幸福論(ラッセル) (岩波文庫 青649-3)

  • 岩波書店 (1991年3月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784003364932

感想・レビュー・書評

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  • 不幸でもリア充でもない私ですが、何かの本でラッセルの幸福論が紹介されており、本棚に登録していました。「幸福論」と聞くとなんとなく宗教っぽい響きですが、怪しげさのない本でした。

    不幸の原因として、競争・ねたみ・疲れ(心配ごと、神経をすり減らす何か)・被害妄想が挙げられています。
    解決方法についての解釈は、本書の読み手や読んだ時の年齢によって自由度がありそうで、懐の深そうな本でした。

    ただし、本書は内面の感情に関する記載が多く、外からの攻撃(他人からの妬み・イジメから身を守る)に対する防御については、あまり載っていなかったです。

    【心に残った箇所】
    160ページ抜粋
    科学者は複雑な感情を持つことはない。感情の複雑さは川の中のあぶくのようなもの。あぶくは、川のなめらかな流れを妨げる障害物によって生じる。しかし、流れのエネルギーは、妨げられることがないかぎり、水面にさざ波ひとつ立てないし、その力も、よく注意していない人にはそれとはわからない。

    196ページ抜粋
    両親の愛情は、子供の幸福にとって重要であるけれど、子供はそのことをあまり考えない。(中略)
    災難に出あえば両親の愛情によって守ってもらえるという感情がある。

    262ページ抜粋
    ささいなトラブルに浪費するエネルギーは、もっと賢明に使えば帝国をいくつも作ったり潰したりするのに足りるものだろう。

    263ページ抜粋
    宇宙の歴史の中では、こんな事件など大して重要でないと反省する。(中略)
    教養のある男女はそれぞれ自画像を持っていて、何であれこの自画像をスポイルするように思われることが生じると、腹を立てるらしい。最善の治療法は、一枚の絵ではなく、画廊そっくりに所有しておいて、問題の事件にふさわしい画像を選び出すことだ。
    →感想
     読書によって、様々な小説の登場人物から自画像となるキャラクターを学ぶことができそう。

    ?ページ
    親であることの喜びを満喫することは、子供の人格に対する尊敬の念を深く感じられる両親にしてはじめて可能。従来、自己犠牲的だと称されている母親は、大多数の場合、我が子に対して異常に利己的。専門的な技術を身につけた女性は、たとえ母親になっても、自分自身のためにも、社会のためにも、自由にこの技術を行使しつづけるべきである。

  • 誰しも幸せになりたい。

    はしがきに「現在多くの人びとも、周到な努力によれば幸福になりうるという信念に基づいて、私は本書を書いたのである。」とある。

    なんとも頼りがいのある言葉だろうか。

    第1章に「食と住を確保できるだけの収入と、日常の身体活動ができるほどの健康を持ち合わせているものと考えておく。(中略)私の目的は、普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案することにある。」

    ということで、きちんと人生は歩めているけどなんとなく不幸な日をなんとなく幸福な日にしたい人向けの本である。解説に各章の概略があるので、読みたいところだけ読むのもいいだろう。

    本書は1930年に執筆されたので、新しい発見は比較的少なかった気もする。しかし、非常に実践的な本であるため、読む価値は十分にあると思う。

    特に「第四章 退屈と興奮」は納得だ。不幸の一要因には退屈があるが、退屈が一つもないということも不幸の一要因になる。
    「ある種のよいものは、ある程度の単調さのあるところでなければ可能ではない」p71
    たしかに!!

    「第六章 ねたみ」は全ての不幸の元凶であると福沢諭吉も言っていた。納得。
    「なんといっても、幸福ほどうらやましいものが、ほかにあるだろうか。だから、ねたみぐせを治すことができれば、私は幸福をつかみ、人にうらやまれる身分になれるわけだ。」p97
    たしかに!!

