コーラン 上 (岩波文庫 青 813-1)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003381311

作品紹介・あらすじ

預言者マホメットの口を通して語られた神のことば-断続的に下された啓示を、第三代カリフ・オスマーンが集積・編纂させて聖典は成立した。以後、『コーラン』解釈の発展史がイスラーム文化史を形成してきたといえる。アラビア語原典からの口語訳。

感想・レビュー・書評

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  • 去年、聖書再読キャンペーンというのを一人で開催してたのだけど、そのいきおいでコーランも再読しようと思っているうちに他に読みたい本が沢山できてしまい、しばらく再読はお休みしていたのだけど、ちょうど週末読みたい本がなかったので、思い出してコーラン再読スタート。

    おさらいとして、まず、世界三大宗教というと単純に人数の多いベスト3で、キリスト教、イスラム教、仏教、と並列されるため、それぞれ全く別のものだとつい思いがちだけど、実はキリスト教とイスラム教の神様は同じ神様。ヤハウェとアッラーは同一人物・・・ならぬ同一神なんですよね。つまりユダヤ教(旧約聖書)、キリスト教(新約聖書)、イスラム教(コーラン)で言う神は同じ神で、出所は一緒。つまりこの3つは初代「ガンダム」と「Zガンダム」と「ガンダムSEED」くらいの関係性(※あまり適切な例えではない)

    まあ元祖であるユダヤ教を正妻とするなら、キリスト教は数多いる愛人のうち一番神に愛された愛人、イスラム教は一番若い年下の愛人、くらいの関係・・・(やはりあまり適切な例えではない)その正妻と愛人のそれぞれが、私がいちばんヤハ男=アラ男に愛されてるのよ!と主張するがゆえに、同じ神を信望しながらも敵対するという現在の宗教の歪みがあるんじゃないかと。

    そんなわけなので、コーランの内容は基本的に旧約の内容を踏まえており、あまりオリジナルのエピソードはありません。解説で翻訳者も書いていたけれど、旧約、新約聖書に比べてコーランは、読み物としては圧倒的につまらない。旧約なんかは単純に物語として面白いけれど、コーランは同じような内容の反復ばかりで結構退屈。というのも、これは読み物ではなく詠唱されてなんぼのものなので、アラビア語での朗読を聞かなければあまり魅力の伝わらないものらしい。まあそれなら読んで退屈なのは仕方ない。

    なので、書いてあること自体は、両親を大切にしろ、挨拶はちゃんとしろ、理由もなく人を殺してはいけない、遺産は正しく分配しろなど、いたって普通。断食とか、豚肉食べちゃダメとかまあいくつか規律はありますが、それも旅行中だったり病気だったり、いたしかたないときは無理しなくていいよ、といたって寛大。

    ただ時代背景によってユダヤ教、キリスト教をそれぞれ味方に思ったり、急にディスりだしたりするのと、他のふたつに比べてやや好戦的なのがちょっと気にはなる。「お前にふりかかる幸運はアッラーの授け給うたもの、お前にふりかかる災難は、これはみなお前自身から出たこと(123頁)」など、ちょっとしたジャイアニズム(笑)が随所にみられ、戦争も、勝てばアッラーのおかげ、負ければお前達の信仰心が足りなかったせい、というわけで、全体的に詭弁感ハンパない。

    エピソード的なものはほぼ旧約や新約からのパクリ・・・もといちょっとアレンジを加えて繰り返されているだけでオリジナルの面白さには当然及ばず。同じ話の繰り返し。よく登場するのは、ムーサー(モーセ)、ヌーフ(ノア)など。あとアダムとイブやカインとアベル、マルヤム(マリア)の息子イーサー(イエス)の話、イブリース(ルシファー)=シャイターン(サターン)も悪役としてしばしば登場。

  • 馴染みがないせいなのか、とっつきがわるく、なかなか前にはすすめない。回教の教えそのものが浸透していないか、テキストはこれくらいしかみあたらなかった。

  • 神、天使、教典、預言者、来世、天命を信じなさい。アッラー以外に神はなし(47-19)。ムハンマドはアッラーの使徒(48-29)。アッラーは全能(35-1)。神に並ぶものは存在しない(4-48)。
    ※ムハンマドは預言者・人間。神ではない。クルアーンの著者はあくまで神アッラー。アッラーが天使ガブリエルを通じて、ムハンマドに伝えた内容。
    ※ハディース。ムハンマドの言葉や行いが書かれている。ムハンマドの日常の行為スンナ。
    ※「アッラー」は固有名詞ではない。唯一神を意味する言葉。
    ※ラー・イラーハ・イッラッラー。ムハンマドゥッラスールッラー。

