ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

著者 : ニーチェ
制作 : Friedrich Nietzsche  氷上 英廣 
  • 岩波書店 (1967年4月16日発売)
3.56
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  • 本棚登録 :1880
  • レビュー :122
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003363928

作品紹介・あらすじ

晩年のニーチェ(1844‐1900)がその根本思想を体系的に展開した第一歩というべき著作。有名な「神は死んだ」という言葉で表わされたニヒリズムの確認からはじめて、さらにニーチェは神による価値づけ・目的づけを剥ぎとられた在るがままの人間存在はその意味を何によって見出すべきかと問い、それに答えようとする。

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)の感想・レビュー・書評

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  • 以前、『道徳の系譜』やらニーチェ解説本やらを読んでいたときは、個人的に「魂の救済」をテーマに読書をしていたので、やたらキリスト教を否定するニーチェの良さがよくわかっていなかった。ニーチェの思想で弱者を救えるかよ、と。

    本書を読んでわかったことは、ニーチェの思想は決して「強者の論理」というわけではない、ということ。
    むしろニーチェは弱い人間が強くなるための思考法を提示しているのであって、「超人」思想を説く主人公のツァラトゥストラでさえ、理想的な強い人間(=超人)には完全にはなりきれていないと思わせる箇所があった。
    「俺のように強い人間になれ」というよりも「俺と一緒に強い人間になろう」と言われているような気がした。

    ニーチェの超人思想を社会論的に発展させたのがオルテガの大衆批判だと思っている。
    ニーチェの超人思想には「他者とのかかわり」という視点が無視ないし軽視されている点がいかにも玉に瑕という観もなくはない。
    が、やはり「超人になろうとする意志」は個人の心の中に留めておくのが無難な気がする。
    「私はいまや超人であるぞ」と認定できるのは自分自身のほかにない。
    加えて、大衆批判は「自己言及のパラドクス」の危険を常に孕んでいる。

    「そしてわたし自身も仮想してあなたがたのなかに坐っていよう。――そしておたがいに姿を見せないでおこう。これがすなわち、わたしの最期の処世の術である」(p252)

    冒頭に「だれにも読めるが、だれにも読めない書物」とあるとおり、文章自体は平易だが書かれている内容は難解極まりない。
    半分も理解できたかわからないが、読むたびに違った発見がありそうな気がする。
    時間をおいて再読するのが楽しみな本、ということで!

    下巻に続く

  • 2017.8.9
    既成の奴隷的価値判断をぶち壊せ。神は死んだ。蠅のように群れるんじゃない。自分の感受性から、自分を肯定できる価値を、自ら作っていけ、という超人思想。定期的に読み直したいなと思う一冊。難しくてよくはわからないけと、なんか、エベルギーを、自由への強さというか、そういうエネルギーを感じる。ただこの本からはそういう、力強く自らの感受性を肯定できるような姿勢をこそ学びたいとは思ったが、それ以外の人間を否定したりする部分は共感しない。自らを肯定するために他者を否定する必要はない。しかし一方で、他者を肯定する(承認を求める)あまり、自らを殺していたきらいはあるので、それは改めないと。力への意志は、他者を下げることで得られるものではなく、より深く自分の感受性と、エロスを求め、味わう、感じることで、大きくしていきたい。そしてそのためには、他者や世界を否定しても仕方ない。

  • 興味深いのは、第1部の最初で山を下りて「神は死んだ」や「超人」という教えを広めたツァラトゥストラが、上巻の最後(第2部の最後)で再び弟子と分かれて山に戻ることである。

    10日間で書かれたという第1部に、ニーチェは満足がいかなかったのだろう。

    そして第3部で、再び教えを説く際に新たに現れるのが「永遠回帰」という概念である。
    何度も繰り返される「私はあなたを愛するからだ、おお、永遠よ」が、本来の最終部であったはずの第3部のラストを飾っている。

    第4部はもともとは自費出版で40部程度が配られただけとあって、明らかに趣が違う。

  • 1997 読了

  • 2度目のトライ。自分には難しすぎて、またもや挫折。最初から何が何だか分からなくて…今度は違う訳でトライするつもり。

  • 人間とは一本の吊橋であり、片方は超人、もう一方は畜群である。どちらになるかは自分次第である。歯車にならず、モーターとなれ、価値を受容するだけでなく、自らが価値を生み出せ。他人指向型の大衆社会に一喝を入れる力強い言葉が多くある。