  • 人種や宗教に依らず、人間を本質的に不幸にするものと、幸福への確かな道筋が体系的に示されている素晴らしい古典。

    確かに、これまで経験したどの不幸を振り返ってみても、その中心には必ず自己への執着や没頭があった。「興味や関心を外に向け、自分自身を必要以上に考えすぎない」ことが幸福への一歩だという考えに自信を持つことができた。

  • 世界三大幸福論の一つ。

    イギリス人哲学者のラッセルが記したもの。
    哲学以外にも数学を愛した人らしく、幸せになるために何を避け、何をすべきかを論理的に説いている。

    理系である私としては肚落ちしやすく、良かった。
    不思議なことに仏教の内容にとても似ている。

    初めに書かれているのが

    「現在不幸な多くの人々も、周到な努力によれば幸福になりうるという信念に基づいて本書を書いた」

    その言葉が示すように、本書は大きく分けて2部構成になっている。

    前半は【不幸の原因】

    1. 「何が人々を不幸にするのか』

     ・自分にばかり目を向ける人として「罪びと」「ナルシシスト」「誇大妄想狂」がある

     ・外部に目を向けることによる苦しみは、自己嫌悪から湧き出る苦しみと違って、生の本質的な部分まで打ち砕くことはない。

     ・虚栄心は必然的に無気力と退屈を生み出す。これの原因は自信の無さである。


    2. 「バイロン風の人々(虚無主義)」

     ・一切は虚とする感覚は、自然の欲求があまりにもたやすく満たされるところから生まれる



    3. 「競争」

     ・人々が生存競争という言葉で意味しているのは、実は成功のための競争でしかない。明日の朝食にありつけないのでなく、隣近所の人を追い越すことができないのでは?程度のことである。

    4. 「退屈と興奮」

     ・退屈には2種類ある。実を結ばせる退屈(麻薬がない)と人を無気力にする(刺激のラットレース)退屈である。

     ・幸福になるには一定の退屈に耐えることが必要である

     ・娯楽と浪費の生活を送る少年の心に建設的な目的が芽生えるのは容易ではない。なぜなら考えが常に次の快楽に向いてしまい。遠いかなたにある達成に向かわない。

     ・実りある退屈から逃れることで、もっと悪い種類の退屈の餌食になるわだ。幸せな生活は静かなものでなければならない。 

    5. 疲れ
     ・私たちのすることは、私たちが当然考えているほど重要な事ではない。

     ・あらゆる形の恐怖は疲れを生じさせる。恐怖を他で紛らわせようとするが、
      直視しないことでますます募っていく。正しい道は恐怖が馴染みのものになるまで考え抜くことだ。

    6. ねたみ
     ・ねたみは、子供の頃の不幸によって著しく助長される。
      世間に出ると、自分が犠牲者である不公平が起これば早速見つけるし、
      起こらなければ不公平を想像する。

    7. 罪の意識
    (キリスト教的思想が主のため割愛)

    8. 被害妄想
     ・あなたの動機はかならずしもあなたが思っているほど利他的でない
     ・あなた自身の美点を過大評価してはいけない
     ・あなた自身が寄せているほどの大きな興味を他人が寄せてると期待してはいけない
     ・大抵の人があなたを迫害してやろうと特に思うほどあなたのことを考えているなどと想像してはいけない

     ・食べることに当てはまることは他のあらゆることに当てはまる。何か利己主義的な動機なしには、熱意を持つことは難しい。

     ・あなたの専門がなんにせよ、他の人があなたの才能を自身ほど高く評価してないことがわかっても、間違っているのは彼らの方だと確信しきってはいけない。


    9. 世評に対するの怯え
     ・若い人たちはとかく彼らの知っている環境のみが世の中全体を代表しているかのように考えやすい。

     ・旧弊な人たちが慣習からの逸脱に激怒するのは、逸脱が自分たちへの批判のように受け取るからである。人懐っこい愉快な人からは批判であるとは捉えられにくい。

     ・自分の環境がどうもしっくりこないという人は、職業選択にあたり、収入よりも気心の合った仲間を得られるように努めなくてはならない。


    後半は【幸福をもたらすもの】

    10. 幸福はそれでも可能か
    ・道楽や趣味は多くの場合、現実からの逃避になっている。根本的な幸福は、他の何にもまして人や物に対する友好的な関心に依存している。