    信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼をしなさい。▼礼拝。決まった時間にメッカの方向に頭を下げて祈る。毎日5回(夜明け前、12時、15時、18時、20時)。始まる前に祈りの呼びかけ(アザーン)がある。細かな礼拝の方法はスンナに書いてある。▼ラマダン(イスラム歴9月)の間は、1カ月、太陽が出ている間は何も食べてはいけない。太陽が沈んだら、食べてもよい。▼喜捨=税金(所得の40分の1)は神に対する義務。脱税・節税の発想がない。▼イスラム歴12月に、聖地メッカのカーバ神殿の儀式に参加。一生に最低1回は行うべき。▼信徒の平等。神の前ではみな平等。巡礼中は、敵も味方も、人種・社会的地位、関係なく平等。連帯が生まれる。
    ※モスクは礼拝の場。夏は涼しい。信仰の対象物を設置する施設ではない。キブラ(メッカにあるカーバ神殿の方向)。ミフラーブ(キブラを示すモスク内の壁のくぼみ)。
    ✳︎礼拝中の人の前を遮ってはいけない。その人と神とのつながりを遮ることになる。

    啓典(キターブ)の民。ユダヤ・キリスト教徒は同じ一神教の仲間。旧約・新約聖書も(クルアーンと比べて不完全だが)イスラム教の聖典。預言者モーセ(ユダヤ)、イエス(キリスト)、ムハンマド(イスラム、一番偉い)。イエスは神ではなく人間(4-171)。
    ※ジズヤ(人頭税)を支払うならば、ユダヤ・キリスト教徒もズィンミー(庇護民)として信仰の自由。イエスを神とするコプト教をイスラム教のエジプトは寛大に受け入れた。

    禁止。ワインと賭け矢、偶像と占い矢はこれを避けよ(5-90)。死んだ動物の肉、血、豚肉は不浄(6-145)なので、食べることを禁ずる(2-173)。ひづめが割れていて反芻するものは食べてよい。盗みをした者は両手を切断せよ(5-38)。
    ※食べてよい(ハラール)と食べてはいけない(ハラーム)。
    ※豚がもつ病原菌による感染症を抑えようとした。

    ジハード。多神教徒を見つけ次第、殺せ。捕まえよ。拘束せよ。あらゆる場所で待ち伏せせよ。だが彼らが悔い改め、礼拝を行い、喜捨するなら、放免してやれ。アッラーは寛容で慈悲深い(9-5)。不信仰者と出会ったときはその首を打ち取れ(47-4)。▼神の道のために殺された者は主のもとで十分養って頂きながら生きている(3-169)。現世の享楽は些細なもの。来世こそ神を畏れる者にとっては最もありがたいもの(4-77)。▼あなた達はあなた達自身を殺してはならない(4-29)。
    ※クルアーンの解釈は複数あり、「これが正しい」と最終判断する機関や権威は存在しない。真実は神のみぞ知る。

    一夫多妻。あなたがよいと思う2人、3人または4人の女をめとれ(4-3)。だが公平にしてやれそうにないなら、ただ1人だけめとれ。もしくは、女奴隷(右手が所有する者)で我慢しなさい(4-3)。
    ※戦争で夫を亡くした女性たちの生活対策だった。

    女。女はお前たちの耕作地である。思うままに手を付けるがよい。▼反抗的な女はよく諭し、寝床に追いやって叩け。言うことを聞けば、それ以上の手に出てはならない。

    ※成立、第3代カリフ、ウマイヤ家ウスマーン時代(在位644-656)。
    ※クルアーンは声を出して高らかに読むもの。声に出して読むとき、一字一句間違ってはいけない。
    ※アブド。しもべ。
    ※アゼルバイジャン。シーア派。
    ※キリスト教は神を信じる以外求めないが、コーランはよいことをせよと繰り返し書いてある。良い行い・悪い行いはシャリーアが決める。
    ※アフガーニー。固き絆。英の侵略に抵抗するため、イスラーム教徒たちよ、団結しよう。人種や民族が違っていても同じイスラーム。スンナ派もシーア派も同じイスラーム。団結すべき。パン・イスラーム主義。
    ※二カーブ禁止。仏、ベルギー、オーストリア。
    ※汎アラブ色。国旗。赤(聖戦で流れた血)・黒(黒は過去の圧政)・白(清浄)・緑(豊かな国土)。

