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Amazon.co.jp ・本 (190ページ) / ISBN・EAN: 9784003394311
みんなの感想まとめ
それぞれの生物が持つ独自の知覚世界を探求することで、私たちの理解を深める内容が展開されています。環世界という概念を通じて、異なる種がどのように世界を認識し、行動しているのかを示す実験や挿絵が紹介されて...
感想・レビュー・書評
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Audibleで聞いたのですが、ちょっと難しかったです。前知識がなかったので、音だけでは漢字がわからず、意味を捉えるのに難儀しました。
たぶん、聞く読書のあるあるですね。
環世界とは、すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、それを主体として行動しているという考え。
見えている世界が違う。流れる時間が違う。
だから人間の当たり前は通用しない。
かたつむりと人間はそもそも時間の感じ方が違う。
同じ部屋も人間、犬、ハエでは違って見えている。
人間からみると意味がないような、昆虫達のまる見えの死んだふりは、敵の視点からすると、立派に意味がある。
ハチの視覚での形の捉え方は丸いか開いているか。
などなど、あらためてしっかりと教えてもらえたようで興味深かった。
これが原著初版は、ドイツで1934年(昭和9年)に出版されたってのもすごいなぁ〜。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
インターネットで「男女の世界の見え方の違い」というような画像を見たことがある。主には性的な視線の違いを面白おかしく誇張した内容だが、それ程おかしくもない、こんなものかなーという感じだった。人間は、目に入る世界に意味づけをして知覚する。∵を顔として見たり、飾り付けたケーキを美味しそうに感じたり、逆に牛や鶏そのものには食欲をそそられなかったり。生得的に意味付けされたものが、母親、危険な発色、異性などのシグナルだろうか。これが、人間と動物、昆虫で違う。実存世界や観念世界とも違う、環世界という、タイトルの生物から見た世界のことだ。
この環世界の見え方から、下等な生物は、単に知覚して反射的に運動する「動物機械」ではないか、という議論にまで発展する。私も虫と機械は違うのか、そんな事を感じた事があるので、よく分かる。ダンゴムシに心がある、と言われてもいまだにピンとこないままだ。
ー われわれは、ダニの知覚器官には知覚細胞があるはずでそれが知覚記号を送りだしているということを確認できればそれで十分であり、美食家の知覚器官についてもこれを想定している。ただし、ダニの知覚記号は酪酸の刺激を彼らの環世界の知覚標識に変えるが、美食家の知覚記号はその環世界でレーズンの刺激を知覚標識に変えるのである。
この知覚標識だが、生物により体感時間も異なるし、見た目だけじゃなくて、臭い、音、フェロモンなど多様だ。
ー 私が彼に短い梯子に登るようにというと、彼はこうたずねた。「支柱と隙間しか見えないけど、いったいどうすればいいんですか」。もう一人の黒人が彼の前で登ってみせたところ、彼はそれを難なくまねることができた。それ以来、彼にとって知覚的に与えられた「支柱と隙間」は登るというトーンをもつようになり、いつでも梯子と見なせるようになった。支柱と隙間という知覚像はみずからの行為という作用像によって補われ、これによってあらたな意味をもつようになった。そしてこれが新たな特性のように、行為のトーン、すなわち「作用トーン」の形であらわれたのである。この黒人の例からわかるように、われわれは自分の環世界の対象物でおこなうあらゆる行為について作用像を築きあげており、それを感覚器官から生じる知覚像と不可避的にしっかり結びつけるので、その対象物はその意味をわれわれに知らせる新たな特性を獲得する。これを簡単に作用トーンと呼ぶことにしょう。
宗教や教育、集団の価値観の解釈により、後天的に意味付けされ、記憶となり、人格や行動パターンが形成される。また、それを基にしてホルモンが分泌され、個々の性質、性格が生まれてくる。生物から見た世界が、逆に生物を規定する。どのような意識で何を見ようとしているのか。生きる上で、とても大事な事だと思う。 -
それぞれの生物が見ている世界は同一の環境ではなく、それぞれの生物が主体として作りだす"環世界"であるという考え方。
すごく新鮮で面白かった。
生物が捉えてる環世界について、いろいろな実験が挿絵付きで紹介されていてとても興味深い。
生物学的な評論なのかな?と思ってたんですが、生物学的もさることながらかなり哲学的な視点が強めでした。
すごく面白い理論でした。
分かりやすかったし楽しかった!