    ・あまりに多くを求めることは、得られるものも得られなくなる一番確かな方法である。

    ・幸福の秘訣はこうだ。あなたの興味をできるだけ広くせよ。そしてあなたの興味をひく人物に対する反応を敵意あるものでなく、出来る限り友好的にせよ。

    11. 熱意
    ・おいしい食事を前にして退屈を感じる人(虚無感)、義務から食べる人(罪びと)、美食家(気むずかし屋)、大食漢(官能主義者)がいる。そして喜んで食べ終われば満足る。そして最後以外の人物は最後の人物を軽蔑し、自分の方が優れていると思い込む。

    ・他の条件が同じなら、どれか一つに興味を覚える人は興味を覚えない人よりも、よりよく世界に適合しているのだ

    ・ある種の事柄が枠を形成し、それへの情熱が不幸のタネにしたくなければ、その枠の中に収まらないといけない。


    12. 愛情
    ・子供の外的な興味の背後には、災難に遭えば両親の愛情によって守ってもらえるという感情がある。

    ・不安感に起因する愛は、もう一方の愛より、各段に主観的で自己中心的である。そういう人は本質でなくどれだけ尽くしてくれるかで判断するからである
    (幸福な愛は舟の上でのんびりするのに例え、不幸な愛は難破船から命からがら陸地に辿り着くのに例えられる)

    13. 家族
    ・友達は長所ゆえに好いてくれる、恋人は魅力ゆえに好いてくれる。しかし両親が最も頼りになるのは不幸の時である。

    ・あらゆる人間関係において、一方の幸福を確保するのは易しいが、双方のためとなると格段に難しい。

    ・親であることの喜びを満喫することは、子供に対する尊敬の態度を深く感じられる両親にして初めて可能である。


    14. 仕事
    ・仕事は何よりもまず、退屈の予防策として望ましいものだ。また仕事をしていれば休日になった時にそれがずっと楽しいものになる。

    ・重要な建設的な仕事ほど、憎しみの習慣を直してくれそうなものはまず、他にない。

    ・首尾一貫した目的だけでは人生を幸福にするのに十分ではない。しかしそれは幸福な人生の必須条件である。
    自分の人生を一つの全体として見ようとする。

    15. 私心のない興味
    ・人間疲れれば疲れるほど、外部への興味が失われる。そして外部への興味がなくなるほど息抜きが出来なくなり、まずます疲れる。これは一つに実際的な重要性のないものは何事にせよ興味を持てないからだ。

    ・世界の提供するこの壮大なスペクトラムに興味の持てない人は、人生の差し出す特典を失っている事になる。

    ・気晴らしは思考を麻痺させる(麻薬など)ことでなく、思考を新しいチャンネルに切り替える事である。
    不幸に見舞われた時によく耐えるには、幸福な時にある程度広い興味を養っておくことが賢明である。


    16. 努力とあきらめ
    ・自己欺瞞に支えられているときにしか仕事のできない人は、自分の職業を続ける前に、まず真実に耐えられる術を持っておく方がいい。

    17. 幸福な人
    ・人間は、自分の情熱と興味が内へではなく外へ向いている限り、幸福を掴めるはずである。

    ・本当にあなたの興味をかきたてるもののみが、あなたの役に立つのである。あなたが自己没頭するのをやめたならば、本物の客観的な興味が芽生えてくる、とまず確信してよい。


    の章立てでできている。
    さすが世界で読み継がれてきた古典。
    素晴らしい内容でした。

  • 『自分自身と自分の欠点に無関心になることを学んだ。だんだん注意を外界の事物に集中するようになった』
    『どっぷり自己に没頭している不幸な人びとにとっては、外的な訓練こそ幸福に至る唯一の道なのだ』
    不幸の原因は自己没頭であり、その種類は①罪びと、②ナルシスト、③誇大妄想狂の3種類に分かれると説く。また、実際に人日が実際に陥っている状況として、8つの原因を挙げる。
    その一方で幸福な人は、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人と主張している。幸福へ至る要素は6つあり、それらを大切にすることで幸福が『獲得』できると言う。
    論理学者が書いた幸福論ということもあり、掴みづらい抽象論の話もなく、実践的な内容である。
    自分が一番好きな文言は第14章の『仕事』より、以下の文言。
    『人間は、自分の人生を一つの全体としてみようとする傾向に関して、互いにいちじるしい違いが見られる。(中略)人生を一つの全体としてながめる習慣は、知恵と真の道徳のどちらにとっても必要不可欠な部分であり、教育において促進されるべき事柄の一つである。首尾一貫した目的だけでは、人生を幸福するのに十分ではない。しかし、それは、幸福な人生のほぼ必須の条件である。』

