論理哲学論考 (岩波文庫)

制作 : 野矢 茂樹 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 1802
レビュー : 109
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003368916

作品紹介・あらすじ

「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」-本書は、ウィトゲンシュタイン(1889‐1951)が生前刊行した唯一の哲学書である。体系的に番号づけられた「命題」から成る、極度に凝縮されたそのスタイルと独創的な内容は、底知れぬ魅力と「危険」に満ちている。

感想・レビュー・書評

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  • 思考の限界に線を引く。そして思考に限界を引くには、その限界の両側を思考できねばならない。(序より抜粋)

    哲学に終止符を打とうとしたウィトゲンシュタインの生前に発表された唯一の本。
    ウィーンの大富豪の息子に生れながら、20代で本書を書き上げ、財産を放棄し研究者、兵士、小学校教諭、建築家などジョブチェンジを繰り返す所を見ると、中々の破天荒ぶりが分かります。
    また、非常に神経質で怒りっぽい性格だったようです。
    当時のウィトゲンシュタインはまだ無名の哲学者で、なんだかよくわからない箇条書きを羅列した本を売りたいと思う出版社が見つからず、彼の才能をいち早く見抜き、師でもあるラッセルの紹介文があればいいという出版が現れ、ようやく世に出されたようで。
    その恩師ともいえるラッセルに対しても「ラッセルはおれの本を理解していない」と堂々と言う所が彼のすごいところでもあります。

    内容は7章からなり、それぞれ箇条書きの短文で構成されています。
    論理学、数学を使った説明が多く、解説と行き来しながら読むやり方で少しずつ読みました。

    まず「事実」とは何か、「事態」とは何か定義し、事実を要素に分解して組み替えします。
    また事実を描いたもの、事実を写像したものを「像」と定義し、またそこから隙間を空けず思考(命題)について議論していく…といった所から始まります。何度か読み返したけど、これも間違いかも。

    難しい。じゃあ読まなければいいのに。でも知りたい、思考や言語の限界の先を理解したい。そんな気持ちにさせられます。

    最後は有名な決め台詞「七 語りえぬものについては、沈黙せねばならない」で締めくくりです。

    解説を抜かせば150ページ程のボリュームだけども、思考の深淵に触れるにはまだ読み込まないといけないかも知れません。

  •  実際のところ本文はほとんど読んでいない。「高校生のための『論考』出前講義」を読めばだいたい読んだ気持になれる。(笑)
     「はじめに言葉ありき」の西洋と矛盾を含み言葉には頼らないことに真理を見言い出す東洋を比較する上で記号論の元祖とも言えるこの本の存在は実に大きいと思う。
     コンピュータのプログラミングの教育をウケているがその基本的なところはこの本の影響を色濃く受けているということが改めて分かった。

  • 命題論理構造を哲学に持ち込こまんとする試み。論理式をメモりながら読むと面白い。数学もわかる理系の哲学者におすすめ。そういった人には読んでいると快感に襲われるでしょう。
    ただ、彼の失敗もすぐに気づく。才能があるだけに惜しい。恩師がラッセルでなければよかったのだが。

  • 思考に限界を引くには、我々はその限界の両側を思考できねばならない。従って限界は言語においてのみ引かれうる。そして限界の向こう側は、ただナンセンスなのである。
    哲学の目的は論理的明晰化である。
    哲学の仕事の本質は解明することにある。
    もちろん言い表しえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である。

  • やや読み飛ばしながら。概要は以前より未熟ながらある程度は知っているものを、きちんと読もうと思って手に取ってみたら案の定難しかった。20世紀西洋哲学における言語論的転回の主軸であり、相対性理論にも似た巨大なインパクトを持つ。古代ギリシアのテセウスの船など、子供が如何にも世界に対して眩暈し夜も眠れなくなるような問いに、一撃で一蹴する完結な回答を与えた。子供たちは安眠できるだろう。短い、断定的な各一行が美しく文庫本が付箋で汚くなった。大抵の問題は本書を理解すればすんなり解が得られる。ただし口数は減るだろう。

  •  大きなところから細かいところへ、すぐに浅いところへ戻るものもあれば深く細かく入り込んでいくところもある、ということが章立てのように細かく振ってある番号により可視化されている。そのおかげで何を問題にしているのか、何が気に入らないのか、どこで説明に苦慮しているのかが分かる。語られている内容よりもむしろ、ウィトゲンシュタインあるいは哲学者という人たちがどのような考え方をしているのかを、つぶさに見ることができたところが面白い。

  • いちばん最初に読んだ時は 得体の知れない興奮を感じたけど、ひさびさに読むと色々と考えつつ読んだのか難しく感じた。でも短い言葉の数々から構成される本のスタイルは刺激的で、魅力的な言葉が突然飛び込んでくる感覚がある。

  • パラッと開いてみたらぶったまげた本。

    「二・0一二四」という数字が各行(各論か?)の頭に振ってあり、その下に「全ての対象が与えられるとき、同時にすべての可能な事態も与えられる」とかいう文句がある。
    この短くも長くもない明晰であり、しかし強く惹かれる怪しい魅力を放っている文章になんだか溜息がもれてしまう。

