ヨブ記(旧約聖書) (岩波文庫 青801-4)

  • 岩波書店 (1971年6月16日発売)
3.69
  • (26)
  • (33)
  • (45)
  • (6)
  • (1)
本棚登録 : 583
感想 : 45
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (230ページ) / ISBN・EAN: 9784003380147

みんなの感想まとめ

深いテーマを持つこの物語は、信仰と苦しみの関係を探求しています。主人公ヨブは、信仰深い人間でありながら、神からの試練に直面し、全てを失います。彼の苦しみの中で、神の存在や信仰の意味についての問いが浮か...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  一神教のことが気になって読み返してみた。理解不能だった多くのことが少しわかるような気がするけど、でもわからない。「信じるものは救われ」、「信じないものは罰を与えられる」というのが宗教の根本原理なのだが、一神教の神様は厳しいので、「信じていても罰を受ける」のだ。
     なのになぜ信じるのか?これを読んで一神教を信じるようになるのだろうか?読んでもわからないのが聖書、信じても現世的なご利益がないのが宗教、ご利益がなくてもそれでも信じる立派な人がいるのだから、信じなさい、ということかもしれない。
     

  • シンプルにこの神は恐ろしいと感じた。人知が及ばない。個人の行為は神が何をするのかに影響を与えない。ヨブのように敬虔に暮らしていても、簡単にすべてを奪う。どうしてこんな恐ろしい神を信仰するのか。信仰はご利益のためにするものではない、ということはわかる。では、なぜ信仰するのだろうか。
    神がいなければ、ヨブさんは世俗的に幸福な人生を全うできただろう。一方で、ヨブ記では、ヨブさんは苦しみの中で、神の存在を直接知った。「神のいない幸福」か「神のいる苦難」か。どちらが良いのか。
    神社に行って、何となく拝んで、何か良いことでもあったらラッキー、くらいのゆるい信仰心しか持ち合わせていない私には、難しい内容だった。一神教の神を信じるという行為が、感覚的にかなり遠いものなのだと実感した。

  • 再読。これは旧約のなかでは歴史でも律法でもなくすでにスピンオフ的な位置づけなのかな。内容はほぼ哲学問答なのだけど、神に対して反発するヨブの気持ちにとても共感するのでヨブ記は好き。

    以下大胆に現代的に(?)あらすじを説明すると・・・

    高学歴イケメン高収入のヤハ男さんが、あるとき妻ヨブ子のことを「俺のことめっちゃ信頼してて惚れてるんだよね」とのろけたところ、ライバルのサタ彦は「え、それって自分が金もってるからと違うん?無職やったら捨てられるって。試してみよか?」というわけで、ヨブ子は財産もペットも子供も全部奪われたのですが、それでもヤハ男さんラブの気持ちを捨てません。

    次にサタ彦は「いやいや、ゆうても健康やし元気やからね、病気になったらなんぼヨブ子でもヤハ男のこと恨むって。やってみよか?」そしてヨブ子は全身ひどい皮膚病に冒され寝たきりで苦しむことに。

    そこへ御見舞にやってきた3人の友人たち。どうしてこんな目に合うのかわからない、というヨブ子に「え~あんなに寛大なヤハ男さんが理由もなくこんなことするわけないやん。あんたがなんかやらかしたんちがうん?」と、労わるどころか余計に責めたてます。それでも自分には絶対に落ち度などないと言い張るヨブ子と「はあ?あんたちょっと調子乗ってるんちゃう?原罪あるんやから無実の人間なんかおらんやろ」と喧嘩腰になる友人たち(この喧嘩が本書のおもな内容)。

