科学と仮説 (岩波文庫 青 902-1)

  • 岩波書店
3.48
  • (3)
  • (6)
  • (16)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 328
感想 : 19
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003390214

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 内容は素晴らしいのだと思うが、翻訳が、ものすごく読み辛い。科学と方法の翻訳が素晴らしかっただけに残念だと思った。

  • ”次第に多くを観測して、次第に少ししか一般化しなくなった”(P170)仮説は検証しなくてはならないが、第11章のような確率論による検証は難しいかもしれない。その後に続く、光学と電磁気学に関する記述には確率論的な証明まで踏み込んでいないので、すごく難解な問題の解説はないかもしれない。そのため、科学者、技術者の1年生が読んでも、十分理解できる内容が多いのおで、ぜひ読んでください。

  • 文章で重要性を切々と説いているわけではないのだが、あらゆる科学において仮説が重要なポジションを占めていることを再認識させられた。「科学」に糧の一端を求める人であれば読んでおいてまず損は無いだろう。

  • ◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BN05728514

    ※実際には創元科學叢書(創元社, 1950.4)版を所蔵しています。

  • 《目次》
    第一部 数と量
    第二部 空間
    第三部 力
    第四部 自然

  •  ブラックスワンの著者が絶賛していたので読んでみたが、難しかった。。。

     数学の推理の本性は何であるか。それは普通、人が信じているように、ほんとに演繹的なものであるか。深く研究してみると、全くそうではないということがわかる。これにはある程度まで帰納的な性質が加わっていて、それによってこそ多くの結果を挙げ得るのである。そのために絶対的厳密という特徴を少しでも失うようなことはない。

     …検証が真の証明と異なるのは、まさにそれが純粋に分析的だからで、何も産み出さないからである。何も産み出さないというのは、その結論が前提をほかの言葉でいいかえたものに過ぎないという意味である。これと反対に真の証明が種々の結果を生むのは、その結論がある意味で前提よりも一般的になっているからである。

     要するに理知は象徴を創造する能力を有している。象徴の特殊のシステムに過ぎない数学的連続を構成したのはこれによる。理知の活動の範囲は、あらゆる矛盾を避けることが必要だというだけで、ほかには少しも制限を受けない。しかし理知は経験が動機を与えるのでなければその能力を用いない。

     
     いままでに私はすでに幾度も繰り返して幾何学の原理は経験的事実ではないこと、特にユークリドの要請は実験によって証明することはできないことを示そうと試みた。


     要するにどんなふうに手段を変えてみても。幾何学を経験のみに帰する説には条理にかなった意義を発見することは不可能である。

     して見ると極限に進んだことは我々を誤ったことになる。理知は実験に先立たなければならなかった。そうしてもしそれが成功したならば、それは簡単さの直感によって導かれたからである。
     要素になっている事実を知れば、我々は問題を方程式に移すことができる。あとは観察もできるし検証もできるような複合事実を組み合わせによってそれから演繹することだけである。これは積分と呼ばれるもので、それは数学者の仕事である。
     物理学においては、なぜ一般化が好んで数学的形式をとるかと、いぶかる人もあろう。いまになるとこの理由は容易にわかる。これは単に数的な法則を表現しなければならないためばかりでなく、観測できる現象は、すべてが相互に似よった要素現象を数多く重ね合わせたものに帰するからである。して見ると微分方程式が導入されることは全く自然である。
     要素現象の一つ一つが簡単な法則に従うというだけでは十分でない。組合わせるべきあらゆる現象が同一法則に従うことが必要である。そのときに限って数学の関与が有用になり得る。なるほど数学は似よったものを似よったものに組合わせることを教えるものだ。数学の目的は組合わせを一片一片についてやり直すことを要せずに、組合わせの結果を見抜くにある。同一の操作を幾度も繰り返すはずのところを、数学は一種の帰納による結果を予め我々に知らせて、この繰り返しを省くことを許すのである。これについては私はすでに数学的推理を論じた章で説明しておいた。
     しかしそのためには、これらの操作が全部相互に類似していなければいけない。そうでない場合には、もちろんあきらめて、一つ一つ順次に実際に操作を行わなければならないし、そうなれば数学は無用になってしまう。
     数理物理学が生じ得たのは物理学者の研究する材料が近似的に等質であることによる。
     博物学においてはこういう条件、すなわち、等質性、遠く離れた部分相互の無関係、要素になっている事実の簡単さということは認められない。博物学者が一般化の他の様式の助けをかりなければならなくなるのはこういうわけである。

