ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)

著者 :
制作 : Friedrich Nietzsche  氷上 英廣 
  • 岩波書店
3.62
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本棚登録 : 1166
レビュー : 61
  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003363935

作品紹介・あらすじ

ニーチェ思想の核心をなす「永遠回帰」がついにツァラトゥストラの口を通して語られる。やがては神の国に救われることを夢みて安逸をむさぼる卑小な人間たち。嘔き気をもよおしながらも、そういう人間たちに生の真の意味をつきつけずにはいられぬニーチェの使命感が、芸術的感動をともなってわれわれの魂をゆさぶるのである。

感想・レビュー・書評

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  • 言わずと知れたニーチェの大著.この年になって初めてニーチェでもないだろうが,友人に薦められて読む.その友人はあらゆる翻訳を読んだらしいが,この岩波の翻訳が一番よいらしい.
    本の扉に「だれでも読めるが,だれにも読めない書物」との言明があるが確かにそうかもしれない.短期間に熱にでも浮かされたように書いたらしい,第1部から第3部まではある程度のスピードを持って読んだ方がよいのではないか.長い散文詩と思えばそれほど難解でもない(というかこの翻訳では文章はとてもわかりやすい).深く読もうとすれば土台一人では無理だし,注釈書がいる.
    19世紀末,「神は死んだ」と言われてみんな驚いただろうな.そういう時代性あっての超人だし永劫回帰であるのだと思う.下り坂の人生にはあまり関係はないようだけど.
    はてさて,「超訳」なしでニーチェは21世紀も生き残れるだろうか.

  • ニーチェはポジティヴの中で憤死したと思う。

  • 謎めく筆致だ。読めば読むほどわからなくなる。キリスト教へのラディカルな批判は感じる。大きな楽観と世界への肯定を感じた。

    ・わたしは神を無みするツァラトゥストラだ。わたしはいっさいの偶然を、わたしの鍋で煮る。その偶然がよく煮えたとき、わたしの食べ物として、賞味する。
    ・わたしはいったい幸福を追い求めているのだろうか?わたしの求めているのは、わたしの仕事だ!よし!獅子は来た。わたしの子どもたちは近くにいる。ツァラトゥストラは熟れた。わたしの時は来た。

  • 1997.4.6 読了

  • 再読。ニーチェの思想は暗い様に見えて、実に明るい。永遠回帰とは「これが人生か。よし、ならばもう一度!」と死後の世界にも唯物論にも頼ることなく生を肯定する思想であり、何巡でも同じ人生を繰り返すのだという覚悟が求められる。そしてニーチェは己の意思を疾走させる。それは常識より速く、道徳より高く。そこに倫理は生まれ。しかし彼の言葉を真に受け、模倣している限り彼の忌み嫌う価値観の奴隷にしかなれないのだろう。そう、ニーチェの思想とは、彼以上に疾走する意思を求められる思想なのだ。誰よりも疾く在れ、高くあれ、もう一度!

  • 主に「超人」について語られた上巻から一変して、下巻のメインテーマは有名な「永劫回帰」へと転換する。

    この世の一切は永遠に、何度も何度も繰り返す。繰り返すからといって、少しずつよくなったり、悪くなったりするわけではない。一切は全く同じように繰り返す。
    もし自分の人生が終わった瞬間に、また初めから同じことを繰り返せ、しかも永遠に何度も、と言われたら?普通の人は発狂してしまうだろう。
    が、ツァラトゥストラは、永遠に繰り返す世界に絶望するのではなく、生を愛し、永劫回帰を受け入れ、何度でも生きてみせる強靭な精神をもつことを要求する。

    ツァラトゥストラ自身も初めは「ああした人間が永遠にくりかえしやってくる!あの小さな人間が永遠にくりかえしやってくる!(中略)ああ、嘔吐!嘔吐!嘔吐!」と嫌悪感を隠さない。
    が、鷲や蛇といった動物たちに励まされつつ自分を奮い立たせ、やがては「永遠よ、わたしはあなたを愛する」と歌うに至る。

