読書について 他二篇 (岩波文庫)

制作 : Arthur Schopenhauer  斎藤 忍随 
  • 岩波書店 (1983年7月発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003363225

作品紹介

「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。」-一流の文章家であり箴言警句の大家であったショウペンハウエル(1788‐1860)が放つ読書をめぐる鋭利な寸言、痛烈なアフォリズムの数々は、出版物の洪水にあえぐ現代の我われにとって驚くほど新鮮である。

読書について 他二篇 (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 19世紀ドイツの哲学者アルトゥル・ショウペンハウエルによる評論3篇を所載。『思索』『著作と文体』『読書について』。
    どの著作も現代に通じるほどの箴言が連なっており、自分にも耳の痛い言葉ばかりで、読書に対する姿勢について強く反省させられる。
    反面、どれだけの上から目線やねん!という反骨心がむくむくと起き上がってくるのも否めず(笑)、また、簡潔な文章を推奨する割には、延々と同じネタで執拗に繰り返される罵詈雑言や、ジャーナリストや流行作家、それにフィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどへの執念深そうな罵倒の繰り返し(恨みでもあるのか?)には辟易させられた。本書に出てくる「第一級の精神」とか「真に才能に恵まれた頭脳の持ち主」とは、すなわちショウペンハウエル自身のことを言っているのであって(笑)、他者への辛辣極まる攻撃の数々は逆に本書の品位を損なうもの(喝采すべきような思い当たる話も多々あったが(笑))と思うが如何?
    『著作と文体』の正しいドイツ語を護ろうというくだりは、これもかなりくど過ぎるのだが、言わんとすることはわかるが、もとよりドイツ語文法に全然詳しくないのでほぼスルー状態だった。(泣)
    だがこうした難点を感じるものの、それ以上にこの3論が示す読書への態度は、われわれに痛烈な批判・警句をもたらすものであることには変わりなく、彼の見解に真摯に向き合う必要があるだろう。すなわち、良書以外は読むな!そもそも読書とは自分の頭で考えることにあらず!なかなか胸に突き刺さる言葉ではある・・・。(>_<)


    以下、備忘的に。
    【思索】
    ・自分で考えぬいた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。
    ・読書は思索の代用品に過ぎない。読書は他人に思索誘導の務めをゆだねる。
    ・他人から学んだにすぎない真理は、我々に付着しているだけ。
    ・読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けて行けば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れこんでくる。
    ・読書と同じように単なる経験もあまり思索の補いにはなりえない。
    ・「何人も判断するよりはむしろ信じることを願う」(セネカ)
    【著作と文体】
    ・著作家には二つのタイプがあり、思想を所有し経験をつんでいてそれを伝達する価値のあるものと考える人々と、金銭を必要とし要するに金銭のために書く人々である。後者はできるだけ長く思想の糸をつむぎ、真偽曖昧な思想や歪曲された不自然な思想、動揺常ならぬ思想を次々と丹念にくり広げていく。また、多くは偽装のため薄明を愛する。
    ・また三つのタイプがあるともいえる。第一のタイプは考えずに書く。つまり記憶や思い出を種にして、あるいは直接他人の著書を利用してまで、ものを書く。第二のタイプは書きながら考える。彼らは書くために考える。第三のタイプは執筆にとりかかる前に思索を終えている。彼らが書くのはただすでに考え抜いたからにすぎない。
    ・執筆すべきテーマの素材を自分の頭脳から取り出す者だけが、読むに値する著作家である。編纂者のあらわすものを読む機会をなるべく少なくすべきである。
    ・ある本が有名な時には素材のためか、形式のためかよく区別すべきである。素材で劇場を満員にしようと努める低劣な劇作家はあとをたたない。
    ・芸術や文学の世界では、ほとんどいつの時代にも、誤った主義主張や誤った方法、手法が流行し、むかえられる。
    ・一般の読者は愚かにも新刊を読みたがり、良書を手にしたがらないのである。
    ・匿名批評は全て欺瞞を目ざしている。
    ・我々は他人の文章の中に、文体上の欠陥を発見すべきである。それは自分でものを書く際にそのような欠陥におちいらないためである。
    ・凡庸な著者に限って、つまらないことをわずかしか考えていないのに、はるかに深甚なことをはるかに多量に思索したかのように見せようとして、不自然、難解な言い回しや新造語を、だらだらとした文章、堂々めぐりを重ねたあげく、何を考えているのかを不明にする複雑な複合文章を使う。
    ・大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。
    ・「形容詞は名詞の敵なり」(ヴォルテール)
    ・人間にはまだ一度に一つのことしか考えられない動物である。主文章を細分化し、そのわずかの隙間に、いくつもの思想を挿入文として押し込むな。
    【読書について】
    ・無知は富と結びついて初めて人間の品位をおとす。貧困と困窮は貧者を束縛し、仕事が知にかわって彼の考えを占める。これに反して無知なる富者は、ただ快楽に生き、家畜に近い生活を送る。
    ・読書は他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
    ・ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。
    ・絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。
    ・著作家に固有の性質、才能としては、説得力、豊かな形容の才、比較の才、大胆奔放、辛辣、簡潔、優雅、軽快に表現する才、機知、対照の妙をつくす手腕、素朴純真などがあげられるが、このような才能を備えた著作家のものを読んでも、一つとしてその才能を自分のものにするわけには行かない。だが、そのような才能の「可能性」があるものが読書した場合のみ意味をもつ。
    ・悪書は無用なばかりか、積極的な害毒を流す。
    ・読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。その技術とは、多数の読者がそのつどむさぼり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さないことである。
    ・読み終えたことをいっさい忘れまいと思うのは、食べたものをいっさい、体内にとどめたいと願うようなものである。自分の興味をひくもの、言い換えれば自分の思想体系、あるいは目的にあうものだけを、精神のうちにとどめる。
    ・重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。
    ・精神のための清涼剤としては、ギリシア、ローマの古典の読書にまさるものはない。
    ・二つの歴史がある。すなわち政治史と、文学および芸術の歴史である。第一の歴史は意志の歴史であり、第二の歴史は知性の歴史である。