生物って本当に面白いなあ -
人や、虫やカタツムリや犬、それぞれ、持っている世界が違う。その違いは、感覚器の違いによるものもあるが、経験や興味で変わっていくこともあり、同種の生物だとしても、やはりそれぞれで構築した独自の世界があるというのが、とてもおもしろいと感じる。
それぞれ違う世界で生きている、という前提で生きていると、孤独感が薄れていく気がするとともに、自分の世界も、他者の世界も、それぞれ大切にしなければ、と思う。
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めちゃくちゃ面白い本でした。
著者は1864年生まれの大学教授です。
この本は、「生き物(主体性)には、それぞれの世界(環世界)がある!」と論じています。
とても古い本ですが、現代でも役に立つ、名著だと思いましたー
「世界は一つ」ではなく、「生き物の数だけ世界はある!」という考え方は、とても刺激的で良かったです!!
世界が広がった読後感があり、とても良かったですねー! -
読み難く十分に理解することはできなかったが、環世界(Umwelt)という考えはとても面白かった。
すべての生物は、自分の感覚器官と運動器官を通して「独自の世界」を構成している。生物が感覚できる環境である知覚世界(Merkraum)と生物が働きかける環境である作用世界(Wirkraum)の両者が繋がり、その生物にとって完結した環世界(Umwelt)がある。
読む中で人間中心主義からの脱却というのがとても好ましく感じた。ヒトが生きる世界もまた一つの環世界にすぎず、その周りにはおびただしい数の環世界が多様に広がっている。
また、環世界を観察する際、われわれは目的という幻想を捨て、設計という観点から動物の生命現象を整理しなければならない。私が生物の構造や仕組みについて知ることを面白いと思う所以がわかった気がする。
小説ばかりではなく、生物系の新書にも積極的に手を出していきたいと思った。 -
ちょっと思い浮かべてみてほしい。
ごくごく普通のリビング・ダイニングがあるとする。
テーブルには皿とコップがある。天井からはペンダントライトがぶら下がっている。部屋の一方にはソファと肘掛け椅子がある。別の一方には書き物机と丸い回転椅子がある。奥には本棚だ。
人にはダイニングチェアもソファも丸椅子も「座るもの」として捉えられる。皿とコップは食器、床は歩く場所、本棚は読書と関連するもの。
同じ光景が犬にとってはどうだろう。皿はおいしいものをのせるものでお裾分けがあるかもしれないから「食べ物」の範疇だ。足つきの椅子は飛び乗って座ることも出来る、座る道具だ。ソファは寝やすいからちょっと上等の座るもの。だが丸椅子はまったく別のグループだ。飛び乗ろうとしてもくるくる回ってしまうから、こんなもの、「いす」とは関係ない。ダイニングテーブルも書き物机も等しく意味のないもの。本棚も無意味。単なる「背景」と一緒である。
蠅だったらどうだろう。彼にとってはここで意味のあるものは、皿とライトしかない。他の情報は区別できず、また区別することに意味もない。
人・犬・蠅が同時に同じ光景を見ていても、三者がそこから抽出してくる情報はずいぶん異なるものになる。
ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは19世紀から20世紀にかけて生きた、生物学者・哲学者である。若い頃は異端でありすぎたためか、大学に属することなく、フリーで研究を続けた。60歳を過ぎた頃、ようやく名誉教授としてハンブルク大学に迎えられる。ローレンツなどの動物行動学者やあるいは哲学者に影響を与えた人物である。
本書は彼の思想のエッセンスを短い14章にまとめたもので、冊子に近い薄さである。だが含まれるイメージは多様で刺激に満ちている。
目からウロコが落ちる、世界がまったく違って見える、といささか大げさな言葉を当ててもよいほどだ。
動物はそれぞれ、違う知覚体系を持ち、同じ環境にあっても、見ている部分はまったく異なり、別の「環世界」を持っているというのがユクスキュルの主張である。
本書でもっともよく引用される挿話はおそらく、ダニの事例だろう。森に住むダニは視覚も聴覚も持たない。通りかかる動物の汗に含まれる酪酸を感知し、木から飛び降りて動物の体温を感じたら、皮膚の毛のない部分に移動し、食い込んで血を吸う。ここには嗅覚と温度感知と触覚しかない。木々の緑も小鳥のさえずりもダニには関係がない。しかしそのことを豊かさがないと言うのは的外れだろう。彼らはそうして生きてきたし、またそうして生き続けていくのだ。
ユクスキュルが使った「ウムヴェルトUmwelt」という言葉に「環世界」という訳語を当てたのは、本書の訳者であり、著名な動物行動学者である日高敏隆である。主体を取り巻くものを指すのだが、客観的な「環境」そのものを指すというよりは、主体が認識する「世界」であり、主観的なものである。イメージとしては、それぞれの主体が、周囲にそれぞれのシャボン玉を持っているようなものだ。シャボン玉は主体の見えるもの・感じ取れるものを囲い込む。主体が移動するとともにシャボン玉も移動する。
彼の思想は、純粋に、動物行動学としても役に立つ見方だろう。あるいは動物福祉を考える際の参考にもなろう。またさらに、自分の感覚とは何か、自分の感覚が捉える世界とはどれほど確固としたものかという哲学的な広がりも持ちうる。
人間と他の動物種が同じ環境にいるときであっても、人間が見ている世界と他の動物種が見ている世界は明らかに違う。
それはつまり、環境からのインプット(環境をどう捉えるか)も、それに対するアウトプット(環境にどう反応するか)も異なるということである。
我々が「見て」いながら「それとは認識していない」世界。
いやはや世界は広く、深く、そして多様であるのだ。 -
久しぶりの岩波文庫の青本!
あらゆる生き物には、そのそれぞれが主体となって知覚し、行為する「環世界」がある。
特に「なじみの道」の章はとっても腑に落ちた。
難しい部分もあって、すっかり理解できたとは言えないけど、楽しかった。脳がほぐれた気分です。 -
甲虫やチョウは野原をどう見ているか.行動は環世界あってのものと本書は唱える.生物の世界像を追って環境の世紀に先駆けた名著.
「岩波文庫」内容紹介より
「環世界」
人には人の見え方があるように、人以外の動物や昆虫にもそれぞれの見え方がある.
意味のないもののようにみえて、そうでないものもある.
意味のあるようにみえて、そうでないものもある.