  • 自分自身の、「人生への価値観」なるものと同じような文章があり、抜粋。
    個人的にこれが全てであると思っている。

    「多くの事物に興味を持てば持つほど、より多くの幸福の機会をもつことができる。そしてそれだけ運命の慈悲にすがらなくてすむ。なぜなら、好奇心が強く多くの興味の対象を持っている人間は、一つの事物を失っても、別の事物に目を移すことができるからである。あらゆる事物に対し興味を持つには人生は短すぎるが、毎日の生活を満たすに足るほどの多くの興味を持つことは幸福なことである。」

    > The more things a man is interested in, the more opportunities of happiness he has, and the less he is at the mercy of fate, since if he loses one thing he can fall back upon another. Life is too short to be interested in everything, but it is good to be interested in as many things as are necessary to fill our days.

  • かーなーり、内容の濃い本です。一度、読んだぐらいで内容をきちんと理解し咀嚼し自分の血肉にできる、などと思わない方がいい。

    かといって「理解に苦しむ」訳ではないのが面白い。前半は人が不幸になる原因について追及し、後半は一転して人が幸福になるためにはどのような心がけが必要かについて述べていて、本の作りとしては非常にシンプル。
    不幸の原因に関する部分ではやや難解な場所も散見されますが、後半の幸福になるためのポイントについては非常に分かりやすく、また賛同できる内容となってます。

    原著が出たのがそこそこ昔である割に、翻訳もこなれていて記述も(この手の本にしては)読みやすいです。何度も読み返すことで味が出てくる本であり、本棚に住まわせていて損はない本ということです。

  • 幸福論を書いた著作は山のように世の中にあると思う。ダレが書いた幸福論が好きか・・は読む人次第。「幸福論」という題材を手に取る人たちは、それなりになにかしら心に病みとまではいかずとも、心の中になにかを抱え込んでいる人がおおい。
     私が。ラッセルの幸福論を手にした理由は、単純にラッセルの文体が好きだと言うこと、そして彼の著作にも、幸福論というものがあると知ったからだ。あまりにも単純すぎか(笑)読んでみると、やはりアランの幸福論よりわかりやすい。この辺りはさすがだなあと思う。半分は、ラッセル贔屓もあるかもしれないが。
     幸せになりたいから、今幸せでないから・・という理由で読んでいるわけではないので、この一冊に光をみつけようとも思っていない。ただ、読んでいくと、琴線にひっかかるものは山のようにある。たとえ、自分が今、幸せを感じていなくともこのような本を読むだけで、心豊かになれるような気になる。
     仕事でイライラしているとき、おもったように人が動かない時、親兄弟と意見が合わなかったとき、友達からの裏切りがあったとき・・人生の中では誰しもが抱える問題も、ケセラセラの感覚で軽くスルーすることも悪くはないのだということを教えてくれる。
     デスク脇に必ず置いて、なにげない時間に開いて読むことにしている。

  • しなやかに生きる事、それがラッセルの言う幸福な人生の条件。刺激的な幸せはより多くを求めるようになり、やがて不幸に行きつく。まるで麻薬のように。だから、不幸を感じない事、消極的だけど、そんな平穏な状態にこそ幸せを見つけるべきなんだ。そして、一番大事なことは、日本に住んでいる人の大部分はその気にさえなれば、自分の人生が幸せなものだと築くことができるはずだ、僕はこの本を読んでそう思った。

