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Amazon.co.jp ・本 (326ページ) / ISBN・EAN: 9784003363959
みんなの感想まとめ
善と悪の価値基準に挑むこの書は、ニーチェの独自の哲学を通じて、現代社会の道徳観を深く考察します。彼は、キリスト教的な道徳や民主主義の平等思想を批判し、高貴な者の道徳と奴隷の道徳という二つの道徳を提唱し...
感想・レビュー・書評
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生きているということは実はとんでもないことだったんだと思った。と言っても罪の意識なんかはまるで感じないのだが…
道徳には二種類あって、高貴な者の道徳と、奴隷の道徳。
高貴な者は強く、比類なき能力があり、自ら是とするものを「よい」こととなす。彼そのものが価値の創造者である。
奴隷は高貴な者に奉仕するために存在し、命令され、過酷で悲惨な生活を強いられる。彼らは、強いものを恐怖する。彼らにとって恐怖させるものが「悪」である。その反対である彼ら自ら弱いものが「善」となる。
ニーチェさんの時代、種々の要因から高貴な者の道徳が廃れ、奴隷的な人間が増大したため、危機感を抱いてこの書物を書いたそうである。
時代は下って、現在ではさらに奴隷だらけになっているような気がする。もちろん、わたしも奴隷なんだが、やっぱりそれじゃ嫌だ。高貴な者は生まれながらにしてしかこの世に現れないのだから仕方ないとして、奴隷が奴隷を自覚しながら、生の耐え難さや隷属に抵抗して生きることはできないものなのか?そんなことを考えた。詳細をみるコメント2件をすべて表示-
ゆさん奴隷・・として生きる。無自覚だなああ奴隷・・として生きる。無自覚だなああ2012/11/05 -
keisukekuさんゆさんは高貴な者の方ですよ(^_^)bゆさんは高貴な者の方ですよ(^_^)b2012/11/05
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恥ずかしながらの初ニーチェ。善と悪というキリスト教的道徳に基づく価値基準に徹底的に反発し、民主主義的「平等」思想も「近代理念」も奴隷たることの心地よさに甘んじる畜群的な在り方だと糾弾するニーチェ、「自然」はむしろ高貴と卑俗との区別を持つものであり、まやかしの平等によってスポイルされつつあるヨーロッパ世界を“善悪の彼岸”に秩序を見出す新たな哲学によって変革していくべしと説く。牧師の息子として生まれながら信仰を捨て、ワーグナーに心酔してのち決別し、絶望と希望のはざまで既成概念と戦い続けるニーチェらしい、批判的でありながら厭世的になりきれない熱意は、その鋭さゆえに強さよりむしろ健気さを感じられる部分もある。当時においても革新的な思想だったと思うが、相変わらずキリスト教的・民主主義的平等が重んじられている現代世界に生きる人間にとっても、ニーチェの言葉の苛烈さは(共感するしないの次元を超えて)十分突き刺さる。
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自分以前の全ヨーロッパを敵に回したニーチェが来るべき新しい哲学者に向けて紡いだ雨ニモマケズ。
しかしそれすらもまた「あらゆる哲学はさらにひとつの哲学を隠している。あらゆる意見もまたひとつの隠れ場であり、あらゆる言葉もまたひとつの仮面である」
次は『道徳の系譜学』だ。 -
ニーチェは語る。道徳は思考停止であり、平等は群畜化である。自己のみを畏敬し、力への意志によって進み、新しい、絶対的な価値を見出すものの到来が待たれる、と。
そしてそれは今日到来しなかった。しなかったまま、個、主体、そういったものが解体してしまったのだ。それは、誰も、ニーチェの語る高みへと上ることができなかったからだ。
ニーチェは、その意味では最後の希望であった。或る一人の人間が往くことのできる最も遠いところを彼は示したのだ。
我々はこの本を読み、ニーチェの批判するところのものを知り、ニーチェの望むところを知り、そのどちらでもない地平にある我々を知らなければならない。 -
先生が『善悪の彼岸』はわかりやすいと言っていたが、自分にはまだ難しいようである。
章ごとにテーマがあるが、本全体としての一貫性はあまり見出せなかった。『道徳の系譜』はこれに比べるとわかりやすかったのもあるだろう。
勉強しながら、徐々に読み返そう。 -
人が信じているからと言ってそれが何になるのか?
