全体性と無限 (上) (岩波文庫)

著者 :
制作 : 熊野 純彦 
  • 岩波書店
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レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003369111

感想・レビュー・書評

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  • 存在論にしろ、無限にしろ、要は現在性の批判が真理に達する道であることに変わりなし。
    絶対的同一性なんてのは存在しなくて、
    今の「私」は明日には違う「私」になってるんだから、
    こだわるってほんといらない行為だなって思います。

    「じぶんにおこるすべての事柄を横断して自らの同一性を再発見することであるような存在が(私)」

    「自分を他なるものとみなす私の他性が、詩人の想像力を刺激する。自己による私の否定は私による自己同一化のまさしく一様態」

    「他者に近づくことは、私の容量を越えて他者を受け入れること。まさしくむげんなものの観念をいだくこと」

    「心性は一個の存在することの様式で、それは全体性に抵抗している」

    「同が他とふたたび結びあうことが可能なのは、まったき安息のうちで休らうことによってではなく、真理の探求という危ういこころみを冒すことによってだけ」

    「無限とは、つねに自分が思考している以上のものを思考する思考によって接近可能」

    「渇望はエゴイズムをまぬがれる」

    「感性は純粋な体験で、存在に対する受容性」

    「絶えることのない引き受け直しが現在を産出する」

    「他者が現前するとは、私による世界の悦ばしき所有が問いただされることとひとしい」

    「敗北により生まれる自発性の批判は私自身の敗北と全体性について反省する能力が前提され、自己から引き離されて普遍的なもののうちに生きる私からその根を剥奪する」

    「了解可能であることと表象とは等価概念」

    「私は考えるとは理性的な思考の拍動。」

    「感受性は、基体を欠いた純粋な質、始原的なものと関係づけられる」

    「感受性は感覚的に与えられるものによって養われる。感覚的に与えられるものはつねに到来し、欲求を満たしある傾向性に応える」

    「定位することが感受性であり、感受性は生の狭溢さにほかならない。反省を経てない私の素朴さ」

    「空虚は満足の喜びを先取りしている」

  • ようやく上巻を読了。
    険しい岩山のようだ。

    ほとんど理解できない。これは何。もちろん日本語訳には違いない。分からないのは、フランス語話者ではないことによるものか、言語的な壁か。いやそれだけではなさそうだ。
    存在、ことば、無限、享受、住まい、そして、顔 … 従来の語義とはまた別の意味で言説を進めている。それが哲学の哲学性なのかもしれないが、そのスタイルが他の哲学者とは大きく異なるように感じられる。独特。今まで、誰も立ち入らなかった部分に光を当てている、という気もする。だからこそ面白い。面白いから登りたくなる。登ろうとするも足掛かりがなく、岩肌から何度も転落したのを思い出す。それでも『存在と時間』(ハイデガー)に触れていたことは多少有効だったのかもしれない。
    知のあり方そのものが違う。「そう考えていけば答えが出る」という解を導く骨法が非従来的なのである。
    言い回し、文体、表現の仕方が大変ユニークでわからないながらも歩み続けたくなる。
    さて、下巻へ。

    http://cheapeer.wordpress.com/2013/11/26/131126/

  • 18/06/03。

  • 他者の超越。言語に先だつ呼びかけ、他者の存在。
    道具的存在の前に享受の関係。
    家をつくり自然を統御すること。
    倫理と正義。
    時間と他者。

    おもしろい。

  • もはや僕のレゾン・デートル。バイブル。

  • むつかしさ(読みにくさ?)の一端は、ある小見出しの下に章(節)分けされていながら、その章(節)にはそのタイトル通りの内容が書かれていないことにあります。例えば、「分離と語り」について知りたいと思って第一部B「分離と語り」を開いても、そこにはほとんど言及がなく、第一部A「形而上学と超越」のpp.54-6あたりにまとめてあったりする。あるいは、「真理は正義を前提としている」pp.170-198という小見出しの節は、全体として(全体として!)この命題を証明する任を担ってはいない。より重要なことは、しかし、恐らくはこうとしか書けなかったということ。なぜって「主題化されることで、外部性との関係が有する意味が汲みつくされることはない」(下巻P.280)のだから。そして何より、読者がそう期待するのが当たり前になってしまった「全体性」の圧政に対してこそ、レヴィナスは反旗を翻しているのだから。つまり本文を通じて何度も何度も繰り返される通り、汲めども尽きぬ「無限なもの」の観念が一覧性のもとに把持される「全体性」の観念より哲学的に優位にあるのだから。
    よく指摘される難解さにもかかわらず、本書が書かれたのはレヴィナスの人生でももっとも体系的な形で思考が展開された時期であり、(インタビューや短編集を除けば)本書からレヴィナスに入るのが一番入りやすいと思います。ことばの新境地を開きながら、文字の間、ページの間に迷う、という本質的な読書のよろこびを提供してくれる書物です。

  • 理解できていない箇所の方が多い。
    「絶対的に〈他なるもの〉」としての〈他者〉、それゆえに〈私〉が〈渇望〉せざるを得ない〈他〉の〈他性〉の議論については、後にバトラーが『生のあやうさ』で触れている。
    上巻で特におもしろかったのは、第二部の「住まい」の部分。とはいえ、もう何度か読み返さないと、レヴィナスの思想を自分の言葉で説明することすらできない。

  • 国文社の合田訳が不評なので(?)、今をときめく哲学者熊野氏が新訳に乗り出したもの。ところどころ細かい違いがあるようだが、すっごく読みやすくなった!! というほどではない。やはり、もともとのレヴィナスの文章が難解なので、日本語の翻訳を工夫しても、難しいのは難しいのである。恐らく地文には忠実なんだろうと思う。

  • 頑張って読んでみたが、難しい。だいぶ時間かけたのに特に後半はほぼ分かってない。再読中。。ただ、「20世紀の哲学者」ということで「全体性と無限」の概念は現代社会に通じる点が多いと思う。

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