無限,宇宙および諸世界について (岩波文庫)

  • 岩波書店 (1982年4月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784003366011

みんなの感想まとめ

哲学や宗教に関する深いテーマが展開されるこの作品は、難解さを感じる一方で、読者同士の交流を通じて楽しむことができる内容です。特に、読書会では参加者が意見を交わし合い、作品の理解が深まる様子が印象的です...

感想・レビュー・書評

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  • 1584年、ロンドンのある印刷所から、後の世界を震撼させることになる奇書が生まれた。ジョルダーノ・ブルーノの『無限、宇宙および諸世界について』。それは単なる宇宙論ではなく、当時の世界観を根底から覆す預言的な炎の書だった。

    深い闇に包まれた16世紀の夜。ブルーノは星空を見上げながら、驚くべきヴィジョンを見た。「天球など存在しない。星々は無限に広がる空間に浮かぶ、私たちの太陽と同じような天体なのだ」。この直観は、アリストテレス以来の有限な宇宙観を木っ端微塵に打ち砕くものだった。

    本書は対話篇の形を取る。登場するのは「フィロテオ」(ブルーノの分身)と「エルピノ」(探求者)。彼らの対話を通じて、驚くべき宇宙像が徐々に明らかになっていく。それは当時の人々にとって、まさに悪魔の囁きのように聞こえたことだろう。

    「天上界と地上界の区別など存在しない」とブルーノは言う。「月や惑星も、私たちの地球と同じような天体なのだ」。この主張は革命的だった。なぜなら、アリストテレス以来の宇宙観では、地上の「不完全な」物質界と、天上の「完全な」霊的世界は、厳密に区別されていたからだ。

    さらに衝撃的なのは、彼の無限宇宙論だ。「宇宙に中心など存在しない。あらゆる場所が中心であり、同時に周縁でもある」。これは、地球も太陽も宇宙の中心ではないという、徹底的な相対化の視点だった。その彼方には何があるのかと問われれば、「さらなる世界が、無限に」とブルーノは答える。

    本書の真に革命的な点は、この宇宙論が単なる物理的な仮説ではなく、深い形而上学的・神学的含意を持っていたことだ。例えばこう問いかける―「無限な神が創造した宇宙が、なぜ有限でなければならないのか?」。これは当時の神学者たちを震撼させた問いだった。

    ブルーノの描く宇宙では、生命は至るところに存在する可能性がある。「無数の太陽の周りには、無数の地球が巡っている。そしてそれらの多くには、私たちと同じような生命が存在するだろう」。これは現代の系外惑星探査を予言するような洞察だった。

    特に興味深いのは、彼の「生きた宇宙」という考えだ。ブルーノにとって宇宙は、単なる物質の集積ではない。それは魂に満ち、生命に溢れた、巨大な有機体のようなものだった。「すべての天体は生きている。それらは知性を持ち、感覚を持つ存在なのだ」

    彼の思想の独自性は、科学的な観察と神秘主義的な直観を結合させた点にある。例えば、望遠鏡なしで「恒星は太陽のような天体である」と直観したのは驚くべきことだ。それは単なる推測ではなく、一種の宇宙的啓示として彼に訪れたという。

    本書の各所には、錬金術的・魔術的な暗示が散りばめられている。例えば「世界霊魂」の概念。これは宇宙全体を貫く生命的な力であり、すべての物質に内在する神的な原理とされた。現代の統一場理論を思わせる、大胆な統合的ヴィジョンだ。

    また、彼の無限宇宙論には深い倫理的含意もあった。「もし宇宙が無限なら、人間の可能性も無限だ」とブルーノは説く。これは、当時の階層的な社会秩序への根本的な挑戦でもあった。

    本書を読む際に忘れてはならないのは、これが単なる思考実験ではなく、著者の命を賭けた真理の表明だったということだ。実際、これらの思想のゆえに、ブルーノは後に火刑に処されることになる。火炎に包まれながら、彼は最後まで自説を撤回しなかったという。

