旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

  • 281人登録
  • 3.67評価
    • (18)
    • (20)
    • (37)
    • (2)
    • (1)
  • 33レビュー
制作 : 関根 正雄 
  • 岩波書店 (1971年6月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003380147

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 再読。これは旧約のなかでは歴史でも律法でもなくすでにスピンオフ的な位置づけなのかな。内容はほぼ哲学問答なのだけど、神に対して反発するヨブの気持ちにとても共感するのでヨブ記は好き。

    以下大胆に現代的に(?)あらすじを説明すると・・・

    高学歴イケメン高収入のヤハ男さんが、あるとき妻ヨブ子のことを「俺のことめっちゃ信頼してて惚れてるんだよね」とのろけたところ、ライバルのサタ彦は「え、それって自分が金もってるからと違うん?無職やったら捨てられるって。試してみよか?」というわけで、ヨブ子は財産もペットも子供も全部奪われたのですが、それでもヤハ男さんラブの気持ちを捨てません。

    次にサタ彦は「いやいや、ゆうても健康やし元気やからね、病気になったらなんぼヨブ子でもヤハ男のこと恨むって。やってみよか?」そしてヨブ子は全身ひどい皮膚病に冒され寝たきりで苦しむことに。

    そこへ御見舞にやってきた3人の友人たち。どうしてこんな目に合うのかわからない、というヨブ子に「え~あんなに寛大なヤハ男さんが理由もなくこんなことするわけないやん。あんたがなんかやらかしたんちがうん?」と、労わるどころか余計に責めたてます。それでも自分には絶対に落ち度などないと言い張るヨブ子と「はあ?あんたちょっと調子乗ってるんちゃう?原罪あるんやから無実の人間なんかおらんやろ」と喧嘩腰になる友人たち(この喧嘩が本書のおもな内容)。

    最終的にヨブ子は「じゃかあしい、お前らとしゃべっても無駄じゃ、ヤハ男出てこんかい!」とぶちきれ、ようやく言い訳はじめるヤハ男。しかしこのくそ男「君の愛を試すようなことしてごめんね」と素直に謝るどころか、「お前わしがどんだけ偉いかわかってんの?」と自分の偉業を並べ立て「お前にこんなんできんの?わし全能の神やで?」と自慢しだす始末。でも素直なヨブ子は「こんなにえらくてすばらしいヤハ男さんのことを恨んだりしてごめんなさい。ヨブ子、悔い改めます」と反省。「わかったらええねん」で大団円。

    ・・・納得いかーん!!!私がヨブ子の友達だったら「そんなDV男とはすぐ別れるべき!!」ってアドバイスする。

  • 作者不詳。紀元前5世紀から紀元前3世紀頃のパレスチナに於いて成立したとみられる。

    神への信仰篤く、その善に従って生きてきたヨブに、神は次々と過酷な試練を与え、ヨブは「神が在りながらなぜこのような災厄に見舞われるのか」と生の意味を喪失してしまう。しかしここには、信仰に於ける実利主義・応報思想・「幸福の神義論」(ヴェーバー)、則ち人間中心主義――人間は、神の神たるゆえに神を信仰するのではなく、所詮は自己の利益の為に信仰するのだ、という構え――が大前提として横たわっていると云える。そもそも、神をしてヨブに理不尽な苦難を与えるように仕向けた敵対者(サタン)に次のように云わせることで、作者は信仰とその"根拠"の問題、そこにある人間の傲慢(ヒュブリス hybris)を本書の主題としている。

    「ヨブといえども理由なしに神を畏れたりするものですか」

    こうして『ヨブ記』に於いて神義論・弁神論(世界に悪や苦難が存在することと神の全能性・絶対的善性とのあいだにある矛盾を整合的に捉えようとする議論、世界が悪と苦難に満ちていながらなお神を信仰するのかという議論)に対する一つの答えが示される。

    不条理であるにもかかわらず、不条理であるがゆえにこそ、信仰する。この点にこそ、信仰というものの独自の機制があると云える。神の絶対的超越性ゆえに、信仰を哲学的に基礎づけようとすることを根本的な錯誤と見做して「不合理ゆえにわれ信ず」と云ったテルトゥリアヌス(2世紀のキリスト教神学者)の思想に通じるものがある。

    神は人間を超絶した存在であり、人間如きの理性では神の義を解することはできない。これは、一方では、神という絶対者への人間の絶対的屈服・隷属を意味する。しかし他方で、理性を超越した存在への信仰は、人間理性それ自体からの自由、人間の自由性の証しに通じるのではないか。なんとなれば、人間は人間理性そのものを自らの意思で放棄するほどの自由性の内にあるということなのだから。人間は人間自身から自由である。則ち、人間は自己否定が可能なのだ。『ヨブ記』自体がそれを証しているのではないか。それが遂には、自身が信仰している当の絶対者たる神をも人間自ら否定する"自由のニヒリズム"へと到るのではないか。ヨブの最後の科白は以下のとおりである。

    「それ故私は自分を否定し/塵灰の中で悔改めます」

    そうした人間の、あらゆる概念的規定を超越しうる可能的否定的存在としての「実存」という在りようを、『ヨブ記』は逆説的に予見しているかのようだ。旧約聖書は、予め自らの内に、未来のヴォルテールを・実存主義的無神論を、胚胎していたと云えないか。

