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Amazon.co.jp ・本 (540ページ) / ISBN・EAN: 9784003369210
AIがまとめたこの本の要点
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みんなの感想まとめ
啓蒙の概念を深く掘り下げ、近代の理性とその帰結について考察する本書は、フランクフルト学派の思想に触れる貴重な体験を提供します。内容は濃密で、一文一文に多くの意味が詰まっているため、理解には時間を要する...
感想・レビュー・書評
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序文と第Ⅰ章「啓蒙の概念」のみ読んだ。原文もそうなのか訳文がそうなのかわからないが、一文一文に内容がつめこまれており、意味を理解するのに時間がかかる。言わんとすることはわからなくないが、筋の追いにくい部分も多々あり疲れた。フランクフルト学派の雰囲気に触れた気分にはなれた。
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備忘録
佐藤優
文化エリート重視、
啓蒙的な理性が発展して行くにもかかわらず
なぜナチズムが生まれてきたのか -
真の人間的状態に踏み入るためには、新たな野蛮を伴う可能性を示唆している。
近代が追い求めたものの帰結は様々ある。そして、その中で野蛮なものもきりがなく挙げられる。神を殺したのはニーチェかもしれないが、理性を殺しにかかったのはアドルノたちだ。 -
本来人間個々が人間らしく生きていくために活用されるべき理性が、人間を支配する道具として用いられ、人間らしさが抑圧されている様を厳しく批判している。このすべての人が持つとされる理性による啓蒙は、みずからを否定するものとしての、個々人の独自性を強調するロマン主義的思考を要請し、最終的にその止揚において、道具的理性としての自らを表すことになる。そこでは画一的に考え、行動し、かつそれに疑いを抱かない人々からなる社会が生まれてくるのである。
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国分の暇の倫理学の本での推薦本である。啓蒙と対比にある神話を出して啓蒙を説明している。さらにユダヤとナチスの関係まで説明していた。文化産業と啓蒙については、メディア関係があるのかもしれないが、わかりやすいとは言えない本のような気がする。
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かなり印象に残った。
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むずかしい。同じ路線ならアーレントのほうが好き。
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mmsn01-
【要約】
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【ノート】
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<閲覧スタッフより>
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所在記号:文庫||134.9||ホマ
資料番号:10178161
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古書店にて3年以上前に購入。アドルノ単著の『否定弁証法』だけ知っていたが、ホルクハイマーに至ってはその名前すら知らず。当時のアメリカ大衆文化や反ユダヤ主義といった紋切り型はさて措き、ヘーゲルすらろくに読んでないのに、いきなりこれというのも我ながら無理がある。それでもⅡのセイレーンの件(のび太の魔界大冒険!)や「誰でもない者(ウーディス)」に関する考察は知的興奮を覚えたし、Ⅵは宛ら20世紀版ニーチェといった趣。そしてⅢの最終頁は、全文引用したくなるほどに感動的なサド及びニーチェへの賛美となっている。
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『ぼくらの頭脳の鍛え方』
文庫&新書百冊(佐藤優選)116
思想・哲学・宗教 -
再読の必要有
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フランクフルト学派の礎となった一冊。そういわれているものの、読んでみるとポスト構造主義との共通性もかなり強く感じられる。近代の理性というものに理性の立場からもっとも激しい批判を加えた論考である。
一回通読しただけの浅はかな理解でまとめると、啓蒙された言葉は体系を織り成して自然と共に人間を客体化し、抑圧された自然的欲望は大衆文化の中で計画的に排出され、経験のない人々は偽りの常識に支配され、支配者の下で人々はパラノイア的な社会の中で没個性的な目的のための目的に向かう機械と化す、というような内容。
徹底的に批判される理性、啓蒙された言葉。それらが自らの中立性故に支配者に利用されたり人間の自然性、生きる意味すら奪ってしまったり、社会を無機的なシステムとしてしまったり……しかしだからといって抑圧され鬱屈した自然の方へまた戻っていくことはより絶望的な結果を——暴力、死という——生みだしてしまう……全文読み終わって、出口なし、が感想だったが、訳者後書きで、徹底的理性批判が理性によって行われているところを指摘され、膝を打った。つまり、理性を徹底的に批判しているからこそ、それが可能だからこそ、まだ理性に賭けることが——もちろんそれは深遠なるペシミズムの上でだが——許されるという面もあるのだ。そこが非理性に逃げてしまわないH/Aの真摯さであろう。
とにかく、世界の戦後思想のエッセンスがすべて詰まったような一冊で、何度も繰り返し読みたい。 -
test
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「暇と退屈の倫理学」に出てきた本。
ホルクハイマーよりはアドルノのほうが本にはよく出てきましたが。
アドルノは「結局それはルサンチマンで言ってるんじゃね?」って言いたかったらしい。 -
今日の消費社会では供給に先立って、いわばア・プリオリに買い手の需要というものが存在するということは幻想であるということが明らかになっている。マスメディア・映画・ラジオ・大企業から与えられるイメージ、観念の洪水に溺れることによって消費されられているのだ。いかに消費者の買いたいという欲望を喚起させるかということが根本的な企業の問題である。そこには反省というものが遊離していく罠が潜んでいる。
徳永恂の作品
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