    最終的にヨブ子は「じゃかあしい、お前らとしゃべっても無駄じゃ、ヤハ男出てこんかい!」とぶちきれ、ようやく言い訳はじめるヤハ男。しかしこのくそ男「君の愛を試すようなことしてごめんね」と素直に謝るどころか、「お前わしがどんだけ偉いかわかってんの?」と自分の偉業を並べ立て「お前にこんなんできんの?わし全能の神やで?」と自慢しだす始末。でも素直なヨブ子は「こんなにえらくてすばらしいヤハ男さんのことを恨んだりしてごめんなさい。ヨブ子、悔い改めます」と反省。「わかったらええねん」で大団円。

    ・・・納得いかーん!!!私がヨブ子の友達だったら「そんなDV男とはすぐ別れるべき!!」ってアドバイスする。

    • yamaitsuさん
      mkt99さん

      はじめまして、コメントありがとうございます!
      長々と書き散らかしたふざけたレビューをお読みいただいてありがとうござい...
      mkt99さん

      はじめまして、コメントありがとうございます!
      長々と書き散らかしたふざけたレビューをお読みいただいてありがとうございます(^O^)
      真面目に感想を書くと本気で「神って何様!?」と憤ってしまいそうだったので、つい冗談に紛らせてしまいました(笑)

      ヨブ子に限らず敬虔だと褒め称えられる信者の方はみんなドMな気がしますよね。聖セバスチャンとか、聖ナントカ系の皆様・・・

      さんざんボコボコに殴っておいて「これでも俺が好きか!?」というDV神に「はい、好きです!」って、ほんとどれだけMなんでしょうか(@_@;)
      2016/09/28
    • 淳水堂さん
      こんにちは~私も混ぜてください~

      「ヨブは神への敬意を持ち続けたため、失ったもの以上のものを返されました♪」ってそうじゃないだろう~~...
      こんにちは~私も混ぜてください~

      「ヨブは神への敬意を持ち続けたため、失ったもの以上のものを返されました♪」ってそうじゃないだろう~~。
      ヨブを試すためだけに殺された最初の子供たちやシモベたちはただのとばっちりじゃないかorz
      「同じ数の子供たちがまた生まれたから、死んだ子供たちの事はもういいじゃん☆」ってそうじゃないだろう~ヽ(`Д´) ノ

      >聖セバスチャンとか、聖ナントカ系の皆様・・・
      キリスト教で聖人認定されるのって、酷い目なっても神への愛を忘れませんでした、って人も多いので、
      「酷い目にあったお詫びに聖列するよ」って考えなんでしょうかねえ。

      アラビアンナイトでは、
      「神に宝をもらったけれど、欲張ったら全部取り上げられちゃった。でも神にもらったものだから取り上げられてもしょうがないや☆」って割とあっさりしていた印象なので、
      宗教によって違うのね~って。
      2016/09/28
    • yamaitsuさん
      淳水堂さんこんにちわ~(^o^)/
      良かった、ヤハ男の仕打ちに納得いかない同志がここにもいたー!

      >「同じ数の子供たちがまた生まれた...
      淳水堂さんこんにちわ~(^o^)/
      良かった、ヤハ男の仕打ちに納得いかない同志がここにもいたー!

      >「同じ数の子供たちがまた生まれたから、死んだ子供たちの事はもういいじゃん☆」

      これほんと理解できないですよね!頭数の問題じゃないんだよ!個人の人格は無視かよ(怒)

      >「酷い目にあったお詫びに聖列するよ」って考えなんでしょうかねえ。

      ヤハ男って結局、死んだら昇進させてあげるけど(※地位は無料)、生きてるうちに高い給料やボーナスは払いたくない、ケチな経営者みたいなもんですよね・・・私は生きてるうちに報われたいです(笑)
      2016/09/29
  • ヨブ記は旧約聖書にある物語です。ヨブは信仰篤い正しい人でしたが、神様に与えられた大変な試練に苦しみ、ついには神様を呪います。なぜ自分がこんな苦しみにあうのか、この苦しみに意味があるのか。私もこんなことになったら神様を憎んで呪うに違いありません。ヨブは一生懸命神様に訴えますが神様は何も答えません。ただ、最後にヨブにする質問が神様の答えなのです。