  • 読み終わった。…ツラかった。ツラかった!
    ナニコノ精神攻撃。
    なんの苦行!?

    「コーラン」つまり「クルアーン」はもともと「読誦」を意味するそうです。
    つまり、この内容を、イスラームの人たちは日々読みあげている、と。
    そもそも「言葉」には力があるんだよ?(と私は信じてる。)
    それなのに、これを毎日読み、聞くなんて…!
    なんて恐ろしい。

    「コーラン」を読んだきっかけは、「知らない」というコトは恐怖や嫌悪の原因になる、知れば、怖くなくなるかもしれない、と思ったから。
    読み終わって。
    「知った」からこそ、怖いコトがあるんだと分かった…。

    怖かった。
    イスラームの人たちから、私たちはこう見えているのかと思うと。
    怖い。

    純粋な疑問として。
    それぞれの世界が遠かった時代ならいざ知らず、今のように世界が狭まったこの時代、イスラームの人たちは非イスラームとどのように折り合いをつけているんだろう。

  • (2006.10.06読了)(2000.10.27購入)
    コーランは、イスラム教徒の聖典です。アッラーが預言者マホメットに啓示したことを書き残したものだということです。前のものほど時代としては新しいということなので、後のほうから読んだほうがいいのかもしれません。マホメットが語ったのだとすると著者は、マホメットですが、アッラーがマホメットの口を借りて神の教えを説いたものとすると、著者は、アッラーということになるのでしょうか。
    「コーラン」の原語「クルアーン」とは、もと読誦を意味した。この聖典は目で読むよりも、文句の意味するよりも、何よりも先にまず声高く朗誦されなければならない。(298頁)
    アラビア以外の回教諸国では、「コーラン」の翻訳ということは禁止されていた。意味がわかっても分からなくとも、信者はアラビア語の原文のままで「コーラン」を読まなくてはならなかった。(299頁)(この本も、日本語への翻訳ということではなく、日本語による解説書ということなのだそうです。)
    コーランには、イスラム教徒の守るべきことが生活のすべてにわたって規定してあるので、政治と宗教が分離できないといわれるのですが、上巻を読み終わった段階では、生活に関する事はそれほど多くは見受けられず、多神教やユダヤ教、キリスト教との戦いについて書いてあったように思われる。