  • 聖書ってこんなにも深いのか・・・と思わされた。
    ユングの『ヨブへの答え』も併せてどうぞ。

  • 救わない神様の話。

    ヨブが信仰を試される話だが、思考実験的な趣がある。

    シーンは神様と悪魔的なのが話してるところから。
    神「やーヨブ君はなかなかの信心者だよ」
    悪魔的「いいえ、彼は恵まれてるからですよ。災難に遭えば、神を呪いもするでしょうよ」
    神「ほー、そういうならやってみなよ」

    ヨブ君、かわいそう。

    大量の家畜は別の部族に奪われたり
    火事で燃えてしまい、
    使用人も同じく殺される。
    また、大嵐によって家は潰れて子供たちはほとんど死んでしまう。

    さらに本人も病気にさせられる。

    ここに至ってもヨブは神に恨み言を言うことはなかった。

    ただ、友達が来てくれるんだけど、こいつらがまたひどい。

    おおむね
    「君がこんなにひどい目に遭うのはなんかやましい事があるはずだ。」
    みたいなノリで割と血も涙もない。

    そいつらと討論するパートがあって、
    それが終わると後半は神との対話パート。
    よくもまぁぬけぬけと出てくるもんです。

    最終的に神様は名誉と財産の回復をしてくれますが、
    それならなおさら、あの最初の
    飲んだ勢いの賭け事みたいな仕打ちの理不尽さが際立ちます。

    ただ、ここにある傾向のいくつかは文化の基底にあるものとして興味深い。

    ・財産のうちに子孫が含まれるという発想。
    ・真実を話すということへの高い価値。
    ・絶望的な状況へ転落するイメージの近さ。社会の不安定さ。

    特に真実や善についての観念は
    全面的に主題化されていることもあって注意を引く。

    神と話す時でさえ正しく話す為なら堂々とすべきなのだ。

  • 義しい人、ヨブが神から与えられる試練、三人の友人による応報思想による非難、神への挑戦、神の答え。
    話自体は短いが、解説を読みながら解釈するのには時間がいりました。みっちり詰められていて難しい。だから深い。読めて良かった。
    神さまの、圧倒的な存在を、圧倒的な存在として、ただ信じること。それは深く透徹として信じること。それが幸せにつながる、ということだと思います。そういうことを言ってる書。

    でも解説なしじゃ何もわからなかったろうな。深い研究に基づいた註解と解説がありがたい。

  • 思想の理解と最高峰の文学

  • 2015/3/13読了。
    元々旧約聖書に惹かれているので購入した。中身がなんとなく壮絶というか、何故ヨブさんはここまでされなきゃならないのか?そしてなぜヨブさんはここまでされて信仰を失うことがないのか。

    ただ、自分が理不尽だと思うコトにはしっかり立ち向かっているところを見るとそういう部分を読み取れということなのか。

    なんにしても宗教モノは簡単ではない。

  • ある

  • 岩波文庫から出ている日本語訳(所謂「関根訳」)旧約聖書の『ヨブ記』。ビブリア・ヘブライカ(1937年版)を底本としており、詳細な注釈を施している他、一部文意が通るように節を入れ替えたりしている。
    本書は「義人の苦難」、あるいは神義論をテーマにした旧約聖書中でも重要な書物である。「人は理由なしに神を畏れることができるか」という神と敵対者の賭けの中で、神はその証明として「全くかつ直ぐ」な義人ヨブに苦難を与える。常に神に従い、それ故に神の恵みを受けてきたヨブは、この唐突で理不尽な災いの前に苦悩し嘆くことしかできない。因果応報の立場から彼を悪人と断罪する彼の友人たちとの討論の中で、ヨブは(己の限界を認めながらも)自己の義を力強く主張、遂に自らの義と神の義を対決させるに至るーー。
    このスリリングな内容は古代の高度な信仰論を如実に示している。何故「全き義人」たる自分が災いを受けねばならないのか? 神は善悪それぞれに相応の報いを与えるものではないのか? 己の不幸の理由を問うヨブに対し、神は逆に問いを発し自らの創造の業を語るのみで答えようとしない。だがこの意味深な神の言葉には、因果応報を超克した信仰の姿が描かれている。人が神を崇めるのは結局は自己の幸福追求のためではないのか? 人は見返りによってではなく「神ゆえに」神を信じることができるのか? 自己中心から神中心への信仰という考えは、(必ずしも腑に落ちるものではないが、だからこそそれ故に)自分にとって衝撃的に感じられた。
    本書の注釈は単語を解説するとともに、(訳者の)解釈を詳細に論じている。全体として非常に分かりやすいので、初めて『ヨブ記』に触れるにはお勧めの一冊といえるだろう。

  • ヤハウェがかなり身勝手にみえる! 
    最後の展開の訳わからなさもすごい!

全33件中 1 - 10件を表示

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)のその他の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
キェルケゴール
フランツ・カフカ
サン=テグジュペ...
J.L. ボルヘ...
有効な右矢印 無効な右矢印

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)に関連する談話室の質問

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)に関連するまとめ

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)を本棚に登録しているひと

ツイートする