本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (284ページ) / ISBN・EAN: 9784003366431
みんなの感想まとめ
哲学的でありながら軽やかな雰囲気を持つこの作品は、古代ギリシャ・ローマの饗宴の席で交わされる雑学的な対話を集めた一冊です。議題は、「鶏と卵はどちらが先か」といった軽妙でユーモラスなものから、「女性は酔...
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
素面で読んでると文字を追うだけで中身が頭に入ってこないのですが、お酒を飲みながらだと結構真面目に読み込めるという、希有な文章です。ローマ時代のギリシャ人作家、プルタルコスによる宴席での討論集。
議題はもう、ほんとにどうでもいいようなことばかり。「鶏とたまご、どっちが先か」という基本(?)から、「女性は酔わないのに老人が酔いやすいのはなぜか」なんて一概に言えないようなもの。素面じゃ議論する気にもならないようなものばかり。けれど理屈っぽい酔い方をする人間には変に魅力的な議題にうつるんです。答えなんかでなくていい。それよりもどんなとんでもない説が飛び出してくるか、こう切り返したらなんて答えられるか、を楽しみ。意外にも納得のいく意見に感心したり、想像以上に広がる話の展開に酔いを冷ましてちゃんとした議論にしたくなったり。元々のプルタルコスのエッセイにはもっと専門的なものも入っていたそうで、こんな「飲み会での話」みたいな読み方したら失礼なのかもしれませんが…でもその読み方が面白い。 -
2009年度92冊目 7/2
-
今宵は葡萄の酒をきこしめしているので、勢いで以下をここに再録。『英雄伝』ではない、愉しい愉しいプルタルコス。友人たちと食卓を囲んで語り合う、様々なおしゃべり集。「酒席で哲学論議をしてもよいか」に始まり、「なぜ秋には空腹を感じやすいか」「性交に適した時」「ユダヤ人は豚を崇めているから食べないのか、嫌いだから食べないのか」「詩の引用の上手下手」「アルファはなぜアルファベットの始めにあるのか」……、33の宴席に招かれる。何かにつけ口実を作っては宴を催していたんだなぁ、と感心・感嘆・ちょっと呆れたり。そしてこれが、プルタルコスの「倫理論集(モラリア)」と呼ばれるエッセイ集の中から選訳されたものであることを、ひときわ面白く感じる。だけど考えてみれば、「晩餐」「宴会」などと訳されるconviviumという語は「共に生きること」という意味。共に生きるとは、共に食し共に飲むことと、ほとんど同じことなのだ。「生きる=食べる」であるならば、卓を共にしての歓談は、そのまま「人の倫理」であってもおかしくはない。心を病んだ人はまず他の人と食事ができなくなる、と、或る精神科のお医者様がどこかで論じていらしたことなども想い出して、「食を共にして語り合う」ことの意味についても考えさせられる。……などと、余計なごたくを並べずとも、とにかく愉しい1冊です。
-
1.この本を一言で表すと?
古代ギリシア・ローマの饗宴の席で交わされる、哲学的・雑学的な対話を集めた本。
2.よかった点を 3~5 つ
・なぜ女性は酔いにくく、老人は酔いやすいか(p86)
→老人の特性そのものの中に酔いの特徴が見て取れる、という記述が面白かった。
・性交に適した時(p100)
→多くの人々にとっては毎日の暮らしは戦いに次ぐ戦いでいわば我々はみな困難に対して体を鍛えるべく体育学校に
入学したようなものなのだ。これだとセックスレスが増えるだろうと思う。
・なぜ肉は日の光よりも月の光に当てると腐りやすいか(p111)
→非科学的な話ばかりの様な気がするが、複数の説を並べて思索を楽しむという事なのだろうか。
・鶏と卵はどちらが先か(p70)
→深く考えてみると不思議なテーマだ。
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・どの話も結論がないと思う。
3.実践してみようとおもうこと
・なし
5.全体の感想・その他
・くだらない話を真剣に議論てしている様子が見れたのが面白かった。 -
古代ローマ帝政期のギリシャ人作家で『英雄伝』でも知られるプルタルコスの随想集。エッセーの起源とも云われている『倫理論集(モラリア)』より。プラトンが描いたような"饗宴"の席で談じられた自由で知的なお喋りの記録。
「鶏が先か卵が先か」という誰もが知る哲学談義、生命の発生ひいては宇宙の起源にまで遡及し得る形而上学的談義が、遠く2000年前の宴席で既に交わされていたという事実に、驚かされるしまた愉快な気持ちにさせられる。また、「宴会での料理は予め各自の分を別々に盛り分けておくべきかor最初は大皿に盛っておき後ほど各自が取り分けるべきか」という議論から、アリストテレス『ニコマコス倫理学』でも取り上げられている配分的正義/矯正的正義の話が飛び出てくるあたりも、楽しかった。「恋は人を詩人にする」という常套句がエウリピデスに起源をもつことも、本書によって知ることができた。
しかし、現代の読者からすると、交されている議論の殆どが奇妙に感じられ、説得的でない(そして実際に誤っているものも多い)。それはなぜかと考えてみるに、厳密な概念規定をすることなく類推(analogy)で議論を進めているという点に帰せられるのではないか。これは、プラトンの対話篇をはじめ古代ギリシャ・ローマの哲学書にしばしば見られる特徴である。この時代にあっては、世界の物語的神話的理解から概念的哲学的理解への移行が、未だ十分でないということか。感性的に捉えられる具体的日常を超越した、厳格な理性によって構成される厳密な抽象的概念の意義について、未だ意識されていない。本書を通して、現代的な科学的推論とは何か・それが可能となるための条件は何か、という科学史的・科学哲学的な問いを考えさせられた。それは形式的論理と実証的科学との結合か。 -
「宴会の幹事はどういう人物であるべきか」とか「なぜ秋には空腹を感じやすいか」とか「ユダヤ人は豚を崇めているから食べないのか、嫌いだから食べないのか」とか、そういうことを、これについては俺の友達の誰それが言ってたんだけどさ〜、みたいな感じて話強いてそれが延々続いて、おかしい〜、ギリシャ人って変なの〜と面白がって読んでいたら、ふと、いやいやこれはどんなテーマにでも根拠を示しつつディベートして楽しんでいるのかこの人たちは、と気づいて驚く。しょーもない(失礼)テーマをいかに議論していくのか、に注目して読んていくとハマるわ。目から鱗。
-
哲学者などが食卓で行った歓談(ex.「鶏とたまごはどちらが先か?」「幹事に向いているのはどういう人間か」など)を話した、まさに「歓談集」。
-
¥105
著者プロフィール
プルタルコスの作品
本棚登録 :
感想 :