    最後に、僕の好きなこの本の一節を引用したい、

    『―最もすぐれた小説は、おしなべて退屈なくだりを含んでいる。最初のページから最後のページまで才気がひらめいているような小説は、まずまちがいなく、偉大な本ではない。偉人の生涯にしても、二、三の偉大な瞬間を除けば、興奮にみちたものではなかった。』

  • 未開人が初めて白人の手から酒を味わった時、ついに幾時代にもわたる退屈から逃れる方法を発見したのだ。そして、政府が干渉した場合を除いて、彼らは飲み騒いで死んでしまった。戦争、虐殺、迫害は、すべて退屈からの逃避の一部だった。
    静かな生活が偉大な人々の特徴であり、彼らの快楽は外目には刺激的ではなかった。
    多少とも単調な生活に耐える能力は幼年時代に獲得されるべきものである。
    どのように考えようと私たちは〈大地〉の子である。
    私たちを〈大地〉の生と接触させるような快楽は、その中に深い満足を与えるものを持っている。
    理性的な人間は、自分自身の望ましくない行為を、他の人々の望ましくない行為を見るように見るだろう。
    幸福の秘訣はこういうことだ。あなたの興味をできる限り広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものでなく、できるかぎり友好的なものにせよ。
    不幸に見舞われた時によく耐えるためには、幸福な時に、ある程度広い興味を養っておくのが賢明である。

  • やっぱりこの手の本は難しい。まだまだ理解できないようです。

  • アバタロー氏
    1930年出版

    《著者》
    1872年名門貴族出身 
    親が知り合い「自由論」ミルが名付け親
    イギリス数学者哲学者
    1950年ノーベル文学賞受賞
    両親が幼少時に亡くなり祖父母が面倒に見る
    祖母が厳しく度が過ぎた教育
    キリスト教プロテスタントでピューリタン教育
    家庭教師をつける、自殺願望、数学のために生きていた
    政治、反戦活動、職を解雇、投獄、それでも平和活動し続けた

    《感想》
    幸福論3冊を比較
    ラッセルは他と毛色が違う
    数学の天才で苦労人
    現実主義的な平和主義
    経験の反動的な内容ではないかと

    確かNHKの幸福学白熱教室の番組で、ボランティア等で人のために尽くすことは、自分自信の幸福度に結びつくと言っていた
    感謝されると素直に嬉しい
    世の中がこういう気持ちで接すれば争いは起こらないのにね
    ただ思うのは、現代では一人ひとりの幸福の感覚が多様化していることも否めない

    ・1930年代の歴史
    1929年ウォール街大暴落
    1933年ナチス独裁政治
    ・ヒルティ(1891年):キリスト教、ストア哲学
    ・ショーペンハウアー(1851年):厭世主義
    ・アラン(1925年):ストア哲学、合理的ヒューマニズム

    《内容》
    〇不幸の原因
    これができないと褒めてもらえない、これができないと幸せになれない
    つまり自分のことばかりに気持ちが向いてしまう人は、どうしようもなく不幸になるのだ
    1罪びと、2ナルシスト、3誇大妄想

    成功すること、金を手にすることも、ある一線を越えてしまえば、これ以上幸せが上乗せされていくというわけではない
    成功というのは幸せの一つの要素でしかない
    他者との比較はやめよ

    ○幸福をもたらすもの
    仕事
    面白さは技術を駆使することだ
    無限にレベルアップすることが期待できる
    趣味
    世界は不思議なことだらけ
    興味の幅を広くするようにしなさい
    損得も競争もない、やっているだけで楽しいという趣味を見つけましょう

  • 初見ではアラン著作と間違えて読んだ作品。途中で間違えたことに気が付いたけどいやいやどうして面白くてどんどん読み進めていける。というか、これを読んだらアランのは読まなくてもいいやと思ってしまった。これさえ読めば巷にあふれる自己啓発本なんて読まなくて済みますよ。『方法序説』がクリティカル・シンキングの種本であるのと同様、この著作はあらゆる自己啓発本の種本です(と思います)。でも、どうしてタイトルの和約がこうなるんだろう?直訳すると「幸福の征服」。つまり「幸福」というという良心そのものがアレクサンドロス大王やチンギス/フビライのような征服者と比することができるほどの強力で偉大なものであるということをこのタイトルに託しているのに「論」というちょっと一歩下がったかのような弱々しい単語に置き換えてしまっている。和訳版であろうが原典の趣旨を損なわないようにしてほしかったなあ。内容自体も「論」(直訳するとtheoryとかmethodかな?)という弱い用語をタイトルで使うほど弱い論理展開をしていないことが和訳版からも読み取れましたしね。ラッセルやこの作品そのものに対するのではないけど、そこが不満かなあ。だって真っ先に目にするタイトルですからね。