  • 最近になって読んだ本の中に、
    「若いときに読んでいたらよかった」という
    ものは、いくつもありますが、
    これもその一つです。

    神を否定した実存主義、キルケゴールは神に向かう実存主義。
    19世紀の実存主義は、20世紀のそれに比べ、
    社会性がない。
    などの知識はあり、書名もインパクトがあり、
    若い頃から知っていましたが、
    初めて読んでみると、
    たいへん感銘を受けました。

    まず、全体を流れる、ニヒリズム。
    ニヒリズムとは、辞書によると、
    「既存の価値体系や権威をすべて否定する思想や態度」
    だそうですが、
    19世紀にニヒリズムを全うするニーチェの強さを実感するとともに、
    現代に生きる人間にとってこそ、
    こういった思想を読み、
    いちど、通過点にすることは、
    意味あることに思えました。

    本当に、自分が善と思っていることがらなど、
    ツァラトゥストラにかかれば、
    何の意味がありましょう?

    それと、「超人」、「力への意志」が主なテーマですが、
    ニヒリズムだけに終始せず、
    この2つを掲げているおかげで、
    僕は、生へのやる気がみなぎって来るのを感じました。

    それに、訳が分かりやすい。
    解説にもあるように、
    注釈をつけない訳し方が、
    僕は好きです。

    絶対にオススメな非常に優れた著作ですが、
    僕なりのニーチェへの批判を。
    それは、徹底的なニヒリズムを超えて、
    社会的道徳の必要性。
    難しいけれど、
    そういったものが表れるのではないかと。

    ああ、それにしても、この本は、若い頃に読むべきでした。
    今回ほど理解できたかどうかは別として。

    それとも、生まれ変わっても、やっぱり、
    この歳になって読む運命なんでしょうか?

    僕の脳年齢は、19世紀かもしれません。(笑)

    (下)が楽しみです。

  • だれでも読めるが、だれにも読めない書物

  • 徳なんて糞くらえだ。善悪は過去の価値基準だ。
    もし徳というものがあるとするならば、それはその人個人のものであって誰とも共有すべきではない。
    ツァラトゥストラの神はペシミズムとは無縁だ!彼は喜びにあふれ踊ることのできる神だけを信じる。「さあ、この重力の魔を笑殺しようではないか!」

    隣人愛とは「要するにあなたの自分自身に対するうまくいかない愛」の言い訳にすぎない。彼は隣人愛よりはむしろ、自分からより遠く隔たったものへの愛を勧める。

    「子どもと結婚」の章はもっとも衝撃的だった。
    「あなたは子供を望むことが許されている人間であろうか?」
    人気の弱さから結婚を、子供を求めてはならない。
    人間は自己を克服し超人とならねばならない。そうして、自己を克服する者同士が、さらに自分たちを超える創造者を作ること、その意志こそ「結婚」と呼ぶべきものだ。
    これほどストイックな思想が他にあるだろうか?

  • 「神は死んだ」――神の死を伝えるために、彼は下界へと降りていく。そして、彼は大衆から蔑まれののしられる。彼が、彼らの抱く善に反しているという一点において彼は排斥される。やがて、彼は大衆へと神の死や、超人へと至る道程を語ることをやめて、旅の道連れを捜し求める。

    「誰にでも読めるが誰にも読めない書物」
    恐らくはニーチェの思想によって、深い構成を経ずにしてつづられたある種の純文学であるのではないか?それによって、この著書はまるで得体の知れぬものと成り果てている。

    「愛の中には常に幾分の狂気が在る。しかし、狂気の中には常にまた幾分かの理性が在る」――キリスト教の教えからはまるで考えられない理屈であるくせに、この言葉は真理をついている、いや、真理をついていると思わせるだけのなにかを背後に持ちえている。

    彼は、善、徳、悪、様々な言葉へと観念的に追求している。しかし、その際に彼の言葉はあまりにも平易なのだ。哲学書だと思わせぬくらいの平易な言葉で、しかし、誰よりも難解な内容を描いているという逆説。彼の怒りの矛先が向けられるのは、彼が度々絶望するのは、キリスト教徒が抱く「絶対的な価値観」なのではないか、彼はその価値観に疑義を呈しては、嘆き悲しみ、内省を重ねている。

    彼が説くのは、恐らくは一つのことだ。その一つのことをうまく言葉にするのは困難であるが、しかし、彼は様々なその一つによって様々な事柄を批判していく、それにおっておぼろげに見えてくる彼の考え方の根幹とは――「神の死」なのだろうか。絶対的な存在、真理が死ぬ時点で、耐えず批判が生じ、我々のものの尺度は一つでは測りきれなくなる。彼は隣人すらも批判する。「隣人はあなたにたかる毒蠅なのだ、だから、孤独になりなさい」と彼は説く。