  • どういったものを読むべきか、どのようにものを書くべきか――「思索」「著作と文体」「読書について」の三篇が収録された本作。

    「読書は、他人にものを考えてもらうことである」
    「一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失っていく」
    「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである」
    といった、鋭くも印象的な文章が多数登場します。まるで読書そのものの危険性を諭しているかのようですが、ショウペンハウエルが警鐘を鳴らしているのは悪書の多さ。金儲けのために本を書く者。それを野放しにしている出版業界。そしてものを考えずにただ読むだけの読者に対して。150年以上も前に書かれた本にも関わらず現在に十分通ずる内容です。
    一度読んで知ったふり・分かったふりをせず、自分の頭でじっくり考えること。必要に応じて何度も読み直すこと。情報に溺れがちの現代にこそ手に取りたい本。

  •  すでに読友さんの優れたレビューがあるので、ちょっとためらいましたが、書くことにしました。
     もっと早くにこの本を読むべきだったと思う。小生がかねがね考えていたことがズバリ書かれていたのですから。
     著者の主張は概ね二つ。
    「読書は他人に考えてもらうことなのだから、多読をしていくと思想が入り込み、思考力が鈍る」
    「(古典を賛美し、)悪書を世に出すな」
     さて、一つ目の主張は、小生が幼い頃に読み信じた、モンテ・クリスト伯でファリア司祭が言っていた「世界の真理が書かれた書物は多くない」という旨の話に合致する。
     昔の知識人は、リベラルアーツを身につけていたそうです。古典の教養を踏まえていたのですね。とすれば、「古典を賛美せよ」という主張は正しいと思う。
     人の考えることなどは、すでに数百年も昔に出尽くしていて解決されてることだろうと思います。だから古典を読んでしまえばいいのです。新しい本は丸読みしたか、ただ奇をてらっただけの代物。
     例えば、自閉症研究の第一人者の一人にサイモン・バロン・コーエンという人がいます。彼が自閉症の脳を研究している途中でたまたま発見した話を本にした「共感する女脳、システム化する男脳」という成果がありました。しかしそこにメンタリストを自称する人が「男女脳戦略。――男にはデータを、女にはイメージを売れ」という本を書きます。どう見たって丸読みしただけの代物です。ですが、一般大衆はもしかしたらメディアで名前の売れてる方を買うのかもしれませんね。
     ですから、悪書は良書を駆逐するという話だってそうだろうとしか言えない。
     小生はアマチュア小説家サイトに参加していたことがあります。でもそこで違和感を覚えました。
     そこにいた人々の多くは、古典は知らない。教養もない。ただ、書きたいように書く。作家志望者はただ本を出したい。作家という身分が欲しいというもの。ショウペンハウアーのご指摘の通りでした。
     小生は疑問に感じて異を唱えたのですが、当然バッシングを受けました。それから読んでいてもスカスカの文章に辟易して、やることももうないなと去りました。
     読者は作者を育てます。印象批評などはただの「こう思った」というだけの塵芥かもしれません。しかしそもそも作者自身が努力しなければならない。作者が強くなければさらにその前の優れた作者が駆逐されてしまうのですから。
     文豪の文章に感じた文章の裏に隆々と通った論理をいまの多くの文章にはなぜか感じられません(本書には感じました)。それはひとえに著者の提起した思考力にあるのではないでしょうか。
     最近、光文社古典新訳文庫、日経BPなど古典の再興がじんわりと起きています。さらにフットノート作りなどが流行ればなおいいんですね。