    辛くて苦しいとき私たちが神様に祈るのは、神様が愛にあふれ絶対に正しく必ず善いことをすると信じているからだと思います。全知全能で人智を超えた存在。苦しみの理由を私はきっと理解することはできないと思います。神様の叡智は人間には理解できませんから。私たちは神様をずっと遠く人間の世界の外側にいると思っているかも知れないけれど、そもそも世界の外側にいる存在を考えることはできません。神様はこの世界の内側にいると思います。私たちの良心の針が必ず善を指し、偉大な先人たちが大きな試練の中でも誰かのために人類のために生きたことを思う時、神様は私たちの中にいると、どうしてもそう思うのです。

  • 私は信仰をもたないので、文学作品として読んだ。ヨブが次第に苦難を受け入れ、神に反抗していく姿勢が現れ出す。

    「わが論敵の書いた訴状、
     わたしはそれをわが肩に背負い
     冠としてわがかしらにむすび
     わが歩みの数を彼に語り
     君侯たる者のように彼に近づこう。」

    このヨブの、自分の苦しみが纏わり付きながら、苦しみを自分の体にむしろ纏わり付かせながら、神に向かって進んでいく姿。
    これと、以前読んだシモーヌヴェイユの本で描写されていた、救いをもとめて魂の暗夜をもがきながら進む姿とが、重なった。

  • 信心深い者が最後には救われる話なら、私は神を信じない。自分を信じたいから。

    • りまのさん
      私は、素朴に、神社が好きで、よく神々に、祈りとお礼の言葉を唱えに行きます。小鳥や、蝶々や、トンボなど見れて楽しく、木々がたくさんあって、空気...
      私は、素朴に、神社が好きで、よく神々に、祈りとお礼の言葉を唱えに行きます。小鳥や、蝶々や、トンボなど見れて楽しく、木々がたくさんあって、空気が清々しく気持ちが良いです。 りまの
      2021/02/18
    • 白雨しろうさん
      そういう関わり方もあるんですね。素敵です。身近なものに神様を感じてみようかと、ちょっと新しい発見です。
      そういう関わり方もあるんですね。素敵です。身近なものに神様を感じてみようかと、ちょっと新しい発見です。
      2021/02/18
  • 読了
    新共同訳では読んでたので訳違いの再読
    古代オリエンタルなあらゆる世界は、旧約に影響してる、というか、影響の大きさからして、立地を思う
    新共同訳のがキャッチーなのは、偉いことだな、と、思いました
    サタンが固有名詞でなく、一般名詞だったころ
    内村鑑三とユングへ

  • 救わない神様の話。

    ヨブが信仰を試される話だが、思考実験的な趣がある。

    シーンは神様と悪魔的なのが話してるところから。
    神「やーヨブ君はなかなかの信心者だよ」
    悪魔的「いいえ、彼は恵まれてるからですよ。災難に遭えば、神を呪いもするでしょうよ」
    神「ほー、そういうならやってみなよ」

    ヨブ君、かわいそう。

    大量の家畜は別の部族に奪われたり
    火事で燃えてしまい、
    使用人も同じく殺される。
    また、大嵐によって家は潰れて子供たちはほとんど死んでしまう。