    ブルーノの『無限、宇宙および諸世界について』は、今なお私たちに語りかける。それは単なる古い宇宙論ではない。人間の認識の限界に挑戦し、存在の神秘を探求しようとした、一つの壮大な精神の冒険の記録なのだ。

    現代の宇宙物理学が明らかにしつつある宇宙像は、驚くほどブルーノの直観に近い。無数の銀河、多元的な世界の可能性、宇宙の無限性―彼は400年以上前に、これらをすでに「見て」いたのだ。それは理性と直観、科学と神秘主義が分離する以前の、統合的な宇宙理解の可能性を示唆している。

  • ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)は、スペイン統治時代のイタリア・ナポリ近郊ノラに生まれ、父は自由都市の常備軍兵士であった。若いころ。ナポリに学び、17歳のときドミニコ会に入会、人文主義の影響をうけ、トマスやアリストテレスを学ぶ。1571年にはローマによばれ、法王から賛辞をうけた。つまり、「良き修道士」だったが、76年あたりから異端の嫌疑をかけられ、逐電する。当時はトレント公会議(1543-65)の後で、63年から異端審問強化の布告がでており、64年から67年にローマで焚刑になった「異端者」は30名を超えていたそうだ。ちなみに「焚刑」というのは「魔女」や「異端者」に適応された処刑法で、煙で窒息しないようにトロ火で「壮麗に」焼き殺すのである。『魔女狩り』岩波新書によると、しまいには早く死ねるように「薪をもっと摘んでくれ」と哀訴するそうである。「異端」の宣告は教会が行うが、こういう汚れ仕事は世俗の君主の仕事であった。カトリックの暗黒面である。ブルーノは隠しもっていたエラスムスの書物などを部屋に残し、ローマ、ジュネーブ、トゥールーズ、パリ、ロンドンへ流れ、ここで駐英フランス大使の館で客分になった。大使がパリに戻されると、同行してパリへ、すぐにドイツへ旅立ち、マールブルク、ヴィッテンベルク(宗教改革の本山)、プラーハ、フランクフルト、チューリッヒなどを放浪、1591年にモチェニーゴに招かれイタリアへ戻った。空席だったパドヴァ大学教授の椅子をガリレオと争ったとされる。ガリレオは翌年パドヴァ大学の教授に就任するが、ブルーノのほうは、91年、モチェニーゴの裏切りにあい、異端審問所に引き渡された。その後、8年間、ローマのサン・タンジェロ城に幽閉され、1600年2月17日、「花の広場」で裸のまま縛られ、「焚刑」となった。処刑前に「裁かれている自分よりも裁いているあなた方のほうが真理の前におののいているのではないか」と言ったそうだ。『無限、宇宙および諸世界について』(1584年)は、ロンドンの客分時代に書かれ、六部に分かれる。最初は手紙の形で総論をのべている。つづく部分は「第一対話」から「第五対話」である。対話には、フィロテオ(ブルーノの代弁者)、エルピノ(フィロテオの弟子)、フラカストリオ(フィロテオに好意的)、ブルキオ(アリストレス主義者)がでてくるが、ほとんどがフィロテオの長口上である。ブルキオは第四対話で怒って去る。「第五対話」で哲学者アルベルティーノがやってきて、得意そうに1ダースの質問を一気呵成に投げつけるが、フィロテオにあっけなく説得されてしまう。内容をまとめると、コペルニクス体系からアリストテレスの宇宙論を徹底的に批判した書物といえる。アリストテレスの宇宙論では地球は宇宙の中心であり、惑星や恒星は入れ子状になった複数のガラス状の天球(圏)に貼り付いて回転しているとされた。これが惑星の運動や日周運動やらを表現するので、それぞれ回転速度が複雑に異なるし、巨大な天球の一つが一日一周するので、猛スピードで回転しなければならず、やはり不自然なのである。ブルーノはコペルニクス体系から、地球の自転と太陽中心説を唱える。