  • 読書好きなら読むべき。

    ・多読だけでは駄目
    ・自分で考え、体験しなさい
    ・古典の名作を読みなさい
    ・匿名の記事は卑怯である
    ・原典を読むべき

    このような主張と読み取れました。
    ほぼ納得です。

    多読は駄目と言っても、下らない本を読むなということで、現代人はもっと名著を読むべきでしょうね。

    そして、本を読むだけでなく、考えたり、実践することが大事なのでしょう。

    良書を沢山読んで、教養がある人しかこの本の意図は理解出来ない気がします。

    小説が多くなってきたので、良い戒めになりました。

    本を沢山読む人にオススメです。

  • 本書は間違いなく名著です。
    今後、未来永劫淘汰されることはないでしょう。
    本を読むことが好きな人はぜひ読むべきです。


    本書から僕が得たことは大きく分けて2つあります。
    1、読書から得た内容を、自分で反芻して熟慮しなくてはならない。
    2、良書を読むためには悪書を読んではいけない。その代わりに良書を繰り返して読むこと。


    1について
    読書とは他人の思考過程をなぞることでしかなく、その際自分の頭は動いていない。
    本当に本の内容を身につけようと思ったら、本を読みながら、もしくは読んだ後にその内容を自分でさらに考えてなくてはならない。
    その関係はまさに食べ物の栄養を体内に吸収しようとしたら、ただ食べるだけではなく、さらに消化しなくてはいけないのと同じである。(食べる=読む、消化=考える)
    本を読んだけれどもあまり頭に残っていないという人は、この熟慮が欠けているのではないか。
    自分もこれから気をつけたい。

    2について
    本書で「良書を読むための条件は、悪書を読まないことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。」と書かれている。
    これはまさに真理である。
    世の中に出回っている本の大半はこの悪書に分類すると思われる。
    そうした悪書にいかに手を出さずに、時の試練に耐えた良書を読めるか、これが重要となってくる。



    これからの読書人生において、とても示唆に富む本でした。
    薄い本でしたが、内容はぎゅうぎゅうに詰まっています。
    これからもたびたび読み返したい本です。

  • 多読について疑問を抱きはじめていたので手に取りました。

    著者の言うとおり、既に考え抜かれた末に出来上がった1つの結論、答えを読書によって得ることで考える事を放棄しているような気がした。
    同時に考え抜く力が衰えることが怖かったし、自分の基盤となる考えに本が新しいアイディアを提供してくれているという感覚が鈍っていた。
    それは悪書を読んだからではなく、熟考することを後回しにしていたからだと思います。

    また、自分の読書に対する姿勢に懐疑的になっていました。
    しかし、それを知識として活用し、また智慧として現代の生活へ活かすことが私の読書に対する姿勢だと今ならはっきり言える。


    知識だけはあるが、それを柔軟に応用出来ない、確かにその点は競って多読する人、競って知識を頭に詰め込む人に起こる顕著な問題点であると最近ヒシヒシと思います。

  • メモ
    読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。p127

    ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。
    読まれたものは精神の中に、真に跡をとどめないのである。熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。それとは逆に、絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。p128

    読書に目的意識をもつ。読み捨てにしない。自分の中で咀嚼し、知恵を生み出すこと。アウトプットして理解したこと得た知識を血肉化する。

  • 読書のあり方について。自分自身で思索すること。
    書籍を選ぶ際に自分も気を付けていること。まずは作者を確認する。⇒「低劣な著作家の大多数は、新刊書以外は読もうとしない民衆の愚かさだけをたよりに生きているにずぎない。すなわち彼らの名はジャーナリスト。」「読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。」

  • *要約
    1.読書は思想の手助けであり、ただ多量の本を読むだけでは意味がなく、常に自分自身に根幹となるものを持つこと。

    2.事柄について思想を巡らし、考えぬいてから書き始める。文を。

    3.文章書くのわかりやすさ重要。比喩とかも考え抜いて書くものだよ。

    4.他の人の引用から実際に古書そのものをよめよ、有名なものは大体良書だから。

    5.反復して読めよ。理解が深まるから。

    感想
    一つのテーマに沿って書かれているとわかりやすい。
    古書万歳が強い。
    著作と文体の部分で中だるみ発生して流し読み。

  • 『古典に触れる岩波文庫10冊』の1冊目
    思想、著作と文体 読書のなかで特に「思想」が印象深かった。今年の目標が多読して知識を増やすだったのに、多読しても知識にならないから無駄ときっぱり書かれてしまった。
    昔のドイツの人の本なのに、まるで現在の日本を悲観しているようで驚いた。報酬と金のために書かれた本、匿名で責任を持たない批判、言葉を短くし曖昧で意味のない造語、昔の古典は素晴らしいのにみんな新書ばかりとかは、今も昔も嘆かれているようで。
    本を選ぶと時、読書するときの心構え的なものとして読んで損はないと思います。

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