世界は多様だ. -
面白かったです。
イヌやハエの世界の見え方と人間の見え方は異なるというのが「環世界」の概念。
ダニに至っては三つの知覚標識と作用標識しかないという。
難しい専門用語は分からないけど、ネコが獲物を咥えていると歯が隠れて戦闘能力を失うので、コクマルガラスの攻撃対象になるとか、猛禽の巣と狩場の間に中立地点がかり、そこではいっさい獲物を襲わないなど、環世界で起こるエピソードがひとつひとつ面白かった。 -
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「環世界」という言葉に既視感があり、手にとった一冊。
この言葉に初めて遭遇したのは、『目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)』 という本を読んだときだったかと思います。
環世界は、人間だけでなく、他の生物も当たり前のように持っています。
人間の視点、ハエの視点など、様々な感覚知について、端的にわかりやすく書かれているこの本は、確かに一部古い学説が掲載されておりますが、それでもワクワクさせられる一冊でした。
自分の見えている世界が全てではない、ということに気づいた後の、もう一歩の好奇心を、満足させてくれる、軽やかな読み応えのある一冊でした。
今年も読書の秋がやってきました。
今年は、古典に触れてみようかと思います。 -
難解な部分もあったがおもしろかった!環世界の概念の理解が深まった、と自分では思ってるけどどうかな。
いい研究者が謙虚な理由が少しわかった気がする。思い込みから抜け出すことの大切さと難しさ。やっぱり進化の話はぞくぞくしておもしろい! -
一風変わった性格の子どもだったので、環世界というものの見方で一人遊びをしていた記憶があります。
虫に対しても動物に対しても人に対しても、私主体にならないようにできる限り虫、動物、他人目線になるように集中して大真面目に取り組んだ覚えがあります笑
その頃にユクスキュルの本に出会っていれば、もっともっと楽しめただろうなと惜しい気持ちです。
どの章も面白いが、特に好きな章は「なじみの道」。
その章までに読んだことを踏まえると、盲導犬の素晴らしさがよくわかります。
小さな生き物から大きな生き物まで、さまざまな生き物の環世界を感じることができて最後までずっと興味深く読めました。子どもには少し難しい表現もあるけれど、子どもたちにぜひ頑張って読んでもらいたいな。 -
今更ながら読了!環世界については抜粋ばかり読んでましたが、原作自体も短いし、わかりやすい(表現が平易なことに加え、単純に面白いw)ので、学生時代に読めばよかったのに、と思ったり笑
人間はありのまま世界を見ていないし、見ることもできないということを肝に銘じつ -
これは科学哲学ならぬ生物哲学とでも言えば良いのだろうか。いわゆる「客観的な世界」というのは人間の環世界が形成させたものであって、イヌにはイヌの受容器官に基づく環世界が形成されているし、ハエはハエの受容器官に基づいた環世界の中で生きている。そして環世界を異にする生物同士は、決して同じ時間と空間を共有している訳ではないのだ。内容は造語がやや目立つものの、説明はシンプルで図説も豊富。読書が持つ役割の一つに読み手の世界観を広げるというのがあるけど、これほどまでに自らの世界観を広げてくれる本は他に無いと言っていい。
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ジョルジョ・アガンベンの『開かれ』の中で重要な書物として詳しく言及されていたこの本、ユクスキュル『生物から見た世界』は、1934年に一般向けに易しく書かれた自然科学書だが、これは凄い本だった。この薄さで、人によっては世界観をまるで変えてしまうほどの衝撃がある。
たとえば森に住むマダニには眼も味覚もないが、木の上で待ち伏せ、下を通るほ乳類の皮膚腺から出る酪酸の匂いを感知すると飛び降りて暖かな皮膚の部分まで進み、血を吸う。
下に獲物のほ乳類が通るまで、なんと18年も待っている場合があるという。
このダニにとって、とりあえず酪酸の匂い以外のものは、世界に存在しない。人間が動物たちと「同じ世界」に住んでいると思い込んでいるのは単なる幻想であり、空間も時間も、それぞれの動物の主観により限定された環境世界(環世界=Umwelt)によって生み出されているものにすぎず、それは決して共有された、包括的なものではない。
「主体から独立した空間というものはけっしてない。それにもかかわらず、すべてを包括する世界空間というフィクションにこだわるとすれば、それはただこの言い古された例え話を使ったほうが互いに話が通じやすいからにほかならない。」(p.50)
こんなことを発言する自然科学者がほかにいただろうか?