しかし、コペルニクスではまだ「天球」が保存されていたのに、これを「空想だ」と切って捨てた。ブルーノによると、宇宙は果てしなく広がる無限の空間で、「宇宙」(universo:無限空間)と「世界」(mundi:それぞれの惑星の周りの一定の空間)を、ストア派に依拠して峻別する。また、重さは相対的なものでしかないから、本来の場所にあるものは重くも軽くもない(無重力の表現だろう。アリストテレスによれば重い土の元素は宇宙の中心に集まり、これが地球である)とした。地球などの星は全て「生物」(これはアリストテレスもいう)で、自らの「内在原理」で動くから、同類元素が引き合うということはないし、「自己保存原理」で「自由」に旅をする。星は「生物」だから、新陳代謝があり、アトムを集め排出する(したがって、アトムの組み合わせの重複から輪廻転生もあり得る)。さらに地球以外の「諸世界」にも人類がいるとして、異星人の存在も肯定した。「異端」とされた理由は「宇宙無限説」と「輪廻の肯定」である。教会というのは唯一神の聖霊に導かれているとされるから、ほかにも「世界」があると特権がなくなり、教会は「カトリック」(普遍の意)と名のることすらできなくなる。指導力にも疑問をもたれ、宗教改革派にもつけ込まれるだろう。「輪廻」は「最後の審判」を否定してしまうものだ。現代では「宇宙戦艦ヤマト」でも「無限につづく大宇宙」と言い、まあ、よくある話だが400年前に言ったら、ひどい殺され方をしたのである。ガリレオと比べるとブルーノは数学を低くみていたようで、当時のデータは何もでてこない(ティコらによる1577年の彗星観測から月より上の世界にも変化があるとする説は利用した)。みんな「哲学」の話である。それから、アリストテレスを「乞食学者」(ギリシア思想のいろいろな学説を批判摂取しているので)と言ったりし、言葉がきつい。ガリレオのようにカトリックの「正統」から十分な反論を引き出さず、作中のアリストテレス主義者が無様に説得されてしまう。こういった所が教会からすれば頭にくるのであろう。しかし、「焚刑」を正当化することはできまい。プラトン『ティマイオス』、ストア派の世界観をまとめているとされる、ルクレーティウス『物の本質について』、「異端者」であるニコラス・クザーヌス『知ある無知』などの引用もでてくるが、イスラムに近い南イタリアの文化的風土から魔術・錬金術・ユダヤ思想なども影響を与えているそうだ。注釈には、15世紀からあった「皮膚移植」(兵士の整形手術、本人の腕の皮膚をはり付けた)のことが書いてある。面白い本だが、著者の運命は悲惨である。ちなみに中国では『晋書』に「宣夜説」があり、無限宇宙論は4世紀の虞喜に遡る。宇宙がほんとうに「無限」なのかは今でも議論がわかれる所だろう。ビッグ・バンのときは有限だったのだろうし、膨張しているからには拡がりつづけるにしろ「宇宙の果て」はあるようにも思う。

  • 1月の明通寺読書会 中島晢演さん担当の本です。ちょっと難しそう でも昨夜 終了したが yさんも来てくれて 楽しい読書会でした。哲学 宗教のお話しが多かった

  • ジョルダーノ・ブルーノはコペルニクスの地動説を擁護し続け、教会から異端判決を受けて自説の完全撤回を求められたが、それを拒絶したため火刑に処された。当時、宇宙は有限であると考えられていたが、ブルーノは無限であると主張した。

  • こういう対話篇ってヨーロッパにいっぱいあるけど、対立者がなんかあっさりと主旨替えしちゃうので、うさんくさいような印象しか持てない。
    「無限」概念の再定義という意味で、歴史的に意義ある本だとは思います。

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