    「孤独は長い間、1かける1だが、それが長い間には、2になってくる」――ニーチェ。わたしとわたしとの対話。そして、さらに第三者の存在。コルクの浮子。

    「人は神にはなれないが、超人にはなれる」「神は死んだ。人に、同情したがために死んだ」「原罪を持っていると思うことこそが原罪なのだ」「救い主はもし私くらい歳を経ていたらならば、間違いなくその考え方を変えたであろう」――この言葉はもはや凄まじすぎる。彼の超克精神は凄まじい。また、彼は、更に、一部の終盤にて弟子たちと決別している。それは、弟子たちは彼の考えの受け売りを持っているだけであり、彼を信仰している存在に過ぎないからだ。彼らは自ら彼の考えを持たねばならず、また、友を失うという悲劇を彼自身も経験しなければならなかった。しかし、それは再会を誓う別離なのである。

    「力への意思とは、ありとあるものを思考可能としようとすることであり、力の意思こそが真理への意思の正体なのだ」――ここでは批判される、力への意思だがこれはやがて肯定的に捉えられていくらしい。
    「善と悪とは絶えず、自らを超克していくことである」「常に自分で自分を超克していかねばならない」――絶えず繰り返されるのはこの内容。


    二番目に好きなひとと結婚するべし、というのは、実は女性だけではなく男性にも当たる言葉なのかもしれない。これは単に二番目っていう意味よりは、むしろ、一緒にいて身を滅ぼしたくなるくらい好きなひとと一緒にいて破滅するよりは、遠くからそのひとを思いなさいってことなのかもしれない。逆に一緒にいて破滅する気配がないならば、それはたぶん、二番目に好きなひとなのだ。一番目と出会っていないというだけであって。それは真理に近しいのかもしれない。「愛と破滅は表裏一体」とはニーチェもよく言ったものだ。

    ツァラトゥストラの上巻の内容としては、自己を超克していくための徹底したニヒリズムが語られている。繰り返される自己否定、更に自己否定。規制的な価値に縛られ盲人と化している人々との間に軽蔑され彼は孤独になりながらもやがて彼の仲間を得る。仲間を得、更に離別して彼は孤独へと至り、仲間たちもそれぞれの思索を得ようとする。彼らはまた再会し、そして、また離れる。第一部における離別は、彼のためであり仲間たちのためであったが、第二部における離別は人間のためだ。彼は序説においておよその人間に見切りをつけてしまったわけだが、それではいけないと二部の終わりにて彼の中の内なる彼によって啓示を受け、泣く泣く再度孤独へと落ちていく。平易な言葉で難解に綴られる哲学書と文学の両方の性質を持ちうる突然変異的な本著が訴えているのはしかし、酷く一貫している。絶対的な価値観の否定し、自己を超克する。だが、自己はまた自己という殻に埋もれる。つまり、超克は絶えず行われなければならない。そして、絶対がない以上、終着は見えない。彼は終着を神ではなくて超人だと定義づけている。しかし、絶対はないのだ。真理を彼は否定している。第三部以降の展開がいくらか気になるところではある。彼はとうとう超人になるのか、破滅して死ぬのか、一般大衆=彼が軽蔑していた存在すらをも味方につけてしまうのか、はたまた、弟子にとってかわられてしまうのか。終わりなどない。彼は宗教者ではないのだ。彼はあくまで一つの路を説くだけだ。しかし、それは絶対ではない以上、弟子たちはそれぞれの路を開かねばならず、彼らはあくまで、自己の考えを持った結果として身を寄せているというだけに過ぎない。永遠の思索。しかし、その永遠の思索こそが力への意思であり、権力を求める意思であり、我々を縛り付ける正体である。とはいえ、気力的に下巻を読むのは日をしばし空けよう。


    追記。解説を読み、自分の解釈が少し不安になってきたが、しかし、誰かが下した解釈が絶対だなんてことはありえず、自分は自分の解釈を持てばいいのだと思う。誰かが下した解釈を持つということはつまり、追従しているだけに過ぎなくて、それはニーチェの言う超人の路を断念したことになりはしないか?なので、個人的にはニーチェをニヒリストでありロマンチストであり、ナルシストであると肯定的な意味合いで定義する。個人的にニーチェは好きだ。思考はくるくると回り続けるだけかもしれないが、回れば回るほどに必ずなにかが集積されていく。それが悪く働くこともあるかもしれないが、自己との対話による強烈な自己否定と自己肯定の精神があれば、必ず自分なりの終着にたどりつけそうな気がするのである。

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