  • 「100分de名著」を遡って見ていたときに見つけて、なんか今の自分に必要そう…と思ったので読んでみた。
    幸せになるためには、自分の内側にじゃなくて外側に向けて興味と情熱を持つべきだというところは、これまで自分がなんとなくそうじゃなかろうか…と思っていたことを裏付けてもらったようで心強く、またその理由も色々な事例を用いて教えてくれる。
    読んでいる間の時間は、自分の無意識の価値観や考えを熱いハンマーで根気よく何度も叩き直しているような感じがあり、少し幸せになるためのコツを掴んだような気がした。
    これからは、実践だな。つかんだコツを自分の技術にしていく必要がありそう。
    にしても、全体的に挿話というか例え話がなんか変。ラッセルってたぶん、面白い人だったんだろうなと思った。

  • アリストテレスの「二コマコス倫理学」を読んだ後に、本書を手に取りました。時間的には2000年くらい飛躍しましたが、内容は非常に共感できましたし、ラッセルもアリストテレスに言及しているように、両者に共通点も見つけました。本書は第1部「不幸の原因」、第2部「幸福をもたらすもの」ということで分かりやすい構成になっています。バートランド・ラッセルという人は情熱家で正義感も強く、社会活動家でもあるのですが、その熱い思いが本書にも散りばめられているのがよくわかりました。ラッセルの考えを要約すれば、不幸な人とは自分のことばかり考えている人である(自己没頭している人)。よって関心を自己の外に向ける必要があって、それは家族や友人であったり、仕事、趣味に向けることを意味します。そしてアリストテレス同様、中庸こそが幸福の秘訣であると述べています。つまり「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということです。

    ただし自己の内面を完全に無視するわけではなく、「意識的な精神と無意識的な精神」をうまく調整し自我の調和を図る必要性を述べています。どういうことかといえば、例えば何か問題が起こった時に、無意識の自分がそれを心配するのに対して、意識的な自分が「それは恐れるに足りず」と何度も思い続けることで、無意識の自分を変えていく、それがうまくいけば、同様の問題が再び起こった時に、無意識の自分がもはやそれを心配しなくなるのだ、という理屈です。ラッセル自身これを実践してうまくいったという話が述べられているのですが、正直これについてはかなりハードルが高そうだとは感じました。

    本書で述べられている不幸の要因(自己没頭、ねたみ、罪の意識、被害妄想、世評に対するおびえ等)、幸福の要因(熱意、愛情、家族、仕事、私心のない興味等)については、強い共感を覚えました。特にインターネット全盛時代を念頭に置くと、普通の人がネットで炎上する(たたかれる)ことが一般的になっているわけで、そのような状況下では「世評に対するおびえ」が不幸の大きな源泉になりつつあるのかもしれないと感じました。ラッセル流に言えば「ネット上での心無い批判」は気にするなということになるのでしょう。

  • 非常に感銘を受けたアランの‘幸福論’に続き、ラッセルの‘幸福論’にも興味を持った。

    この本は90年代に書かれたこともあってか、ビジネス書のような構成で書かれてあり彼の考える幸福が非常にロジカルにわかりやすく書かれていたと感じる。

    この本の感想を一言で述べると、実用的な幸福に至る方法を知ることができる本である。理由は中、近世に書かれた哲学書に比べ、レトリックな表現が省かれており、日々の思考のプロセスにおける軸のようなものが実践的な形で書かれているため、この本を読んだ後から彼の考える幸福を実践できるような書かれ方をされていると言う印象を持った。

