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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784003365175
作品紹介・あらすじ
「存在」の意味を根底から問い直した、二〇世紀最大の哲学書。本巻では、現存在の存在意味である「時間性」を、日常性・歴史性の分析から考察。根源的な時間から存在の意味へと通じるみちすじをも予告し、壮大な議論はいったん閉じられる。人名・事項・文献索引、主要訳語対照表を付す。
みんなの感想まとめ
存在の意味を根本から問い直す本書は、時間性を通じて現存在の理解を深める哲学的探求を展開しています。特に、時間と存在の関係を探ることで、日常性や歴史性がどのように絡み合っているのかを分析し、読者に新たな...
感想・レビュー・書評
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第3~4分冊は、部分的にでも通しでも、もう何度か繰り返し読んだが、読めば読むほど新たな理解や自分の見解が出てきてきりがないと感じる。
この深みが哲学なのだろうか。
ひとまず現時点での感想として、『存在と時間』に関して抱いた違和感を2点書き留めたい。
◆1つ目は、「本来的な存在」「非本来的な存在」「頽落」の視点である。
ハイデガーによると、現存在の日常は死から逃避し気晴らししている頽落、つまり非本来的なあり方で、頽落していることに気づいてもいない。
しかし自らの死に向かい決意することで、本来的に存在することができるという。
はたして人間はそのように存在しているのか。
少なくとも自分の考えでは、日常的にあるあり方が本来的な自己であり、しかしながら生活の必要でやむを得ない場合などにのみ、不本意ながら、非本来的なあり方も受け入れる、という理解であった。
例えば仕事上で会社の利益を確保することを迫られ、やむを得ず取引先に厳しい措置を取る際に感じる後ろめたさ、などがそれである。
そのような場合に、自己の意志や道徳観念に反することを、非本来的な自分であるとして何とか自分を前へ進める、ということはある。
つまり、ハイデガーにとって非本来的なあり方は無意識的に行っている日常という理解であるのに対し、自分としては、必要に迫られ意識して敢えて甘受するのが非本来的なあり方、と理解している。
断定はできないが、このハイデガーの世界の捉え方について、カトリックとプロテスタントの分裂という当時のドイツの背景からの影響を考えることはできないだろうか。
つまり、第3分冊の訳者解説でマックス・ヴェーバーが参照されていたとおり、「やむを得ず」非本来的な在り方を受け入れることは蓄財やひいては職業にすら背徳を感じたカトリックの視点であるのに対し、ハイデガーの意図する「頽落」はそれを神の意志として解決したプロテスタント的日常である、と感じられた。
ハイデガー自身が伝統的なカトリックの家庭に生まれながら、本著執筆前にプロテスタントに改宗している点などは、興味深い。
プロテスタント的世界を、カトリックの視点から見ているとも言えるかもしれない。
ハイデガー自身は、本著から意識的に神学的世界観を排除しているようにも見えるため、宗教信仰がどの程度思考に影響したかはまだ測れていない。
この点は、再読して掘り下げたいところである。
◆2点目は、個人の「命運」と、全体としての「運命」「歴史性」「共同存在」についてである。
この点について、本著は前半(存在について)と後半(歴史性と時間性) の主張が断絶しているように読めた。
つまり、前半では「死へと先駆して本来的な存在に」と自己の存在について強調しているにもかかわらず、後半では「他者たちとの共同存在」「共生起」「共同体の、つまり民族の生起」と、全体主義的または運命論的な主張に急旋回する (1124段落)。
自分としては、歴史の流れの中の個人、社会の側から形作られる自己、という考えはなじみ深い。
そのような視点は、例えばトルストイから提示されたものなどは、至極賛同できる。
しかし一方それは、ハイデガーの、少なくともこの『存在と時間』の前半の主張からは唐突であると感じる。
◆上記のように、この『存在と時間』における議論は、自分の世界観や今まで多く読んできたものとは大きく異なる。
このような歴史的大著に何を言えるものでもない。
ただ自分の感想としては、本著は『存在と時間』というタイトルであるにもかかわらず、ハイデガーの世界観は、時間とともにある存在を「頽落」と認識し、「本来的・非本来的」という二項対立の視点で、存在を時間とは切り離され固定されたものに置き換えてしまったように見える。
先述の通り、自分の世界観とハイデガーのそれとは、「非本来的存在」の受け止め方が逆である。
しかしどちらも共通して理解しているものは、本来的に生きようとして生きられないという人間の本質についてであり、それぞれ反対側から見ているに過ぎないと感じる。
その「本来・非本来」のはざまで生きるしかないことが、存在でありまた時間であり、どちらか極端に走り固定されることとは異なるのではないか。
これ以上自らの言葉でまとめるのは難しいため、最後に某著を引用し、この『存在と時間』に対比するものとして書き留めたい。
しかしそれは、ハイデガーの主張に反対しようということでは全くない。
まだその深みに迫ることができていないため、今後読み返し自分の理解の深化を見たいと思う。
「人間の存在の意味は苦悩の中にあり、≪中略≫ 自分の魂が善と悪の均衡のなかに、すなわち悪との関係の耐え難さのなかにあって真に神聖な自由を獲得するために戦っていると確信することが、重要なのである」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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存在と時間(四) (岩波文庫)
(和書)2014年02月09日 20:01
ハイデガー 岩波書店 2013年12月18日
『存在と時間』ってこんなことが書いてあったんだな。旧訳を通読していたけれど全く知らなかった。何読んでいたのだろう?