    ●偶像崇拝の禁止(14頁)
    アッラーこそは汝らのために大地を置いて敷床となし、蒼穹を頭上に建立し、蒼穹から雨を下して様々の果実を実らせ、それで汝らの日々の養いとなし給うたお方。されば偶像のたぐいを、それと知りつつアッラーとひとしなみに崇めたりしてはならぬぞ。
    ●礼拝と喜捨(30頁)
    汝らは礼拝を正しく守り、喜捨の務めを怠らずに果たしておればよい。
    ●アッラーのもの(31頁)
    東も西もアッラーのもの。それゆえに、汝らいずこに顔を向けようとも、必ずそこにアッラーの御顔がある。
    ●祈りの方角(キブラ)(36頁)
    (最初、回教徒はイエルサレムの方角に向かって祈祷していた。しかし後に、マホメットがユダヤ教徒とはっきり敵対するに至って、その方向をメッカに向けかえた。)
    お前はどっちを向いてお祈りしていいのか分からなくなって空をきょろきょろ見廻している。よし、それならここでお前にも得心の行くような方角を決めてやろう。よいか、お前の顔を聖なる礼拝堂(メッカの神殿)の方に向けよ。
    ●禁じられた食物(42頁)
    アッラーが汝らに禁じ給うた食物といえば、死肉、血、豚の肉、それから屠る時にアッラー以外の名が唱えられたもののみ。
    ●聖戦(46頁)
    汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道において堂々とこれを迎え撃つがよい。だがこちらから不義を仕掛けてはならぬぞ。
    ●遺言(59頁)
    汝らのうちで妻を後に残して神のみもとに召されるものは、彼女らが一年間、家から追い出されずに充分扶養を受けられるよう遺言する必要がある。
    ●利子(68頁)
    アッラーは商売はお許しになった、だが利息取りは禁じ給うた。
    ●妻(108頁)
    もし汝ら自分だけでは孤児に公正にしてやれそうにもないと思ったら、誰か気に入った女をめとるがよい、二人なり、三人なり、四人なり。だがもし妻が多くては公正にできないようならば一人だけにしておくか、さもなくばお前達の右手が所有しているもの(女奴隷を指す)だけで我慢して置け。
    ●男と女(115頁)
    アッラーはもともと男と女との間には優劣をおつけになったのだし、また生活に必要な金は男が出すのだから、この点で男のほうが女の上に立つべきもの。
    ●信徒殺し(126頁)
    信徒が信徒を殺す事は絶対に許されぬ、誤ってした場合は別として。
    ●来世(247頁)
    およそ預言者たるものは、地上の敵を思う存分殺戮した後でなければ捕虜など作るべきではない(殺さないで捕虜にした方が身代金が取れるから得なのである)。一体汝らはこの世のつまらぬ財を欲しがりすぎる。アッラーの欲し給うのは来世じゃ。
    ●喜捨の用途(260頁)
    集まった貴社の用途は、まず貧者に困窮者、それを徴収して廻る人、心を協調させた人(他の宗教の信者から回教徒になった人)、奴隷の見受け、負債で困っている人、それにアッラーの道(回教の伝播活動)、旅人、これだけに限る。

    ☆関連図書(既読)
    「イスラムの世界」大野盛雄著、講談社現代新書、1971.03.16
    「マホメット」藤本勝次著、中公新書、1971.06.25
    「世界の歴史(5) 西域とイスラム」岩村忍著、中公文庫、1975.01.10
    「イスラムの蔭に」前嶋信次著、河出書房新社、1975.03.25
    「アラブのこころ」曽野綾子著、集英社文庫、1979.01.30
    「イスラム文化と歴史」前嶋信次著、誠文堂新光社、1984.06.09
    「イスラーム生誕」井筒俊彦著、中公文庫、1990.08.10
    「イスラームの日常世界」片倉もとこ著、岩波新書、1991.01.21
    「聖戦の教典 コーランの秘密」吉村作治著、ワニ文庫、1991.03.25
    「コーランと聖書の対話」久山宗彦著、講談社現代新書、1993.10.20
    「乞食とイスラーム」保坂修司著、筑摩書房、1994.04.10
    「現代イスラムの潮流」宮田律著、集英社新書、2001.06.20
    「イスラーム世界を読む」小杉泰著、NHK人間講座、2002.04.01

    訳者 井筒 俊彦
    1914年 東京生まれ
    1937年 慶応義塾大学文学部卒業
    1968年まで慶応義塾大学文学部言語文化研究所教授
    1969年 カナダ・モントリオールのマックギル大学イスラーム教授に就任
    慶応義塾大学名誉教授
    専攻は東洋哲学、言語哲学
    1993年 死去

    (「BOOK」データベースより)amazon
    預言者マホメットの口を通して語られた神のことば―断続的に下された啓示を、第三代カリフ・オスマーンが集積・編纂させて聖典は成立した。以後、『コーラン』解釈の発展史がイスラーム文化史を形成してきたといえる。アラビア語原典からの口語訳。

  • (通巻の感想)
    20億人近くの信者を抱えるイスラム教をどこか遠く未知なものと感じてしまうのは彼らの聖典に馴染みがないからかもしれない。そう思いコーランを手にしたが、たしかに取り扱いの難しい書物だ。同じような表現が何度も反復され、物語(のオリジナル)性が乏しく、過激な表現の今日的な受け入れは難しい。それでもイスラムの世界観を知るには繙かねばならない書物だと思う。