ユクスキュルはさらに、動物それぞれの種に限らず、同じ人間であっても、生活習慣や経験などに応じて、個人個人によって「環世界」が異なることをも示唆している。
この驚くべき直観は、たとえばグッドマン『世界制作の方法』の「ヴァージョン」にも通じる。
世界は無数に存在し、それが一つしかないという幻想は、単に「話が通じやすくするため」なのだ。
「生きた主体なしには空間も時間もありえない。」(p.24)
これは恐るべき思考へといざなう、小さな、しかし素晴らしい書物だ。必読。 -
環世界。生き物によって同じ世界が全く違って見える。結びには、人間一人ひとりも同様に同じ世界を違う捉え方をしているとある。
本当にその通りだと思う。
別の生き物は人間と違う見方をしている。人間の中でも、自分の常識は他人の非常識。それを前提として理解しておくことで穏やかに生きていける。 -
生物から見た世界ではなく、生物から見える世界として、客体から主体へと考察の視点を転換した点が新しいのだと理解できます。環世界という言葉は有名ですが、何が「環」なのかは、本書をちゃんと読んだことがない耳学問の方はピンとこないのでしょう。変な論評が多いです。(ポイントは本書の図3に提示された作用世界と知覚世界の「機能環」の概念にあり)
なお、今の時代(2025年)に再読してみると、本書の考え方を外挿すれば「AIの環世界」と言う議論も可能なように思えます。 -
主体を取り巻く客観的な「環境(Umgebung)」とは異なり、主体が真に現実的に生きる場として存在する「環世界(Umwelt)」。生き物が見ている世界をより「生物」学的に研究しようと試みた傑作
マダニやコクマルガラスが生きる環世界から、人間という種の内部─天文学者や物理学者などの違い─に存在する環世界についても論じられており、約100年前に書かれた本ながら根幹となる理論は現代にも問題なく通用するし、この理論を呈示したユクスキュル本人が猛烈な問題意識をもっていたためにこの時点で射程を広く取って問題を呈示しているのも素晴らしい
私としては、実はこの本を読む前に環世界という概念に触れたことはあって、それ以来自分なりに色々と考えてきたが、ユクスキュルも似た問題意識をもっていたことがこの本を読んでわかって感動した
客観性を重視する現代科学において、生物の主観的世界(=環世界)に着目して基礎理論を打ち立てたユクスキュルの功績は計り知れないものであり、現代に生きる私たちもそうした考え方をもちつつ生きていくのが良いのだろう -
とても面白かったです。日本語の翻訳も秀逸で読みやすかったです。本書は、それぞれの生き物が固有の環世界を持っていること、また同じ種(例:人間)の中でも環世界は異なっているのだ、ということを、ダニや犬、昆虫、鳥、魚など様々な生き物を例示しながら説明しています。
本書は哲学書的な意味合いもある一方で、様々な生き物の生態についてイラスト付きで解説していて、NHKの「ダーウィンが来た!」のような面白さもあります(イラストが素晴らしい)。哲学的という意味では、マルクス・ガブリエル氏の新実在論との共通点を感じました。ガブリエル氏は「唯一無二の世界は存在しない」とし、同じ場所にいても各人それぞれにとっての「意味の場」が存在すると述べていますが、まさにそれを生物大で述べているのが本書ではないでしょうか。
私は本書を読んでいて2つの関心がわいてきました。1つ目は、「AI(人工知能)は環世界を持つのか否か」です。2024年時点のAIは、言葉や画像を多次元空間のベクトルデータとして把握しています。人間では理解できないAという言葉とZという言葉の類似点もAIは見つけている可能性があります。まるでAI独自の環世界があるかのようですが、ここは大きな論点でしょう。
2つ目は、「AIが人間を分析することで、人間の環世界が明らかになっていくのではないか」という点です。例えば人間は赤外線や紫外線を見ることができませんが、AIを搭載したカメラはそれらを認識できるはずです。そのほかにも、人間は識別できないがAIには識別できることがあるとしたら、人間の環世界というものがAIという外部の力を借りることでより明らかになってくるのではないか、と思うわけです。「環世界(Umwelt)」、とても大事なキーワードだと思います。
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