    さらに本人も病気にさせられる。

    ここに至ってもヨブは神に恨み言を言うことはなかった。

    ただ、友達が来てくれるんだけど、こいつらがまたひどい。

    おおむね
    「君がこんなにひどい目に遭うのはなんかやましい事があるはずだ。」
    みたいなノリで割と血も涙もない。

    そいつらと討論するパートがあって、
    それが終わると後半は神との対話パート。
    よくもまぁぬけぬけと出てくるもんです。

    最終的に神様は名誉と財産の回復をしてくれますが、
    それならなおさら、あの最初の
    飲んだ勢いの賭け事みたいな仕打ちの理不尽さが際立ちます。

    ただ、ここにある傾向のいくつかは文化の基底にあるものとして興味深い。

    ・財産のうちに子孫が含まれるという発想。
    ・真実を話すということへの高い価値。
    ・絶望的な状況へ転落するイメージの近さ。社会の不安定さ。

    特に真実や善についての観念は
    全面的に主題化されていることもあって注意を引く。

    神と話す時でさえ正しく話す為なら堂々とすべきなのだ。

  • 作者不詳。紀元前5世紀から紀元前3世紀頃のパレスチナに於いて成立したとみられる。

    神への信仰篤く、その善に従って生きてきたヨブに、神は次々と過酷な試練を与え、ヨブは「神が在りながらなぜこのような災厄に見舞われるのか」と生の意味を喪失してしまう。しかしここには、信仰に於ける実利主義・応報思想・「幸福の神義論」(ヴェーバー)、則ち人間中心主義――人間は、神の神たるゆえに神を信仰するのではなく、所詮は自己の利益の為に信仰するのだ、という構え――が大前提として横たわっていると云える。そもそも、神をしてヨブに理不尽な苦難を与えるように仕向けた敵対者(サタン)に次のように云わせることで、作者は信仰とその"根拠"の問題、そこにある人間の傲慢(ヒュブリス hybris)を本書の主題としている。

    「ヨブといえども理由なしに神を畏れたりするものですか」

    こうして『ヨブ記』に於いて神義論・弁神論(世界に悪や苦難が存在することと神の全能性・絶対的善性とのあいだにある矛盾を整合的に捉えようとする議論、世界が悪と苦難に満ちていながらなお神を信仰するのかという議論)に対する一つの答えが示される。

    不条理であるにもかかわらず、不条理であるがゆえにこそ、信仰する。この点にこそ、信仰というものの独自の機制があると云える。神の絶対的超越性ゆえに、信仰を哲学的に基礎づけようとすることを根本的な錯誤と見做して「不合理ゆえにわれ信ず」と云ったテルトゥリアヌス(2世紀のキリスト教神学者)の思想に通じるものがある。

    神は人間を超絶した存在であり、人間如きの理性では神の義を解することはできない。これは、一方では、神という絶対者への人間の絶対的屈服・隷属を意味する。しかし他方で、理性を超越した存在への信仰は、人間理性それ自体からの自由、人間の自由性の証しに通じるのではないか。なんとなれば、人間は人間理性そのものを自らの意思で放棄するほどの自由性の内にあるということなのだから。人間は人間自身から自由である。則ち、人間は自己否定が可能なのだ。『ヨブ記』自体がそれを証しているのではないか。それが遂には、自身が信仰している当の絶対者たる神をも人間自ら否定する"自由のニヒリズム"へと到るのではないか。ヨブの最後の科白は以下のとおりである。

    「それ故私は自分を否定し/塵灰の中で悔改めます」

    そうした人間の、あらゆる概念的規定を超越しうる可能的否定的存在としての「実存」という在りようを、『ヨブ記』は逆説的に予見しているかのようだ。旧約聖書は、予め自らの内に、未来のヴォルテールを・実存主義的無神論を、胚胎していたと云えないか。

  • ある日、事件を起こして逮捕・拘束された際に、畳三畳の留置場内独房で読了した。

    末尾の注釈を一つ一つ参照しながら慎重に読んだが、やはり素人が理解するのは難しい書に思える。解説が欲しい(一応、ユングの「ヨブへの答えを購入済み」)。

    敬虔に神を信仰してたヨブが、神に許可された悪魔によって理不尽な災難に次々と遭わされ全てを失い、友人二人と議論を交わすも「私は神の教えに背いたことは一度たりともない」と言い切り、神の一被造物でありながら神との議論を望み、願いが聞き入れられヤハウェが直接ヨブに語りかけてくるという内容が、美しい詩によって記述されている。……というのが、恐らく無難なあらすじ。