    この本から得た私の学びは、幸福を感じる器をできるだけ小さくし、社会⇆組織⇆個人のレイヤーの中での自分を見失わないことが重要であるということだ。
    イメージではあるが、自分の適した環境で自分の影響を及ぼすことができる範囲を知り、その中で活動していく。いわば水の中に生きる魚のように振る舞う態度こそ幸福に至る一要因なのではないかと考えた。

    また、個人的な興味として自分(親)⇆子供の相互作用から生まれる幸福として、親が子供から受け取る幸福を増やす方法として尊敬を用いる事が述べられており、確かに、子供の純粋、自由など認知できる範囲で尊敬しゆる点は尊敬すべきで、それを認知するからこそ子育てに楽しさを感じることができるという点は、儒教的観念の色が残る社会の中で刷り込まれた考えであると認知できた点はとても収穫のあった。


  • 非常に面白い。非常に具体的。
    本書では不幸になる原因と幸福になる原因が”具体的”に書かれていて、本を閉じたその時から幸せになれる可能性を秘めていると思う。
    本書の目的は、衣食住に不自由なく暮らし、我が子を失った等外的不幸の原因の無い人々が経験する〝日常的な〟不幸に対して、一つの治療法を提案することである。
    一番のポイントだと感じたことは、周りに興味を向けること。
    例として挙げられていたのはシャーロック・ホームズ。
    シャーロックホームズは、道に落ちていた帽子を拾って言った、「その持ち主は酒で身をもちくずし、妻はもう昔ほど彼を愛していない」何気ないものからこれほど豊かな興味を与えられる人にとって、人生は退屈であるはずがないのだ。

  • この10年弱のミニマリズムの中で身につけた考え方を経て、本書に書かれた慎ましやかな生活にも幸せを見出すあり方に腹の底から実感と共感を覚える内容でした。面白いのは幸福に不可欠なものは何か(熱意、愛情、家族、仕事、興味、努力と諦めなど)だけではなく、幸福から自身を遠ざけてしまうもの(競争、疲れ、妬み、罪の意識、被害妄想、世間に対する怯えなど)にも言及がされていること。個人的にはこの後者のネガティブなものからいかに距離を置くか、あるいは良い形で受け止め切ってしまうかが幸福獲得に繋がる道である気がします。

    常に満たされず何かを追い求めるマインドの時に読んだ時には全く刺さらなかったのですが、やはりこうした古典は人生のいろいろなフェーズで読み返すと多々発見があり興味深いです。

  • 理性と本能の両方で、幸福を理解し、自然に興味を持つものを見つけて、オープンに生きようぜって感じの、めっちゃいい思想本だった。 ハウツー的にも読めるし、数学者ゆえに論理の納得度が高く、論理による名言が多かった。綺麗な和訳で非常に読みやすかった。

  • 自己に意識を向けていることが不幸の要因であり、恋人や家族、趣味など外界への関心が幸福をもたらすという内容で噂通り実践的だった。
    アランを含め他の三大幸福論と比較してみたい

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著者プロフィール

広島大学名誉教授・文学博士(名古屋大学)。1973 年ロンドン大学留学。1976年市河賞、2006年英語語法文法学会賞、2008 年瑞宝中綬章。Who’s Who in the World(1993-)、Men of Achievement(1995-)記録。主な編著書:A Descriptive Syntax of Christopher Marlowe’s Language(University of Tokyo Press)、『英語教師の文法研究』(正・続)(大修館書店)、『生成文法用語辞典』(共著、大修館書店)、『英語学の歴史』(共著、英潮社)、『新クラウン英語熟語辞典』(第3 版)(共編、三省堂)、『新英和大辞典』(第5、6 版)(共編、研究社)、『言語学・英語学小辞典』(共編、北星堂書店)、『現代英米語用法事典』(共編、研究社)、『英語学の視点』、『英語学入門』(共著)、『英語史入門』、『現代英文法講義』、『英語の文型』、『英語の前置詞』(以上、開拓社)、『英語イディオム・句動詞大辞典』(編、三省堂)、など。そのほか訳書多数。

「2021年 『新装版 基礎と完成 新英文法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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