     これらの方程式は関係を表現していて、方程式が真であることを失わないのは、すなわちこの関係がその実在性を保持しているからである。その後も以前と同じようにこれら方程式は何か或るものと別の或るものとの間にこれこれの連関があることを我々に教える。

     …確率のどんな計算にでも取りかかるためには、そうしてこの計算が意味を持つためには、まさに出発点として仮説なり規約なり、いつでも或る程度の任意性を許容するものを認めなければならない。この規約の選択においては、我々はただ充足理由の原理によってのみ導かれ得る。不幸にもこの原理は甚だあいまいであり、甚だ伸び縮みがあって、我々がいましがた行なった急速な試験においても、この原理が相異なる種々の形をとるのを見たのである。我々の最もよく出会ったのは連続性に対する信念という形である。この信念は絶対疑うことのできない推理によって正当と認めさせることは困難であろう。しかしこれがなくてはあらゆる科学は不可能であろう。もう一つは確率の計算を適用して益のある問題というのは、その結果が最初に設けた仮説と独立だという問題である。ただしその仮説は連続性の条件だけには従うものとする。

  • 科学の道100冊 2020

  • 科学道100冊 クラッシックス
    【所在】3F文庫新書 岩波文庫 青902-1
    【OPACへのリンク】
     https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/book/288

  • 20世紀フランスの数学者・自然科学者・科学哲学者であるアンリ・ポアンカレ(1854-1912)の最初の科学思想集、1902年。

    この書でポアンカレは、20世紀の科学哲学や言語哲学で重要な【規約主義】という考えを提示した。【規約主義】的に云えば、数学や自然科学の理論では或る仮説(公理)が【規約】として設定され、その【規約】に基づいて理論体系が構築される。命題の真偽はその【規約】によって決定されるのであり、経験的事実との照合によって決定されるのではない。この考えを徹底すれば、普遍的な真理があるわけではなく、設定された【規約】に基づく限りでの真理があるに過ぎないということになる。【規約主義】は真理に関する一種の相対主義であるとも云い得る。

    ポアンカレは、幾何学や力学などの具体的な理論を通して以下のような問いを考察しながら、【規約主義】という彼の科学哲学上の立場を説明する。則ち、科学理論にとって【規約】とはどのような身分であるのか。理論が実質的に有益なものとなるためにはどのような【規約】を選択すればよいのか。その選択の根拠はどのように正当化されるか。その正当性を審判する上で経験的事実(実験や観測)はどのように関わってくるか(何を【規約】として採用するかは矛盾律に反しない限りにおいて自由であるが、そこで闇雲な選択に走ってしまってはその理論は経験的真理とは無関係な唯名論に陥ってしまいかねない)。

    第一編 数と量

    第一章 数学的推理の本性 ・・・ 数学的帰納法について

    ・数学的帰納法は、単独の命題のうちに無限個の特殊な仮言命題を含んでおり、これを通して有限の対象に対してのみ妥当する特殊な命題を、無限の対象に対する妥当性を示す一般的な定理へと飛躍させる。
    ・数学的帰納法が正当化される根拠は、同一の操作を「以下同様に」と反復する(iterate)能力が理性に備わっていることに依る。
    ・自然科学における帰納法は、我々の「外」なる宇宙の秩序に対する信念に基づいているために、不確実なものである。しかし数学的帰納法は、我々の「内」なる理性の能力に対する信念に基づいているために、必然的なものである。
    ・一般的に演繹的とされている数学であるが、無限の対象に対する妥当性を示す一般化された定理を導出するためには数学的帰納法が不可欠であり、この点を以て数学も「特殊から一般へ」という他の科学と同様の方向性をもつことになる。
    ・数学的帰納法は、アプリオリな総合判断である。これを用いることにより、単に分析的なだけでない実質的な内容のある命題が導かれる。


    第二章 数学的量と経験 ・・・ 連続性について

    ・連続性を定義するのに、なぜ可算無限の有理数の集合では不十分であり、連続体無限の実数の集合が必要なのか。それは例えば、単位円と直線 y=x が交点をもつのは直観的に明らかであるが、その交点は明らかに有理数でないから。では、連続性を定義するのに、実数の集合で十分であるという根拠は何か。


