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Amazon.co.jp ・本 (560ページ) / ISBN・EAN: 9784003365151
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みんなの感想まとめ
テーマは人間の存在とその社会的な位置づけであり、特に「共同存在」や「頽落」といった概念を通じて、私たちがどのように世界内で生きているのかを探求しています。ハイデガーは、現存在が持つ「恐れ」や「非真理」...
感想・レビュー・書評
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この岩波文庫第二分冊中のハイデガーの主張はずっとわかりやすいのだが、ということは即ち自分は何もわかっていないのだろう、という気もする。
前半第四章の「共同存在=世界内存在=他者たち=ひと」というのは、つまり吉本隆明の論じた「共同幻想」の下に集う人を指している。
「だれもが他者であり、だれもが自分自身ではない。」(p122)とは即ち、世界というマス化した価値観やルールの中に埋没している人間だ。
その後第五章で論じられる「頽落」というのは、即ち現存在たる自分自身が、この世界内存在というポジションに一時はまるというイメージだ。
この「頽落」については、
「まったく否定的な評価を表現してはいない」(p321)、
「『堕落』ととらえてもならない」(p323)、
「現存在の『夜の面』といったものを与えるものでもない」(p337)
として、否定的でな意味ではない点を繰り返し強調しているところが興味深い。
「本来の自分ではいられない」というような単純な嘆きではない点は、さすが歴史的な哲学者と思う。
同様に終盤の「真理」のところに来ると、
「現存在はその本質からして頽落するものであるがゆえに ≪中略≫ 『非真理』のうちで存在している。『非真理』という名称はここで、『頽落』という表現とおなじように ≪中略≫ 消極的なあらゆる『評価』は ≪中略≫ 遠ざけられなければならない」(p505)
として、非真理を否定しない姿勢を示している。
これらを非常に単純化し、自分の日常に落としてみると、例えば、
・現存在 →普段の自分(本名)
・世界内存在 →会社員としての自分(名刺)、役職、椅子
・世界 →会社、事業
・他者たち →同僚など仕事関係のみなさん
・頽落 →通勤
・真理 →事業とはこうあるべき
・非真理 →でもきれいごとでは業績上がらないよね
ではないかと感じた。
ハイデガーにとっては、通勤とか知らんと思いますが。
頽落とばかりに地下鉄に揺られて通勤し、色々と気を遣いながら、気の進まない非真理的仕事を引き受けるサラリーマンも、そんなに否定的にとらえなくてもいいよ、というハイデガーの励ましかと感じた。
後半が楽しみだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
相変わらず面白い。
真っ当なことしか書いてないなハイデガー先生。
現存在にとっての「恐れ」は特によかった。
恐怖の対象を開示させる、それこそが確かな実存への一歩となる。
岩波文庫は巻数が多くて嫌になっちゃう。 -
存在と時間(二) (岩波文庫)
(和書)2013年08月31日 13:39
ハイデガー 岩波書店 2013年6月15日
『存在と時間』二巻目(全四巻)
木村敏がハイデガーの『存在と時間』について書いていたのを思い出した。実存主義とアナキズムを学として成立させようという試み。それが現象学なのかもしれない。他の本も読んで研究する必要を感じる。
先ず思うのは人間の格差を解消しそれを学として捉えようという姿勢である。それが現存在を考える究極の目標である。その姿勢はアナキズムを学として成立させようとすることである。その姿勢はキルケゴールに見ることができ、木村敏がハイデガーとキルケゴールから統合失調症と捉えようという姿勢を理解できる。
統合失調症は格差の論理ではなく格差を解消することによって真理(普遍的命題)を見ようとする姿勢である。統合失調症と実存主義、アナキズムが関係してくる所以がそこにある。木村敏がキルケゴールやハイデガーから考える理由を理解できる。
哲学の根幹がそこにあるということである。 -
第2巻は、第25節からです。
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岩波ブックセンターで購入しました。
(2014年2月13日)
読み始めました。
(2014年4月11日)
第四章の第二七節
「日常的な自己存在<ひと>」は、
すさまじいですね。翻弄されます。
「ハイデガー、やばいっす」
(2014年4月23日)
読み終えました。
(2014年9月7日) -
梗概2 は1と違って、結構難儀。
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(一)(二)を読み終え、(三)を読み中であるがここまでの感想をここに記しておくことにする。何せ最終巻の(四)は12月に発刊予定らしいので。
前半。これからどこへ向かうのか、どの程度の距離なのかが予想しにくく、呼吸がし難かったほどである。果てしない。読み進めていくうちに、ハイデガー自身もその辺りの見通しはついていないのだろうな、と感じたわけだが。
何が明らかになればいいか、何について分析してゆくべきかについての問題や伏線が散りばめられていく。
当たり前、自明なこととして私たち大人が見過ごして受け入れていることにこそメスを入れる。「なぜ“ある”のか?」「“ある”とは?」と疑問を投げかける。ハイデガーのみならず、多くの哲学者は童心を抱えたままなのだろう。詩人の多くもそんな気がする。
(二)に突入したあたりからようやくその全容が見えてくる。「こういう感じなのね」という感覚知が私の中に立ち上がってきた。
一文一文の意味は理解しがたいのであるが、それでも読み進めることで総合的に「わかる」ようになりはじめる。繰り返し主語になる語がある。ハイデガーの文体に慣れ始める。ある語のハイデガー的な使い方とその含意、機微を次第に掴めるようになってくる。長大な本、文章にはそういう傾向があるなとも思い至る。一を聞いて十を知る、とはなかなかいかないな。
折り返しの三巻からは少し別のアプローチが始まる。おわり、死、未済、全体性の話題。『存在と時間』の“時間”側の領域に突入したようだ。
※※
肯定の表現のみならず、否定的な説明をも駆使している。ある特定の事物がAであることを主張する場合、それではないこと、つまり「Bではないこと」をも付記する。たとえ読者がBであると誤解する可能性が小さくても、である。
これがあまりに繰り返されると説明過多になる。だからと言ってこれが少ないと軽薄な言説になってしまうことだろう。
具体例を挙げるケースが少ないため、その例証が強く印象に残る。道具としての存在における「ハンマー」。全体性とおわり、完成のあたりでは「月」の満ち欠けや、「果実」の未熟、完熟を例示していた。
つくづく感じるのは哲学の面白さと役に立たなさ。
役に立たないからこそ、哲学は哲学なのだろうし、それだけで面白い。
哲学者はたいてい気難しい顔をしているけれども、私には愉快で痛快にも思える。語弊を恐れずに言うとお笑い芸人と同一視している。
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