    まず、アッラーの、唯一性、遍在性、不可知性が強調される。「東も西もアッラーのもの。いずこに顔を向けようと、必ずそこにアッラーのお顔がある。」という表現は神の遍在を端的に表しており、天上の人型の神というイメージからはかけ離れている。ここに偶像の絶対禁止の理由を知ることができる。また、神の一人称が「我ら」であることも興味深いが、ムハンマドが語る最中にしばしば人称が変化する様は神秘体験の臨場感を伝える。
    ムハンマドが宗教家であると同時に為政者であり戦の指導者であったことが、聖典としての特殊性をもたらす。離婚や相続についてなど生活上の規則まで細かく規定される。ここにイスラムにおいて宗教と世俗的生活を分離するのが難しい理由があるのだろう。また、戦いを鼓舞する表現など厳格で荒々しい表現も多く、聖典としては戦闘的な性格であることは否めない。
    そして、天国と地獄の描写はとても感覚的だ。天国は、川の流れる楽園で、食物に満ち、男性には天女があてがわれるといい、とても快楽的・実利的な描写である。対して、信仰しない者が地獄(ジャハンナム)の火に焼かれるという描写がとにかく散々繰り返される。神の恵みも強調されてはいるが、不信仰への報復を徹底する峻厳な神がアッラーだという印象を強く受ける。

    アブラハム、モーセ、イエスなど旧約と新約の神話についても語り直されているが、オリジナルな物語として、イブリースの神話が興味深い。天使の一人イブリースは、神の創った人間(アダム)に跪けとの神の命令を拒み、追放されサタンとして神に抗うようになったという。たとえ自己の不利益になろうと、たとえ神の命令であろうと、己に及ばないものには決して跪拝しない自恃の精神にはある種の輝きがあり、否定的精神を具現化したアンチヒーローともとれる。

  • NDC 167
    [預言者マホメットの口を通して語られた神のことば―断続的に下された啓示を、第三代カリフ・オスマーンが集積・編纂させて聖典は成立した。以後、『コーラン』解釈の発展史がイスラーム文化史を形成してきたといえる。アラビア語原典からの口語訳。]

    「世界三大宗教のうち一番新しく、現在もっとも勢いのある宗教、それがイスラームです。『コーラン』はイスラームの教えを書き表した聖典。作者はおらず、それは神の言葉そのものであり、すべてはムハンマドに語り掛けるという形式で記されています。ー信者にとってムハンマドは神の言葉を伝える特別な存在だですが、けっして神自身でも神の子でもなく他の一般信者と同等と位置付けられています。イスラームは神の前の絶対平等を説いています。ーぜひ読んでみてください。イスラームでは神がどんなようなものであるかを理解するのには絶好の書であり、イスラームに対するいわれなき偏見にまどわされないためにも必要なことだとぼくは考えています。」
    (『世界史読書案内』津野田興一著 の紹介より)

    目次
    1 開扉―メッカ啓示、全七節
    2 牝牛―メディナ啓示、全二八七(二八六)節
    3 イムラーン一家―メディナ啓示、全二〇〇節
    4 女―メディナ啓示、全一七五(一七六)節
    5 食卓―メディナ啓示、全一二〇節
    6 家畜―メッカ啓示、全一六五節
    7 胸壁―メッカ啓示、全二〇五(二〇六)節
    8 戦利品―メディナ啓示、全七六(七五)節
    9 改悛―メディナ啓示、全一三〇(一二九)節
    10 ユーヌス(平安その上にあれ)―メッカ啓示、全一〇九節

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/706408

  • そう言えばちゃんと読んだことないな一度は手を出そうシリーズ。訳者による解説、文章がめっちゃ面白い。あったりまえやろ。

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著者プロフィール

1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。『アラビア思想史』『神秘哲学』や『コーラン』の翻訳、英文処女著作Language and Magic などを発表。
 1959年から海外に拠点を移しマギル大学やイラン王立哲学アカデミーで研究に従事、エラノス会議などで精力的に講演活動も行った。この時期は英文で研究書の執筆に専念し、God and Man in the Koran, The Concept of Belief in Islamic Theology, Sufism and Taoism などを刊行。
 1979年、日本に帰国してからは、日本語による著作や論文の執筆に勤しみ、『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表した。93年、死去。『井筒俊彦全集』(全12巻、別巻1、2013年-2016年)。

「2019年 『スーフィズムと老荘思想 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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