死に至る病 (岩波文庫 青 635-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003363539

作品紹介・あらすじ

「死に至る病」とは絶望のことである。憂愁孤独の哲学者キェルケゴール(1813‐55)は、絶望におちいった人間の心理を奥ふかいひだにまで分けいって考察する。読者はここに人間精神の柔軟な探索者、無類の人間通の手を感じるであろう。後にくる実存哲学への道をひらいた歴史的著作でもある。

感想・レビュー・書評

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  • 【心に定規があったとしたら】

    私には、むずかしすぎた……。
    かろうじて目で文章は追えるものの、書いてあることがさっぱりわからないまま読了(涙目)。
    『死に至る病』という書名と、冒頭に掲げられた「死に至る病とは絶望のことである。」という文章から、人生に苦しむ人への処方箋のような内容を期待して読みはじめたけれど、甘かった。

    おそらくこの本の核心と思われるキリスト教信仰や人間の心理の分析はほぼほぼわからずでしたが、具体例としてあげられる絶望する人間のありようが、「こういう人、いる!」の連続で、キルケゴールの人間観察力の鋭さが印象に残りました。
    それから、ふとした瞬間に、心に残る言葉に出会えるのが、古典の良いところ。

    「自己が何に対して自己であるかというその相手方が、いつも自己を量る尺度である。そして質的にそれの尺度であるところのものは、倫理的にはそれの目標である。」

    例えばこうありたい、という目標があったとしても、心の中の評価軸、定規の単位が目標と異なっていたらちぐはぐだし、意図していない方向にひっぱられてしまうこともあるだろうなあ、と。
    現実におもねるでもない、はねつけるでもない、そんな尺度をいつか私ももつことができるだろうか、と思いつつ、読み終えた一冊でした。

  • 有名な古典ということで手に取っては見たものの、全然頭に入って来ず、手も足も出ず、序盤以降は斜め読み、拾い読みでギブアップ。

    P27
    絶望していないということは、絶望的でありうるという可能性を否定したことでなければならない。

    P28
    絶望は可能性として人間そのもののうちにひそんでいるのである。

    P30
    絶望者は彼の絶望している各瞬間に絶望を自分に招き寄せているのである。

    P290 解説
    死に至る病というとややもするといわゆる死病すなわちそれで死んでしまう病気のように解されがちであるけれども、(中略)それでは決して死ねない病、死ぬに死ねない病の謂いなのである。

    デンマーク語の原題『Sygdommen Til Doden』は、死ぬ迄続く病気、というニュアンスのもよう。

  • 市民革命・産業革命が進む中、人々は自覚のあるなしに関わらず、人間中心の近代的なものの見方を身につけつつあった。キルケゴールは、そうした近代のものの見方にとらわれることなく、信仰へ飛躍しなければ、自らが本当に生きるということにはならないと説き、それに対してニーチェは、信仰にも近代的なものの見方にもとらわれるな、と説いているように思われる。本書は全編、信仰への飛躍を妨げるメンタリティを彼独特の仕方で分類整理し、その有り様を執拗に描き出そうとする。とても読みにくい。そして最後には、言葉で説明できるようなものは、信仰ではないというようなことも言う。やっかいではあるが、様々なメンタリティの描写には見るべきものがある。

  • 再読。あまりにも有名なこのタイトルと「死に至る病とは絶望のことである」というフレーズ。正直、もうこの一行、というか「第一編 死に至る病とは絶望のことである。」という前半部分のこのタイトル、これだけですべて説明終わっていいんじゃないかと思う。

    Q「死に至る病?それって何?」
    A「それは絶望です!」

    ・・・というだけでも十分世界中の中2が共感、そして感嘆させられると思う。「死に至る病とは絶望のことである」という一言に集約された意味を、人はそれぞれ勝手に想像し解釈し、それで答えは出てしまうしそれで正解だと思うので、それ以降の文章は蛇足だとすら・・・。

    なんて言ったら怒られそうだけど、まあそれでも第一編のほうはまだ理解できるし、なるほどと思う部分もたくさんありました。

    ただ「第二編 絶望は罪である。」になるともう、全然わからない。そもそもサブタイトルが「教化と覚醒とを目的とする一つのキリスト教的=心理学的論述」云々となっており、つまりすべてキリスト教徒前提でのお話。信仰心のない人間にはちょっと当てはまらない事例が多すぎてどうもこうも。

    キリストより先に生まれたソクラテスの意見のほうが、無神論者にはずっと理解しやすい。結果、最終的にこの本は哲学というより「キリスト教入信のすすめ」みたいになっちゃうのでちょっと微妙な気持ちに。

  • かなり、難しかった。
    しかし、しっかり論理立てられていて筆者の意見がよくわかり、納得できた。

  • 翻訳されたものとはいえど、哲学者の書いた哲学書そのものである為、読み進めるにはそれなりの時間を要すると思った方がいい。哲学研究者などの専門家でもない限りは、キルケゴール哲学の解説書または入門書を読んでおけば十分なように思う。

  • 正直な話、もう一人翻訳者を挟みたいくらい何言ってるのかよくわからない所が多かった。
    絶望していると思っているが筆者のいう絶望に全く当てはまらないどころか絶望状態に酔ってるだけの人に対する皮肉っぷりはぶっ飛ばしててすがすがしくもある。
    要は敬虔なクリスチャンが、真に神を信じていないようなファッションクリスチャン❨牧師も含む❩に対して思ってる諸々鬱憤なんかを書いているという気もしないでもない。というのが個人的な感想。

  • 難しすぎて読み終えることができませんでした。
    原文で読む方がわかりやすいと思う。

  • 自分の内面と徹底的に向き合うみたいなところの真剣さがすごかった。の対象がキリスト教の神であるところはかなり正統派(保守派?)な感じがするけれど。
    自己意識との葛藤、どう自己意識を高めても私たちは、一人のただの人間で、不完全性から逃れられることはない、けどだからと言って、それを止めてしまうんじゃなくて、絶望を極めつつも、自分の意識と向き合い続けようとすることこそが、まさに弁証法的な生き方―彼の場合は、罪を贖う唯一の生き方―なんだ、ということを言っているのかと理解する。それには、信じること、とにかく絶望に負けない希望みたいなものの存在が必要ということにもなる。

    ちょっと違うと思うけれど、理想と現実のギャップ、みたいな似たような葛藤はみんな今もあると思うし、それをじゃあどうやって受け入れて、自分自身と付き合っていくか、みたいなところがあると思った。

    でも個人的には、内面に陥りすぎると、社会との接点というか、現実の物質的な部分が見えなくなりそうなので、バランス大事と思った。いろんな思想や信仰を持つ人とどう社会を作っていくか、という部分もめちゃ大事やと思うし。
    分かったような感想書いてますが、まあそう簡単には理解できない部分がありました。

  • 死に至る病=絶望として、
    キリスト教の観点から徹底して絶望を見つめる。
    絶望が罪であるということ、
    その罪がキリスト教にある原罪と関係があることなど、
    深い考察が行き渡っている。
    僕らが口にする絶望という言葉が、
    どれだけ多面性を帯びているか、
    それを知るだけで、暗闇に目が慣れていくように、
    絶望を冷静に見渡せるようになれるとも思う。

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