    とにかく、タイトルと目次と段落と行の塊のような物語小説やビジネス書を読んでいると、この記述に面を食らってしまうこと間違いなしだ。
    でも「ケッ!なんだこれっ」みたいな、つばつけてポイするような本でもなく、とにかく魅力を持っている。怪しくて魅力的なのだ。
    本棚に入っていると気になってしょうがない存在感をも放っている。

    なぜか、それはこの論理哲学論考の著者であるウィトゲンシュタインが、「私はどれだけのことが考えられるのか」と思い、思考の限界は言葉の限界であるということを、この本全体を通して表現しているからだ。

    受験産業で現代文の参考書を書いている出口汪さんの「現代文講義(タイトルはうろ覚え)」では、言葉の限界について分かりやすい説明(も、うろ覚え)をしているので下に(うろ覚えだが)引用してみる。
    『今ここにある週刊少年ジャンプ(手元に置いてある)を示す場合、「この週刊少年ジャンプ」と指をさして表現します。「週刊少年ジャンプ」といっただけでは、今までに発刊されたすべての週刊少年ジャンプを示してしまいますし、「この」がないと、いつ発売された何版の何号のどの週刊少年ジャンプなのか分かりません。「この週刊少年ジャンプ」をさす場合は、「この」という指をさすボディランゲージがないと「この週刊少年ジャンプ」、と正確に示す事はできないんです。これが言葉の限界です。「指をさす」というボディランゲージがないと、「この」週刊少年ジャンプを示して表現することができないんです』
    という出口さんの説明でウィトゲンシュタインがこの本で何を言おうとしているのか私はやっと理解できた。
    それは思考や表現には限界があるということだ。
    なぜならば、私たちは言葉を使ってでしか思考や文章表現ができない。
    言葉の限界が思考の限界なのである。

    そこでジョージオーウェルが「1984年」という本の中で気になる描写をしていた。
    とある帝国では、ニュースピークという新しい国語を制定して人々の思考をコントロールしようとしていた。ニュースピークは多義語がメインの言葉で、ある言葉の反対の意味を表現しようとしたら、その語の頭に「非~」とつけることでそれを表現する非常に簡単な言語構造をしている。この言葉は便利だ。しかし、多義語がメインなので具体的に考えることができない。人々から具体的な思考を奪うことで、その帝国は存続していく。というような描写だ。
    これは現在の日本にも言えることで、「ヤバい」「かわいい」「わかんない」というような抽象的な多義語を使うことで、一応会話は成立してしまうが、具体的に考えることが出来なくなってしまっている人がいるのではないだろうか。
    具体的に考えられないと、なにか特異な状況が自分の周りに発生した時に、どのような対処をすればいいのか分からなくなってしまうのではないだろうか。
    何か問題が起こると反射的にネットでググって答えを得るのも、簡単かもしれないが、そのような対処法が公開されていなかったらその人はどうするのだろうか。
    いろいろ考えてしまうがみなさんはどうだろうか?

    最後に、「七 語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という著者の立場に私は賛成する。
    直観的なセンスが必要となる神秘と情緒の世界は、語ることができないと思われる。
    具体的に説明すると、五十嵐大介の「海獣の子供」という漫画の最終巻の話は、語ることができない沈黙せねばならない類の話であると思う。
    美麗なビジュアルで描く神秘的な世界は語ることができない。
    称賛することはできるかもしれないが。

    とにかく、言葉をつかった表現に取り組んでいる人へ、この本をおすすめする。
    私たちが普段からしている思考や表現は、このような限界に満ちたものであるということを、この本と格闘することで実感してほしい。
    そして新しい思考と表現のステージへと進んでほしいと思う。

    本当ならば、岩波文庫の「論考」だけでなく、「ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』対訳・注解書」も併せて読むといいのかもしれない。
    なぜならば、岩波文庫のバートランド・ラッセルの解説についてウィトゲンシュタイン本人は、「あなたは何も分かっていない」とケチをつけているからだ。
    そのことについての詳しい説明は、こちらに書かれているので、より詳しく知りたい人には、岩波とこちらの両方をおすすめする。

  • 著者「俺以外の異論は認めない(キリッ」

  • 大学の試験からの逃避として読んでました。この本は「世界は成立していることがらの総体である」と始まり「語りえぬものについては沈黙せねばならない」という結論に至る。言いたい事はハイデガーが「存在と時間:第1章 存在の問いの必然性、構造および優位:第2節 存在への問いの形式的構造」で「問われているもの(存在)が、ある存在者の存在様態たる問いそのものへ、再帰的にあるいは先行的に、連関している」って言った事と似ているのかなぁと思った。問われる存在は、問う存在へ逆説的に問いの構造を作っているって言う事、そして僕らが普段「喋る」「話す」「書く」と第三者に問いているのは存在了解の上なのかなと考えさせられた。

    まだ、本文を読んだだけなので、1、2割も理解出来てないだろうけれど、これから読むラッセルと野矢茂樹さんの解説から、さらに得る物があると思う。

    読んでて思った事「これを逆に読んで、結論から入って演繹的に読むとまた違う発見があるかも」

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