

    彼は驚くべき賢明である。及ばないのは大抵読者の方だ。置いて行かれた時は、じっくり来た道を吟味して、目を凝らし、耳を澄ますことだ。こぼしたものをきちんと拾えば、また必ず歩き出せる。

    生きること、死ぬこと。この二律を、まさに今を生きる現存在たる我々が思惟することに、なんの意味があろうか。況や自殺をや、である。

  • あたかも船が底荷を必要とするように、ある程度の負荷があることで、それを幸福や快楽へ転じようするのが人間だ。

    負荷が必要であるのが人間なのだ。

    とすれば、
    人生の幸福は、喜怒哀楽の喜と楽だけでなく積極的な怒と哀、
    喜怒哀楽すべての総量が人生の幸福の尺度だ。

  • やることがあるとき苦痛、ないとき退屈

    この本を読んで得たことはこれ!ちょっと間隔空けて読んでたから記憶に残ってない。。。基本的にショウペンハウエルの本には希望がないと思う。ただ考え方としては面白い。あと動物と人間の違いについても面白かったな、動物は今その瞬間を生きてて、人間も今を生きてるんだけども過去未来まで思考してしまうため苦痛がかなり伴って生きているということ。この点は面白い。

  • 主著『意志と表象としての世界』の 謂わば附録といった処の小論集:最終作 "Parerga und Paralipomena" (1851年) の一部を訳出したもの。

    ド素人の私には 主著よりずっと身近な題材を採ってあり 故に解釈も 自分なりのものを伴って容易に進めること叶った。哲学を何かとても小難しい 学問中の学問と空想している生活人にも それはきっと同じだろうと想う。
    また タイトルから誤解は生じがちかと想うが これは自殺を支持肯定して在りながら そして防止を試みている訳でもないのに 読む者に実行を思い止まらせるような書である。一見して悲観論ばかりは並べられてあっても 其処は綺麗事の一切ない真理が展開する世界故 無数の光線呼び込み 実は燦然と眩いのだ。真実美の世界である。其処に立つのを感じた時 人は努々自ら離れようなどとは想わないものである。

  • 肉体的苦悩が精神的苦悩を上回った場合、精神的苦悩は一時休止する。だからリストカットや自傷行為は精神を休止するために、本能的(感情的)に行われる。
    置き換えると、運動もそれに即したものである。筋トレすると云々は、精神的苦悩を止める作用があるから、理にかなっている。
    それをさらに登った肉体的苦悩をものともしないものが、自殺だ。

    ランニング継続します。

  • 表題の論だけ読んでみた

  • ショウペンハウエル(1788‐1860)の主著『意志と表象としての世界』以上に愛読された『付録と補遺』の中から、自殺に関する論稿5篇を収める。人生とは「裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない」など、透徹した洞察が、易しく味わい深く書かれている。

  • 16
    開始:2023/5/17
    終了:2023/5/19

    感想
    世界は苦しみに満ちている。そのことを認識し隣人を眺める時に初めて相互理解が得られる。人間の意思が全ての苦しみの端緒。退屈と苦役。

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