    最後に登場するヤハウェの発言は素人の自分にとっては唐突かつ理解に苦しむもので、なぜヨブが納得したのかはどうしても分からなった。やはり専門的な知識を持つ人に解説してもらわないと、詳細な意味を読み解くのは不可能に感じた。

  • 聖書ってこんなにも深いのか・・・と思わされた。
    ユングの『ヨブへの答え』も併せてどうぞ。

  • 旧約聖書関連資料。
    神のいたずらであまりにも多くの不幸を経験された男の弁論。
    自分の知っているキリスト教におけるイエス・キリストと余りにも異なるスタンスの"神の行い"に興味を引かれて読破したが、思いの外文学的に面白かった。

  • 伝わらなかった

  • ヨブ記の日本語訳は種々ありますが、私はこの訳が好きです。他の訳と比較するとずいぶん趣が違うところもあり、どちらがより正確かなどは素人にはわかりませんが、文学として心に沁みる表現が多々ありました。

  • 文学界の最高傑作

  • 義しい人、ヨブが神から与えられる試練、三人の友人による応報思想による非難、神への挑戦、神の答え。
    話自体は短いが、解説を読みながら解釈するのには時間がいりました。みっちり詰められていて難しい。だから深い。読めて良かった。
    神さまの、圧倒的な存在を、圧倒的な存在として、ただ信じること。それは深く透徹として信じること。それが幸せにつながる、ということだと思います。そういうことを言ってる書。

    でも解説なしじゃ何もわからなかったろうな。深い研究に基づいた註解と解説がありがたい。

  • 思想の理解と最高峰の文学

  • 2015/3/13読了。
    元々旧約聖書に惹かれているので購入した。中身がなんとなく壮絶というか、何故ヨブさんはここまでされなきゃならないのか?そしてなぜヨブさんはここまでされて信仰を失うことがないのか。

    ただ、自分が理不尽だと思うコトにはしっかり立ち向かっているところを見るとそういう部分を読み取れということなのか。

    なんにしても宗教モノは簡単ではない。

  • ある

  • 岩波文庫から出ている日本語訳(所謂「関根訳」)旧約聖書の『ヨブ記』。ビブリア・ヘブライカ(1937年版)を底本としており、詳細な注釈を施している他、一部文意が通るように節を入れ替えたりしている。
    本書は「義人の苦難」、あるいは神義論をテーマにした旧約聖書中でも重要な書物である。「人は理由なしに神を畏れることができるか」という神と敵対者の賭けの中で、神はその証明として「全くかつ直ぐ」な義人ヨブに苦難を与える。常に神に従い、それ故に神の恵みを受けてきたヨブは、この唐突で理不尽な災いの前に苦悩し嘆くことしかできない。因果応報の立場から彼を悪人と断罪する彼の友人たちとの討論の中で、ヨブは(己の限界を認めながらも)自己の義を力強く主張、遂に自らの義と神の義を対決させるに至るーー。
    このスリリングな内容は古代の高度な信仰論を如実に示している。何故「全き義人」たる自分が災いを受けねばならないのか? 神は善悪それぞれに相応の報いを与えるものではないのか? 己の不幸の理由を問うヨブに対し、神は逆に問いを発し自らの創造の業を語るのみで答えようとしない。だがこの意味深な神の言葉には、因果応報を超克した信仰の姿が描かれている。人が神を崇めるのは結局は自己の幸福追求のためではないのか? 人は見返りによってではなく「神ゆえに」神を信じることができるのか? 自己中心から神中心への信仰という考えは、(必ずしも腑に落ちるものではないが、だからこそそれ故に)自分にとって衝撃的に感じられた。
    本書の注釈は単語を解説するとともに、(訳者の)解釈を詳細に論じている。全体として非常に分かりやすいので、初めて『ヨブ記』に触れるにはお勧めの一冊といえるだろう。

全39件中 1 - 20件を表示

この本が好きな人におすすめの本

関根正雄の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×