    最終章となる第4部では、さまざまな人物(俗世を嫌悪する「ましな人間」たち)が登場し、ツァラトゥストラと問答を繰り広げる。
    「ましな人間」たちとの対話を通じ、ツァラトゥストラは、「同情」こそ忌避すべき「最後の罪」だと悟る。

    他者に対する同情を罪悪とみなし、「外界などはない」(p132)と嘯く。しかも自身を慕い、追随する者たちを繰り返し拒絶する。
    ニーチェの思想は、もとより他者との関係性を考慮しない(ばかりか、積極的に無意味化する)ものであることが明示された形だ。
    あくまでニーチェが主眼においているのは、自己を超克するということと、これに加えて、いかなるものをも絶対化せず自問し続け、世界のあらゆるものに自ら意味を与えていくということという、至極エゴイスティックな思想だ。
    と、「今の俺」は解釈した。

    『ツァラトゥストラ』は通り一遍の読み方を許容しない。必死にテキストを追って解釈しようとするよりも、むしろツァラトゥストラと同じ高みに到達し、対等な相手と議論を交わすかのごとき読書態度を求められているような、そんな気がする。そのためには、思索的な鍛錬と、さらなる読書が俺には必要。

  • 第3部。これに尽きる。永遠回帰。自己の肯定。

  • 人間は最も勇気にみちた動物だ。それによって、人間はすべての動物を征服した。鳴りひびく楽の音によって、かれはさらにあらゆる苦痛をも征服した。しかも人間の苦痛にまさる深い苦痛はない。
    勇気はまた、深淵をのぞきこんだときのめまいをも打ち殺す。それにしても人間はいたるところで深淵に臨んでいるのではなからろうか!目をあけて見ること自体がー深淵をみることではないのか?
    勇気に勝る殺し屋はない。勇気はまた同情をも打ち殺す。苦悩への同情こそそこのしれない深淵なのだ。深く人生のなかをのぞけばのぞくほど、人間はそれだけ深く苦悩のなかを見るのだ。
    勇気に勝る殺し屋はない。すすんで攻める勇気、それは死をも打ち殺す。なぜなら勇気はこう言うからだ。「これが生きるということであったのか?よし!もう一度!」(pp.18-19)

     克服には、いろいろな道と方法があるそれは、あなたが試みなければならないのだ!道化師だけが、「人間は飛びこすこともできる」と考える。あなたの隣人のなかにも住むあなた自身を克服しなさい。そして、あなたが奪い取るべき権利を、ひとの手から与えられてはならない。(p.96)

     なにが出てきてもおいしくいただく安易な満足、これは最高の趣味ではない!私が尊重するのは、「このわたしは」と言い、「然り」と「いな」を言うことのできる、依怙地で、選り好みのつよい舌と胃である。(p.87)

     あなたがた、「ましな人間」たちよ、小さな美徳を克服せよ。ちっぽけな知恵、砂粒のような配慮、蟻のうごめき、あわれむべき快適、「最大多数の幸福」を!
    あきらめるよりも、むしろ絶望せよ。そしてまことに、わたしがあなたがたを愛するのは、あなたがた「ましな人間」たちが、いまの世に生きるすべを知らないからだ!ということは、つまりあなたがたこそー最もよく生きているからだ!(p.256)

    生は苦悩である。生きることは悩むことだ、というショーペンハウアーのペシミズムは、その弟子ニーチェの思索の出発点となった。生の苦悩は厭わしいものだ。嘔吐をもよおすものだ。しかしそれを逃げない。ごまかさない。むしろその「苦痛のまっ黒な潮のなかへ」深くおりて行く。黒く厭わしいものを、むしろ強め、大きくする。そしてそれを肯定する。こうした姿勢の煮つめたほうっ式が永遠回帰であり、この深淵に耐えられるならば、ひとは癒されるのである。(解説、p.336)

  • ストーリー仕立てで会話が多いのでもっとも読みやすい思想書である。

  • 新書文庫

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