独りよがりはよくないが、もっと広い心を持ちたいと思った。
自己正当化は何も産まないので、現実を見て行動しよう。 -
女性の自立を醜悪といいはる主張には鼻白んでしまいましたが、ドイツがユダヤ人を受け入れられない点については、ナチスの台頭を予言しているようでもあり。
でもニーチェはユダヤ人はヨーロッパで最も強靭な民であり、しようと思えば国を作れるのに作っていないのだから、溶け込みたい願望がある、と分析しているのはおもしろい。
ニーチェ初めて読んだけど、なかなか面白かった。 -
総合福祉学科1年 かざくるまさん
[わたしたち二人は、善いことをしないし、さりとて悪いことをする身でもない。|わたしたちの島と緑の草地は、善悪の彼岸にある。|わたしたちふたりだけの。]
資料ID:C0030576
配架場所:2F文庫書架 -
目の前の絶望に蓋をし、まるでそれを見ないように遊戯し続ける状況は、現在でもある事。現在の悪い所は、目の前の絶望に蓋をし、更に唾を吐き捨て、踏みにじっている事だろうと思う。目の前の絶望に対して、逃げずにしっかり地に脚付けて見つめる事、こうした事が出来ないままでは、現状も、これからも変化はあり得ないし、それよりかは、悪い病気に、どんどん罹患して行くのだろう。
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「利他的なことは善いことだ」的な道徳とかキリスト教は、他人の成功に対する嫉妬と、その他人が自分にその成功を分け与えてくれないということに対する不満、つまり弱者によるルサンチマンにすぎない。そのような道徳は、平等主義、民主主義、功利主義などの、人間を凡庸化し畜群化するものでしかない。人間がより高い存在へと進むためには、孤独に逃れ、己が評価者となって、利己的になることによって新たな価値を創造しましょうみたいな感じ
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読むのがかなりしんどかった・・・けれどなんだかニーチェの言葉は、力を与えてくれる気がします。
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●2026年4月7日、ピーターティールの「ゼロトゥワン」読書中。この本が引用されてた。
30ページ:
「狂気は個人にあっては稀有なものである。だが集団、党派、国家、時代においては通例である」 -
私には、弱冠難しい本でしたが、何とか読み終えて、あらましは認知出来たような感じに至る事は出来ました⁉️
誇らしい哲学者としての、ニーチェ大先生の訓戒とアフォリズムの連続の様に感じ、又、時代を読み解く尺度を授かった様にも感じました‼️
1度だけでは、メッセージ性を汲み取る事が出来なかったので、時を置いて、再度読み解ければな〰!と考えております⁉️
ニーチェ大先生の世界観は、研究の価値有り!だと思います -
ニーチェは真理、そしてそれに先立つ認識の直接的な確実性を否定することにおいて、その御大であるカントを辛辣にこき下ろしている。
「「いかにして<先天的>綜合判断は可能であるか」というカントの問いを、「何故にかような判断に対する信仰が必要であるか」という他の問いによって補充すべき時である。」
その一方、デカルト的「主体」を否定し、「われ」は「思う」ことそれ自体によって作られる一つの綜合である、とカントが主張したと解釈しており、この点についてはカントに肯定的である。つまり、デカルト→カント「主体の否定」、カント→ニーチェ「真理・認識の否定」と言えるだろう。そしてその態度はプラグマティズム、ラカンにも共通している。 -
よく考えると、ニーチェって死んでもこんなにバズってるの凄い。
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初めのうちは難しいなりにも読んでいられるけど、後半に進むに連れて批判調が濃くなる。あるいは選民意識? 違うかもしれないけど、そんな風に読み取れた。
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時代か、一部でかなり偏った考え方しか持ててない
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一行一行きちんと理解しようとしていた努力の跡が前半のページには窺える。
効率の悪いことしてたな。 -
本当に面白い
木場深定の作品
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