    第二編 空間

    第三章 非ユークリド幾何学

    ・「あらゆる結論は前提を仮定している。この前提自身はそれだけで自明であって証明を要しないか、あるいは別の命題に頼るほかに確定し得ないかである。しかもこうして無限にさかのぼることはできないのであるから、あらゆる演繹的科学、とくに幾何学は証明しえないある一定数の公理に基かなくてはならない」
    ・「だから幾何学の公理は先天的総合判断でもないし、実験的事実でもない。/それは規約である。われわれの選択はあらゆる可能な規約のうちから実験的事実によって導かれて行ったのである。しかし選択にはなお自由の余地があって、矛盾は全然避けるという必要はあるが、それ以外に制限はない。公理の採用を決定した実験的法則が近似的なものに過ぎなくても、なお公理は依然として厳密に真であることを失わないというのはこういうわけである。/いいかえれば幾何学の公理(私は算術の公理については述べない)は扮装を着けた定義に過ぎない」
    ・「ただし存在という語は数学的な対象に関していうときと、物質的な対象を問題にしているときとでは、同じ意味でないということを忘れてはならない。数学的な対象はその定義がそれ自身のうちに、またこれに先立って認められている命題との間に矛盾を含まない限り存在する」


    第四章 空間と幾何学

    ・「経験はこの選択するのを強いはしないで、導くのである。経験はどの幾何学が最も真であるかということを認識させはしないが、どれが最も便利であるかを認めさせる」


    第五章 経験と幾何学

    ・「経験はどういう選択がわれわれの身体の性質に最もよく適応するかを示して我々を導いてくれた。しかし経験の役割はそれ以上には出ない」


    第三編 力

    第六章 古典力学

    ・「定義は我々に力がそれ自体で何であるかとか、また力が運動の原因であるか結果であるかということを教える必要は少しもない」
    ・「我々は出発点では甚だ特殊なそうして結局かなりぞんざいな実験を、到達点では全く普遍的な全く精密な法則を見るのである。この法則の確実性は絶対的だと我々は見なす。この法則を規約と見なすことによって、この法則の確実性を、いわば自由に与えたのは我々である。/加速度の法則、力の合成の規則はそれでは勝手な規約に過ぎないのであろうか。規約は規約である、だが勝手だというのは違う。もしこの科学の創設者たちを導いて、これらの法則を採用するに至らせた実験を見牛ってしまったならば、これらの法則は勝手にもなったろう。この実験はどれほど不完全であろうと、法則を正当なものとするには十分である」


    第七章 相対的運動と絶対的運動

    ・「・・・、すなわち「地球が自転する」というのと、「地球が自転すると仮定したほうが便利である」というこの二つの命題はただひとつの同じ意味を有していて、・・・」


    第八章 エネルギーと熱力学

    ・「だから力学の原理は我々に相異なる二つの相のもとに現われる。その一つは実験に基づく真理でほとんど孤立したといえるシステムに関するものでは極めて近似的に検証される。もう一つは宇宙全体に適用を見る要請で厳密に死んだと見なされる」
    ・「原理は規約であり、扮装をつけた定義である。しかしながらこれらは実験的法則から引き出されたものであって、これら法則はいわば我々の理知が絶対的価値を与える原理として樹立されたものである。/哲学者たちのうちには余りに一般化しすぎて、原理が科学の全部であり、従ってあらゆる科学は規約的であると信じたものもあった。/唯名論と呼ばれたこの逆説的な説は試練に耐え得るものではない」


    第四編 自然

    第九章 物理学における仮説
    ・「物理学においては、なぜ一般化が好んで数学的形式をとるかと、いぶかる人もいるだろう。いまになるとこの理由は容易にわかる。これは単に数的な法則を表現しなければならないためばかりでなく、観測できる現象は、すべてが相互に似よった要素現象を数多く重ね合わせたものに帰するからである。して見ると微分方程式が導入されることは全く自然である。/要素現象の一つ一つが簡単な法則に従うというだけでは十分でない。組合わせるべきあらゆる現象が同一法則に従うことが必要である。そのときに限って数学の関与が有用になり得る。なるほど数学は似よったものを似よったものに組合わせることを教えるものだ。数学の目的は組合わせを一片一片についてやり直すことを要せずに、組合わせの結果を見抜くにある。同一の操作を幾度も繰り返すはずのところを、数学は一種の帰納による結果を予め我々に知らせて、この繰り返しをはぶくことを許すのである」

  • 原書名:La science et l'hypothese(Poincaré,Jules-Henri)

    数と量◆空間◆力◆自然

    著者:アンリ・ポアンカレ、1854フランス・ナンシー-1912、数学者
    訳者:河野伊三郎、1905神奈川県出身-1994、数学者、東京帝国大学理学部数学科卒、元新潟大学教授・東京医科歯科大学教授

全19件中 1 - 10件を表示

河野伊三郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
レイチェル カー...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×