哲学とは現象学的存在論である。
第四巻は時間について書かれています。今までの存在に関するものの中で時間がどのように関係してくるのかということが書かれています。存在のない時間はない。時間のない存在もない。簡単にそんな感じです。第一部前半で完結してしまい第一部後半と第二部も構想されていたらしいですが存在していないようです。読んでみたかったですね。
僕は高校生の時に村上春樹を読んでこれは自分のことが書かれていると単純に思いました。いま思い出すと恥ずかしいです。こないだのノーベル賞騒動のときにも村上春樹的喫茶店のマスターがテレビに出てきて同じような感想を言っていました。そういう人って多いのだなって感じました。
ハイデガーの『存在と時間』を読んでみました。以前、岩波の旧訳も読んでいましたが全く手応えがありませんでした。今回の新訳を読んでみて手応えがかなりありました。この本を読んでここには自分のことが書かれていると感じたのです。そうなのです。僕が25年程前に村上春樹を読んときに感じた同じ言葉がハイデガーを読んで浮かんできたのです。言葉は同じですがその存在と時間に関する認識にはかなり差があるように感じます。同じ言葉が浮かんできたのに何かの縁を感じます。機会があればそれについても考えてみたいです。
このシリーズは当たりです。是非皆さん読んでみてください。 -
現存在の存在の意味とは、気遣いである。
こういうようにハイデガーは、ひとの根本概念を《気遣い》として取り出し、さらにそれを可能にしているのが時間性だという。
第3巻から続く第二篇では、
第1篇でなされた現存在の基礎分析に対して、
ぜんぶ時間性というものをつけたしていく。
世界-内-存在(世界性、世界内存在、内存在そのもの)に対して。
やっぱりハイデガーは、文献学=歴史学の畑のひとなんだろうなあというところがかいま見える。
本来的な自分に目覚めるためには、過去に対して抵抗と伝達がなければならない、という。
そこで、共同体(民族)にコミットしなければならないのだ、ということがでてくる。
論理で言えばその通りだなあと思うけれど、この辺の記述は割にさらっと書かれている。
(ナチスへの関与、ということでこの辺りは読まれてしまう有名な箇所なので注意が必要とは言え)
具体的な実例が欠けているということはよくわかっていると書きながら、一般論(「原理」)としては書きますね、という。
だから、ここにいろいろ読者が意味や具体性を詰め込んでしまえるので、ハイデガーを叩きたいひとは、ナチへの関与という歴史を強調するのだろう。 -
駅前の書店で購入しました。
(2014年3月31日)
読み始めました。
(2015年02月09日)
なんとか、読み切りました。
(2015年07月11日) -
全四巻、読了。ありがとう! ハイデガー。面白かったよ。
・現存在という用語は人間と置き換えると理解しやすい。しかし、それを等号で結んではならない。現存在は人間の自意識や精神とはまた違う、ハイデガー独自の用語なのである。ハイデガー的な解釈をするためには現存在は現存在として読み進めるべきである。
・「(配慮的)気づかい」が現存在の存在の足がかりとなっている。気づかうというのは常に既に何かが何かに対してなされる肉体的あるいは非肉体的な活動の可能性であるから、その何かという存在物の存在が前提できる。
・タイトルにも謳われている「時間」について。これが大変面白い。ヘーゲルが多分に引用されていた。時間を点であるとすると、その点は常に過ぎ去って消失する。他方、その瞬間にもこの今という時間が生成されている。否定の連続と並走する「いま」の発生。このことから時間そのものは無限であることが推察される。
この時間という地平の上で存在論が展開されていくことになる。
・頽落とひと(ダスマン)。
・被投性、投企。この世界に投げ込まれた現存在。
ハイデガーはここで(この文庫本にして4冊で)一旦筆を置く。続編を記すことなく彼はこの世を去ったけれどもアリストテレス以来の存在を巡る論及、問題設定には喝采を送りたい。
http://cheapeer.wordpress.com/2014/01/06/140106/
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