日本の弓術 (岩波文庫 青 661-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (122ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003366110

作品紹介・あらすじ

的にあてることを考えるな、ただ弓を引き矢が離れるのを待って射あてるのだ、という阿波師範の言葉に当惑しながら著者(1884‐1955)は5年間研鑽を積み、その体験をふまえてドイツに帰国後講演を行なった。ここには西欧の徹底した合理的・論理的な精神がいかに日本の非合理的・直観的な思考に接近し遂に弓術を会得するに至ったかが冷静に分析されている。

感想・レビュー・書評

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  • 日本人は何でも「道」にしてしまう。
    茶道、華道、へたすればラーメン道、とか。

    道、とはなんだろうか。ざっくり、ストイックに突き詰めて無我の境地に至る、みたいなことだと日本人なら感覚的に理解できる。
    その中でも、弓道(弓術)というととくに何か神秘の香りがする。

    ここに合理の権化のようなドイツの哲学者が挑戦した記録。

    「・・・私が弓術を習得しようとした本来の問題に、先生はここでとうとう触れるに至ったが、私はそれでまだ満足しなかった。そこで私は、『無になってしまわなければならないと言われるが、それではだれが射るのですか』と尋ねた。すると先生の答はこうである。

    『あなたの代りにだれが射るかが分かるようになったなら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。仏陀が射るのだと言おうか。この場合、どんな知識や口真似も、あなたにとって何の役に立とう。それよりむしろ精神を集中して、自分をまず外から内に向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい』
    ーーー先生はこの深い集中に到達する仕方を教えた」(pp34-35)

    弓の稽古を通じて、この若きドイツの哲学者の思索は、「無」とは何か、という(東洋的)心理に徐々に接近していく。

    趣深いのは、日本だと師匠の指導に口をはさむなんてことはなかなかできないものだが、著者はガンガン自分の疑問を先生にぶつける。先生は当惑しながらも多くの文献に当たり、ときにはドイツ語も片言使いながら真摯に受け答える。

    この師匠と弟子との対話の真摯さに深く胸を打たれた。

  • ヘリゲル氏が書いてるとこより、後半の日本の方が書いてるところが読みやすかったけど、色々と感心する内容だ。

    ネットなんかで「〜の方法」みたいなのが検索すれば出てくる世の中になったからこそ

    「いや、もう感じるしかないんやで」みたいな、弓を極めるみたいな経験って大事なのかもしれない。

  • 大正から昭和にかけて東北帝大に滞在したドイツ人哲学者(作者)が,日本をより深く知ろうと考え,弓道(本書では弓術と表記)を学ぼうと決意,幸い日本でも指折りの指導者から学ぶことができることとなった.
    武道はどれもそうだと思うのだが,その根本には禅の思想が深く絡んでいる.我々も普段は意識しないが禅の思想に無意識に絡め取られている.これに論理や合理を生業とする哲学者がいどむのであるから,なかなか難題である.
    しかし,かれは5年間これに真摯に取り組み,帰国時には5段と認められ,指導者からは秘蔵の日本刀も贈られた.
    こういった到達点は作者の努力のたまものであるのだが,一方,指導者にも恵まれたこそであるともいえる.
    35年前の高校生時代に弓道部に所属していたおかげで,書いてあること(弓術の神髄)はよくわかる.また,当時上達できなかった理由もよくわかったように思う.

  • 弓のような人を殺す武器にもなるものと仏教(禅)とが同じ地平で論じられるのか。
    訳者の柴田治三郎はもっともなことを言っている。
    鷲田清一著『つかふ』に引用されていたので読んでみた。
    まだ《使用の過剰》がよく理解できていない。

  • 弓道の奥深さ
    無心の難しさ

  • 弓道をやってみたくなった

  • それが撃ってる、弓を

  • 奇特なドイツ人哲学者が奇跡的に弓術を志し貴重な師匠に出逢い、その体験を帰国後講演したものを邦訳した奇書。この薄い文庫本の存在そのものが本書でも何回も繰り返される「非有の有」みたいに感じられます。堅牢な論理を背景に持つ学者が神秘的合一に魅入られ精神修養に立ち向かい理解より体感を重視する過程に煩悶していく様子が明瞭な言語で綴られていきます。哲学者のドイツ語を昭和初期の重々しい翻訳している文体もこの本の「らしさ」なのかも。しかも作者、星飛雄馬のようにまっすぐに悶え苦しんでいるし。ページ数の割に非常に濃厚で深淵です。戦前の武道を通したドイツ人の「Discover Japan」は今のわれわれにとっても日本をもう一度、知るきっかけになると思います。例えば6年後に行われるスポーツの祭典オリンピックにむけてわれわれは「的を狙わずに自分自身を狙いなさい。」にみたいなプレゼンテーションを世界に向けてできるのでしょうか?理屈関係なく何かに打ち込みたくなる熱い読書でした。

  • "am grössten" 薄いけど深い本。「弓は的を射るものである。的が目的物である。射るからには、その目的物に当てることを考えなければならない。弓は意識的に(absichtlich)射るものであるはずだ。」と考える西洋哲学者が「当てようと思わない射、当てようとしない離れ、すなわち意識的ではない(unabsichtlich)射がある」ということを実体験から実証していく話。

  • 【推薦文】
    ドイツ人著者オイゲン・ヘリゲルは弓術を通して日本文化を学んでいく。技巧よりも精神を重んじる武道の姿勢に戸惑いながらも、五年間に及ぶ辛抱強い修行の末に日本文化の一端に触れる。異文化理解の難しさを感じさせる本書は、多文化社会の現代人こそ読むべき一冊だ。
    (推薦者:機械物理工学専攻 M2)

    日本を日本人が学ぶとき、国外の方の叙述の方が圧倒的にわかりやすいことがある。30分あれば読めるこの本もそんな一冊で、弓術を通して日本的「精神」が言葉にされていく。ドイツ人哲学者が感じた大正期の日本。いきいきとしたその描写の中に、きっと新たな発見があるはずです。
    (推薦者:地球惑星科学科 B2)

    【配架場所】
    大岡山: B1F-文庫・新書 080/Ia/661

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著者プロフィール

1884年、ドイツ生まれ。哲学者。1924年に東北帝国大学講師として来日し、哲学史を教えるかたわら阿波研造に入門。弓道五段の免許を得る。帰国後は日本思想を講じ、1948年に『弓と禅』を著した。1955年没。

「2015年 『新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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