- Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003363232
作品紹介・あらすじ
ショーペンハウエル(1788‐1860)の主著『意志と表象としての世界』以上に愛読された『付録と補遺』の一部。該博な教養を模範的な散文に盛りこんだこの人生の箴言集は、哲学の専門領域を越えた書として広く読まれる。ドイツ観念論の体系的構築をしりぞけて、世界はすべて盲目的意志なりと説いた厭世的哲人の透徹した観察と辛辣な表現。
感想・レビュー・書評
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辛辣かつユーモアのあるショーペンおじさん独特の表現が最高。
ニーチェが彼の著作を読み自らの哲学を生長させていったのがよく分かる。
討論のときこんな奴いるよね、の章は性格の悪さがよく出ていて良かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私の座右の書。
久々に読み返して見てアンダーラインだらけにしてしまった。
直前に難解極まりないカントを読んでいたせいかすらすら読めた。
ひねくれていてよく考えると矛盾も多いショーペンハウエル先生だけれど
どうしてどうして魅力あふれる文章である。
よっぽど社会に認められなかったのが悔しかったのか
うらみ節全開のところもあるけれど
やっぱり世間から認められない評者としてもなんだか共感できる。
「人間」の作った哲学だ。
哲学を毛嫌いする人でも読んでほしい。
使う言葉は一部難しいけれど微笑ましい文章ですよ。 -
多くの知識を身につけていても、力を持たない人もいる。なけなしの知識しかなくても、最高の威力をふるう人もいる。『知性について』
はっきりしない憧憬と退屈は互いに似通っている。生の短い夢に対し、無限の時間の夜は何と長いことか。毎日の起床が小さな出生であり、毎朝の清々しい時が小さな青春であり、毎夜の就寝が小さな死である。
人生の情景は、粗いモザイク画に似ている。この絵を美しく見るためには、それから遠く離れている必要がある。間近にいては、それは何の印象も与えない。『現存在の虚無性…』
人は、その生涯の最初の四十年間において本文を著述し、続く三十年間において、これに対する注釈を加えていく。
分別はしゃべることを通じてではなく、黙っていることによって示す。後者には賢さが、前者には虚栄心がからむ。虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は沈黙にする。人間を激動させるのは情欲よりも虚栄心である。名誉とは客観的には私たちの価値についての他人の意見であり、主観的には他人の意見に対する私たちの恐怖である。
他人と同じようになろうとして、自分自身の4分の3を失ってしまう。
人の生存中に記念碑が建てられる理由は、後世の人がその人を惜しんでくれる見込みがないからである。
幸せを数えたら、あなたはすぐ幸せになれる。自然は単に私たちの生存だけを留意するのみで、私たちの幸福に一切関心をもたない。
あきらめを十分に用意することが、人生の旅支度をする際に何よりも重要だ。
船荷のない船は不安定でまっすぐ進まない。一定量の心配や苦痛、苦労は、いつも、だれにも必要である。
時間の経過は他の方法では消滅できないものすべて(憂鬱・怒り・損失・侮辱)を消滅できる。死は嫉妬を静めるが、老化はすでにその半分を静めている。
誰もが自分自身の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる。才人は、誰も射ることのできない的を射る。天才は、誰にも見えない的を射る。
どんな金でもだましとられた金ほど有効に使われたものはない。その代償としてすぐ役に立つ賢知を手に入れられる。
非常な才能をもつ者の謙譲は偽善である。
相手が嘘をついている疑いがあれば、信じるふりをすれば、相手はますます嘘をつき、化けの皮がはがれる。相手が真相の一端をうっかりもらしているようなら、信じないふりをする。相手は自分の陥った矛盾に挑発され、残りの真相をすべて告白してしまう。
人間が好んで近寄っていこうとするのは決定的に劣った者たちの傍である。男の場合には精神的特性が劣った者、女性の場合は美しさに欠ける者の傍である。▼他人の不幸を目撃し、比して自分が幸福であることを間接的に認めることで得られる喜びは、積極的な悪意の源である。 -
230520025
五月雨的にいろいろな事物について語られているが、常に疑問をもちながら二物衝突的に物事を見ている感がある。深く息を吸うように読むと面白い。 -
観念論をベースに、知性について考察する書。
知性には2種があるとする。
ひとつは利に立脚する知性、すなわち個体保存と生殖による自己複製の増産につながるような結果を目指す知性。
もうひとつは理に立脚するような知性であり、ここでは個体保存と自己複製の増産という色香は薄くなる。
後者のような形式の知性は生物の発生起源から考えると知性システムの誤用と言わざるを得ない。
少なくともこの誤用を成しうるのは少なくとも地球においてはヒトのみ、否、ヒトのなかのごく一部の者のみであろう。
後半はショーペンハウエルによる、大衆と誤用的知性を獲得した一部のヒトの差異についての推察が語られる。
大衆と智者の根本的な違いを探求する意でこの書を読んだが、その根本に迫る内容であり、省察の材料として役立つ部分が多かった。
ダーウィンの進化論の根底、すなわち生命の起源の無為性という前提を理解して本書を読むと見通しが良くなるだろう。 -
これを現代人に読ませ殺したい
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理解と共感できる部分、理解できない部分が半分くらい。悔しいからまたいつか挑戦します。
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同じショーペンハウアーの著書である『読書について』でも感じたことだが、文章が軽快で、特に比喩表現が的確かつ明確で、150年以上前に書かれたものとは思えないほどにありありと思想のイメージを持ちながら読み進められる。哲学にあまり触れたことのない自分のような人でも、体力をあまり使うことなく、気軽にスキマ時間で読み進められるような、そんな身近さがある。
本書は認識について、そしてその主体である知性について述べられている。個人的に、この本を読んだ前後で変わったのは、人との関わり、特に討論や議論の形で向き合うような時だった。どれだけ近しい人であれ、「認識している世界が違うのだから、埋まらない差異やすれ違いがあって当たり前なんだ」
という前提を強く意識して接するようになった。
後半の汎神論や哲学的な中身を上手く理解できなくとも、ぜひとも著者の軽快な表現に触れ、彼が見た世界に目を向けてほしい。 -
一度では読みきれない深い内容。
何度も何度もよみ味わえる、気づきがある。
時間とは
空間とは
ドキっとする気づき、ライトがつく発見ばかり。 -
200ページ弱の本だったので何とか読了できた。
しかし、内容は難しく、頭に残らなかった。
時折、なるほどと思える箇所もあったので、次回読む時にはもう少し理解できるように読書スキルを上げていきたい。