思想と動くもの (岩波文庫)

著者 :
制作 : 河野 与一 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 142
レビュー : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (435ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003364543

感想・レビュー・書評

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  • 直観
    変化

  • 半分くらいで挫折。可能性と事象性、哲学的直感、変化の知覚あたりはまだなんとなく分かるが、緒論と哲学入門ははっきり言って眠くなるくらい。哲学にとって抽象性が重要なのは間違いないとは思うが、何の話をしているのか分からなくなってしまうほど抽象的なのでついていけなかった。
    木田元さんの解説は分かりやすいので、先に読むのがおススメです。

    以下メモ

    ・可能性と事象性

    p140 私はある日、あの哲学では時間が何の役にもたっていず、なにもしていないということに気がついた。ところでなにもしていないものはなにものでもない。しかし時間はなにものかであると私は考えた。それだから時間ははたらくものである。ではいったいなにをすることができるか。単純な知識は答えて言う。時間はすべてのものがいっぺんに与えられることを妨げているものである。時間は遅れさせる、というよりもむしろその遅延である。そこで時間は仕上げの仕事でなければならない。してみると、時間は想像および選択の乗り物ではないだろうか。時間の実在は事物のうちに不確定があるということを証明しているのではあるまいか。時間はこの不確定そのものではあるまいか。

    p144 私は、哲学の大問題は一般に提出の仕方が間違っているので、その表現を訂正すればひとりでに解決することが多く、もしくはそういう場合にその文句の中に使われた言葉を良く見れば消えてしまうような錯覚的な言葉で述べられた問題だと考える。

    p145 具体的な空間は事物から抽き出してきたものである。事物が空間の中にあるのではなく空間が事物の中にあるのである。

    p145 私は議事問題があるといい、それが哲学を悩ませている問題だといった。私はそれらの問題を二つに分ける。その一方は存在の理論を生じ、もう一方は認識の試論を生じた。
    第一のほうはなぜものがあるか、なぜ何かがまたは誰かが存在するのかという問題である。そのあるものの本性はどうでもいい。それが物質、精神、もしくはこの両方だというにしても、また物質と精神とはそれだけでは足りず、超越的原因の現われだといってもいい。いずれにしても、実在だの原因だのそれらの原因の原因を考察すると、無限に向かう進行に引き込まれるような気がする。そこで足を止めるにしても、それはめまいを免れるためである。依然として人は困難が存続すること、問題がまた出てきていつまでも解決しないことを認め、もしくは認めたと信じている。なるほど問題はいつまでも解決されない。しかしこの問題は提出されてはならなかったのである。存在に先立って虚無があるなどと考えない限りこの問題は出てこない。「なにもないこともありうる」というものだから、何かがアルトーーもしくは誰か(「上」)がいるトーー驚くのである。しかし、「何もないこともありうる」という文句を分析して御覧なさい。あなたが扱っているのは言葉であって決して観念ではなく、「何も……ない」という言葉はこの場合全く意味がないということが分かります。「無」という日常の言語に出てくる言葉は、人間に固有な地盤、行動および製作の地盤にとどまらない限り意味のないものである。「無」は、我々の求めるもの、我々の欲するもの、我々のもっているもののないことを示している。現に、仮に経験が我々にいつか絶対的な空虚を示したとしても、その空虚は限られていて、輪郭を持ち、したがってやはり何かである。けれども実は空虚というものはない。我々は充実しか知覚せず、思惟することさえない。一つのものが消滅するのは、ほかの物がそれに代わっているからである。

    p147 ところが我々が製作の領域から創造の領域に移り、我々がなぜものがあるか、なぜ何かがまたは誰かが、なぜ世界がまたは神が存在するか、なぜ虚無がないかを問い、つまりもっとも人を悩ます哲学的な問題を提出する場合には、我々は潜在的に虚妄を承認しているのである。

    p152 「しかしあなたの言う作品はまだ可能ではない」といった。――「そうはおっしゃってもその作品があとで出てくるものですから可能に決まっています。」――「いや、可能ではありません。せいぜいその作品が可能だったということにはなるだろうと認めるだけです。」

    p154 ですから、大部分の哲学に内在し、人間の精神にとって自然な、可能的なものは実在を獲得することによって事象化されるという思想は、まったくの錯覚です。

    p155 可能性はさっき「障礙の欠如」を意味していたのを、今度は「観念という形であらかじめ存在していること」にしているが、これはまったくの別物である。

    p156 そこで私は、芸術家が作品を作る際には、事象的なものと同時に可能的なものを創造するのと見るのを自明だというようになると信ずる。ではそれとおなじことを自然についていうのを人がおそらく躊躇するのはどういうわけであろうか。世界は最大の芸術家の作品よりも比べにならないほど豊富な芸術作品ではないか。この場合、未来があらかじめ描かれていて、可能性が事象性よりも先に実在していると想定するのはいっそう虚妄だといわないまでも、同じくらい虚妄ではあるまいか。



    ・哲学的直観

    ・・直感のイメージ…否定の能力(ソクラテスのダイモーン)
    ・・科学と同じ方向に向かって科学よりも先まで進む力?→哲学者の思い上がり
    ・・科学に対する侮辱であり、哲学に対するいっそうの侮辱
    ・・科学=統合と分析、哲学=統一にきたのではなく統一から出た
    p194 この視点から見ても、哲学の本質は単純の精神であります。

    p199 生存の便にしか根ざしていない応用に限らす、科学は我々に幸福、少なくとも快楽を約束します。しかし、哲学はすでにわれわれに喜びを与えることができるでしょう。

    ・変化の知覚
    p206 われわれの知覚能力の不十分なこと――われわれの思惟および推理の能力によって確かめられたこの不十分なこと――が哲学を生んだ。
    p207 哲学の方法がこういうものだとすると、科学が一つだという意味において一つの哲学というものはないし、またありえない。
    ・・知覚は拡げることができる←近くの領域に最初からなかったものを湧き出させることはできない?→芸術家が古くから反駁。
    ・・p218 カントが形而上学を不可能だと信じたのはまさにこういう超越的な能力の実在を否定したからであります。

    p222 われわれはあらゆる変化あらゆる運動を絶対的に不可分なのものと考えることにする。

    p230 変化というものは幾つもあるが、変化の下には変化するものはない。変化は支えを必要としない。運動というものは幾つもあるがそれ自身はたらかず変化しないものが動くわけではない。運動はその意味のうちに運動体を含んではいない。


    目次

    ・序
    ・緒論
     第一部
     第二部
    ・可能性と事象性
    ・哲学的直観
    ・変化の知覚
    ・哲学入門
    ・クロード・ベルナールの哲学
    ・ウィリアム・ジェイムズの実用主義(プラグマティスム) 心理と事象
    ・ラヴェソンの生涯と業績

    ・解説(木田元)

  • ベルクソンの論文集。知性と直観や純粋持続など、ベルクソンを理解するのに欠かせないことを確認するのに最適だと思います。

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