哲学の改造 (岩波文庫 青652-1)

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  • 岩波書店 (1968年10月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (188ページ) / ISBN・EAN: 9784003365212

みんなの感想まとめ

哲学の再構成をテーマにした本書は、デューイの思想を深く掘り下げることで、哲学の変遷とその意義を探求しています。内容自体は理解しやすいものの、文体や構成が難解で、初めての読者には伝わりにくいという意見も...

感想・レビュー・書評

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  • 言っていること自体は難しくないのだけど、理解するのは簡単ではない。わかりにくい思想ではないけど、なかなか伝わりづらい文体や構成をしている……というべきか。
    例えば、この本は「宗教的なもの」を排除しようとしていない(という言い方は実にミスリーディングだが)。こんな風に、デューイは実際誤読が多い。

    学部の頃、なんとなくわかったつもりで読み、そのままにしておいたが、この本に様々な魅力的な可能性と鋭い洞察、射程の広い分析がなされていること、その意義、またデューイ思想の中での位置づけまでは当時わからなかった。
    院生として彼を深く読むようになったおかげだと思う。

    実にすごい本だと思う。
    が、デューイの文章はこんな短いセンテンスで構成されていないので、図書館で原典を借りつつ読まなければ、精読とは言えないだろう。ほんとにネイティブかって勢いで、関係代名詞とかコンマを雑に使って、句や節がどこにかかってるかとてもわかりづらい。
    マルクスやローティなんかと違って、溌剌として流麗な文章……とは無縁。

    しかしなぜ、哲学の改造と訳したのか。本文ではずっと再構成で通してるし、河村さんのタイトルのように、哲学の再構成の方がよいと思う。
    あと、序論削除すんなよ

  • 訳:清水幾多郎、清水禮子、原書名:Reconstruction in Philosophy(Dewey,John)

  • 新書文庫

  • 【現在あるべき哲学の姿を語る】
    アリストテレスやソクラテスが打ち出した古代の哲学は、ある確固たる哲学的事象を定めたらそれは絶対で、変化が起こることのないものであった。したがって、その絶対的な事象をなんとしてでも自分たちに有利にしようと、宗教などからの影響は大きく受けた。

    この絶対性を確立したものが、当時の世界を支配することさえもできると言えるからだ。

    ときはすぎ、帰納法の生みの親ベーコン。彼は、古代からの演繹的な哲学を猛烈に批判する。時代が変われば、哲学的観念も変わるべきだとした彼の主張は、世界中に衝撃を与えた。

    本書は、この2つの対立についてある意味永遠に難しく書いてある一冊であるといえる。個人的には途中で挫折したが、この対立を学べたことは面白かったと思う。

    また、時期を見計らって再読してみたい。

  • 読み直したさ:★★☆
    第二章がプラグマティズムの出発点を理解する上で重要。第四章、第五章を通して、思考の方向性が転換させられる。
    第六章以下は敷衍。

  • 【メモ】
    第一章
    p13・・・すなわち、合理性や非合理性というのは、知的訓練を受けていない人間性にとってはまったく縁もなく重要でもないということ、人間は、思考よりも記憶によって支配されるものであること、その記憶も、実際の事実の想起ではなく、連想、暗示、ドラマティックな空想であること。
    p15・・・或る種の出来事は、

  • \105

  • プラグマティズム、経験主義を唱えるデューイらしい1冊。人間の諸活動は経験による有機体の適応である、と言い切り、超自然的なものや宗教的なものを哲学が排除しようとし、脱却する試みを、「哲学の再構成」という表現によって歴史的に追っていく。哲学の入門書としては分かりやすい。

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著者プロフィール

合衆国バーモント州バーリントン市生まれ。父親は食料品販売会社を経営。バーモント大学卒業後、高校教師を数年務める。ジョンズ・ホプキンズ大学院に進み、徹底したヘーゲル主義者として哲学者の道を歩み始める。教育学・心理学の研究を深めるなかで観念論を脱却する。教師として赴任したミシガン大学で1歳年上の学部生アリス・チップマンと出会い、1886年に結婚。同年、哲学科助教授に昇進する。招聘されたシカゴ大学で哲学科と教育学科の主任教授を兼任。実験学校=付属小学校の創設を主導したが、校長アリスの処遇をめぐる対立から妻と共に退職。翌1905年、コロンビア大学哲学科教授に就任。05~06年、アメリカ哲学会会長。19~21年、日本・中国に滞在。第1次大戦後、戦争禁止=違法化運動に参加。24年・28年大統領選挙で第三党候補者を支持。27年、アリス夫人逝去。翌年、ソヴィエト・ロシア教育事情視察団に加わり肯定的な印象記を残すが、体制の官僚化・全体主義への傾斜に疑問を深め、修正した。29年、独立政治行動連盟の初代会長。38年、モスクワ裁判検証・調査委員会の委員長に就任し、レオン・トロツキーの反革命容疑無罪を立証する。翌年、文化自由委員会の委員長。全体主義批判はソ連邦にもおよび国内左派の猛反発を招く。第二次大戦に反ファシズムを掲げて参戦したルーズヴェルト大統領を支持する。46年、ロバータ・ローウィツ・グラントと再婚。90歳を超えても旺盛な執筆活動は衰えなかったが、52年6月、肺炎で亡くなった。

「2024年 『デューイが見た大正期の日本と中国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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